13.帝国魔道士団団長室にて 3
皆が寝静まった時刻、サブルフェード帝国の皇城を、魔道士団団長であるイグナート・エレシュムが足音を気にせずに大股で歩いていた。表情はやはり険しい。
団長室の前に到着すると、扉を乱暴に開ける。
「またまた遅いお帰りだねぇ、イグナート。『移動ロール』を奪うのはもう恒例になっちゃってるね。どうだった、スティーナちゃんに会えた?」
いつものようにのんびりとした口調で出迎えてくれたのは、魔道士団副団長のバルトロマ・カントルだ。
ソファにゆったりと座っていたバルトロマは、先日途中で閉じた書物の続きを読んでいた。
イグナートは一直線に自分の椅子まで来ると、すぐさまドカッと腰を下ろし、天井を仰ぐ。
手を上に翳し、ジッと見ていたかと思うと――
「俺の理性が怠け過ぎるッ! 働けよ一生懸命ッ! サボってんじゃねぇよッ!! ――くそっ、あの柔らかさが忘れられねぇ……。しかも何だよあの振り向いた時の顔ッ! 可愛過ぎだろうがッ!! 俺を殺す気かッッ!!」
ガァンッ!! と執務机に更に強く額をぶつけたイグナートに、バルトロマは非常にヤバいものを見る目を向けた。
「え、ちょっと君、スティーナちゃんに一体何したの……いや聞かなくても分かるか。どうせ我慢出来ずに欲望のまま抱きしめたりしたんだろ……。スティーナちゃんホント可哀想、こんな変態に好かれて……」
「変態じゃねぇ」
「で、結局誤解は解けたのかい?」
「いや……。話せないまま逃げられた」
何事も無かったかのようにむっくりと頭を起こしたイグナートは、眉間に皺を寄せ深く息を吐いた。
「はぁ……。本当に何しに行ったんだい君は……」
バルトロマは心底呆れた口調を出す。
「うるせぇ、色々あったんだよ。順を追って話す。まず、ブラックドラゴンが暴走した件、あれは魔族の仕業だった。その魔族本人が言ってたから間違いない。スティーナはその魔族を知ってる感じだったな……。あとブラックドラゴンの襲撃を防いでいたドラゴンは、二年前俺達が助けたドラゴンだった。スティーナによく懐いていた」
「……ん、んん〜? 何やらとんでもない情報が交じってるね? もっと詳しくお願い」
イグナートが『色々』の部分を細かく説明すると、バルトロマは低く唸った。
「ブラックドラゴンの件は、後で討伐隊隊長に伝えておくよ。しかし魔族が人間界に現れるなんて……。しかもその魔族は闇の洗脳魔法を使えるのか……厄介だな……。その上、自分の魔力を込めた呪詛の札を使うなんてね。その魔族、なかなか頭が切れそうだ」
「どういう事だ?」
「うん。本来洗脳魔法は、まず自分の領域を作成して、その中で相手に掛けるんだ。自分の領域内でないと使えないんだよ。だけど呪詛の札を貼ると、その対象自体が自分の領域になるから、遠く離れていても洗脳出来るって訳だね」
「確かに厄介だな。けど、スティーナがそれを破ってくれたお蔭で『改善に時間が掛かる』とか言ってたから、暫くは大丈夫だと思うぜ。ただ、人間界の空気に少し耐性のあるヤツだったから、帝都に一瞬だけ潜り込んで、皇帝とか偉いヤツに洗脳魔法掛けられちまったら面倒だな……」
イグナートの懸念の言葉に、バルトロマはキョトンとして答える。
「あれ、前に教えなかったっけ? この帝都全体に、魔物や魔族を探知して入らせない半球形の結界が張ってあるんだ。もし帝都に一歩でも踏み込んだら即消滅さ。定期的に上位魔道士達が結界を張り直してるから、その点に関しては問題ないよ」
「んー……? 教えて貰ったような貰ってないような……」
「あぁ、あの時君は徹夜続きで意識が朦朧としていたもんね、しょうがないか。ちなみに『移動ロール』を使って、魔界から直接帝都内や皇城に入らせない措置もちゃんとしてるから大丈夫だよ。魔族側にはそんな技術は無い筈さ。人間の知識と技術ってすごいよねぇ」
「そんな時にこんな大事な事教えるなよ……。まぁいいや、ちなみにどうやって探知してるんだ? 今までに誤って人間を……って事は無いよな?」
「大丈夫さ。魔物や魔族は、その種族特有の証が身体に付いてるんだ。その証を持つ者だけに結界が発動する仕掛けになっているよ」
「それ聞いて安心したぜ」
イグナートは息をつくと天井を見上げた。
「そんな厄介なヤツ、こっちから魔界に出向いてぶっ倒せりゃいいんだろうけど、魔族と同じく、人間にとっても魔界の空気は毒なんだよな……。しかもこっちが帝都に結界を張ってるなら、向こうも魔都に同じものを張ってる可能性が高い」
「そうだね。毒に関しては、『“聖剣”を持つ勇者は魔界の毒を無効化出来る』という伝承があるよ。そして魔王の持つ“魔剣”も同等の効果があるらしい。けど今代の魔王はまだこの帝国には現れていない。帝都の結界を警戒しているのかも知れないね」
「……勇者と魔王が戦って、勝った方の世界に束の間の平和が訪れる。程なくして生まれ変わりが現れ、周囲を巻き込み再び互いが戦う。人間界の歴史はその繰り返し。……きっとこれからも。“神が定めし宿命”、か……。何だか人間界の神のお遊戯に付き合わされてるみたいだな。魔界の神はどうだか知らないが」
イグナートの独白めいた台詞に、バルトロマがぎょっと目を剥く。
「ちょっ、それ他のとこで絶対言っちゃ駄目だからね!? 神を冒涜したって事で即処刑されちゃうから! この帝国がトゥディルム神の信仰が厚いって事知ってるよね!?」
このサブルフェード帝国の住民達は、殆どの者がこの世界の神とされるトゥディルムを崇拝し、信仰している。
勇者は、この世界の何処かで産まれると、“神が己の代わりに魔王を倒す為遣わした者”とされ、帝国にあるトゥディルム神殿の直属になる。
なので勇者の地位は、皇帝や神殿の総主教に次ぐものとなるのだ。
「分かってるって。けど俺は神殿の孤児院で育ったけど神なんてどうでも良かったし、ラルスは『神の信仰? それより人を助けたい』って根っからのお人好しだったし、スティーナは『神? 別に何とも思ってない』だったし。俺の周りがそんなヤツらだったから、つい口が滑っちまった」
「……君やスティーナちゃんはまぁいいとして、神の代理人である勇者様まで……。とんでもなく信仰心の薄い勇者パーティー……。神様泣いちゃいそう……」
バルトロマは額に手を当て、左右に頭を振る。
「まぁとにかくだ、あの魔族が言ってた内容だと他に何か企んでる感じだったから、騎士団と協力して警戒しておいた方が良さそうだ。それに、スティーナがあの魔族を知っている風だったのも気になる。別れる前、何だか思い詰めたようにも見えたし……」
「うん、それは気になるね……」
「アイツは『私に逃げさせて』って言ったけど、逃がすもんか。アイツ、俺の為にラルスを捜してるんだ。旅の目的はそれだったんだよ。アイツはいつでも自分より他人優先なんだ。無茶をする前に、絶対に捕まえてやる」
イグナートは立ち上がると、執務机を拳でドンと叩いた。
「そうだね、早く捕まえないとだね〜。スティーナちゃん可愛いから、放っとくと男達がわらわらっと寄ってきそうだしね〜?」
バルトロマがニヤリとして茶化すと、怒ると思っていたイグナートは何とも言えない表情になり、目を伏せる。
「それについては、その……大丈夫、つーか……。不可抗力だが、“虫除け”を目立つとこに付けといた、つーか……。男ならソレ見れば分かるだろうし……」
その台詞でピンときたバルトロマは、キッとイグナートを睨み付けた。
「……ホントに何してんのさ君はっ!? 不可抗力じゃなくて君の理性の問題だろ!? これ以上スティーナちゃんに嫌われたくなかったら、その弱っち過ぎな理性を何とかしなよ!!」
「……返す言葉も無い……」
帝国一、二を争う美貌の持ち主が、雨に濡れた子犬のようにシュンとしょげている。
「全く……。心底スティーナちゃんに同情するよ……」
バルトロマが盛大に溜め息を吐いている頃。
ドラゴン解決の件をスティーナから聞いて歓喜に湧いているネークスの町で、恩竜として大歓迎されたエルドと共に宿屋に泊まった彼女は、鏡に映った自分の首にある痕に気が付いた。
「あ、赤い痣がいくつも付いちゃってる……。イグナート、何度も噛んでたから……。じっくりといたぶってから殺すつもりだったのかな……。痛くはないから、これくらいならほんの僅かな魔力で治せそう」
と、言い終わったと同時に回復魔法を掛け、一瞬で“虫除け”を無くしていたスティーナなのだった……。




