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青い花を手折る罪

父と息子の後悔

 ジャスミンと初めて会ったのは子爵家の領地だった、とデルフィナスは思い出していた。

 まだ幼さの残る少女は照れたように笑い、その笑顔を守るのだと漠然と思っていた。

 リンドが誕生した日、ジャスミンがどんな笑顔だったか、デルフィナスは思い出せないでいた。


 成人の儀から暫く後、デルフィナスは長男のルシアンに爵位を譲り、領地に点在する屋敷の中で、特にジャスミンが好んでいた場所に暮らすことを選んだ。

 慌ただしく引継ぎを終え、ルシアンに侯爵家のシグネットリングを譲った彼は出発を控えていた。


 出発前日に、リンドが十六年過ごした家の中をゆっくりと歩き回っていく。

 二階建ての家は本邸にあるルシアンとロベリアの部屋よりも狭く、置いてある家具も質素な物だった。


「……十六年か」


 愛しいジャスミンが命懸けで産み落とした命。

 喪失に耐え切れずにいた日々を悔やむとは思ってもいなかった。

 ―悔やむ資格すらない、と思い直して自嘲した。


 テーブルとイス、暖炉がある部屋にリンドの物は何も残されていなかった。

 あのメイドが全て処分したのかと思えば、出入りしていたメイドたちは口を揃えて最初から何もなかったと言っていた。


 テーブルクロスも、銀の食器も、ベルベットのカーテンも、絨毯もない。

 予算を割り当てなかったのは他でもないデルフィナスだった。

 執事のリチャードに何度も言われ、やっと与えた予算の額を聞いたリチャードの表情は凍りついていたと今さら気付く。

 毎月の予算では令嬢らしいものを揃えることはできなかったのだろう。

 日々の生活に必要なものだけを揃えることしかできなかったと、二階にある寝室に足を踏み入れた時に気が付いた。

 しかし、天蓋のないベッドに残された毛布はそれなりの肌触りで、リチャードが予算の中で精一杯の質のものを選んだであろうことがうかがい知れた。


 ライティングデスクに残された羽ペンは古ぼけて、インクの染みが目に付いた。

 粗末な紙に残された文字がリンドのものなのか、デルフィナスには判断がつかなかった。しかし粗末な紙には似つかわしくない流麗な文字に、心の奥がざわついた。

 震える指先で文字をなぞり、リンドもまた、デルフィナスの、家族の文字を何一つ知らないだろうと思い至る。


「父上、ここにいらしたのですか」


「ああ、ルシアンか。……ここは、冬はとても寒いだろうな。夏は、どうしていたのだろうな。何故、あの子に憎悪を向けていたのか、今さら考え続けている……」


 デルフィナスの声に、ルシアンは一度目を閉じてすっかり老け込んだ父親を見据えた。


「私達は、弱すぎた。記憶の中の母上はいつも笑顔だった。―でも、今瞼に焼き付く顔は、あの日の泣きそうな顔なんです。あの子を責めても、何も変わらないと分かっていたのに。―謝りたいと思うことすら、烏滸がましい」


 自分自身に言い聞かせるように語るルシアンにデルフィナスは俯いた。


「この部屋は、寒いな」


「ええ、とても寒いです」


 人が十六年住んでいたというのに、何もない。


「あの子は、ジャスミンと同じ瞳の色だったな。初めてジャスミンと顔を合わせた時、真っ直ぐな瞳が印象的だった。それを褒めることが気恥ずかしくてな、艶やかな水色の髪を褒めた。彼女は照れたように笑っていたな。お前が初めて歩いた日、ロベリアが初めて父と呼んだ日、ジャスミンは満面の笑みでお前たちを抱き締めていた」


「……よく、母上が抱き締めてくださっていました。初めて炎を出せた日に、『貴方の力はお父様と同じく、この地を守るためにあるのよ』と膝の上で言い聞かされたことを覚えています」


「……そうか」


 ジャスミンが生きていれば、正しい道だけを選んでいられただろうか、とルシアンは考え、首を振った。

 ジャスミンがいなくても、正しい道は選べたはずだ。


「謝罪すら、烏滸がましいか」


「ええ、謝罪も、贖罪も許されないことが罰なのでしょう」


 インクで汚れた羽ペンに視線を落とし、ルシアンは言葉を紡いだ。


 シグネットリングがなくなった指は軽くなった。

 当主としての責務は終わった。

 全てをルシアンに背負わせる罪の重さに胃がずっしりと重くなった。


「父上、それでも、私達は生きていくしかないのです。忘れることも、逃げることも許しません。謝罪が許されないのであれば、ただ背負うだけなのです」


 これから侯爵家当主として生きていくルシアンは厳しい立場になるだろう。

 幾ら子爵家が他の貴族との関わりが薄いとは言え、侯爵家の末娘がデビュタントもせずに子爵家に引き取られたのだから、周囲からどんな目で見られるかは容易に想像できる。


「……私の弱さ故に、苦労をかけるな……」


「この程度、罰にすらなりません」


 ルシアンの赤い瞳が真っ直ぐにデルフィナスを見つめていた。

 色は違えど、ジャスミンと同じ強さだった。


「あの子が、リンドが幸せになるように祈ることだけは、許されるだろうか」


「―祈りの心だけは、誰にも奪えません」


 それだけが、デルフィナスに残されたリンドとの関わりなのだから。


 何もない部屋を再度見渡し、デルフィナスとルシアンは部屋を後にした。

 扉を出た時、ルシアンは柱にある焦げ跡に気が付いた。


「守るためにあったのに、な」


 リンドに向けて飛ばした炎から舞った火の粉が焼いた跡は、決してジャスミンが望んだ使い方ではない。


 今はまだ、幸せを祈ることすら許されない。

 ルシアンは深く溜息を吐いた。


 終

ご覧いただきありがとうございました!

許すも許さないもリンド次第、ですよね。

祈ったとて、それを喜ぶかはまた別なんですけれど。

そもそもリンドさんがそこまで彼らに興味があるのかどうか。……まぁ子供持つまで興味ないんですけど←

許すかどうか、皆様どう思いますか?

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― 新着の感想 ―
 悔やむ資格すらない、と思うくらいには良心が芽生えましたか。リチャードさんの表情凍りつき具合からも、当時のリンドさんへの冷遇ぶりが伝わりますが、これはアンヌさんに聞かせても話がややこしくなるだけかもし…
ようやく、少し真面になりましたね。今さらすぎるけど!しっかり後悔と反省をしてほしいです!馬鹿娘と外道乳母の二人にもたっぷり後悔と反省をしてほしいです。乳母には子供がいるんですよね?この事実を知って、ど…
相手の望まぬ謝罪はただの自己満足。 自分の中の罪悪感を軽くしたいだけのような気がします。 “好き”の反対は“嫌い”ではなく“無関心”。 関わりのなかった家族なんて、他人よりも関心ないでしょうね~ まぁ…
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