29.勇者は自覚する
「――で、生活は帝国を主流にして、時々家族の所に顔を見せる事にしたのか」
「うん。人間界にも大切な人達が出来たから。『移動ロール』があれば魔界にいる家族の所にいつでも帰れるし、またおかみさんの食堂で働きたくて」
ソファにどっかりと腰掛けるラルスの問い掛けに、隣にちょこんと座るスティーナが頷く。
彼らがいる場所は、魔道士団団長室だ。今は二人しかいない。
イグナートとバルトロマは、スティーナの無実確定の為に動いていた。
魔界から帰ってきたラルスとイグナートが、皇帝にスティーナの無実をしっかりと証明したので、確定は時間の問題だろう。
「そっか。お前と頻繁に会えるのは嬉しいぜ」
「うん、私も」
ニコリと笑うスティーナに、ラルスは少し迷うと、思い切って口を開いた。
「……スティーナ……ごめんっ!!」
スティーナに向き直りガバッと上半身を下げるラルスに、彼女は目をパチクリとさせる。
「ど、どうしたの?」
「その、さ。オレ、実は洗脳されてた時の事を覚えてるんだけど……さ。何つーのかな、何にも出来ずに、ただボンヤリと夢を見ているような感覚でさ……。で、サダの村で、その……」
珍しく歯切れの悪いラルスに、スティーナはキョトンとして首を傾げる。
「サダの村で?」
「お前を抑えつけて、眼鏡壊しちまって。それで……えーっと……」
「……あぁ!」
スティーナはあの事ね、と思い当たったようだった。
「気にしないで。洗脳されてたんだもの、仕方ないよ。眼鏡はもう必要ないから大丈夫」
「いや、せめて眼鏡代は払わせてくれ……。でさ、お前が俺に強く呼び掛けてくれた時、奇跡的にほんのちょっとだけ自我が戻ったんだよ。でもさ、理性を失ってる状態だったから、欲求が前に出ちまって……お前にあんな……」
「? ラルスが私にそれをしたかった、って事?」
「へ……? あ――」
スティーナの率直な問い掛けに、ラルスはポカンとした顔になる。そしてすぐ何かに気が付いたように声を上げた。
(そうだ……。オレはあの時、思ってしまってた。“この子をオレのものに出来る”って、歓喜してしまった……。誰でも良かったわけじゃない。オレは、この子を――)
「ラルス?」
「……あ、いや……。――その、さ。あの時……怖かったよな。ゴメンな……」
ラルスはバツが悪そうに目を背けて頬を掻く。
「ううん、全然怖くなかったよ。ちょっとビックリしちゃったけど」
首を振りながら言うスティーナを思わずまじまじと見つめたラルスは、思わず盛大な溜め息をついてしまった。
「あぁ、お前はそうだ。めちゃくちゃ世間知らずで疎かったんだわ……」
「?」
「……あのな、スティーナ。今後の為に忠告するけどな」
ラルズが突然ソファの上にスティーナを押し倒してきて、彼女は目をパチパチさせて彼を見上げた。
「男が突然こんな風に襲ってくる事もあるんだ。あの時のオレみたいに欲望を出して、だ。お前はもっと危機感を持って――」
「うん。他の男の人にこういう事されると考えると……すごく嫌だけど、ラルスだからいいんだよ? 逆にラルスが他の女の人にそういう事するって考えたら、何だか悲しくなっちゃったけど……。ラルスがしたいって思った事は叶えてあげたいって思うよ」
(だって、ラルスは私の大切な仲間だもの。それはイグナートも同じ)
「…………っ」
ふわ、と花が咲いたように微笑んだスティーナに、ラルスは両目を大きく見開く。
やがて、力が抜けたようにヘナヘナと彼女の上に倒れ込んだ。
「……あー……。参った……。ホント参った……。くそっ、完敗だ……」
「? どうしたの?」
「…………」
ラルスはスティーナの左肩に顔を埋めたまま、独り言のように話し始めた。
「オレはさ、勇者に選ばれてから、“みんなの勇者”でいようと決めてたんだよ。誰とも分け隔てなく、特別な人は作らずに一生を過ごすって。それに、お前達と旅してた時、イグナートの気持ちを何となく知って……。オレは兄貴分として二人を応援しようと思ってたんだ。……さっきまでは」
「? うん……?」
ラルスの声はくぐもっていて、スティーナには聞き取れなかったらしい。彼にとっては好都合だった。
「……ずっと考えないようにしてたんだ。認めてしまえば、オレは“みんなの勇者”でいられなくなっちまう。けど……今、自分の気持ちをハッキリ自覚しちまった……」
彼女の左肩の下に耳を当て澄ますと、心臓の音が聞こえてくる。トクトクと、心地良い響きの音色だ。
温かくて、ふわりと柔らかくて気持ち良い。
彼の心に、次々と醜い欲求が生まれてくる。
この心臓を自分だけのものにしたい。
この身体をめちゃくちゃに愛したい。
この子の全てを自分のものにしたい――
「……うわ、オレってこんなに独占欲強かったのかぁ……。自分でも引くぐらいビックリだわ……。それこそ勇者失格だな……」
「ラルス……?」
「……悪ぃなイグナート。他のものならいくらでもあげれるが、こればっかりは譲れねぇわ」
呟きが終わり顔を上げたラルスは、いつの間にか真面目な顔つきになっていた。
(告白は……まだ早い。オレが『好きだ』と言ったとしても、お前は同じ言葉を返してくるだろう。オレのとは違う意味で。それじゃ駄目なんだ。――オレは、欲深くて独占欲の強い、勇者らしからぬ男だからさ)
ラルスはフッと自嘲し、ふと自分の心の変化に気が付いた。
(……何だろう。ずっと“皆の頼れる勇者”として行動して気が張り詰めていたのに、欲に素直な自分を認めたら、随分と心が楽になった。こんなに……清々しい気分は初めてだ。……ははっ、この子に感謝だな)
「――さて。まずは“男”としてのオレを意識させないと……だな。こんなに鈍いとなると、強引に行く位が丁度いい、か……」
ラルスの言葉は口の中で呟かれたので、スティーナにはよく聞こえなかった。
「ラルス、さっきからどうしたの……?」
「……スティーナ。今からする事は、絶対オレ以外のヤツにさせちゃダメだからな」
「え……?」
その蒼色の瞳の中に、いつもと違う野性的な光が含まれているのを発見した瞬間、スティーナの身体が反射的にゾクリと震える。
ラルスは、スティーナの頬をそっと指で撫でると、鼻の先が触れ合う程に顔を近付け、彼女の目元に唇を落とした。
そのまま頬へとそれを滑らせていく。
「これは、特別な人にするものだ。……オレは、お前にだけする。……意味、ちゃんと考えろよ?」
最後の方は耳元で低く囁かれ、思わず身震いが走った。
(何だかラルス、雰囲気がいつもと違う……。何だろう……何か……ラルスじゃないみたい……)
ラルスの動きが止まらず、今度はスティーナの首筋に音を立てて口付け、そこを強く吸った。
「あっ……」
「…………っ!」
思わず無意識に出てしまったのだろう。今まで聞いた事のない彼女の艶やかな声に、ラルスの理性が一瞬飛んだ。
(くそっ。今までのオレ、よく我慢出来てたな……)
ラルスは息を吐いて何とか理性を取り戻し、彼女の首に赤い痕が出来たのを見届けると、その下にまた痕を残す。彼の唇は、紅い花を散らしながら彼女の鎖骨へと移動していく。
空いた彼の手は、スティーナの頬や耳を指で撫で回すように触り、その度に彼女の肩がピクリと何度も震えた。
「…………っ」
時々、彼の癖っ毛が頬や顎を掠めるのも擽ったい。
何とも言えない気持ちになり、自分の首元でその行為をしているラルスを何故か見ていられなくて、スティーナはギュッと両瞼を閉じた。
その気配に気付き、ラルスは目線を上に向けスティーナを見た。
いつもは透き通っている頬が朱に染まり、長い睫毛が微かに震えている事に、ラルスは満足そうに目を細めて笑う。
そして、吸い込まれるように彼女の唇に自分の唇を近付けていった――




