第3話 1996年①
わたしは、都立高校の3年生になった。学校に制服はない。
高校受験のときママはお嬢様私立にわたしを入れたがったけど、とんでもなくダサいズボン制服を見て一瞬にしてあきらめてくれた。泣きながら、ぐずぐず言われたけど。
4年前「下衣選択法」申請の日にプチ家出をした後は、ひどい騒ぎだった。パパはわたしをひっぱたき、ママは半狂乱で泣き叫んでわたしを責めた。
「あなたはこれでもう、きちんと女として認められなくなるのよ」
ママはそんなことを言った。今でもときどき似たようなことを言われる。
「女性下衣選択法」は、すっかりおなじみになった。スカートが「単筒型下衣」、ズボンが「複筒型下衣」だから、今は略して「単筒」「複筒」なんて皆呼んでいる。今のクラスで複筒の女子は、わたしだけだ。
「華ちゃん、明日予備校ある?」
サヤカに聞かれた。クラスで一番仲のいい子だ。ないよ、と答えるとサヤカはにっこり笑って、じゃ放課後渋谷に行こうよ、と誘った。
「109-2とタワレコに行きたいの。あとカラオケも」
いいね、全部行こうよ、とわたしは言った。
「華ちゃん、この前着てきたスリップドレス、覚えてる?青系の」
あれを着ていこうかな、とサヤカは言う。肩紐が細くてひざ上丈の、下着のスリップのような形のワンピース。
いいじゃない。あれ、可愛かったね、とわたしは言った。白いシンプルなTシャツの上に重ねて着るととても可憐で、サヤカによく似合っていた。
それがね、とサヤカが言った。
「先月かな、華ちゃんが休んだ日にも同じの着てきたんだけど、その時は下にTシャツを着ていなかったの。上にカーディガンは着ていたけど、少し露出多めだったかも。そうしたらヨシカワがね、そんな格好してたらお前、いつ犯されても文句言えねぇからな、って」
わたしは笑ってしまった。ヨシカワは、クラスのナンパキャラを一手に引き受ける男だ。可愛い女子に次々、つきあおうよ、とか今度遊んでよ、とか、どこまで本気かわからないような声をいつもかけている。わたしは、1度も言われたことがないけど。
あいつ最悪、と言いながらサヤカも笑っている。ヨシカワはそういうやつ、という感じで皆に許されているのだ。
「学校にはTシャツ着てくるよ。ヨシカワにまた言われたくないもん。でも渋谷に着いたら駅でTシャツを脱ぐの」
渋谷ならいいよね、とサヤカは言った。たしかにミニスカートと厚底靴のギャルが闊歩する渋谷なら、上品すぎるくらいだ。
それなら、わたしも駅で着替えようかな。厚底ギャルたちの迫力にも、負けないような服がいい。
「そのジーンズ、新しいやつ?」
その日の放課後、ヒロヤが声をかけてきた。彼も同じクラスで、最近よく話す。
「ノーウォッシュじゃん。いつもかなり『育った』やつ穿いてるのに」
男子の間では「ジーンズを育てる」ことが流行っている。同じジーンズを長く穿きつづけ、やがて自然なシワや色落ちができることを楽しむのだ。華はこういう話が通じるからいい、とヒロヤにも他の男子にもよく言われる。
まっさらなインディゴのやつがほしかったの、とわたしは言った。
「俺も、まっさらなやつ1本買おうかな。ちゃんと洗濯してよ、なんていつも言われるんだ」
洗濯してよ、という台詞の主はヒロヤの彼女だろう。隣のクラスの子で、いつも可愛らしいスカートやワンピースを着ている。お嬢さまタイプだ。
「華、あとさ、放送室に持って行くCDどれがいいかな」
ヒロヤは今度は、CDを何枚か取り出した。わたしの高校では、持ち込んだCDを昼休みや放課後にかけてもらえる。
「最近邦楽ばっかじゃん。小室ファミリー、もう飽きた」
ヒロヤは、持ってきたCDを目の前に広げた。全て洋楽で、ほとんどが放送委員の女子には受けが悪そうだ。
これがいいんじゃない?ノリいいし意外と聴きやすいし、とわたしはレニー・クラヴィッツのアルバムを指した。あと、これかこれを一緒に持って行ってよ、とわたしは自分のCDを取り出した。マライア・キャリーとジャミロクワイ。ヒロヤは、ジャミロクワイを選んだ。
「あいつ、洋楽に全然興味なくてさ。華は話がわかるからいいな」
わたしは、ヒロヤが気になっていた。話が合うし、見た目もタイプだ。話がわかる、なんてほめられるとうれしくなってしまう。我ながら、単純だ。隣のクラスの彼女とは全然ちがうタイプだけど、ヒロヤも本当はわたしの方がいい、なんて思っているのかもしれない。