五十八話 見えざる魔女たちと女神の国の狂信者
「えっと、今度こそこれで終わり?」
「そうなるの。残敵掃討はする必要があるし、あくまで獣共の拠点を一つ潰したに過ぎないけど…………この拠点に限ってはこれで終わったに違いないのよ」
いつの間にか僕の傍に戻って来ていた結が呟きに答える。
「そっか」
それでも僕は実感が湧かなかった。絶望的だった人類の状況で初めて好転をもたらすことのできた成果を前に、僕はそれが本当なのだろうかと疑問に思ってしまっていた。
もちろん成果には必ず苦労が伴うものではないことは僕もわかっている。しかし晴香がやって来てからここまでを彼女らの諍い以外のトラブルもなく辿り着いてしまったのだ。順調すぎるがゆえにその結果に重みが感じられずに実感が得られない。
念願の成果にはそれなりの苦労が伴って欲しい。
そう願うのは余りにも贅沢なのはもちろんわかっている。わかっているのだけれどそのせいで伴わない実感が本当にこれで大丈夫なのだろうかと、人類は救われるのだろうかと不安を訴えて来る。
「陽、大丈夫なの」
そんな僕を諭すように結が語りかけて来る。
「簡単に思えるのはわたくしたちが強すぎるだけなの。それに何の苦労もないわけじゃなくて見えざる獣が現れてからの人類の長い努力があったからこそここに辿り着けたの…………あの時人類が諦めていたら陽が生まれることもなくわたくしたちはここにいないの」
「そっか、そうだよね」
これまで人類が、結たち見えざる魔女たちが種を存続させて来たからこその結果なのだ。それを僕が簡単すぎて実感が湧かないなんて思うのは余りにもおこがましい…………これまでの多くの人達に後押しされての結果なのだから。
パチパチパチパチ
そこに拍手が響く…………誰が、と疑問に思い音の方へと視線を向ける。拍手とは他者への賞賛として送るものだ。つまり僕や結たちは送られる側であって拍手をする側ではない。だとすればその拍手は僕ら以外の人間の手によるものとなる。
「おめでとうと、言ってあげますわ」
僕のいる場所から遠い、女王獣の立っていた辺りにその少女はいた髪は金髪でカールを巻いているが目の色は黒いから染めているのだろう。
着ているのは修道服という奴だろうか? 歴史の授業で海外の宗教関係者が着ていたものとして見た覚えがある…………そんな少女が一体どこから現れたのか。この獣の巣には遮るものなどほとんどないから身を隠すのは難しい。だとすればやはりこの少女も見えざる魔女で、その力で潜んでいたという事になる。
「君は、誰?」
つい警戒したような物言いになってしまったのは、少女の浮かべるその笑みがこちらを見下しているように感じられていたからだ。
「私は比江鳥環奈申す者ですわ、救世主様」
「きゅ、救世主?」
じっと向けられる視線にそれはもしかして僕の事だろうかと驚いて少女を見返す。冗談かと思えるような言葉だが、僕を見る少女の笑みには先ほどのような見下すような印象はなく真摯に訴えているようにすら感じられた。
「あの女の考えそうなことなの」
結が汚いものでも見たように顔をしかめて吐き捨てる。あの女、という言い方からして環奈と名乗った少女の事ではないのだろう。つまりは環奈に指示してこの場に来させた別の女がいて、結にはそれが誰か心当たりがあるのだ。
「我らが女神様をあの女呼ばわりとは不敬にもほどがあるわよ」
「女神さまと来たの」
結のその顔は嘲笑を通り越して呆れになったようだった。
「エセ聖女様も随分と出世したものね」
皮肉めいた口調で夏妃がそれに続く。
「あらあらそんなに馬鹿にしちゃ駄目よ夏妃ちゃん、例え偽物でも何かに縋りたい人にとっては本物に見えるんだから」
「そうですね、ごめんなさい姉さま」
さほど反省もしていない口調で夏妃が謝罪するが美優もそれを咎めない。二人も結同様にその女神様だか聖女様を知っていて…………それでいて良い感情を抱いていないのは明らかだ。
「は、張りぼてに縋っても、壊れるだけ、ふひひ」
さらには切歌まで皮肉を口にする。
「不敬者どもめ、どうやら神罰を恐れてはいないようですわね」
「はっ、神罰とか言いながらお前の実力行使だろうが」
呆れるように晴香が両手を開いて首を傾ける。
「つーか、もう一人いるんだろ…………隠れてねえで顔出せ顔」
「えっ、もう一人?」
僕は思わず周囲を見回す。
「私らの力は応用が利くとはいえ使い方に向き不向きはある。攻撃向きじゃない隠蔽系の力であればそれを攻撃に転用するには一捻りの工夫が必要で、攻撃向きの力に比べてテンポか威力が犠牲になるもんだ」
例えば切歌の場合は一度潜ませたものを解放する形で攻撃に転用している。しかしそれには一度潜ませるという準備が必要だし、相手の近くに潜ませたものを投擲するなどの行動も必要だ…………結のように一手で攻撃できる力に対しては明らかに不利だろう。
「ここまで私らに気付かれなかったのがそいつの力ならこんなあからさまな喧嘩は売って来ねえだろ。つまりそいつは私ら全員を相手にしても勝てると増長できるような力の持ち主で、そんな馬鹿を潜ませて連れてきたもう一人がいるんだろうよ…………つーかお前の力なら見つけられるだろうからよく見ろ」
「あ、うん」
僕にできるのは見る事だけだ。それを自覚したばかりなのにまず見ようとしなかったのは自省するしかない。
「その必要はない」
けれど僕が見ようとする前にもう一人の声が響く。それと同時に環奈の横に見知らぬ少女の姿が現れる。環奈と同じく修道服で髪は金髪だけどやはり黒目で、髪は短くまとめている。ただ彼女は環奈とは違い笑みを浮かべてはおらず無表情だった。
「救世主様の手は煩わせない」
「はっ、それなら指摘される前に最初から姿を出しとけってもんだ」
「…………」
即座に飛ばした晴香の皮肉に少女は無言で返す。
「えっと、君たちは何者なのかな?」
そのまま一触即発となる前に僕はまずそれを尋ねる事にした。結たちは見当がついてるみたいだけど僕は知らないし、聞くなら彼女らに直接尋ねたほうが早いだろう。結たちが彼女らに良い感情を抱いていないのは明らかだし、出来れば両者から話聞いて判断したい。
「まず私は霧島涼子」
「うん」
「私達は女神の国の聖女」
「…………女神の国?」
先ほどの話からすれば女神と呼ばれる見えざる魔女の統べる国、という事だろうか。そしてそこでは目の前の少女達は魔女ではなく聖女を名乗っている?
「そう、私達に救いを与えてくれた偉大なる女神様の治める国」
そう語る涼子の表情は先ほどまでの無表情ではなく、それを語ることだけでも誉れであるというように恍惚に満ちていた…………申し訳ないが僕は少し気持ち悪さを感じた。
僕は宗教を知識としてでしか知らないが、彼女らはそれが危険視される要因の一つであるらしい狂信者という奴なのだろうか。
「…………洗脳されてやがるのよ」
僕にだけ聞こえる声で結が呟く。妄信的な女神への信頼。絶望的な状況程宗教は広まりやすいと教わったし、当時の見えざる魔女の状況を考えれば間違いなく当てはまる。
宗教家と普通の人間では正しさの基準が異なるらしい。だからどれだけ間違っていることを訴えても通じないし、自分達は正しいことをしているのだから罪悪感を抱くこともないのだと。
「…………それで、その女神さまが僕を救世主と?」
「はい、あなたを悪辣な魔女たちから保護して連れ帰るように命じられました」
「はっ、結局あの女も自分を見てくれる男が恋しいだけなの。女神を名乗りながら人の男を取ろうなんて実にあさましい女なのよ」
「女神さまの崇高なお考えをお前のような俗物の浅い思考で図るな」
涼子が冷たく結を睨みつける…………もちろん結は気にした様子もなく、むしろ怒る彼女を憐れむような表情すら見せていたが。
「そうですわ、お前達のような下賤な魔女共が女神さまの思考を図ろうとすることすら不敬です…………それにお前達は一つ勘違いをしていますわ」
「勘違いだ?」
横から口を挟んだ環奈に晴香が聞き返す。
「救世主様がわたくしたちを見えること自体は大して重要ではないのですわ…………なぜなら女神の国では聖女でない人間とも互い認識しあって共に暮らしているのですから」
「なっ!?」
僕は思わず動揺を顔に浮かべる。それは見えざる魔女にとっての悲願のはずだ…………それが彼女たちの国では叶っている? もしかしてそれが出来るからこそ女神は魔女たちから妄信されるほどの求心力を持てたのだろうか。
「女神さまは私達を導いて人々を見えざる獣共から守り、自分を信じる者たちに救いを与えてくださいました…………そしてついに見えざる獣をこの世界から駆逐する足掛かりをも示してくれたのですわ」
「それはあの女ではなくわたくしたちと陽の功績なの…………さらっと横取りしようとしてんじゃねえのよ」
「お前達魔女が救世主様を騙して利用した結果でしょう?」
そう答える環奈の表情には何の負い目もない。彼女にとって女神から伝えられたそれこそが真実であり、本当に功績を横取りする意識などないのだろう。純粋に悪辣な魔女に利用された救世主を助けるつもりでこの場にやって来ているのだ。
「ですが慈悲深い女神さまはお前達のような相手にもチャンスを与えるようおっしゃいましたわ…………首を垂れ、これまでの行いを悔い改めるのならば国に迎えても良いと仰せです」
それは他ならぬ見えざる魔女にとってはとてつもなく魅力的な提案なのではないだろうかと僕は思う…………それくらい孤独から解放されて他の人達と暮らせるという事には価値があるはずだ。この話を受け入れれば僕一人だけではなくもっと多くの人達と交流することが出来るようになるのだから。
そして僕は結たちの返答を待つことしか出来ないし、それ以外をするべきではない。
断罪を受ける衆人のような心持ちで、僕は皆の反応を伺った。
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