第14話 2006年③
バブル的ネーミングセンスの装美監理庁は、女性下衣選択法が制定されると同時に作られた官庁だ。下衣選択法の監理運用を行っている。他にも何かしているのかもしれないが、わたしにはよくわからない。
「脱法コーデの件でお話を、って言ってた。脱法ハーブみたいに言わないでほしいよねえ」
耀子さんは暢気な口調で言った。
「どんな人だった?」
「けっこう若かった。寺尾聰の若い頃みたいだった」
「寺尾聰?『ルビーの指環』の?」
「いや、どっちかというと『西部警察』のときの」
耀子さんは、食い込み気味に答えた。どうでもいい話だ。大体、どちらにしろわたしにはよくわからないのだ。
店長と相談してまた連絡します、と耀子さんは彼に言ったそうだ。mer bleueでは対外的には、耀子さんが「オーナー」でわたしが「店長」だ。
「わかった、これから電話して会ってくる。耀子さん、ここはわたしが責任持って対応しますから」
華だけの責任じゃないんだからね、あまりしょい込みなさんなよ、と耀子さんは言った。でもこれは、どう考えてもわたしの責任だった。この今井誠順とかいう査察官と話して、なんとか穏便に取り計らってもらわなくてはならない。
名刺にある携帯電話にかけると、彼はまだ近くにいるようだった。場所を聞いて、わたしは急いでそこへ向かった。
誰が今井誠順なのか、わたしはすぐにわかった。
くたっとしたスーツ姿の、背が高い男だ。もしかしたら、わたしとあまり歳は変わらないのかもしれない。耀子さんが西部警察なんて言うものだから、まるで刑事のような威圧感が漂っている。カラフルで穏やかな空気が流れるこの街で、彼は完全に浮いていた。
わたしが声をかけると彼は、先ほどと同じ名刺をくれた。わたしは、できるだけ店から離れた場所で話したかった。少し歩いて適当な喫茶店に案内しようか、と思案していると、今井誠順は急に言い出したのだ。
「吉祥寺って、旨いメンチカツの店あるんですよね? 俺1度あれ食べてみたいんですよ。今からちょっと連れてってもらえませんか」
わたしは訳もわからず今井誠順を、メンチカツが名物の肉屋へ案内した。そして訳もわからず世間話をしながら行列に並び、メンチカツとコロッケを彼におごってもらったのだった。
メンチカツとコロッケを手にした今井誠順は、今度はこんなことを言い出した。
「井の頭公園行きたいな。そこで食べましょうよ」
「井の頭公園? けっこう歩きますよ。10分か15分か……」
余裕ですよ、と今井誠順は公園の方向へ歩き出した。
ドラマで刑事が犯人を取り調べるとき、最初は雑談で場を和ませる。犯人が気を許してきたところで、カツ丼が出てきて犯人はがつがつとほおばる。
お腹がみたされた犯人に、刑事は言う。さあ、そろそろお前の話を聞かせてくれないか。田舎のおふくろさん、泣いてると思うぜ……
わたしは今まさに、この犯人と同じではないか。いつ、カツ丼が出されるのだ。もしかしたら、メンチカツがそのカツ丼なのではないか。わたしはいっそう訳がわからなくなってきた。とにかくこれ以上雑談するのは危険だ。いらないことまで喋ってしまいそうだ。
「音楽とか、何聴くんですか。やっぱりミスチルとかですか」
「ミ、ミスチルも好きですけど。えっと」
わたしは、なんとか話を打ち切りたかった。
「Eric Benétとかですかね。最近よく聴くのは」
「あ、ロックよりR&B好きね。いいね、俺もだ」
マニアックなことを言って引かせて話を打ち切ろうとしたのに、話がつながってしまった。
「それだったら邦楽なら断然、平井堅じゃないですか」
「あ、大好きです。『歌バカ』ずっと聴いてます。でもその後のアルバムは持ってなくて」
「あー最近Jポップ寄りだもんね。それはそれで素晴らしいんだけど、R&B好きとしてはね」
なんで、話が弾んでいるのだ。
そんなことを話しているうちに、公園に着いた。今井誠順は早速ベンチを見つけ、あそこで食べましょう、とわたしを促した。
わたしとならんでベンチに腰かけた今井誠順は、あー、と大きく伸びをした。
「鳥の声が聞こえて、緑に囲まれてて。なんかもう、これだけで何もいらないなって思うね」
わたしは耐えられなくなり、あのっ、と声をあげた。
「わたしを、うちの店を取り調べに来たんですよね?」
今井誠順は伸びをした手を下ろし、こちらをまっすぐに見据えて、はい、と静かに答えた。わたしは心臓がどくどくと鳴った。