18.魔女の過去 ――そして少女は全てに
過去編はこの回で終了です。
物語は折り返しを過ぎました。最後までお付き合い頂けると幸いです…!
「ブラエ・ノービス……。大人しく自分の家でオネンネしてろよ。けどテメェに用があったし、そっちから来てくれてありがてぇぜ」
「おや? 私の名をご存知で? ……あぁ、彼女が喋ったのですか。やはり人間どもに情を移してしまったようですね。もうすぐ期限ですので、様子を見に来てみれば……。我等が同胞なのに、非常に愚かな女だ。それで貴女の家族がどうなるか考えなかったのですかねぇ?」
「…………っ」
「うるせぇッ! 今すぐその薄汚ぇ口を閉じろ。オレの大切な仲間を苦しめやがって……。スティーナを泣かせた事、絶対に許さねぇ。全力でブッ殺す」
スティーナの前に立ち、怒りの顔立ちで“聖剣”を構えるラルスに、ブラエは大袈裟に肩を竦める。
「おやぁ? 不公平ではありませんか? 私はこう見えて、人間界の毒で今も苦しいのですよ。それなのに貴方は万全の体制で全力で来る、と。正義の勇者様が聞いて呆れますねぇ」
「何を言われようと、テメェを殺すのは変わらねぇ。命乞いをしても無駄だからな」
「はっ、誰が人間如きにそんなものしますか。早々にここから退散したいので、手短に行きますよ」
ブラエはそう言うと、何か小さく呟いた。
すると、スティーナの手首に付けてある腕輪が、禍々しい赤い光を発し始める。
「…………っ!?」
「その腕輪は、付けた者の位置を知らせる機能と、あと一つ」
腕輪の光がスティーナの全身を包み込んだ瞬間、彼女の魔力が大きく膨れ上がった。
「……えっ!?」
「スティーナッ! ……くッ!」
スティーナから翠玉色の膨大な魔力が噴出し、ラルスはそれに弾き飛ばされる。
「――その腕輪、付けた者の魔力の“暴走”を引き起こすのですよ。“暴走”の末路は、魔力の枯渇。所謂“死”です。さぁどうします? 本人に止める術は無いですが、私ならそれを止めて差し上げますよ。勇者を殺してくれたら、ですが。約束致しましょう、私は嘘は言いませんよ」
ブラエはヒャハハッと不愉快な嗤い声を響かす。
「スティーナッ!!」
ラルスは立ち上がると、スティーナに向かって走り出した。
翠玉色の風が、彼女の周りを激しく渦巻き取り囲んでいる。
ラルスは気にせずそこに飛び込んだ。
風の音がゴウゴウと劈くように鳴り響き、肌が無数に切り裂かれたが、構わず涙を流すスティーナを抱きしめた。
「ラ……ルス……」
スティーナは、自分を抱きしめている者に向かって、何とか言葉を紡ぐ。
「に……逃げて……。遠くに……お願い――」
「お前を置いて逃げるわけねぇだろうがッ!!」
自分の背中に回された両腕に、更に力が込められた事を感じたスティーナは、ぐちゃぐちゃの表情で相手の顔を見た。
ラルスはスティーナの耳元に唇を寄せ、彼女しか聞こえない声で言葉を出す。
「いいか、よく聞けスティーナ。オレはヤツに分からないように、自分で自分を刺す。お前がオレを殺したように見せかけるんだ。それが現状を突破出来る打開策だ。時間が無いからそれしか思いつかねぇ」
「……っ! ラルス――」
「心配すんな。オレがオレの“聖剣”で刺されて死んだ場合、生き返られるんだとよ。よく分かんねぇが、神が与えた勇者特権の救済措置らしい。だからお前は何も気にすんな。……生きろよ。お前を待つ家族の為にも……な」
「ら、ラルス……。だめ、駄目だよ……。もし生き返らなかったら、私……。だったら、わ……私が死ぬから……」
ラルスは、ボロボロと涙を零すスティーナを安心させるように笑うと、彼女の後頭部をそっと撫でる。
「スティーナ、約束だ。絶対に死ぬな。オレはお前に会いに行くから。生き返るのがいつになるか分かんねぇが、必ずだ。だから、オレに会うまで絶対に生きろよッ!!」
ラルスはスティーナを抱きしめたまま、己の持つ聖剣を逆手に持ち、躊躇なく自分の左胸にそれを突き刺した。
周囲から見たら、スティーナがラルスを刺したと勘違いされる構図だ。
ラルスの口から、ぐぼ、と血が噴き出し、力を失った彼の身体がスティーナに重く伸し掛かる。
「い……いやああぁぁーーーッッ!!」
スティーナの慟哭が、虚しく大空に響く。
「いや〜素晴らしい! よくやりましたね。約束通り、“暴走”を止めてあげましょう」
パキィン、とガラスの割れるような音が響き、妖しい光を放ち続けていた腕輪が砕け散る。
すると、彼女の周りで激しく渦巻いていた風が徐々に消え、辺りは静けさを取り戻した。
「勇者は……あぁ、本当に死んでいますね。フフッ、こんなに傷だらけになって……。絶望感も抱いたでしょうかねぇ? ご苦労様でした。これで人間界への侵攻がかなり楽になりますよ。ヒャハハッ」
ブラエは上機嫌で、物言わないラルスを抱きしめ涙を零しているスティーナに言葉を投げる。
「貴女はもう必要ありません。人間に情を移した魔族なんて、魔界には不必要です。――そうそう、先程ですが、騒ぎを聞き付けてこの町の衛兵の一人が様子を見に来ていましたよ。そして、貴女が勇者を殺すところをしかと見ていました。今は仲間を呼びに行ったようですね。私には気付かなかったみたいです。ま、死角にいましたからねぇ」
「……え……?」
「もうすぐ他の衛兵達を引き連れてここに来るでしょうね。そして、貴女は牢獄に入れられ、勇者殺害の罪で処刑されるでしょう。皇帝に次ぐ位の勇者を殺した訳ですから、かなり残忍な刑を執行されるんじゃないですか? 私に殺されるより、残忍な……ね?」
ニタリ、とブラエは口の端を持ち上げて嗤う。
「まぁでも、貴女は勇者殺害に貢献しましたからね。御褒美として、良い事を教えて差し上げましょう。――あの世で、家族と会えますよ」
「…………。え?」
スティーナの涙に濡れた瞳が、ゆっくりと大きく見開かれる。
「実はこちらに来る前、貴女の家族を全員殺してきたんですよ。何回か貴女の様子を見させて頂きましたが、どの人間に対しても情を見せていました。親交を深めるのは勇者だけで良かったのに、です。なので、貴女は魔界に必要ないと判断しました。それは貴女を育てた貴女の家族も同罪です。……何度も言いますが、私は嘘は言いませんよ?」
「……あ、あ……ぁ――」
「良かったですねぇ。また家族で仲良く暮らせますよ、あの世でね。――ま、あの世なんてあるか分かりませんが。ヒャハハッ」
ブラエは再び耳障りな嗤い声を響かせると、不意に顔を顰め咳込み始めた。
「――ぐ、ゲホゲホッ! ちっ、人間界の毒を多く吸い込み過ぎたか……。さようなら、お嬢さん。地獄の苦しみを味わいながら死んで下さいね」
ブラエは懐から『移動ロール』を取り出すと、風のように消えていった。
「…………」
スティーナは虚ろな瞳で、自分の腕の中にいる、動かない傷だらけのラルスを見下ろす。
「……ごめんね、ラルス。私、守れなかった。あなたが命を賭けてくれたのに、守れなかった……」
ポタポタと、ラルスの頬にスティーナの涙が流れ落ちる。
すると、おもむろに彼の身体が光り始め、カッと激しい閃光を放った。
「――っ!?」
その眩い光が消えた時、ラルスと“聖剣”の姿はどこにも無くなっていた。
「ラルス……。いなくなっちゃった。お父さん、お母さん、アグネも。みんな、みんな……。わ、わたしを、おいて……。――う、うぅっ……うああぁぁぁっっ!!」
スティーナは、堰が切れたように声を出して泣きじゃくる。
後ろから聞こえる、乱雑に地面を踏む複数の足音にも気付かずに――




