二話 普通じゃない魔女に対する普通という存在
比江鳥環奈という少女を篭絡しろと結達に言われて正直僕は困った。
勿論それが彼女から穏便に情報を聞き出す唯一の方法であることは理解しているし、断れば結達は僕の心証を悪くすることも厭わずに荒っぽい方法を取るだろう。
それが必要であると判断すれば躊躇わず実行できる点で結たちは一貫している。
けれど問題なのは環奈をどう説得すればいいか僕には見当もつかないことだった。僕は防衛隊員でその訓練を受けてはいるが、戦闘のプロではあっても交渉のプロではない。
結達とは良い関係を築けてはいるけど、それは彼女たちの特殊な事情が大きな要因で僕は何もしていないのに好感度が高くなっていったからだ。
もちろんその事情は環奈も抱えていたはずだけど、結達と大きく違うのはそれがすでに僕以外の人間によって解決されているということだ。
彼女はすでに孤独ではなく、僕は彼女にとって孤独から救ってくれる唯一の人間というわけではない。環奈は救世主様と僕を呼んでいたけれど、それにしたって自分を救った人間から僕を救世主として扱うように言われていただけだろう。
つまるところ僕には環奈の内面に入り込むとっかかりがない。彼女の中にはエリカという絶対の存在が既に存在していて、それを取り除くのは不可能に思える。なのになぜだか結達も有効なアドバイスはしてくれなかったのだ。
とはいえ、諦めるという選択肢は僕にはない。
とりあえず、余計なことを考えずに環奈と話してみようと僕は決めた。考えてみれば彼女と話した時間はまだ驚くほど少ない。
時間がないのはわかっている…………だけどまずは普通に話して、彼女をもっと知ろうと僕は決めたのだ。
◇
エリカ様と話していると私の気分はどんどんと昂揚しますの。元来気弱なはずの私がこの人のためならどんなことだってできるという気分になっていくのですわ。それまで抱いていた恐怖や不安も消えてただエリカ様に尽くすことだけを考えることができる…………それはとても幸せなことでしたの。
「どうかした?」
「…………なんでもありませんわ」
少し首を傾げて此方を伺う彼を私は突き放すように答えます。救世主、とエリカ様は彼のことを呼びそう扱うように私に命じられましたが…………正直言ってそんな風には見えませんの。私たちが認識できるだけの、ごく普通の青年に見えますわ。
そして私にとって自分を認識されるというのは今となっては特別なことではなくなっていますの。見えざる魔女になってすぐの頃は誰からも認識されない孤独に苛まれてはいましたが、エリカ様に救われてからはそのお力によって私は人々から認識されるようになったのですから…………そう、そのはずなのですわ。
「とりあえず、そうだね…………君のことは比江鳥さんって呼んだほうがいいかな? いきなり名前で呼ぶのはちょっと馴れ馴れしいかもだし」
「…………好きにすればいいですわ」
それなのに、なぜ彼と話すだけで泣きたくなるような感情が浮かぶのでしょう。女神の国では彼よりも容姿端麗な青年に愛を囁かれたこともありますし、恋人同士の関係を楽しんだことだって一度や二度ではなかったはずですのに。
「それじゃあ比江鳥さんは…………うーん、好きな食べ物とかある?」
「なんですのあなた」
エリカ様がそうおっしゃられた以上私は彼を救世主として扱うつもりでしたわ。しかし投げかけられた素っ頓狂な質問に、思わず私は意味が分からないという表情を浮かべてしまいましたの。
「私を通じて、女神の国の情報を知ろうと思ってるんじゃないですの?」
「それはまあ…………知りたいんだけど」
隠すこともなく彼は頬を書いて苦笑する。
「聞いたら教えてくれるの?」
「教えるわけありませんわ」
背後にいる魔女どもなど私には何の脅しにもならない。エリカ様の不利益になるような情報を私が明かすわけはないのですわ。
「うん、だからまだ聞かない」
「まだ、ですの?」
「うん、まだ」
まだ、ということはいずれ聞くつもりはあるということなのでしょう…………けれどいくら時期をずらしたところで私が情報を提供することなどありえませんの。
「それで、代わりに先ほどのようにくだらない質問をするつもりですの?」
「くだらないことはないよ」
「私にはそうは思えませんわ」
私の好きな食べ物を聞いて彼はどうするというのでしょうか。
「好きな食べ物がわかれば君に作ってあげられる…………こう見えて僕は結構料理が得意なんだよ」
少しだけ自慢げに彼が私に告げると背後から頷くような気配がいくつも感じられましたわ…………日頃から彼は魔女たちに手料理を振舞って懐柔しているということなのでしょうね。
「私たちに食事など必要ありませんわ」
「でも好きなものを食べると嬉しいよね?」
「…………否定はしませんわ」
「だったら教えてほしいな。今晩のご飯にでもするから」
「晩御飯になるようなものではありませんわよ」
「あ、そうなんだ。甘いものとか?」
尋ねるその表情はどこか嬉しそうでした…………何が嬉しいのでしょう。私にはまるで彼の思考が理解できませんわね。
「私に好物を与えてなにがしたいのです?」
「そりゃ君と仲良くなりたいと思ってるよ」
「は?」
あっけらかんと告げられた言葉に私は思わず呆けてしまいましたわ。まさか彼は私から情報を引き出すのに拷問などではなく仲良くなろうとしているのでしょうか…………実に愚かしいとしか思えませんの。
「それで、比江鳥さんはどんな甘いものが好きなの?」
「ク、クレープですわ…………」
それなのに、なぜだか私の口からは否定の言葉は出ませんでしたの。
◇
宗教というものの何が厄介かというとやはり価値観を変えてしまうことにあるの。大体の人間は一般的な常識やそれに基づく法律をもとに価値観を決めているのに、宗教は信仰やその教えのもとに価値観を定めてしまうの…………わたくしたちが普通と思っていることがあちらの価値観では普通ではなくなってしまうのよ。
そしてそれはあちらにとっても同じことで、だからこそ話が通じない状況が生まれてしまうの。
だから結局のところ宗教にどっぷりと浸かってしまった人間をどうにかしようと思うならその価値観をぶっ壊すか、別の価値観で塗り替えてしまうのが手っ取り早いのよ。
とはいえ価値観を壊したり塗り替えたりという方法は反発が大きいのも間違いなくリスクが大きいの…………何よりもそんな洗脳じみた方法は陽にはできないのよ。
だから陽にできるのはあの女に普通に接することくらいなの。それがわかっているからこそわたくしたちは何のアドバイスもしなかった。余計なことを意識させてしまうとその効果が減じてしまうと思ったからなの。
そう、陽は普通の人間なの。
もちろんわたくしたちが認識できるという点では普通ではないのだけど、それ以外の点でいえば普通の男の子なのよ…………普通に頑張って、普通に同情して、普通に悲しんだり興奮したりもする男の子なの。
だからこそ陽を見ているとわたくしたちは自分が普通であった頃を思い出すの。
わたくしたち…………わたくしは環奈のように宗教に染まってはいなかったけれどその性根はずいぶんと歪んでいたのよ。だからこそ自分が守っていた東都を一度は見捨てようとしたし、切歌だって最初は利用して切り捨てるつもりだったの。
それはたぶん切歌もだろうしその後に合流することになった美優と夏妃も同じはずなの。舞だってわたくしたちを襲って来た時には無邪気だからとは言い切れないくらいに悪意を振りまいていたのよ。
それが気が付けばわたくしはあいつらを邪魔と思うことはあっても、最初のように機を見て排除してやろうという気がなくなっていたの。それは陽に対する配慮というだけじゃなくて根本的にわたくしの歪んだ性根がいつの間にか矯正されていたからだと思うのよ。
そしてそれがなぜかと考えれば…………陽という普通と接していたからに他ならないのよ。彼は見えざる魔女に負い目は感じているけれど、わたくしたちを人を超えた化け物とは見ていない…………あくまで傷ついた普通の女の子として接してくれるの。そんな風に接しられたら歪んだままでいられるはずがないのよ。
結局のところエリカにつき従う魔女たちが宗教に走ったのは現実に耐えられなかったからのはずなの。それが救いになるから宗教に染まっただけで、元々そういう価値観だったというわけではないはずなの…………元の価値観に戻って救いがあるならそっちを選ぶに決まっているの。
だからまあ、陽があの女を篭絡するのはそれほど時間はかからないとわたくしは思っているの。女神の国では普通の人間からも認識されているとかほざいていたけれど、どうせそんなものは何かの詐術に決まっているの。余計に本物のありがたみを感じさせるだけなのよ。
でもまあ、やっぱりむかつきはするの。
あの女に陽が構った分の補填は必要なの…………断固として要求するのよ。
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