24.魔女は魔王の言葉に涙する
二人が着いた場所は、厳かな装飾が散りばめられた廊下のようだった。
「ここは……? 魔王の間じゃないのか?」
「ううん。指定場所を魔王の間に繋がる廊下にしたの。目と鼻の先に魔王の間があるわ。……少し、心の準備をしてから入りたかったの。勝手に決めてごめんね」
「いや、お前の判断が正しいよ。まずは作戦を立ててから中に――」
「……やはり来たか。待っていたぞ」
突然の低く、けれどよく通る声が後方から響き、二人はバッと振り向いた。
壁に寄り掛かり、腕を組んでこちらを見ていたのは、二十歳位の美青年で。
短い黒髪で背中に漆黒の大きな翼、瞳の色が深紅のその青年は、今代の魔王、テオシウス・レギ・フィーリウだった。
「魔王様……!」
「魔王!? アイツがか! ちっ、ブラエの前に魔王と対決かよッ!」
二人は即時戦闘態勢に入る。
しかしテオシウスはそんな彼らに首を振ると両手を上げ、戦闘の意志が無い事を示したのだ。
「え……?」
「どういう事だ……?」
二人が困惑する中、テオシウスはこちらに向かって歩いてくる。
殺意は全く感じられない。本当に戦う意志が無いのだ。
「ここの廊下に、予め魔力を遮断する魔法を掛けた。暫くブラエが気付く事は無いだろう。……スティーナだったな」
「は、はい」
テオシウスはスティーナの前に立つと、何と頭を下げて謝罪の行動を取ったのだ。
「貴女が魔族の証である尻尾を切られ泣き苦しんでいる間、何も出来なくて済まなかった……」
「えっ!? いえっ、そんな……だ、大丈夫ですっ」
魔族の頂点である魔王に頭を下げられるとは露程も思っていなかったスティーナは、軽く混乱しながら両手をブンブンと左右に振った。
「……魔王、お前……洗脳されていないのか?」
イグナートが確信を持ちながら訊くと、テオシウスは小さく頷く。
彼の瞳は、暖かい焚き火のような穏やかな光を帯びていた。
「我に反抗の意志が無いとブラエに判断されたようだ。代わりに勇者に洗脳の魔力を注いでいる」
「……その、魔王様は、昔からずっと洗脳されてきたのですか……?」
スティーナが恐る恐る尋ねると、テオシウスは瞼を伏せる。唇を噛み締めているようだった。
「我は産まれて魔王としての使命を受けたが、人間達と争う気持ちは毛頭無かった。お互い干渉せず、魔族は魔族だけで平和に暮らしたかった。しかし、強い野心を持つブラエはその考えに納得せず、我を洗脳し、人間界に侵攻を始めた……」
「…………」
「そういう事かよ……。やっぱりブラエのヤツが元凶じゃねぇか」
「魔王と言っても我の魔法は少なく、幻を作って見せる位しか出来ない。洗脳魔法は、術者の意識が無い間は一時的に解除される。例えば睡眠の時だ。ブラエは毎日数時間眠っていたが、我が何も出来ないと思っていたのだろう。我に対して何の対策も取らなかった。事実、一時的に洗脳から解放されても、我は何も出来なかった……」
「魔王様……」
そこでテオシウスは伏せていた顔を上げる。優しい微笑みをたたえながら。
「しかし、こんな我でもいいと言ってくれた人がいた。臆病でも、逃げてもいいと。ただほんの少しだけ、勇気を持って踏み出して欲しいと。だから我はここに来た」
「……その人は、魔王様の……」
「あぁ。とても……とても大切な人だ」
「……良かったです。魔王様を支えてくれる人が近くにいてくれて……」
心からそう思ったスティーナは、ふわりと微笑んだ。
テオシウスはその微笑みに軽く目を瞠り、ふっと目を細めて小さく笑った。
「……やはり……」
「え?」
「……いや。ブラエは一睡もせず、明日人間界の帝国に勇者を使って攻め込む目論見だ。彼らは魔王の間にいる。本来は我が止めなくてはいけないのだが、その力が我には無い。魔王としての自覚が持てない為に、“魔剣”がまだ我の手元に無い。また洗脳されて終わりだ。どうか彼らを止めて欲しい。勝手な事を言っているのは分かっている。本当に済まない……」
深々と頭を下げてくるテオシウスに、スティーナとイグナートは大きく頷いた。
「頭を上げて下さい、魔王様。必ずブラエを止めます」
「その為にわざわざここに来たんだからな」
「……感謝する。スティーナ、最後に貴女に伝えたい事がある。少しだけいいか?」
「? ……はい、大丈夫です。イグナート、ちょっと魔王様と話してくるね」
「……あぁ、行ってこいよ」
「ありがとう」
少し離れた所で顔を寄せ合って話している二人を、イグナートは何とも言えない気持ちで見つめる。
そしてテオシウスが口に人差し指を当てた時、何とスティーナが顔を両手で覆って泣き出したのだ。
イグナートは慌ててスティーナに駆け寄る。
「どうしたスティーナッ!? 魔王に何か言われたのか!?」
イグナートが思わずスティーナを抱き寄せると、その胸の中で彼女は涙を零しながらふるふると首を振った。
「ち、違うの。魔王様は何も悪くないの。ごめんね、ビックリさせて……」
「大丈夫だ、それは悲しみの涙ではない。落ち着くまで泣かせてあげて欲しい。……話は終わった。我は彼女の所へ行く。……二人共、どうか死なないで欲しい。身勝手な我の、もう一つの願いだ」
テオシウスはそう言うと、踵を返し静かに去っていった。
イグナートはテオシウスを見送ると、スティーナに視線を移し、その後頭部を優しく撫でる。
「俺の服で涙拭いていいから。気にせず泣けよ」
「ご、ごめんね……。なかなか止まってくれなくて……」
「いいって、気にすんな」
スティーナは恐縮していたが、イグナートは彼女の体温を直に感じ、場違いに気持ちが向上していた。
(我慢したばかりなのに、ホント駄目だな俺は……。でも泣いてるコイツを放っておく事なんて、俺には出来ない……。……あー……。いつまでもこうしてたい……)
その願いは流石に叶えられる筈もなく。
暫くしてそっと上を向いたスティーナの顔は、目元が赤らんでいたが強い意志が込められていた。
魔界に来る前よりもスッキリした顔立ちだ。
「もう大丈夫、ありがとう。――行こう、イグナート」
「……あぁ」
返事をし、名残惜しげにスティーナを離すイグナートだった。
見直し作業の為、少しの間更新をお休みします。
ここまでお付き合いして下さっている皆様、本当にありがとうございます!
あと少し一緒に付き合って頂けたら幸いです…!




