6.帝国魔道士団団長室にて 1
スティーナがいそいそと旅の支度を整えている頃。
皆が寝静まった時刻、サブルフェード帝国の皇城を、魔道士団団長であるイグナート・エレシュムが足音を気にせずに大股で歩いていた。表情は相変わらず険しい。
団長室の前に到着すると、ノックもせず扉を乱暴に開ける。
「遅いお帰りだねぇ、イグナート。突然立ち上がって『移動ロール』を奪って出ていくもんだから何事かと思ったよ〜」
のんびりとした口調で出迎えてくれたのは、魔道士団副団長のバルトロマ・カントルだ。
イグナートより四つ年上の二十八歳で、淡いピンク色の髪を三つ編みにし、肩に垂れ下げている優男だ。
ソファにゆったりと座っていたバルトロマは、読んでいた書物をパタンと閉じた。
イグナートは一直線に自分の椅子まで来ると、すぐさまドカッと腰を下ろし、天井を仰ぐ。
手を上に翳し、ジッと見ていたかと思うと――
「何だあの反応は……可愛過ぎだろうがッ! 髪型と眼鏡!! 天使かよ畜生ッッ!!」
ガァンッ! と執務机に強く額をぶつけたイグナートに、バルトロマはヤバいものを見る目を向けた。
「どうしたイグナート〜? 多忙過ぎてついに頭がおかしくなったか〜?」
「いや……今の衝撃で煩悩を消した。問題ない」
何事も無かったかのように頭を起こしたイグナートは、眉間に皺を寄せ深く息を吐いた。
「煩悩……? まぁ深くは聞かないでおくけど、今までどこに行ってたのさ? 今日の予定全部ほっぽり出してさ〜。尻拭い大変だったんだからねぇ?」
「悪かった。トーテの町にちょっとな」
バルトロマは首を傾げ、自分の脳からその町の情報を探り出す。
「トーテ、トーテねぇ……ってトーテ!? ここからすごい距離のある町じゃん! だから『移動ロール』持ってったのか〜。そんなに遠い場所だし、かなり魔力使ったでしょ?」
「あぁ。時間短縮でも魔力使ったから、行きで殆ど消費しちまった。だから帰りはのんびり戻って来た」
『移動ロール』とは、行きたい場所を頭にハッキリと思い浮かべ、魔力を使ってそこに飛ぶ事が出来る便利な巻物だ。
イグナートの場合は、それに加えて強い魔力を感じた場所にも飛ぶ事が出来る。
ただ、細かく場所を指定した場合や、移動距離が長い場合、移動時間を短くしたい場合は大きく魔力を消費してしまう。
「そこまで急いで何しに行ったのさ? 強い魔力でも感じた〜?」
「あぁ」
「やっぱりそうなんだ〜。ホント仕事熱心だねぇ。で、強い魔力を持つ子は見つかったかい?」
「いや、魔力を一切感じなかった」
バルトロマは同情の瞳をイグナートに向けると、彼の肩をポンポン叩いた。
「折角苦労して行ったのに残念だったね〜。勘違いは誰でもあるから気にしないで〜」
「ちゃんと聞いてなかったのか? もう一回言うぞ。魔力を一切感じなかった」
「? だから一切感じなかったんでしょ? ならそれは一般人――」
そこまで言って、バルトロマはある事実に気付き言葉を呑み込む。
「“一切”……? いや、それはあり得ないでしょ? 人は魔道士じゃなくても、僅かでも魔力は流れているんだ。血液の流れと同じ、“生”に必要な要素なんだよ。それが一切無いって事は、死んでるか、或いは――」
「意図的に流れを止めた、か」
言葉尻に続いたイグナートの言葉に、バルトロマはブラウン色の瞳を見開き、盛大に首を左右に振った。
「そんな事出来るはずがない! 魔力の流れを止めれば、下手すれば即昇天だ! 上級の魔道士でもそんな事――」
「それを出来るヤツがいる。俺の知る限りではアイツしかいない」
「…………っ! 『スティーナ・ウェントル』……? まさか、彼女に会えたのかっ!?」
「あぁ。アイツの魔力を感じたから、俺は急いでトーテの町に行ったんだ。髪型を変えて顔半分が隠れるくらいの眼鏡をしていて、最初は半信半疑だったが……。魔力の流れを止めた事と肌触りで確信した。アイツはスティーナだ。……生きてた。ちゃんと動いてたんだ……」
執務机の上に両肘を突き、手の甲に額を乗せ俯くイグナートの表情は見えなかったが、肩が小刻みに震えているのが心情を語っていた。
「……そうか……良かった。生きてて、本当に……。君は生存を信じて、この半年ずっと捜し続けてたもんな……って、肌触り? 君、彼女のどこを触ったの?」
最後の聞き捨てならない言葉にバルトロマがツッコむと、イグナートは瞼を伏せたまま口を掌で覆った。
その時の事を思い出し、緩んでしまった頬を抑えるように。
「いや、勿論許可は得たぞ。魔力確認の為に頬と首に触れたんだが、一年間毎日そこを触っていた俺には分かる。あの滑らかな肌はアイツに違いない……!」
「ドヤッ! って感じで言われても、変態だね、としか返せないよ……。しかも君、魔力確認は相手の指に触れただけでも出来るでしょうが……。いきなり顔を触られて彼女ビックリしてたでしょ?」
「……反応が可愛過ぎてヤバかった……。思わず抱きしめそうになって危なかった……」
「あぁ、だから煩悩……。スティーナちゃん可哀想……。こんな変態に好かれちゃって」
「変態じゃない」
ブスッと否定するイグナートを無視して、バルトロマはここにはいないスティーナに憐れみの目を向ける。
「けどホンット良かったねぇ、見つかって。ちゃんと生きてて、しかも起きててさ。スティーナちゃんを入れていた棺がここから盗み出された時は、君怒り狂ってこの帝国を滅ぼさんとする血相だったもんねぇ」
「チッ……。今も許しちゃいねぇからな」
「それはここだけの話にしとこうねぇ」
バルトロマは激しく舌打ちをするイグナートに苦笑し、ふと天井を見上げた。
「もう一年半も経ったのか……。君が血相変えて血だらけの彼女を抱えてきたのは。いつも冷静な君が必死の形相で飛び込んできたのが強烈過ぎて、昨日の事のように思い出せるよ」
「回復魔法を使えて、更に医療の知識があるヤツはお前しかいないからな」
「ふふ、僕を頼りにしてくれて嬉しいなぁ」
イグナートはスティーナが海に落ちる瞬間、その周囲をゼリー状にして落下の衝撃を和らげたのだ。
そして呼吸の出来る大きな泡を作り出し、彼女をそこに入れて騒動が収まるまで海中に隠していた。
イグナートは、水の魔法の巧者で上級者だ。
彼女の落ちる先が海――水だったのが幸いだった。
「命に別条は無い怪我だったけど、完全に治った後も全然起きなくて焦ったよね。息は普通にしてるから、本当にただ眠ってるだけだったもんねぇ。まるで、起きるのを拒絶しているみたいに……」
「…………」
「彼女を隠す為に、気味悪がって誰も触らないように黒く塗った棺に入れて。君は団長室で寝泊まりしてるからここに置いて。毎日、生きているか触って確かめて。度々話し掛けてもいたよねぇ」
「……話し掛けてたら目を覚ますかと思ったんだよ」
棺には念の為に魔法で細工がしてあり、水の光の反射を利用して、万が一誰かが開けても中は空っぽのように見せかけてあったのだ。
イグナートは毎日彼女の頬や首筋に触れて呼吸を確認する他に、綺麗好きの彼女の為に水の浄化魔法を掛けるのも忘れなかった。
彼女の栄養面が心配だったが、特殊な状態だったようで、何も食べなくても身体的には問題なかったのが幸いだった。
「……今だから聞くけどさ、君、彼女の頬や額にキスしてなかった? あの時は若気の至りと思って見て見ぬ振りしてたけど」
「何だよ、見られてたのかよ……。昔、ガキの頃読んだ絵本に、ずっと眠ってるお姫さんにそれしたら目覚めたって話があったんだよ。試しにやってみる価値はあるかと思ってさ……」
「いやいや、それは絵本の作り話だし、彼女に許可無くは駄目だと思うよ……。後で彼女に謝りなよ……?」
「…………。あぁ……」
実は絵本の内容を半分信じ、毎日していたとは言えないイグナートだった……。




