二十四話 立ち直りの早い全裸の魔女と影の薄い魔女
僕の目から見える結の動きはほとんど瞬間移動だ。熊のぬいぐるみに攻撃されたかと思うと別の場所にいて、その次の瞬間には反撃に移っている。僕にできるのは起こった状況から彼女が何をしたのかを推測することくらいで、遅れて状況を把握しても介入の余地はない…………ただ、結が熊のぬいぐるみを蹴り上げたその瞬間だけは違った。
ジャックと呼ばれたそのぬいぐるみが宙の彼方に消えると同時に、無数の糸がまるで滝のように空から降ってきたからだ。
「結! 上から糸!」
咄嗟に叫んだのは彼女がまるで上を気にしていなかったからだった。あれが東都で人々を操ったのと同じ糸ならば見えるのは僕だけ…………だから慌てて叫んだ。
僕の声に結は僅かに上を見上げて舞へと視線を戻した。回避よりも攻撃を選んだのだとすぐに分かった。
故にその後の結果は僕のせいなのだろうと思う。
糸は結に向かってだけではなく舞に向かっても降っていた。僕は咄嗟に結の安全を優先して彼女の危険のみを伝えたのだ…………だから舞を守るように降りていた糸を知らない結は攻撃を選んでそのナイフの一振りを弾かれた。
「しくじったの」
その瞬間に自身で察したのか結が自嘲し…………その体に糸が降り注ぐ。
◇
考える時間が合ってもそれを有効に使えなくては意味がない。なまじ時間があるせいで思慮が浅くなっていたのだと、舞の首を刎ねるはずだったナイフが弾かれた瞬間にわたくしは気付いたの。
わたくしには伸ばされた時間があるけれど陽には普通の時間が流れている。
そのことをきちんと意識していれば、端的にわたくしへ警告するために言葉から何を省いていたかを想像することが出来たはずなの。そしてあの熊のぬいぐるみの存在理由を考えれば、主である舞へとリソースを割かない理由がないという事に思い至ったはずなのよ。
それに見えない糸の事もわたくしは甘く見過ぎていた。考えてみれば何の力も持たない人々を操るためと魔女に対するものでは糸の強度が変わっていることくらい予想してしかるべきなの…………自分が戦闘に有利な力を持っている事に溺れた結果がこれなの。たった二度しか死線をくぐっていないくせに何を増長していたのかと恥ずかしくなる。
よし、反省終わりなの。
わたくしはじっくりと時間をかけて気持ちを切り替えることが出来た。失敗は失敗で反省してそれを次に生かせばいいことなの。それを失敗したその瞬間に自戒する時間を作れるわたくしの力はやはり有用なのよ。
そして反省したのなら次は窮地を脱する方法を模索しなくてはいけないの。舞への攻撃を弾かれたという事は見えない糸はすでに回避の間に合わない位置にある。
おそらく舞の保護を優先した分だけわたくしへの到達が遅れているだけ…………まあ、一応回避はするの。一歩移動するだけの時間が残されてさえいればわたくしは躱せるのだから。
「しくじったの」
けれどわたくしがその一歩を踏み出すよりも前に体中に何かが触れる感触。回避はやっぱり駄目だったの…………とりあえず状況を伝えるためにその一言だけ口にしておく。
この力の欠点は自分だけが思考を加速することによる他者との連携の取りづらさなの…………まあ、通じなかったとしてもどうにかなるのよ。
「あはは、おねーさん捕まえた!」
全身を糸に繋がれて動けないわたくしの姿に舞が喜ぶ。ただわたくしにとってそんなことはどうでもよく現状分析にただ努める…………どうやら糸は物理的にだけではなく精神的にも干渉してくるようなの。操られた東都の人々に意識が無かったのはこれが理由なのだろうけど、同じ魔女であるわたくしに通じるほど強くもない。
問題は物理的な拘束の部分なの。わたくしが最大まで自身の力を「伸ばし」ても糸は微動だにしない…………単純に力で負けているの。
わたくしの魔女としての力は世界に刻み込んだ「伸ばす」という想念を楔として世界そのものに介入して世界を改竄するもの。伸ばすという言葉に絡んだ現象しか引き起こせない反面、伸ばすという言葉さえ絡めるならどんな現象でも引き起こせるの。
それに対して舞はあのジャックという熊のぬいぐるみを世界に常に存在する現象として刻み込んだ。それはつまりわたくしのように世界に改めて介入する必要もなく常にその力が発動しているようなもの…………つまり早くて強いの。もちろん力の行使速度だけならわたくしも対抗できるけれど、舞は全ての力をあの熊のぬいぐるみに一点集中している状態なので単純な力比べでは負けてしまうのよ。
ただ、それに意味がないわけではないの。
わたくしに出来る限界まで力を伸ばして糸に対抗する。わたくしが全力で抵抗している間はジャックのリソースはわたくしに集中せざるを得ないの。
「意地悪なおねーさんには痛い目に遭ってもらうからね!」
「本当にお子様なの」
勝ち誇った笑みを浮かべる舞にわたくしは呆れて呟く。わたくしであれば捕らえた時点で即座に殺しにかかるの。どんな手管を残しているかわからない魔女相手に無駄に時間を与えるなど愚かすぎるの。
「ジャック! 爪で切っちゃえ!」
その声に応えるようにジャックの姿が私の背後に現れる。見えない糸は熊のぬいぐるみを形作っていた糸をほどいたもの、撥ね飛ばされたその瞬間にジャックは自身の身体をほどくことで地上に伸ばし…………今その糸を縫い合わせて元に戻ったというわけなの。
ただその一部は糸のままわたくしを拘束をしている。動けないわたくしにジャックはかぎ爪を伸ばして振り上げたの。
「潜ませる」
そしてそれよりも前に静かな暗い声が響いて舞の姿が地中へと消える。切歌の力であればジャックの繋がりからすらも舞を潜ませることは出来るはずなの。わたくしの他に切歌もいる事は知っていたはずなのに、熱くなると視野が狭くなる辺りが本当に子供なのよ。
「ふっ」
その繋がりが消えたからか自意識が存在するなら戸惑いなのか、爪を振り下ろそうとしていたジャックの腕が止まったの…………それと同時に糸の拘束も緩む。その隙を見逃さずわたくしは全力で右腕を動かし、握り続けていたナイフを伸ばして拘束する糸を断ち切ったの。
もちろん糸は未だに見えないけれど、こちらの身体を拘束する力を逆順すればどこから伸びているかの予想は出来るの。
「切歌、タイミングを合わせて舞を出すのよ!」
そのままわたくしは舞が消えた辺りへと走り始める。タイミングを合わせやすくするためにあえて一歩を伸ばすような真似はしない。ただ伸ばした脚力で走る。背後のジャックに動き出す気配はない。やはり自律していないのか、自意識はあっても舞が消えたことに戸惑っているのか…………どちらでもいいの。
ジャックに行動させることなく切歌が解放したその一瞬で舞の首を刎ねる。
切歌のタイミングは完璧だったの。彼我の距離が一メートルのところで地面から舞の頭頂部が浮かび上がる。わたくしはその浮上速度を正確に観測してナイフを横薙ぎに振るうとその刀身を伸ばす…………地上に首まで現れたその瞬間に刃が到達してその首を刎ねるはずなの。
その予測は外れることなく、さくり、と驚きに染まる舞の首にナイフが食い込んだ。
その瞬間に背後から凄まじい殺気が膨れ上がり、ナイフを最後まで振り抜く前に撥ね飛ばされてわたくしは宙を舞った。ナイフが舞から離れるぎりぎりまで傷口を「伸ばす」ように力を振り絞ったけれど、それが致命傷に届いたかはわからないの。
「やっぱり自律してやがったの」
受け身も取れずにわたくしは地面に叩きつけられ、背中の痛みに顔をしかめながら立ち上がる。見やればジャックが首から血を流す舞を抱き上げるようにしてこちらを睨んでいる。主の危機を感じた瞬間に一直線に舞へとわたくしを撥ね飛ばして突っ込んだと思われるの…………ギリギリまで動かないとか愚鈍なぬいぐるみなのよ。
「ごめん、潜ませそこねた」
「仕留めそこなったのはわたくしも同じなのよ」
横から現れた切歌は申し訳差なそうな表情を浮かべていたが、わたくしですらジャックに反応できずに吹っ飛ばされたのだから仕方ないの。むしろもう少しわたくしが早ければ終わっていたのだから、その後切歌がもう一度捕まえ損ねた責任などないに等しいの。
「結! 切歌!」
そこに陽が駆け寄って来る。
「仕留めそこなったの」
「…………うん」
複雑そうな表情で陽は頷いたの。この期に及んでも彼は舞を殺してしまうことに躊躇っている…………それは陽の美点であり欠点。とはいえここから彼女を助けようと言いだしたりはしないはずなのよ。
「…………勝てるの?」
「というかもう勝ってるのよ」
わたくしが答えると驚いたように陽は目を丸める。確かにわたくしは舞を仕留め損なったけれど、即死させられなかっただけで充分な傷は与えたの。
「もうしばらくすればあの娘は死ぬのよ」
それはもはやあの熊のぬいぐるみが何をしようが避けられない現実なの。
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