Journey through the Decade
「一日有名人になれる権利をあげよう」
隣に座っていた胡散臭そうな男は、そう切り出した。
私がよく行く、駅中の立ち食い蕎麦屋は、人気が少ない。通勤ラッシュの時間帯においてもずらずらと並ぶ店ではない。そもそも立ち食い蕎麦屋に行列というのが出来る気があまりしないというのもあるが、それこそ、人が入っている気配がないのだ。
理由はわかっている。
ひどい味の蕎麦屋だからだ。
そもそも、提供されているのが本当に蕎麦かどうかも怪しい。店の看板には、十割と文字が並んでいるが、いざ出てくる掛け蕎麦はいったいどういうことか。蕎麦の香りがとくにない。出汁に沈んだ麺を割りばしで摘まみ上げてみれば、確かに色こそ蕎麦の色をしているが、噛めばぼそぼそとした歯応えの奥に饂飩の姿が感じられた。
つまり、不味いのだ。
さらに言ってしまうと、立地も悪いのだ。確かに駅中という事もあるが、乗り換えの駅であり、この駅でずっと滞在をしようとは思われない。この駅に着いたら、反対側のホームの電車へ飛び乗るだ。立ち食い蕎麦屋に入る余裕はない。もっと言うと、出入口が一つしかないので奥の席へ詰めると、今度はそう簡単に出れなくなってしまうのも原因だろう。
どうして、そういう立ち食い蕎麦屋が私の行きつけなのか、ここまで説明して疑問に思うこともあるだろう。
そんなに不味くて使いづらいなら、立ち寄るべきではないと思うだろう。
しかし、安い。圧倒的に安いのだ。だから、私のような安月給のサラリーマンは立ち寄る。
「一日有名人になる権利ですか」
隣に座って同じ掛け蕎麦を食べる男の話へと興味本位に乗る。
いつから隣に座っていたかというと、わからない。私が奥の席に座っているので、きっと、私より後に来たのだろうと思う。
「えぇ。そうです。有名人になれる権利ですよ」
「馬鹿馬鹿しい。なんですか。今流行のインスタとかSNSとかに馬鹿な動画を上げて、知名度アップですか」
「いえいえ、そうじゃあありませんよ。いうならば、少しばかり、脳をですね。ちょいちょいと弄ってですね。有名人になるんです」
隣に座った男は、自らの頭を指さしながら、くるくると回した。
それは、別の意味に捉えることも出来て、私は余計にいぶかしむ目で男を見た。
「もっと言うと、この山椒の瓶をあなた、そして、この七味の瓶を有名人とします」
男は卓上に置かれていた調味料の小汚い瓶を手に取って示す。
「中身を一時的に、それぞれ交換するのです。外面を見れば、七味や山椒ですが、中身は別。逆になっているのです」
「つまり、私と有名人、外面をそのままに中身を変えるという事ですかね」
「そうです。どうでしょう。面白い権利でしょう」
「しかし、そんな胡散臭い話に乗るほど、私は馬鹿じゃあありませんよ。第一、どうやって、中身を変えるんですか」
「何、それは特別な技術でちょちょいの。あぁ、失敬、私、胡散臭いものじゃありませんでしてね」
男は、両手をスーツのポケットへと押し込むと、しばし探した後、名刺入れを取り出す。そこから名刺を一枚取り出すと、私へとすっと差し出した。受け取った私は、驚愕した。
某国立大学の教授という肩書きがそこにはあったからだ
「どうです? 私のような不審者はともかく、その教授というのは信用できるでしょう」
にやまりと微笑む男を見て、不気味なものを感じた。
しかし、なるほど確かに不審者の男と比べて、某有名国立大学の教授というのは非常に信頼に足るように感じられた。事実として、すっかり、警戒心を緩めてしまった為に、ほいほいと蕎麦を食べ終わると男の後ろをついて歩いた。
電車に揺られ、車に揺られて、あれよあれよと男の案内のままについたのは郊外の雑居ビルだ。
雑居ビルの一室に通される。最低限の設備というように椅子が一つ置かれた殺風景な部屋で、そこに座らされた。そのまま、何も説明もないままに、頭へと装置を取り付けていく。
言われるままに座った椅子ではあるが、その椅子からはケーブルが伸びて、壁へと繋がっている。
正面には絵が飾ってあり、それはモナリザのあの微笑みだとすぐに分かった。やはり有名であるとすぐにピンとくる。と、そこまで考えたとき、いったい、これからどのような有名人と入れ替わるのかと気になった。
「あの有名人っていうのは誰なんですか」
「そうですね。今日はこれからクガトが来てくれます。ご存知ですか? 音楽家でマルチタレントですよ」
「いや、そのあまり存じてなくて、テレビは見ないので」
男はしぶしぶというようにスマホを取り出して、簡単にぱぱっと操作すると画面を見せてきた。
画像を見せられると、なんとなく思い出した。確かドラマとかの主題歌をてがけるだけではなく、バラエティー番組にも出ていたはずだ。それだけであれば、このままに一日だけでも立場を交換するのは悪くない。
「あの費用は」
「クガト様のほうから二人分、、いただきますよ。さぁ、目を瞑って」
言われるままに目を瞑る。いったい、どれだけ時間が経っただろうか。ずっと目を瞑っていると、うつらうつらとしてきた。
「もういいですよ。目を開けて」
また言われるままに目を開ける。
少し景色が違った。先ほどまで座っていた席から見えた絵画はモナ・リザだったのに、今は別の真珠の耳飾りの少女に変わっている。手も違う。ぎらぎらとした指輪がハマった細くすらりとした手だ。慌てて立ちあがると、視界が違う。いつもより高い位置から物を見ている。
「どうですか、気分は」
声をかけられた方向へと目を向けると、あの蕎麦屋で声をかけてきた男がいた。その男の頭頂部が見えて、男が縮んだのかと一瞬思ったが違う。自らの身長が高くなったのだ。慌てて、スマホを取り出して自らの顔を見ようとも思うが、スマホがない。
鏡を探して部屋を見回すと、男がすっと鏡を差し出した。そうか、何度もやっていれば対応は慣れているはずだ。
鏡に映った自分の姿は、先ほどスマホでみたクガトの顔があった。端正な顔つきで、女性受けする顔だ。
「じゃあ、この姿で一日歩きまわってもいいんだな?」
「えぇ」
「中身が入れ替わったということは、前の身体にも戻れるわけだよな。なら、また、ここまで戻ってくる必要があるのか?」
「いえいえ、その必要はありません。あくまで一日、ちょうど、明日のお昼ごろになれば、全てが元通りになります」
「それはどういう仕組みで」
「説明すると長くなりますが」
男がホワイトボードに細かく説明をし始めようとしたが、それを片手で止めた。その説明を聞いたところで、理解はできないと思うし、それにそのような難解な事で時間を浪費したくはないと感じた。ひとまず、急いで町へと向かった。
それからは楽しいものだった。歩けば人だかりが生まれ、手を振れば黄色い声援が向けられる。悪くない気分だ。
今の今まで目立ったことのない自分からはとても考えられない。有名人の連絡先が入ったクガト自身のスマホも使えるので、何とも便利なものだ。
片っ端から自分のメール宛てに連絡先を送り、送ったメールを削除しておく。
我ながら悪い男だと思う。
だが、このクガトという男もかなり悪い男だ。メールを見ていて思ったが、この男はかなりの女たらしらしい。複数の相手に愛を囁いている。あの有名な女優もいると思えば、まるで知らない人物もいて、よくよく読めば一般の女性らしかった。
有名人と言っても、こんなものか、とどこか夢が覚めてしまう。
が、逆に考えればこのようなひどい男であるならば、同じようにひどいことをしてもいい気がしてきた。
「そこのお嬢さん」
適当なお店に入って、ぱっと目についた一人でいる女性に声をかける。初め声をかけられてびっくりした表情の女性は、こちらの顔を見て警戒心を緩ませる。それからは簡易なものだった。店を共に出て、軽く遊ぶ。連絡先を交換し、さよならと別れる。
容易いものだ。
時折、そううまくいかないこともあったが、おおむねの打率は高かった。
「悪くないな」
ホテルのシャワーを浴びながらそう呟く。
最初から腕にはめられていた高級腕時計をちらりと見る。時刻は朝、すでに日が昇り始めている時間帯だ。
ベッドに名前も知らない女性を残し、ホテルを出る。まぶしい太陽の光に目がくらむ。
と、同時に別の強い光が当てられた。
見ればカメラを構えた男が二人いる。
「待ってましたよ、クガトさん。私、週刊誌の者でね」
「はぁ、なんでしょうか」
「とぼけないでくださいよ。格付け芸能人、クガトさん。あなたの女性関係も終わりですよ」
男はそう言うと週刊誌を押し付けてきた。受けとったそれをパラパラとめくると、そこにはかなり大きな見出しで、「クガト、ついに訴えられる」というのが記されていた。見れば、一般女性との関係で、その相手の夫から訴訟を起こされたらしい。そして、それに合わせる形で、どんどんと訴訟が膨らんだそうだ。
今では五人の女性の暴露話と訴訟がかけられている。
「ノーコメントで」
震える声でそう言うしかない。
はっきりと言ってしまうと、このようなことになるとは思ってもいなかった。
そう言い張り、追ってくる記者を振り切ってタクシーへと乗り込む。
偉いことになった。と、思うと同時に、冷静に考える。
このまま、時間があと少し経てば元の身体に戻るのだ。どういう原理であるのかはわからない。しかし、どのようなものであれ、もうあと時間が経てば元通りになるのは間違いない。こういうスキャンダルを体験できたのも一つの面白さかもしれない。いい経験だと思うことにする。
タクシーで郊外へと向かって降りろしてもらう。地方の無人駅で一人椅子に座って時間だけを気にしていた。
さすがにそこまでは週刊誌の記者も追っては来なかった。追ってくるかも、と覚悟はしていたのだが、意外とそういうことはなかった。おそらく、そこまでの費用をかけたくはなかったのだろう。
ちらりと高い腕時計をみると、もうそろそろ、一日が経とうとしていた。
このまま辺鄙なところでクガトと入れ替わるのは申し訳ない気がしたが、非常時で非常時であり仕方がなかった。
その旨をスマホに残して時間を潰す。
一瞬、深く瞬きをした時だった。
ぱっと風景が切り替わった。見も知らない部屋だ。
腕時計を見れば、安いチープカシオが現在時刻を告げている。
「良かった、元に戻れた」
と、ほっとしたのも束の間、ここはどこか気になった。
さっと周囲を見れば狭い空間、トイレであるというのはすぐに分かった。それも公衆トイレのような殺風景なものではなく、どこかの一般家庭だ。便座カバーやトイレットペーパーのカバーが、いかにも家庭的なそれになっている。
扉の外から激しく言い争う声がする。
一体何事かと、疑っていると、ばんと勢いよく、扉が開いた。
開いた扉の先には一人の男が立っていた。その眼は血走り、顔は赤くなって、息遣いも荒い。
「てめぇ、この野郎!」
そう言うと、男は私の襟首を掴み上げると、トイレから強引に連れ出した。何がされているかわからず、なされるままに、男に投げ飛ばされる。投げ飛ばされた先の床に這いつくばり、這う這うの体で動く。
見れば、そこは寝室で、一人の女性が半裸で、いや、ほとんど裸で掛布団で体を覆っていた。
もしやと嫌な予感がした。
「お前、俺の女房と何してたんだ、おい」
「ちが、違うんです、これは」
全身の血の気が引いて、思考回路が正しく回らない。
クガトだ。
なんと説明すればいいのか。あぁ、しかし、結局のところ。
「こんな事なら、有名人になるんじゃなかった」
そう後悔するよりほかはなかった。
この物語はフィクションです。




