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第15話 2006年④

 結論から言うと、と今井誠順は、静かな声で言った。

「あなた方を取り締まるつもりは、ありません」


「ほんとですか?」

 わたしは、ほっとして全身の力が抜けた。


 わたしの言葉に頷いて、今井誠順は、ただし、と言葉を続けた。

 先ほどとは明らかに違う鋭いまなざしに、わたしは息をのむ。


「確認したいことはあります。今回のことは、どこかの団体の指示を受けて行ったことではありませんか。反社会的勢力とか」


 いえ、違います、とわたしはぶんぶん首を振った。


「じゃあ、政治団体は。例えば、民民党(みんみんとう)とかね」


 違います。わたしは再び、首を振った。


「そうだったのか。てっきり、民民党のサトウアサミあたりが絡んでるのかと思った。だってあなた、サトウアサミと同じ大学だって言うじゃないか」


 サトウアサミとは、大学の同級生サトウさんのことだ。彼女は昨年の衆議院選挙で、野党第一党の民民党から出馬し、見事初当選を果たしたのだ。公約はもちろん、女性下衣選択法の撤廃だ。


「いえ、いっさいないです。たしかに彼女とは同じ大学でした。でも話したこともありません」


 そうだったのか、と今井誠順は、ベンチの背もたれに背中をあずけた。

「じゃあ、あなたとオーナーさんだけで考えてやったってこと?」


「オーナーには、許可はもらいましたけど。基本はわたしが1人で考えてやったことです」


 へえええ、と今井誠順は、急に間の抜けた声でうなった。


「いや、こういうことをね、そのうちどこかがやってくるだろうとは思ってたんですよ。グローバル系の大手とかね。でもまさか吉祥寺のおしゃれな洋服屋さんが、法の盲点をついてくるとは思わなかった」


「法律文を読んでみて、違反と明記されてないからいけるなって思ったんです。あと、最悪違反だとしても罰則はないんだな、って」


 すると今井誠順は、呆れた顔で眉をひそめた。

「罰則がないから、って。法治国家でその考えはマズいよ」


 わたしはちぢみ上がって、両手と両足を揃えた。

「そうですよね。今後は、慎みます」


 今井誠順は、まあいいけど、と笑って、ひとり言のようにつぶやいた。

「普通の洋服屋の姉ちゃんの、考えることじゃねえよな」


 わたしは、いえ、普通の洋服屋の姉ちゃんです、とぼそぼそ言った。ほめられているのだろうか、いやきっと逆だろう。すると今井誠順は、意味ありげにこちらを見て笑った。


「そんなあなたを見込んで、お願いしたいことがあるんだ。まあその前に、メンチカツ食おうか。冷めちゃった」



 メンチカツは、冷めても美味しい。今井誠順は、旨いなこれ、とあっという間にたいらげた。わたしは隣で、さくさくした衣とメンチの甘みをゆっくり噛みしめた。


「ガイドラインを作るんだ、下衣選択法の。その手助けをしてもらいたいんですよ」


 今井誠順は言った。つまり、こういうことだった。


 女性下衣選択法は制定の1992年以来なんの改正もしておらず、流行の変遷にまったく対応できていない。それで、今回のmer bleueの一件も起こった。ついては、法律を補完するための詳細なガイドラインを策定したい。今後の流行やデザインの変化に対応し、法の目をかいくぐられることがないように。


「なんでそんなしち面倒くさいことをするんだ、って思うでしょ」

今井誠順はこちらを見て、微かに笑った。


「俺だってそう思う。そんなことをするくらいなら、こんな訳の分からない法律、さっさと撤廃してしまえばいいのにって。俺だけじゃない、我々装美庁の人間も、皆そう思っているんだ」


 じゃあ、どうして。驚くわたしに、彼は即座に答えた。


「民民党だよ。今この法律を撤廃すると、彼らを利することになってしまう。自自党(じじとう)としては、それだけは許せないんだ」 


 政権与党の自自党は、閣僚の失言により、近年人気が急落している。それをすかさず糾弾するのは、野党第一党の民民党だ。


 女性下衣選択法は、民民党の与党批判の格好のネタだ。サトウアサミは今やその急先鋒で、お茶の間の人気も獲得している。

 だから今これを撤廃してしまうと、明らかに民民党に押し切られた形に見える。それを与党はよしとしないのだ。


「だからまずガイドラインで、下衣選択法を骨抜きにする。もう、単筒も複筒も大して変わらないじゃないか、ってくらいにね。で、もう国民がどうでもよくなってきて、民民党も争点にしなくなったところで、しれっと撤廃する」


 そうやって下衣選択法をひっそりと終わらせることが、我々に課された使命なんだ、と今井誠順は言った。


 わたしは、ショックだった。もはやこの法律には、なんの意味もないのだ。なのに、こんなくだらない権力争いのせいで終わらせることができないなんて。


「遠回りになるけど、なんとかそこまでやり遂げられたらなと思ってるんですよ。でも我々、服のデザインなんか疎い連中ばかりだからね。どうガイドラインを策定したものか、見当もつかない」


 そこであなたの力を借りたいんだよ、と今井誠順は言う。


 わたしは、引き受けようと思った。mer bleueという職場しか知らないわたしの、好奇心がかきたてられたのだ。


 でもそれだけじゃない。今井誠順の使命感が、わたしに伝播したのかもしれない。こんな風に静かに力強く語りかける人に、わたしははじめて出会った。


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