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11.英雄は魔女を離さない






 イグナートが地面に足をつけた場所は、山にある丘の上のようだった。

 移動時間は最短にしたが、トーテの町より帝都に近いので魔力はまだ辛うじて残っている。

 ただ、やはり疲労感は半端ない。


 肩で息をしながら辺りを見回していると、上からゴォッと突風が吹いてきた。

 見上げると、そこにブラックドラゴンとエメラルド色のドラゴンが対峙しており、その隣にもう一人、会い焦がれていた人物が目に入ってきた。



「スティーナ……!」



 スティーナは眼鏡をしていなかった。髪留めが取れてしまったのだろうか、結い上げていた髪が解け、銀色の美しいそれが風に靡いている。


 彼がよく知っている、彼女の姿だった。


 目の前の相手に集中しているからか、こちらには気付いていない。

 ブラックドラゴンが吐く強力な炎を難なく避けると、相手より巨大な竜巻を発生させた。


 今、スティーナは浮遊魔法を使っている。魔法を同時発動するのは、上位魔道士でも難しいのだ。

 しかも今発動しているのは、二つとも上級魔法だ。


(それを顔色変えずに容易く……。アイツの魔力と魔法の感性は、俺よりも上かもしれない)


 真剣な表情でグラデーションの瞳を煌めかせているスティーナに、イグナートは目が離せず戦闘が終わるまで見入っていた。



 首元に貼り付いていた紙が破けるとブラックドラゴンが大人しくなり、頷いた仕草を見せ棲み家へと帰っていく。

 すると、エメラルド色のドラゴンが小さく縮んでいき、スティーナの肩に乗れるくらいの大きさになった。



(あのドラゴンは……? 確か二年前、ラルスと俺とスティーナが一緒に旅をしてた時に助けたドラゴンか! 大きさが全然違ったから気付かなかったな)



 スティーナとドラゴンが丘へ降りてきそうな気配だったので、イグナートは急いで近くにあった木の陰に隠れる。

 彼女はドラゴンを胸に抱いて、足早に近くにあった茂みに身を寄せた。本人は隠れているつもりだろうが、こちら側からは丸見えだ。

 きゅっと身体を縮こませキョロキョロしている所作が小動物を連想させる。可愛くて、イグナートは緩む頬を必死で抑えた。


 ……自分から隠れようとしている行動だという事実を考えると悲しくなるが。



(……もう逃さないからな)



 イグナートは気配を極力消して、スティーナの背後に歩み寄っていく。

 仕事柄、魔物と接する機会が多いので、気配を隠すのは得意だ。



「――捕まえた」



 後ろから腕を伸ばし、イグナートはその華奢な身躯をぎゅっと抱きしめた。


「…………っ!」


 スティーナは突然の拘束にビクリと身を震わせ、発せられた声の主にサーッと血の気が引いた。


(この声、イグナート!? いつの間に後ろにいたの……!? 一体いつから――あ、私眼鏡置いてきちゃった! 髪もいつの間にか解けてる……! わ、私だって気付かれ……?)


 慌てて身を捩って逃げようとしたが更に密着され、肩と腰に回された腕が逃亡を許してくれない。



「逃げるな、ティナ。――いや、スティーナ」

「…………っ!」



(か、完璧に私だってバレてる……! どうしよう、ここで殺されるわけにはいかないのに……! そうだ、旅の目的を正直に言えば、もしかしたら見逃して……はくれないよね。信じてくれないと思うし……。『死んでも許さない』って言われるくらい憎まれてるもの……。だからと言って、逃げる為に彼を攻撃する事なんて出来ない……。うぅっ、一体どうしたらいいの――)



 スティーナが悶々と思考している時、イグナートは腕の中の温もりに酷く歓喜を覚えていた。



(温かい。動いてる……。半年間、ずっと捜し求めてたスティーナがこんなすぐ近くに……俺の腕の中にいる。もう絶対離したくない。誰にも渡したくない――)



 今までに無い高揚感の所為で理性が抑えてくれず、イグナートは我知らずスティーナの首筋に自分の唇を触れさせていた。


「…………っ!?」


 ビクッとスティーナの肩が跳ね上がる。

 彼女の懐かしい香りと初々しい反応にイグナートの理性が益々働かなくなり、彼はその白く滑らかな項に次々と口付けを降らせていった。


「? ……??」


 項に感じる擽ったさと、時折走るチクリとした痛みに、スティーナは今の自分の状況が理解出来ず固まってしまっていた。

 スティーナの肩と腰を食い込む位の力で抑えているイグナートの腕の所為で、彼女の背中と彼の胸が完全に密着している。

 背中から感じる早鐘を打つ鼓動音と、すぐ耳元で微かに乱れた息遣いが鮮明に聞こえ、これが現実である事を実感せざるを得なかった。 



(な、舐められてる……? 時々噛まれて……。ど、どうしてこんな事……? ……あっ! もしかして、憎む余り嫌がらせをした後、首を噛んで殺そうとしてる……!? そ、そんなの残酷過ぎる! 早く止めなきゃ……っ! うぅ、想像したら涙が……)



「……い、イグナート……」



 スティーナの、自分を呼ぶ震えて掠れた声に、イグナートはハッと我に返り、顔を上げた。



「……止めて……。お願い……」



 振り返った彼女に、潤んだ瞳を至近距離で上目遣いに向けられる。

 イグナートにとって、それは効果抜群以上の効き目があった。



「…………っ!!」



 瞬時に顔を真っ赤にしたイグナートは、スティーナを身体ごとこちらに向き直させると彼女の両肩を掴み、グイッと自分から引き剥がした。

 彼女の細い首に浮かぶ幾つかの赤い痕と、手に残る柔らかい感触に、今してしまった自分の行いに愕然とする。

 

(お、俺はなんて事をして……!!)



「す、すまない……っ!」

「…………」



 イグナートは謝罪の言葉と同時に頭を下げるが、スティーナは俯いたまま何も言わない。

 彼女に掛ける言葉を懸命に探すイグナートだったが。


(……そうだ、まずはコイツの誤解を解かないと……!)


 本来の目的を思い出し、イグナートは深呼吸を一つして自分を落ち着かせると、スティーナに向かって口を開いた。



「……スティーナ、聞いてくれ。俺はお前を――」






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