5.魔女の逃亡、そして旅の始まり
予期せぬ人物の登場に、食堂にいた全員が固まっている。
アクア色の長い髪を後ろで結び、最高級の魔道士の服を身に纏い、神秘的なパープルの瞳でこちらを見ている美丈夫――
正真正銘の帝国魔道士団団長、『イグナート・エレシュム』が、そこにいた。
「突然だが失礼する」
イグナートは肩を上下させ、荒い息をそのままにズカズカとこちらに踏み込んでくる。
スティーナは、慌ててサッとドルシラの後ろに隠れた。
(まさか……まさか本当に来るなんて……。しかも早過ぎる! イグナートは移動魔法は使えないはず……一体どうやって来たの? うぅっ、今すぐ走って逃げたい……)
ダラダラと背中の冷や汗が止まってくれない。
「て、帝国の魔道士団団長様に、ご挨拶申し上げます……。ど、どうしてこのような場所へ……?」
一足先に我に返ったドルシラが代表して挨拶をする。
「挨拶はいいから答えろ。さっき、ここで誰か魔法使ったよな? ソイツはどこにいる!?」
「ま、魔法ですか? アタシどもの中には、魔法を使える者なんておりませんが……」
「嘘を言うな。じゃあこの状況はどう説明するんだ!?」
イグナートはバッと後ろを振り返り、食堂の惨状をビシッと指差す。
「そ、それはチンピラどもが武器を持って暴れまして、このような状態に……」
「……そうなのか? そのチンピラどもはどこに行った?」
「その、偶然現れた竜巻に切り刻まれて、そのままチンピラどもを連れてどこかに飛んで行きました……」
「はぁっ!? チンピラどもが暴れて、偶然竜巻が現れてお前らを助けるわけねぇだろっ! それが魔法だ!」
「え、えぇ……?」
「……あぁ、そうだったな……。お前らはあまり魔法を見る機会が無いから、分からんのも無理ねぇか……」
イグナートは長く溜め息をつくと、ガシガシと頭を掻きむしった。
「……取り乱して悪かった。チンピラどもに関しては、器物損壊罪としてこの町の衛兵に捕まえるよう指示しておく。この食堂の修理代や壊れた備品代もそのチンピラどもに請求しておく」
「あ、ありがとうございます」
「で、魔法使ったヤツだが……」
イグナートは、食堂にいる者達の顔を見回す。
落胆したように軽く首を振って息を吐いたその時、食堂の主であろう女の後ろに小さくなって隠れている女性を見つけ、瞠目した。
「……おい、そこの娘」
「…………っ」
ビクリとスティーナの肩が跳ねる。
「お前、ちょっと顔を見せてくれないか」
位の高い者の命令を無視するわけにはいかない。
スティーナは、おずおずとドルシラの後ろから顔を覗かせた。
「…………っ!」
スティーナの容姿と銀色の髪を見て、イグナートが再び目を瞠る。
「……お前、俺の所に来てくれ」
「…………っ」
震えているスティーナを見かねて、ドルシラが口を挟んだ。
「も、申し訳ございません、団長様。この娘、ティナもここにいる者達と同じ魔力を持っておりません。ですのでどうかご容赦を――」
「ティナ……? ティナというのか、その娘は?」
「はい、そうですが……」
イグナートが、切れ長の鋭い眼差しでスティーナの顔を凝視している。
「……魔力があるかどうかは、俺がこれから判断する。ティナと言ったな、すぐ終わるからこっちに来い」
「団長様――」
「…………おかみさん、私の為にありがとう。いってきます」
ドルシラをこれ以上困らせたくなかったスティーナは、彼女にしか聞こえない声で礼を言うと、イグナートの所へゆっくりと進む。
その間、何とか対策を考えていた。
(今出来る事といったら、『あれ』しかない。初めてだけど……きっと出来る。やるだけやってみよう)
イグナートが、自分の下へ来たスティーナをじっと見つめている。
「……少し顔を触るぞ。直接魔力の有無を確認する」
(今だ……っ)
スティーナは自分の中に流れる魔力に意識を全集中し、その流れを一時的に止めた。
イグナートの掌が彼女の頬に触れ、何を思ったのか指を動かし、そのまま首筋へと下がっていく。
擽ったさにピクリと身震いし集中が途切れそうになったが、何とか耐えた。
(早く……! 長い間魔力を止めてると気を失っちゃうから……!)
「…………」
漸くイグナートの指が首から離れ、スティーナはホッと息をついた。
「……魔力が、全く無い……」
彼のぽつりと呟いた言葉に、成功したと彼女は二度目の安堵の息をつく。
イグナートの魔力確認は、それの流れの強さで判断すると思ったが、予想通りだった。
「そうでしょう? だから、魔法を使った者はここにいないんですよ。団長様にはご足労をお掛けして申し訳無かったですが……」
ドルシラがスティーナに向かって手招きしていたので、急いで彼女の所へと戻る。
呆然とした表情で自分の掌を見つめていたイグナートはスティーナに目を移し、再び彼女を穴の開くほど見つめてきた。
スティーナはその食い入るような視線から逃れる為に、再びドルシラの後ろに身を隠す。
「……衛兵に伝えてくる」
イグナートは一言そう言うと、食堂から出て行った。
「……いやぁ、ビックリしたなぁ! 突然団長様が現れた時は心臓飛び出るかと思ったぜ!」
「こんな帝都から離れた町まで来るなんて、仕事熱心だなぁ」
「ティナちゃんも災難だったなぁ。何で目をつけられちゃったんだろうね? 何にせよ、皆無事で良かったよ」
イグナートがいなくなって緊張の糸が解れたのか、常連客達が一斉に話し始める。
「しかしあのチンピラめ! 俺達の食堂をこんなにしやがって……。堀の中で一生過ごしてろ!」
「困ったねぇ。これじゃあ、あちこち修理するまで食堂は休業だねぇ……」
「そんなぁ〜! 俺達の憩いの場所がぁ〜!」
常連客達の嘆きが一斉にこだました。
「ま、古い建物だったし、この際に色々直すとするかね。費用は全部チンピラどもが払うし、遠慮無く隅々まで綺麗にしようじゃないか。ピカピカになって戻ってくるから、アンタ達も楽しみに待ってておくれ」
「さすが俺達のおかみさん、容赦無いっ。いつまでも待ってるぜ!」
「一言余計だよ。さて、アタシもこれをいい機会と考えて、少し休む事にするか。ティナも、この食堂が休業中の間は好きにしな。アンタ、ここで働き始めてから全然休んでないだろ。好きな事したり、気分転換に旅にでも行ったらどうだい?」
「おかみさん……」
(こんな大変な目に遭ったのに、私の事を気遣ってくれるなんて……)
「ありがとう、おかみさん。……大好き……」
「あーもう、分かったから今日はもう帰りな!」
「おかみさん、顔真っ赤〜! また照れてる〜!」
「うるさいよっ!!」
この賑やかさが心地良い。
早く修理が終わって営業再開するといいなと思いながら食堂を出ると、何と入り口横の壁にイグナートが寄り掛かり、腕を組んで立っていたのだ。
「…………っ!?」
「おい、お前。……ティナ」
驚いて足を止めたスティーナに、イグナートが険しい顔つきで近付いてくる。
「俺の名は分かるか?」
彼の問いに、スティーナは分からないといった感じでゆっくりと首を左右に振った。漸く収まってきた冷や汗が再び流れ始める。
イグナートは何やらショックを受けたような表情を浮かべた。
「……さっきから喋ってないが、話せないのか?」
「…………話せます」
「ボソボソと喋るんだな。まるで『アイツ』みたいに……」
「…………!」
(こ、これは……もしかしなくても疑われてる? 魔力が無いって分かったのに、何で――)
「その、頼みがあるんだが。眼鏡を……少し外してみて欲しい」
「…………っ!」
(ぜ、絶体絶命のピンチ――)
「あれ、アンタまだそこにいたのかい。……って団長様?」
(おかみさん、救世主……っ)
スティーナはイグナートに頭を下げると、食堂から出てきたドルシラへと急いで駆け寄った。
「おかみさん、途中まで一緒に帰りましょう」
「へ? いいけど……。団長様はいいのかい? 何か用事が――」
「ないですっ」
「そ、そうかい?」
イグナートは二人のやり取りを見て、何かを堪えるように唇を噛み締めると、クルリと踵を返して歩き出した。
「……また来る」
そんな捨て台詞を残して。
(来なくていいっっ)
スティーナは心の中で盛大にツッコんだ。
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「どうしよう……。疑われてるよね、絶対……。生きてたって気付かれちゃった?」
その夜。
スティーナはベッドの上でゴロゴロしながら悶々としていた。
「魔力を止めただけでは駄目だったの? 何がいけなかったんだろう……。このままだと、私がスティーナだってバレちゃう」
勇者ラルスが復活すると分かった今、殺される理由は無い。
それに、一度破ってしまったラルスとの約束。
今度は……守りたい。
でもイグナートはあの時、死んでも許さないと言った。それだけ自分を憎んでいるのだ。
そんな彼が、憎き相手が生きていると分かってしまったら、真っ先に殺そうとしてくるはず。
どうにかして彼から逃げないと――
「……そうだ! ラルスを捜し出して、直接イグナートに会わせればいいんだ! そしたら二人でまた旅が出来るから、私への復讐心なんて忘れるはずだわ。それまで何とか逃げ切らなきゃ……!」
スティーナは拳を握り締め、勢い良く立ち上がった。
「丁度今は長期のお休みを戴いてるし、ラルスを捜す旅に出られる。そうと決まったら早速準備しなきゃ。明日にでも旅立とう。善は急げよね」
ベッドから飛び降り、スティーナは旅の支度を始める。
「待っててね、ラルス。あなたが会いに来ないなら、こっちから会いに行くから」




