ロール状のプレーンクッキー
この作品は
格子柄のチェックメイト
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ココアクッキーとスノーパウダー
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の続きになります。
2023/03/14 11:00
元々の後書きパートを本編に移して
新たに後書きパートを追記しました。
バレンタインデーにクッキーを貰ったので何かお返しをしよう、そう思った。
定番はクッキーだけど、バレンタインにクッキーをもらった手前、クッキーを贈る事には抵抗があった。
じゃあ、何がいい?
マシュマロ?キャンディー?
そんなことを悩んでると、あいつから「家に遊びに来ないか?」と誘いがあった。家に直接招かれるような誘いは初めてだった。
「なんで?」
「クッキー作るから」
「……なんで?」
「いいからっ!」
とても意思疎通出来ていると思えない会話の結果、とにかく家に邪魔することになった。
あいつの家の場所は知っていた。あいつの友達がやってる演劇を見に行こうと誘われて、家までの送迎をしたことがあったからだ。普段は待ち合わせで待たされてばかりだったが、流石に今日は待つことを考えなくていいはずだった。
普段は待ち合わせ時間より早く着くようにする俺だけど、人の家を訪れるときには、早い時間については迷惑だろうと、待ち合わせの時間を僅かに過ぎたタイミングで、あいつの家に到着するようにした。
他人の家のドアベルを鳴らすのはいつだって緊張する。特別な事があるわけでもないのに。きっとこういうのは慣れなのだ。……慣れた親友の家なら緊張しないのだから。
ぐだぐだとドアの前で考えているのも、それはそれで恥ずかしいと、意を決してドアベルを鳴らす。
booという、クイズで間違えたときの音か、高らかなブーイングのような音がして、それから僅かな沈黙を挟んだ後、中から
「うぇぇっ、ちょっと待って!」
と、叫び声が聞こえた。
集合住宅でその声は迷惑だと思ったが、思うだけに留めた。言ったところで喚かれるだけだ。
結局それから10分ほど待ってドアが開いた。人とすれ違うのが恥ずかしかったが、そこは、無になってやり過ごした。
「いらっしゃい」
扉から僅かに顔を見せたエプロン姿のあいつにそう招かれる。僅かに躊躇って、でも躊躇うことに意味がないことに気づいて中に入った。
人一人が立てるぐらいの玄関口には、靴が端に揃えられて並んでいる。
黒の革靴だったりスニーカーだったり。
あまり眺めるのも失礼なので、靴を脱いで中に入る。
「お菓子作りなんてやったことないんだけど」
「大丈夫、大丈夫。簡単だから」
「この間その簡単な作業に苦労して待ち合わせに7時間も遅れた奴に言われても、なんの真実味もない」
玄関口を入って、すぐ左手が台所だった。正面にはスライド式の木の格子と磨りガラスの扉。
台所は冷蔵庫とコンロ台、流し台がコの字の形になっていて、作業するにしてもこのスペースではすれ違うことも難しい。
「材料準備しておくのに手間取っちゃって」
そう言ったあいつの視線の先には、材料が入ったボールと、これから調理に使うであろう器材が並べられていた。
「この前の演劇、良かったって言っておいて」
ボールにバターと粉砂糖や薄力粉を入れて混ぜながら、そんな話を切り出す。
この間、こいつの中学時代の友人が入っている劇団の舞台があって、それを見に行ったときの話だ。
学校ではこうした話をするタイミングがなかったってのと、黙々とボールで材料をかき混ぜているだけの空間に耐えられなかったのと、2つの理由から、とりあえず話しただけの事だったが、あいつは少し嬉しそうな、少し困ったような顔をした。
「うん、伝えとく」
「なんか、あったのか?」
そう尋ねると、あいつははっとしたように笑顔を浮かべて、「何でもないよ」、と返した。
「何かあったのか」と聞いて「何でもないよ」と返すのは、何かあったと言ってるようなものじゃないだろうか。
そう思って見てると、あいつはまた少し困り顔をした。
「ハルナが、ごめん」
「何が?」
ハルナ、榛名。それはあいつの元カレの名前。中学時代の友達の演劇を見に行く時に一緒になった。中学時代の友達の演劇を観に行くのだから、同じ中学時代の友達がいるのはおかしなことではないのだが、それならなぜなら俺は居るのだろう、とその時は思った。
「ほら、あいつ、色々失礼だったから」
「気にするようなことは特になかったけど」
ヘラで薄力粉を切るようにさっくり混ぜていく。
何か苛立つようなことがあったなら、「切る」作業にはもう少し別の感情がこもったかもしれないが、実際、大して気にするような事はなかった。
なんとなく手に力が入ってるのは、何故だろうか。
「そう?偉そうじゃなかった」
それは、そうかもしれない、と思い返す。
「よくあいつと付き合っていられるな。感心する」
舞台に向かう途中、ハルナからそんなことを話し掛けられた。少し前を歩くあいつに聞こえるのかどうかは気にならないらしい。
思ったことを包み隠さないのは、あいつと似ている、そんなふうにも思った。
「なんで?」
「自分の都合で引っ張り回すし、よくわかんないことで怒るし、口は悪いし」
「でも、付き合ってたんだろ」
「なんでだろうな。多分、他よりマシだったからじゃないか」
その後も話したが、中学時代のあいつの困った行動と、それをどう対処したのかって話がほとんどだった。
話は同意できるものがほとんどだったが、同時に安易に同意したくないって感情もあった。
「……まぁ、好きにはなれないけど、仲間にはなれる気がした」
なんとなく胸の中が気持ち悪くなる感情を断ち切るように、ボールの中の塊を切る。
「こんなもん?」
「あ、うん。それぐらいでいいんじゃないかな」
取り出した生地を板の上に乗せ、生地を棒状に丸めていく。
「どうして?」
「さっきの話?」
あいつは応えるかわりに頷く。
「話し方も考え方も好きになれないけど、悩みは共有できそうだから、かな」
「悩みって?」
「お前に振り回されてるってところ?」
あいつが頬を膨らませる。パン生地が焼けたときのように膨らんだそれを、少し突いてみたい衝動にかられたが、思うだけにする。
「でも、待たされて困るって話は出なかったから、それはすげーなって思った。それとも、その頃は遅刻してなかったのか?」
「してたよ。ハルナが待たないだけで」
「……あぁ」
口を開いたのだから当然のことだが、あいつの頬の膨らみが抜けた。リスほどでは無いけれど、人の頬はどうしてこんなに膨らむ必要があるんだろうか。
「こうしも、やっぱりしんどい?」
口調が変わった気がして、改めてあいつの顔を見る。それは以前、ファミレスで泣きそうな顔をしていたあいつのそれみたいにも見えた。
「待つのは慣れた」
「待つのだけ?」
「あとのことは、まぁ、そういうものだから気にならない」
「どういうこと?」
俺は、生地がなんとなく棒状の形になったので手を止める。
「確かに自分勝手なところはあるし、怒りのスイッチはよくわかんないし、何度言っても遅れてくるし、困ったやつだなって思うけど」
「……うん」
「俺はちゃんと相手にしてないから、大丈夫なんじゃないか?」
少し光が反射したあいつの瞳がこっちを見ている。
「それで?この生地はあと、冷やすんだっけ」
「あ、え、うん。そう」
生地をラップで巻くと、その生地を冷蔵庫の中に入れる。
「でも、まぁ、毎回待ち合わせに三十分遅れるのだけはなんとかしろよ」
冷蔵庫の扉を締めてあいつに向き直り、笑う。
「それは、ほら、女の子だからさ」
「学校の待ち合わせにすら遅刻して、その言い訳通用すると思うなよ」
「うぅ。……だもん」
何やら下を向いてぶつぶつ言っていたので、なんとなく頭に手を乗せる。でも撫でるのはやめておいた
「何?」
下を向いたまま、少し何かを抑え込むような声であいつがそう言う。
「そのままでいいと思う。無理すんな」
頭の上に乗せた手を離すと、あいつがこっちを見た。
「遅刻グセ以外は」
笑った俺を見て、あいつの頬がまたリスみたいに膨らんだ。いや、羊の毛みたいに、かな。
プレート上に並んだ出来上がったクッキーを、あいつが皿に並べていく。
見ていると、そのうちのいくつかを小さなタッパーに取り分けている。
「なんで分けてるんだ?」
「取っておきたいから」
あいつはこちらを見ないで答えるが、どことなく嬉しそうなのは、髪の隙間から除く横顔と声だけで伝わってくる。
「食べきれない量じゃないと思うけど」
「今日食べきるの勿体ないから」
なんとなく、なんとなくだが、どうしたいのかがわかった気がした。
「お返しはちゃんと別にあるからな」
「えっ?」
慌てて振り返ったからか、肩にかかるほどの黒髪がふわりとなって、鼻先を掠める。
髪が風を連れてきたのか、風が髪を揺らしたのか。
舞った風と共に、焼けたクッキーの香りとは異なる甘い香りが漂った。
これって何ていう花の匂いだったっけ。
「お返しはちゃんとあるからな」
こちらをじっと見たあいつの顔を見ながら、もう一度同じ言葉を繰り返す。
時期的にこの誘いはもしかしたらそういうことかと考えなくもなかったが、それを正面から問うのもどうかと思い、あまり深くは尋ねなかった。
そもそも最初に確認したとき、はぐらかされてるしな。
でも、わざわざ取り置こうとしてるのって、他に理由が浮かばない。
……いや、今気づいたけど、親に渡すためって可能性はあるのか。
自意識過剰だった?
「……何の?」
こいつが人の好意に対して臆病になる理由について、分からないわけじゃない。
はっきり伝えたところで、信じきれないことだって、今までのやりとりで分かってる。
普段の自分勝手さも、多分自分の心を守るための手段なんだろう。
そう思うと、少し胸が苦しくなった。
「前にもらったクッキーの」
目の前の不安げな顔が、日差しを受けて咲いた花のように明るくなったのを見て、思わず伸ばしかけた両手を引っ込めると、右の手の甲を左の指でぎゅっと抓った。