第4話 1996年②
教室を出てから、渡さなかった方のマライアのCDを忘れたことに気づき、わたしは教室に戻った。すると、男子が5,6人集まって騒いでいた。なんだか楽しそうで立ち入れない雰囲気を感じ、わたしは入口ドアの陰に隠れた。
「ヒロヤさぁ、華とつきあうの?」
ヒロヤがいるんだ。しかもわたしの話だ。ドキッとした。聞いたのは、ヨシカワ。
いや、なんで?とヒロヤが答える。俺もつきあうのかと思った、最近仲いいじゃん、と他の誰かが言った。ヒロヤの返事はよく聞こえない。
「華さぁ、あのケツたまんねぇんだけど」
ふいにヨシカワが言う。男子たちはどっと笑った。わたしは顔がかぁっと熱くなった。ヨシカワは続ける。
「よくリーバイスはいてくるじゃん。あれがもうたまんないの」
「複筒だと目が行くよな」
誰かが言う。そう、複筒ならではなんだよ、ヨシカワは食いつくように言った。
「単筒であのラインは出ねぇじゃん。渋谷の汚いギャルとかのミニスカだったらあるかもしれないけど……そういうんじゃねぇんだよな。あいつ、ケツも胸も決して大きくはないよ、でもあの腰からのラインが」
お前ちょっと落ち着けよ、これでも飲め、とさえぎったのはヒロヤの声だった。
飲み物をすすめられて、ヨシカワはごくごくと何かを飲んでいる。自分がこんな風に言われていることが信じられなくて、わたしはしびれたようにぼうっとなった。
じゃあヨシカワ、華に行ってみればいいじゃん、と誰かに言われ、ヨシカワは何かモゴモゴ言っている。ヨシカワはきっと、そんなんじゃない。わたしにだってわかる。
ヒロヤはどうなんだよ、と聞く声があって、返事はない。わたしは秘かに息を止める。
「でも、複筒の人とつきあうってのはなぁ」
誰かが言った。
「そうなんだよね」
ヒロヤは即座に答えた。少しだけ、残念そうに。
惜しいなぁ、と誰かが言った。
わたしは物音をたてないようにそっと、教室を離れた。ヒロヤの持ち込んだレニー・クラヴィッツが、廊下のスピーカーから聴こえてくる。
「華が複筒でよかったって、初めて思ったわ」
テレビを観ながら、ママが言った。
映っているのは、下着が見えそうなミニスカートの女子高生たち。
「自分の着た制服や下着を売る『ブルセラ』女子高生」
「中年男性と『援助交際』してお小遣い稼ぎをする女子高生」
テレビの向こうで大人たちが寄ってたかって深刻な顔で、そんな話をしている。
「ズボンじゃ、売りたくたって売れないものね。……それにしても援助交際だなんて。こんなの売春よ。いい?華。女として大事にされるってことと、こんな風にいやらしい目で見られるってことは全然違うのよ」
途端に、顔が真っ赤になった。つい数時間前聞いた、男子たちの会話がよみがえったのだ。
ケツがたまんねぇ、なんて言われてしまった。ヒロヤに失恋したショックより、そちらの方がよほど頭に残っていた。
ママは、いつも生意気なわたしのそんな反応を見て、あら、という表情をした。そして
「華、彼氏はいないの?」
そんなことを急に聞いてきた。わたしはびっくりして、いないよ、と答えた。
ママはにっこり笑った。
「そうよね。複筒じゃ、彼氏つくるのは大変よ。せっかくこんなに可愛く生んだのにね。もったいないわ」
私の頬を優しくつねって、ママはそんなことを言った。
ママはわたしに、ずっと子どもでいてほしいのかもしれない。
テレビでは今度は、へそ出しスタイルのギャルが街を闊歩している。まあ、おへそなんか出して、親御さんは何も言わないのかしら、とママはぼやいた。
今日のことは、もう全部忘れよう。
明日はサヤカと渋谷だ。大好きないつものリーバイスを穿いて、へそ出しのノースリーブを着て行くんだ。わたしはひそかに、心に決めた。