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19.魔女は勇者の故郷へ






「流石、エルドは速いわ。ラルスの故郷に一週間で着いちゃった。お疲れ様、無理させちゃってごめんね?」

『エヘヘ、スティとの旅は楽しくて全然苦じゃないよ〜!』

「嬉しい。ありがとう」


 はしゃぐエルドの頭を優しく撫で、スティーナは遥か真下にある村を見下ろした。



 ここ、サダの村は村人が十数人しかいない小さな村だ。

 ラルスはここで産まれ、勇者の神託を受けてすぐ両親と共にトゥディルム神殿へと生活を移した。

 勇者が産まれた場所と言っても、すぐにラルス達が出て行ってしまったので、勇者を一目見たい見物人は神殿へと赴く。

 なので村自体生活は変わる事なく、今も村人達は細々と暮らしていた。



「……あれ? エルド、もう少し下に行ける?」

『うん、いいよー!』


 スティーナは村の様子に違和感を感じ、エルドにお願いすると、彼は快諾し緩やかに下降してくれた。



「…………っ!!」



 違和感の正体が分かった。外にいる村人達が皆、血を流して倒れているのだ。


「大変……っ! エルド、地面に降りてくれる?」

『いいよー!』


 エルドは翼をはためかせ更に下降すると、ゆっくりと地面に足を付ける。


「この怪我人の数……。もしかしたら凶悪な魔物がいるのかもしれないわ。だとすると、真っ先に襲われるのはエルドだから、私が出てきていいって言うまであそこの木陰に隠れててね。危なくなったら、私に構わずすぐ逃げるのよ?」

『うん……分かった。一緒に行きたいけど、ボク我慢するよ。気を付けてね、スティ!』

「いい子ね、エルド。行ってくるね」


 エルドが元の大きさに戻り、木陰に隠れるのを見届けると、スティーナは警戒しながら村の中へ入る。

 そして、気を失って倒れている村人に駆け寄ると、怪我の状況を素早く確認した。



「これは……。致命傷ではないけど、血が出続けてる。痛みと出血でジワジワと命を削っていく傷だわ。誰がこんな酷い事を……」



 スティーナはイグナートに悟られないよう、小さな魔力を連続して使い、回復魔法を掛けていく。

 見回すと、他の村人達も同じような傷だったので、全員に回復の処置を施した。

 まだ誰も亡くなっていなかったのが不幸中の幸いだった。



「う、うぅ……」



 その時、 神父の格好をした老人がゆっくりと目を開け、上半身を起こした。


「……あ、気が付きましたか? 皆さんの怪我は治しましたので、もう大丈夫ですよ」

「お、お嬢ちゃんが助けてくれたのか。他の者達も助けてくれて本当にありがとう。感謝するよ」

「いえ、いいんです。あの、ここで一体何があったんですか?」」


 スティーナは念の為にメガネを掛け、髪を結い上げているので、老人は魔女に似ているとは気付かず普通に接してくれている。



「何があったか……。ええと……そ、そうじゃ! 勇者様が復活したんだ! この村で!!」

「えっ!?」

「勇者様が復活した途端に魔族が現れて、わし達を攻撃しおった……! あれから……まだ時間が経っていない。魔族は勇者様を襲いに教会に入ったはずじゃ。あぁ、勇者様はご無事なのか……」

「勇者が……ラルスがここに……!?」



 スティーナは眼前に見える小さな教会に目を移すと、すくっと立ち上がる。


「お爺さん、村の皆さんを連れて早くここから逃げて下さい。私が様子を見に行ってきます」

「お嬢ちゃん一人でか!? 危ないぞ……!」

「私は魔道士ですから、危なくなったら魔法を使って逃げます。だから、お爺さん達も急いで逃げて下さい」

「わ、分かった。くれぐれも気を付けるんじゃぞ?」

「はい、お爺さん達も」


 老人は村人達を起こすとスティーナに礼を言い、全員足早に村から出て行った。

 スティーナは教会の前まで来ると、小さく深呼吸をする。


(ここにラルスが……。どうか無事でいて……!)


 スティーナはゴクリと唾を呑み込み、魔法をいつでも使えるよう体勢を整えると、教会の両開き扉をゆっくりと開けた。

 ギイィィ……と木が軋む音が響き、扉が開け放たれる。




 ――そこに、見知った後ろ姿があった。

 癖っ毛の金髪に、長身で引き締まった体躯。




 勇者『ラルス・フォルティマ』が、地面に足を付け、ステンドグラスの神秘的な光を浴びて立っていた。




 スティーナが会いたかった人が、今そこに――



「ラ――」



 急いで駆け寄ろうとしたスティーナだったが、ラルスの隣にもう一人、男が立っているのに気が付く。

 その人物を見て、スティーナの足が即座に止まった。



「……おや、まだ立てる人間がいたんですね。ジワジワといたぶりながら殺したかったんですが、傷が浅かったんでしょうか?」



(ブラエ・ノービス……ッ!!)



 怒りと憎しみでスティーナの全身の毛穴がブワッと開き、肌が粟立つ。

 今すぐにでも家族の仇を討ちたいが、ブラエとの力の差はまだ開いている。


(駄目、今じゃない……! まだ我慢よ……っ)


 彼女は血が滲むほど唇をギュッと噛み締めた。

 ブラエは、彼女がスティーナだという事に未だ気が付いていない。



(お父さん、お母さん、アグネ……。もう少し待ってて。仇は必ず……必ず取るから……っ!)



 拳を痛い位に握り締めたスティーナは、正体を悟られないようにとメガネをしっかり掛け直した。



「人間如きの分際で、折角勇者を洗脳して我が物にしたのだから邪魔しないでくれませんかね? 神殿にいる間諜の報告で勇者が復活すると聞いた時は愕然としましたが、逆に味方につければいいと思い当たった私は本当に天才ですねぇ、ヒャハハッ」

「せん――」



 思わず口から出ようとした言葉を慌てて呑み込む。


(洗脳……!? ラルスが!? そんなの嘘よ、彼が闇の魔法に掛かるわけないわ! それに今、何て言った……? 神殿には魔族の間諜がいる……? こんな重大な事、ペラペラ話していいの……?)

 


「間諜が神殿にある古い書物を片っ端から調べてくれましてね。一番古い書物に書いてあったのですよ。『復活せし勇者、生まれた地に降り立たん』とね。古過ぎて、その書物は誰にも気付かれていなかったようですね。一番奥の本棚の隅っこに、埃を被ってひっそりとあったそうですよ。重要な書物をそんな状態にしておくなんて、本当に聞いて呆れますよ。ま、お蔭で誰よりも早く先回り出来ましたがね。ヒャハハッ」



(…………。あなたの口の軽さにも呆れる……)



「それを聞いてから、定期的にここを見張っていたのですよ。“聖剣”を持っている勇者には洗脳魔法は効きませんが、復活したばかりの勇者は“聖剣”を持ってはいない。自分が勇者だと自覚しないと“聖剣”は現れませんからねぇ。それは“魔剣”も同じで、我等が魔王様はまだ自覚されていないのですよ。だから“魔剣”が手元に無くて、自ら人間界を侵攻出来ないんです。全く魔王様には嫌になっちゃいますよ。早く自覚してくれないものですかねぇ?」



(今度は愚痴になってる……。何なのこの人……。喋りたくて仕方ないみたい……)



「ともかく、“聖剣”の加護がない勇者には、簡単に洗脳魔法が効きましたねぇ。“聖剣”が無ければ、勇者もただの人間って事ですか。ヒャハハハッ!」



(……っ! ラルスは本当に洗脳されているの!? そんな――)



「……おっと、お喋りが過ぎましたね。何故か貴女は初めて会った気がしないのですよ。何だか懐かしいような……。だから口を滑らせてしまったのですかね。機密事項を知られてしまったからには、ここで死んで貰いますよ」



(…………。あなたが自分から喋ったんだけど……)



「折角なので、人間同士、勇者に貴女を殺して貰いましょうかね? ――さぁ、あの女を殺しなさい。剣は貸してあげましょう。ただし早急に始末して下さいね。今もこの人間界の毒の所為で苦しくて堪らないのですから」

「…………」


 ラルスはブラエからおもむろに剣を受け取ると、スティーナの方を振り向いた。



「…………っ!!」



 彼の瞳は、血のように紅く濡れていた。

 あんなに綺麗だった蒼色の面影は、今はどこにも無い――



 ラルスが無表情のまま剣を構え、こちらに足早で向かってくる。


(こんな狭い場所じゃ不利だわ! とにかく外に出よう! 魔法は使ったから私だって気付かれちゃうし、逃げるしか……っ)


 スティーナは踵を返すと外に飛び出した。そして、紆余曲折のように村の中を走り回る。



(どうしよう、どうやって洗脳魔法を解くの? ラルスにはブラックドラゴンのような呪符は貼ってなかった。だから直に洗脳を受けてるんだわ。ただ衝撃を与えただけではきっと解けない。一体どうしたら――)



 不意にスティーナの腕がぐんっと引っ張られ、荒々しく肩を掴まれる。

 そのまま仰向けで地面に打ち付けられた。


「あっ!」


 背中に強い痛みが走ると同時に、自分の両脚に重みが加わり、誰かに馬乗りにされたのが分かる。

 スティーナが涙目で見上げると、そこには紅い目のラルスが表情の無いまま、冷たく彼女を見下ろしていた。



「ラ……ルス……」



 逃げようとしても、自分の両肩を大きな手で抑え付けられ、身動きが一切取れない。

 彼女のすぐ脇には、彼が持っていた剣が置かれている。



 ――絶望的な状況だった。






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