四十五話 見えるだけの彼の払ったある意味軽くてとてつもなく重い代償
「お帰りなの」
「…………ただいま」
そう答える僕の表情は芳しいものではなかったのだろう。僕を見る結の眉が顰められ、不愉快そうにその視線が僕の後ろへと向けられる…………そこには僕に続いて倉庫へと入ってこようとする晴香の姿があった。
「陽の表情をこれだけ曇らせるとはなかなかいい度胸をしているの…………その首を差し出しに来たことだけは褒めてやるのよ?」
「はっ、出来ねえことを脅しにしても意味がねえんだよ」
まるで怯む様子もなく晴香は僕の前に出て、結と対峙する。
「出来ないと思い込むのは自由なの」
激昂せずむしろ冷淡に、けれどその手にはナイフを握って結が返す。
「そもそも、怒っているのはわたくしだけではないのよ?」
「!?」
僕が慌てたように周囲を見回すと美優と夏妃、それに舞までも睨むように晴香を見ている。切歌の姿だけがすぐに見つからなかったが、晴香の死角となる位置に潜んでその隙を伺っているのを僕は見つけた。
「私は晴香ちゃんとも仲良くしたいけど…………お姉さんとしては弟君を優先しないとね」
「ニーサマの敵は消します」
「陽おにーさんを虐めたら、いけないんだよ?」
「王子様を、私が、守る」
「実に見事な意見の一致なの。それを成したお前の手腕を褒めてやるの」
皮肉気に結が晴香を見やるが、当の彼女は意に介した様子もない。
「まあ、こうなるのはわかってた」
予想通り過ぎる反応に、さして面白くもなさそうに晴香は鼻を鳴らす。
「だから私は当然その対策をして来た…………だからのこのことお前らの前に姿を晒してやったんだよ」
それくらいわかれと言うように晴香は見下すように皆を見る。
「本気で死にたいらしいの」
「私を殺せば昼月陽は死ぬ」
「…………陽」
じろりと結が、いや舞を除いた三人も信じられないというように僕を見る。
「自分の命を引き合いにするような約束だけは絶対にするなと忠告したはずなの」
「…………ごめん」
僕には謝ることしか出来ない。確かに結たちからは命を引き合いにするなと固く忠告され入れたのだけど、自分の安全の担保にするだけの価値があるのは僕の命以外には存在しないと断言されてしまったのだ…………それ以外の条件であれば必ずあいつらは裏を突いて殺しに来ると言われれば納得するしかなかった。
僕は結たちを信じているけれど…………だからこそ僕に見せようとしない黒い部分があることも知っている。彼女らの晴香に対する恨みようからすればそんなことはしないと断言はできなかったのだ。
「ぐぬぬ、でも約束に縛られるのは魔女だけのはずなの…………お前を殺しても陽には影響ないはずなのよ」
「それは勘違いだ」
無知を嘲笑うように晴香がきひひ、と笑みを浮かべる。
「世界に近しい存在であるから見えざる魔女が約束に縛られるというのは正確じゃない、正確には約束をさせられているのは世界そのものの方なんだよ…………私達は世界の中核である世界そのもののシステムに片足突っ込んだ存在だからな。私達が交わした約束は世界そのものが交わした約束に等しいってわけだ」
「言い換えただけではないの?」
「大いに異なる」
晴香はそう断言する。
「世界が交わした約束であるという事は世界そのものがそれを守ろうとして来るってことだぜ? 当然それは強制力となって世界のシステムに繋がった私達だけじゃなくてこの世界に存在する全てに対して影響を及ぼしてくる」
「陽も例外ではないという事なの?」
「むしろその強制力に関して言えばそこらの一般人に対してより強く働くだろうな。私たちほどじゃないにせよ、そいつが常人よりも世界に近い存在なのは間違いねえんだから」
僕は見えざる魔女ではないが彼女らや獣が見える。つまりは見えざる魔女のように世界のシステムに片足突っ込むほどではないにせよ、指の先くらいは触れているのだろう…………その分受ける影響力も大きいという事か。
「どっちにせよ約束の履行を求められるのは変わらねえからな。命を取り立てるのに車が突っ込んで来るかトラックが突っ込んで来るかの違いくらいだと思った構わねえと思うぞ? それで死ななくてもお代わりは来るだろうしな」
例えその場を凌いでも、一度だけではなく約束が履行されるまで世界は何度でも殺しに来るという事なのだろう。
「そんなわけだが…………それでも私を殺したければやればいいぜ?」
「必ず出し抜いて殺すの。殺せないなら泣いて謝らせるの」
「それならそれで私の知らねえ知識が埋まる…………大歓迎だぜ?」
それでも自分が死ぬとは思っていないからのセリフだ…………これだけの殺意に囲まれがら晴香は本当にいい度胸をしている。
「おい」
そこに夏妃が割りこんで声を掛ける。
「なんだよシスコン…………ああ、ブラコンにもなったんだっけか?」
嘲笑するように自分を睨む夏妃へと晴香は視線を向ける。
「で、何の用だ」
「ニーサマに他に何を要求した」
「聞いた通り命の保証を頼んだだけだが?」
「そんなものは前提条件のはずよ」
断じて夏妃は晴香へさらに険しい視線を向ける。
「どうせそれを前提として自分の要求も通したんでしょ?」
「ふん、シスブラコンでも頭の出来は悪くねえみたいだな」
感心した様子で晴香が夏妃を見るが、その表情は明らかに上から目線で向けられた夏妃は不快そうに顔をしかめていた。
「口止めはしてねえから別に私じゃなくてあっちから聞いてもいい話なんだがな…………まあ、あいつだと言いづらいことだろうから私が答えてやる」
きひひ、と結たちの反応を予想したのか楽し気に晴香が嗤う。
「ちょ、ちょっと待った」
「あん? お前が自分の口で言うか?」
「それは…………」
思わず止めてしまったけれど晴香の言う通り自分で口にはできそうにない。
「あらあら、晴香ちゃんは弟君に何を要求しちゃったのかしら…………お姉さん、とても気になるわね」
美優のその声色は後半になるにつれ平坦になっていた。
「今さら何を要求していたところでこれ以上罪状は上がりそうにないのだけれど…………とっと言うのよ」
殺意はすでに最大値だと言わんばかりに結が促す。
「なに、私の求める事なんざお前らも知っての通り知らない知識を埋める事だ…………その為にそいつには子作りを要求した」
「「「「あ?」」」」
舞を除いた四人の声が重なった。舞一人だけはコウノトリがどうの呟いているのが聞こえるから、後でちゃんとした性教育が必要なのかもと僕は現実逃避気味に思った。
「殺す、殺すの。何よりも許せないのはわたくしよりも先にお前と子作りをすることを許容した股間の軽い男なの…………晴香を殺してみんな一緒に死ぬのよ」
「んふふ、お姉さんは弟君をそんな風に育てたつもりはなかったのになあ…………これはもう一度最初からやり直すしかないかも」
「ニーサマ、不潔です。不潔な部分は斬り落とす必要があると思います」
「お、王子様、信じてた、のに…………ふひひ、ふ、ふひひ」
「えっと、えっと、よくわからないけど駄目!」
舞だけはよくわかっていないようだけど結たちはとてつもなく暗い気配を漂わせている…………これって僕に言い訳する時間はあるのだろうか。
「きひひ、早合点するんじゃねえよ」
そんな結たちの反応を満足そうに見ながら晴香が声を掛ける。
「これ以上囀るな、なの」
「私が孕ませろと要求したのはお前らも含んでるぞ?」
「「「「!?」」」」
その言葉と共に殺意が霧散とまではいかなかったが停滞した…………とりあえず、いきなり殺し合いとはならなそうで僕は安堵する。安堵するけどこの後自分がどうすればいいのだろうかと途方に暮れているのは変わらない。
「私としては見えざる魔女の特性が子供にも受け継がれるかどうか興味がある。そしてその為のサンプルは当然一人じゃ足らねえからな…………お前らとの子作りも条件に入っていてそいつは快く承諾してくれたぜ?」
快くではない。殆ど脅しに近かったと僕は反論したかったけれど、この空気の中でそんな真似をすればどうなるかは火を見るよりも明らかだった。
「まあ私としても自分の子供を産んで育てるってことにも当然興味はあるが…………別に順番はお前らの後で構わないぜ?」
きひひ、と笑いながら晴香は結たちをそれぞれ見回す。
「ま、まあわたくしとしてはそんな約束が無くとも溢れんばかりの魅力で陽が篭絡されるはずではあるのだけど…………そんな約束をされてしまったのなら順番を逆にするのもやぶさかではないの」
僕から顔を背けながらもちらり、ちらりと羽織る布を開いて結はその内の肌色をアピールして来る。
「お、王子様の、変態、えっち、ふひ、ふひひひ」
とても恥ずかしそうに、とても嬉しそうに両手を頬で抑えて切歌が僕を見ていた。
「んふふ、困ったわ。それじゃあお姉さんじゃなくてお母さんになってしまうわね」
全く困っていない表情で美優がこちらを見る。
「ニーサマ不潔です…………ですが夏妃はそんな不潔なニーサマで悪い妹になってしまうようです」
なまめかしく、禁断の扉を開いたような背徳感を浮かべて夏妃が僕を見る。
「最初はどうなる事かと思ったが、仲良くなれそうじゃねえか」
予定通りと笑いながら晴香は僕を見る。
「精々頑張ってくれよ、色男」
「…………」
この収拾を僕にどうつけろとういうのだろうか?
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