23.いざ、敵の本拠地へ
『…………何だって?』
スティーナの決意に、二人の問い掛けが重なった。
「私は元魔族ですから、魔界の空気には耐性があります。そして魔城の魔王の間も場所が分かるので、『移動ロール』に特定場所の書き込みも出来ます。
洗脳されたラルスが人間界に攻め込んでくる前に、こちらから出向いて彼を救うのが一番良い方法だと思うんです。だから、私に魔界行きの『移動ロール』を貸して頂けないでしょうか……」
スティーナの必死の説得に、バルトロマはうーんと唸る。
「確かに、そうなるとスティーナちゃんが適任なんだよなぁ……。でも一つ問題があって、洗脳魔法を解く方法が分からないんだよ。闇魔法は魔族特有のものだから、人間界には情報が少なくてねぇ。どうしたものか……」
「それは……考えたのですが、恐らく術者の命が消えれば解けます。命が消えれば魔力も消えますから。だから私がブラエを倒します。例え相討ちになっても、必ず――」
「……行かしたくねぇ」
不意にイグナートがボソリと呟き、スティーナを強く抱きしめてきた。
「行かしたくねぇけど、お前はこうと決めたら聞かないもんな。駄目だって言われたら、『移動ロール』を盗んででも行くだろ?」
「………………」
「…………だよな。じゃあ俺も行く」
「え?」
スティーナが驚いてイグナートを見上げる。彼の面持ちは真剣そのものだった。
「何言ってんだいイグナート!? 君が行っても魔界の毒ですぐに死んじゃうんだぞ!?」
「前にスティーナに使った、呼吸の出来る防壁の泡を俺に包めば何とかいけると思う。魔力が切れちまったら、後は気合で乗り切る」
「気合って……。君、変な所で騎士団長みたいな体育会系になるよね……。魔力切れは魔力回復剤を持っていけばいいけど、それを発動している間は他の魔法が使えない事は君も分かってるだろ? それに回復剤を飲んでいる隙を狙われるかもしれない。魔族相手に厳し過ぎるだろ」
「俺が魔法の他に体術が得意だって事忘れたのか? 俺の知らない所でコイツに何かあれば、それこそ俺は生きた心地がしない。だから何を言われようと一緒に行く」
「うーん……。最初からそんな不利な状態で行ったら、ブラエ・ノービスには勝てないと思うんだよ……。困ったな……。魔界の毒を何とかする方法なんて無いしさ……」
「何とかする方法……」
スティーナがハッと目を見開き、唐突に立ち上がる。
「スティーナ?」
「思い出したの。イグナート、今からトーテの町に……私の家に行きたいんだけど、『移動ロール』貸して貰ってもいい?」
「いいけど……何かあるんだな? 俺も行くぜ。二人で魔力を使えば、帰りの魔力も残ってるしな」
「うん、ありがとう」
「てな訳でバルト、上級魔力回復剤を一本使わせて貰うな。飲んだらちょっと行ってくるわ」
「もしかして解決方法があるのかい!? それなら上級魔力回復剤の出し惜しみなんてしてられないねぇ。かなり高価で数本しか無い貴重なものだけど、緊急事態だし皇帝陛下も許してくれるでしょ。僕はその間エルドを愛でてるから、気を付けて行ってらっしゃい。さっきから触りたくてウズウズしてたんだよ〜」
「……程々にしとけよ……」
そして、早速二人は『移動ロール』を使ってスティーナの家へと飛んだ。
「流石、見事に整理整頓されてるな……。綺麗好きなのは相変わらずか」
スティーナの部屋を見回し、イグナートは感心の息をつく。
「ここに……。あった」
スティーナは箪笥の引き出しから、小さな巾着袋を取り出し持ってきた。
「これは……。お前が手にしっかりと握ってたやつだな。大事なモンかと思って、手に握らせたままにしておいたんだ」
「うん、ありがとう。とても大切なものだよ。私のお母さんの形見。お母さんが作った、魔界の毒を中和する薬なの」
「へっ!?」
家族と一緒に幸せに暮らしていたあの頃。
スティーナは母ペトロに、どうして魔界の毒が効かないのか訊いた事があったのだ。
『あぁ、それはね、お母さんが人間界にいた頃、子供の頃から毎日飲んでた調合薬があったんだよ。お母さんのお父さん……アンタのお祖父さんが、身体に良いから毎日飲め! って強制的にね。他に理由が思い付かないから、多分ソレのお蔭かと思うんだ』
『へぇ〜。お祖父ちゃんってすごいんだね!』
『あぁ、立派な調合師だったよ。でさ、魔界にも薬の材料があったから、お母さんも真似して作ってみたんだよ。これアンタにあげるわ。もし魔界に人間の男が紛れ込んで、それがアンタの好きな人になったら使ってあげな。ま、一粒で一日位しか中和出来ないから、束の間の逢瀬になるけどねぇ』
『えぇっ? 駄目じゃないそれじゃ!?』
『あははっ! 暇があったら作り方を教えてあげるさ』
(……お母さん。結局作り方は教われなかったけど、この薬、役に立つ日が来たよ。ありがとう……)
「一粒で約一日分の中和が出来るみたいだから、魔界に行く前に飲んでいこう」
「へぇ……。お前のお袋ってとんでもなくすげぇな……。今まで解決出来なかった毒の問題をアッサリと……。でもいいのか? 大事な形見なのに俺が飲んじまって」
「うん、いいの。お母さん、好きな人に使ってあげてって言ってたから、イグナートはいいの。だから気にしないでね」
「すっ……!?」
あからさまに動揺するイグナートに、スティーナは不思議そうな顔をして首を傾げる。
「どうしたの?」
「……い、いや……何でもない」
(コイツが言う“好き”は、仲間としての“好き”……だよな)
意識し始めた頃から彼女をずっと見てきたから、そういう事が分かってしまうのが少し切ない。
(でも、コイツの中で俺は“普通”から“好き”になったんだ。かなり鈍いコイツにとって、それは大きな進歩じゃないのか? そう考えれば、脈は全然ある。絶対に諦めないからな)
スティーナがキョトンとしてイグナートの顔を見上げる中、決意を新たにした彼なのだった。
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魔道士団団長室に戻ってきた二人は、上級魔力回復剤を飲み、早速魔界へ行く準備を始めた。
「もう行くのかい? 休まなくても平気?」
「はい。ブラエがラルスを使っていつ攻めてくるか分からないので、できるだけ早く行きたいんです」
「……そうだね、ありがとう。じゃあこれ渡しておくよ。魔界行きの『移動ロール』……ファスの町の草原に落ちていたものだよ。保管してあったものを勝手に持ってきちゃったけど、まぁ大丈夫でしょ。ここに魔王の間の場所を魔力で書き込みすれば、直接行ける筈だ」
「ありがとうございます、バルトロマさん」
『スティ、どこ行くの? ボクも行くー!』
エルドは起きてスティーナを待っていた。バルトロマが構い過ぎて目を覚ましてしまったらしい。
「エルド、ごめんね。これから私とイグナートは魔界に行くの。魔物達が沢山いる場所だから、エルドは連れて行けないの。あなたを危ない目には遭わせたくない。だって、私はエルドが大好きだもの。分かってくれる?」
『……うん、分かったよ。スティがボクの事とっても大好きだって! だからボクもワガママ言わずに、バルトと遊んで待ってるね!』
「ふふっ。バルトロマさんにあまりご迷惑を掛けないようにね? ありがとうエルド」
スティーナがエルドを優しく抱きしめると、バルトロマが興奮気味に彼女に訊いてきた。
「スティーナちゃん、エルドの言葉が分かるのかい!?」
「はい。私達がトーテの町に行ってる間、この子と遊んでくれたんですね? バルトロマさんと遊んで待ってるって言ってます。バルトロマさんの事気に入ったみたい」
「えぇっ!? それはすごく嬉しいなぁ! 僕、昔からドラゴンに憧れててねぇ。ドラゴンに関する資料とか読み漁ってさ。もう大好きなんだよ! あーぁ、僕もエルドと喋れたらなぁ」
「心が通い合えば、頭の中で会話出来るみたいですよ。バルトロマさんなら出来る気がします」
「そうか! よし、早速遊ぶかエルドッ!」
『わーいっ! 遊ぼーっ!』
バルトロマとエルドがはしゃいでいるのを、スティーナとイグナートは苦笑して眺める。
「これから敵の本拠地に赴くってのに、何か緊張感ねぇな」
「ふふっ、そうだね。……ねぇイグナート、本当にいいの? まだ間に合うから、ここに――」
「お前を一人で行かせたら、俺は一生自分を許さないだろうな。幸せな日々なんて一生やってこないだろうな……」
「う、その言い方ずるい……」
「そういう訳で、お前は俺を頼りにしてりゃいいんだよ」
「うん、実はすごく頼りにしてる。イグナートと一緒だと、すごく心強いの。ありがとう、一緒にいてくれて」
「…………っ」
ニコリ、と嬉しそうに笑うスティーナを思い切り抱きしめたくなったが、今抱きしめたら離せなくなりそうで。
「…………ラルスと一緒に、ここに帰って来ような」
「うん!」
何とか堪えてスティーナの頭を撫でるに留まった、理性が少しだけ成長したイグナートだった。
「君達の事は、後で皇帝陛下や神殿に伝えておくから。こちらの事は気にしないで、必ず無事に帰ってくるんだよ」
「あぁ、行ってくる」
「行ってきます。いい子にしててね、エルド」
『はーいっ! いってらっしゃい!』
バルトロマとエルドに見送られ、二人は『移動ロール』を手に持ち、発動させたのだった。




