二十九話 ぬいぐるみに真剣に話しかける彼と眠り姫
結のベッドで眠り続ける舞を見守りながら僕は彼女をどうすべきかを考える。眠るその姿は僕よりも年上にすら見えるその少女の心は幼い子供そのままで、唯々《ただただ》無邪気であるがゆえにどこまでも残酷で大きな罪を犯した…………そしてその罪を彼女は知らない。
僕の理性は合理的な判断の下に舞を排除すべきだと結論付けている。確かにジャックという懸念材料はあるけれど、それは蜂の巣を除去するのにまず危険な蜂にどう対処しようかという程度の問題でしかない。排除すると決めたのならその方策を考えるだけなのだ。
とは言えそれは防衛隊の訓練で育まれた隊員としての思考だ。昼月陽という人間の個人的な感情としては舞をできれば助けたいと思う…………そういう意味ではこの状況は好都合ではあった。ジャックの存在があるおかげで舞を殺す以外の方法でどうにかしなくてはいけないといういい訳が出来るのだから。
しかし問題は舞に今回のような事をさせないためにどうするか、だ。
例えば僕が東都の住民に手を出さないようにしっかりとお願いすれば恐らく舞は聞いてくれると思う…………ただ、それは東都の住民が僕にとって大切な人形なのだと彼女認識させることでもあり、もしもまた舞が僕らに敵対しようとした時には住民が人質になる可能性がある。
それにそんな事態にならずとも子供は悪戯をするものだ…………これくらいならきっと許してくれるだろうと東都の住民を利用した悪戯を仕掛けてくる可能性は十分にあるだろう。
それを防ぐ一番手っ取り早い方法は東都の住民が人形などではなくちゃんとした人間なのだと舞に認識させることなのは間違いない。長い孤独の中で彼女は人々が自分を認識してくれないのは彼らが人間ではなく人形だからなのだと思い込むようになった…………その思い込みを解けば彼らを人形として乱雑に扱うこともなくなる、はずだ。
けれどその場合舞は自分自身で自覚していなかった大きな罪に向き合うことになる。自分が守るべき人々を人形として扱ったせいで死なせてしまったという事実に
子供と変わらぬ心のこの子が耐えられるとは思えない…………その時に彼女が自責の念から死を望むのか、それとも自棄になって何もかもを壊したくなるのか僕にはわからない。
「…………やっぱり長い目で見るしかないよな」
幸い結も切歌も舞を殺さず、恐らくは美優と夏妃に対する戦力として取り込む方向へと方針転換したようだ。それであれば舞を東都の住民に手を出さないように説得した上で妙な悪戯をしないよう二人に見張って貰うことはできるだろう…………その間に少しずつ舞と交流して彼女の心を癒していくしかない。
いきなり現実を直視させるのではなく、僕らとの交流を通じて自分自身の目で現実を見ようとする意志が生まれれば、きっと罪を自覚しても悪いようにはならないはずだ。
「…………」
眠る舞の頭に自然と僕は手を伸ばしていた。ゆっくりと頭を撫でてあげるとその寝顔が少し安らいだような気がする。それに僕も少し唇が緩む…………そしていつのまにかベッドの向こう側にジャックが立っていることに気付いて、僕は思わず体をのけぞらせた。
今は子供ほどのサイズに戻っているが、それが巨大化したり鋭い詰めを振るったりできる事を僕は知っている。
「…………っ」
反射的に声を上げそうになったのを僕は必死に堪える。ここで悲鳴を上げれば結と切歌が駆けつけてジャックと戦闘になりかねない。まだ僕はあの熊のぬいぐるみに何をされたわけでもないのだから、ここで二人に誤解させるわけにはいかなかった。
「ジャック、僕らに舞を傷つける気はもうないよ」
まず早急にこちらの今の姿勢を明らかにする。美優はその旨をきちんと伝えておくと請け負ってくれたが行き違いになっている可能性もゼロではないし、改めて僕の口から明言しておくことは必要なはずだ。
「それに僕は舞を助けたいと思ってる」
僕は真っ直ぐにジャックを見つめる。熊のぬいぐるみには表情はまるでなく、ただそこに置かれているようにしか見えない…………それに真剣に語りかけるという自分の正気を疑いたくなる状況ではあるけれど、今は彼に意思がある事を疑うことなく真摯に語りかけなくてはならない。
「君だって、彼女がこのままでいいとは思っていないはずだよ」
正直に言えばジャックがそこまで思っているか、思えるだけの人格があるかどうかはさっぱりわからない。けれど今はそんなことは関係ない、舞にそのままでは彼女自身の不利益となるような欠陥があって、僕にそれを直したいという意思がある事が伝わればいい。
「このままじゃ、舞はいつか自分自身で破滅するか誰かに排除されることになる…………それを僕はどうにかしたいし、その為にも君に協力して欲しい」
じっと僕はジャックの目を見つめる。その無機質な黒い瞳は何の感情も込められていないように、けれど僕の目を正面から見返したように見えた…………すっとその手が上がって僕の方へと伸びる。一瞬結へジャックが攻撃した時のことが頭に浮かぶが、なんとか恐怖心を押し殺した僕の目の前でその手が止まる。
「えっと、握手ってことでいいのかな?」
尋ねる僕にジャックは反応を見せず、僕は恐る恐るその手を握る。
約束
その瞬間にそんな声が聞こえた気がして僕はもう一度ジャックの顔を見るが、そのクマのぬいぐるみに相変わらず表情の変化はない。
「うん、約束する。僕は舞を必ず助ける」
けれど僕はそれを幻聴でないと思うことにし、そう答える。
「ええとそれで具体的に君に協力して欲しいのはこの東都の住民に対しての事なんだ。もちろん今回のようなことが無いように僕からも舞には頼むつもりだけど、君からも今回のようなことが起こらないように彼女を説得して欲しい」
長い孤独の中で唯一の友達であったジャックのいう事ならば舞も聞くだろう。それに彼は戸惑ったように顔を揺らしたように見えたが、こればっかりは僕も折れるわけにもいかない。内憂外患は放置できないし、もし事が起これば舞にさらなる無自覚な罪を犯させることになってしまう。
「…………」
ジャックは変わらぬ表情で、しかしその全身は何かに抵抗するように揺れ続ける。この熊のぬいぐるみは結によれば舞が大切に持っていたそれを魔女になる際に世界に刻み込んだものであり、その結果物理法則と同じようにこの世界に存在していて当たり前の現象となってしまっているらしい。
そんなジャックの存在理由というか、何を目的とした存在であるかを考えるとそれは舞の友達であり庇護者だろう。恐らく舞はジャックを世界に刻み込む時に彼をぬいぐるみとは考えず大切な友達…………それも対等な関係ではなく彼女が甘えられて頼れる友達として刻み込んだはずだ。それゆえにジャックは自我を持ち、舞を守りその全てを肯定する。
だからこそ彼は僕の頼みに葛藤しているのだ。舞が東都の住民に危害を及ばせるような頼みごとをしても断るというのは、彼女を守るために必要な事ではあっても彼女の望みを肯定する存在としては矛盾してしまうから。
パタリ
その矛盾に耐えかねたようにジャックが横へと倒れる。けれどその右手がぷるぷると持ち上がり、親指の爪が一本だけ伸びる…………恐らくサムズアップの代わりなのだろう。辛うじて彼はその存在理由との矛盾に耐えきることが出来たという事なのか。
その覚悟に、僕はきちんと答えなければならない。
□
舞にとって世界というものはとても難しい。舞は楽しく遊んでいたいだけなのに、どうしてかみんなは舞を見るととても困ったようなお顔をする。おとーさんとおかーさんは舞には笑顔を向けてくれるけど、舞がいないところでは悲しい顔をしている時が多かった。ごめんなさいっていったい誰に謝っていたんだろう?
お友達ができない舞におとーさんはジャックを連れて来てくれた。ジャックは舞より少し小さいくらいの大きさで、抱きしめるととてもふかふかしていた。その日から舞とジャックはずっと一緒だった。
よくわからないけど人がたくさんいなくなってるっておとーさんとおかーさんがテレビを見て言ってた。避難しないとって舞とジャックは車に乗せられて…………気が付いたらおとーさんとおかーさんはどこかに行っちゃった。でもしばらくしたら知らない人が舞を避難所ってところに連れて行ってくれて、そこには知らない人がもっとたくさんいたの。
知らない人がいるところでは大人しくして、大きい人の言うことはちゃんと聞きなさいっておかーさんが言ってたから舞はそうした。そうしてたら適正審査とかいうのを受けなさいって言われて、しばらくしたら適性があるって言われた。適正って舞にはよくわからなかったけど、こんな子をとか、手段を選ぶ余裕はないとか大きい人たちは言ってた。
それから舞は避難所から研究所ってところに連れて行かれた。そこには舞と同じくらいの女の子が一杯いたけど、みんなやっぱり舞を困ったような顔で見た…………でもいいの、舞にはジャックがいるから。
研究所では美味しいご飯をたくさんもらえたけど、また何回か検査とかいうのをされた。その時にもやっぱりこんな子をとか仕方ないとか大きい人たちは言ってた。でもしばらくしたら白い服を着たお姉さんが舞にお話をしてくれた。
これから舞は他の女の子達と一緒に上位存在っていうのになるんだって。それになったら大変なことになってる世界を助けることが出来るし、いなくなったおとーさんとおかーさんを見つけられるかもって教えてくれた…………だからジャックと一緒に頑張るって舞は言った。
実験のことは舞にはよくわからなかった。皆と一緒に大きい部屋に入れられて、気が付いたら暴れ出した子たちがいて研究所が沢山壊れた。その子たちは舞も壊そうとしてきたけどジャックが舞を守ってくれた。知らない内にジャックは自分で動けるようになってて舞はとても嬉しかった。
ジャックは舞を守ってくれたけど研究所は壊れちゃった。女の子達も何人も動かなくなっちゃって、大きい人達もみんないなくなっちゃった。それで残った女の子たちは担当のシェルターっていう所に移動してそこに居る人たちを守らなくちゃいけないって…………舞にもここを守るんだよって地図をくれた。
舞はおとーさんとおかーさんを探したかったけど、おかーさんは大きい人たちの言うことは聞かなくちゃいけないって言ってた。大きい人たちはもういないけど、女の子達は大きい人たちがそうしなさいって言ってたって教えてくれた…………だから舞はおとーさんとおかーさんを探すのは後にすることにした。
舞には地図の見方はよくわからなかったけど、ジャックが連れて行ってくれた。でもそのシェルターって場所に行ってもだれも舞に気が付いてくれなかった。舞が目の前に立っても話しかけてもみんな舞がいないみたいに振る舞うの…………とっても不思議で、少しし寂しかったけど舞にはジャックがいるから我慢した。
シェルターには時々変な動物がやってきて皆を襲おうとしたから、ジャックにお願いして皆を守って貰った。でもみんなその変な動物にもジャックにもきづかなかったみたい。
それから一杯時間が過ぎて、シェルターはとっても大きな街になった。その間もずっと変な動物はやって来るし、誰も舞には気づかない。ジャックはいるけどそれでもやっぱり誰も舞を見てくれないのは寂しい。大きい人もいつまで舞がここを守ればいいのか答えてくれないから、おとーさんとおかーさんも探しに行けない。
舞は、いつまでここにいればいいんだろう?
それからどれくらい時間が経ったのか舞は覚えないけど、舞はやっとわかった。誰も舞に気づいてくれないんじゃなくて、そもそも気付けるように出来てなかったんだ…………昔テレビで見たことがあったのを思い出した。みんなロボットっていうお人形だったんだ。ロボットは作った人に言われた事しかできないって言ってたから、きっと舞のことは聞いてなかったんだね。
お人形ならもう守らなくていいし、少しくらい遊んだっていいよね?
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