二十三話 全裸の魔女の慢心と過ち
ずっと陽にはベテランのように見せていたけれど、わたくしは別に戦いのプロではない。見えざる獣との戦いは長いけれどあれはほぼ作業と言っていいくらい単調で、やってくる獣をただ一方的に屠るものでしかなかったの。
つまるところわたくしの長い人生で命を懸けるような戦いは二度しかない。一度目は研究所での暴走した魔女たちとの乱戦…………あれはひどかったの。
誰も彼もが戦いなど知らない少女であったはずだけど、暴走した魔女たちは理性が飛んでいた分躊躇いなくその力を使って殺戮を振りまいた…………なまじわたくし達には理性が残っていたせいで対応が遅れたの。やらなければやられるのだとなりふり構わなくなるまでに、怯え戸惑うだけだった同胞たちが何人も殺されていくのを見たのよ。
二度目はわたくしに会いに来たかつての仲間との殺し合い。共に暴走した魔女たちと戦ったはずの彼女はそれ以上に悪辣な存在となってわたくしと再会したの。
その当時はまだまともだったわたくしは東都の住民を弄ぼうと誘う彼女に同調は出来なかった。それでも彼女はわたくしと敵対することを避けて東都を去る事を選んだの…………けれどわたくしはそれを見逃せなかった。災いの種は早めに摘まなければならないと、わたくしは彼女の不意を突いてそのまま殺しきったのよ。
わたくしは強い。
たった二度の戦いしかいていない身でありながらわたくしはそう自覚したの。なぜならその二度だけでわたくしの力は非常に戦いに向いていると理解できたからなの。恐らく初見ならわたくしが勝てない相手はほとんどいない…………もしいたとしても殺されずに逃げる事は可能だと思うの。
そしてそれは目の前の舞という魔女の力を理解しても変わらない。楽に勝てる相手ではないのは確かだけど、わたくしに倒せない相手ではないと判断できる。
「ジャック、やっちゃえ!」
舞の叫ぶ声。やっちゃえというのは随分雑な指示なの。けれど雑な指示だからこそ何をするかまでは相手に伝わらない…………というか指示が必要なのか疑問なの。あのぬいぐるみに自意識があるから指示が必要なのか、自意識はないけど行動させるトリガーとして指示が必要なのかは大きな違いになるのよ…………自意識があるなら最悪指示なしで行動する可能性をケアしなくてはいけないの。
とはいえ今はそれを置いておくの。わたくしにとって考える時間はいくらでもあると言えるけど優先順はあるの…………まずはあの熊のする何かを対処してから考えるのよ。
わたくしはじっくりとジャックの挙動を観察するの。ジャックは舞に抱かれたまま再生した右腕を掲げるようにわたくしへと向ける…………先ほどのように巨大化させてわたくしを圧し潰そうとするのだろうか? それならば簡単に避けられるの。
けれどどうやら違ったようなの。ジャックの右手はその大きさはそのままに爪だけが私に向かって伸びだした…………随分速い。それでも彼我の距離と五本とはいえ点の攻撃であることを考えれば避けるのは問題ない。その射線を正確に見定めながら外れる位置へと体を動かしておくだけなの。
「あれ? ジャックもっと狙わないと駄目だよ!」
わたくしがたっぷりと時間をかけて爪を回避すると、舞がそれに気づいて熊のぬいぐるみの失態を咎める。するとジャックは伸びきった爪を薙ぐようにしてわたくしを狙い、さらに残る左手からもわたくし目掛けて爪を伸ばした…………けれどそれをわたくしはじっくりと観察している。
僅かに屈んで薙ぎ払った爪を躱し、体を捻って新たに伸びて来た左手の爪を躱して前へと進む。
「もー、簡単に避けすぎっ!」
ぷんぷんと頬を膨らませて怒る舞のその姿は見た目とギャップがあって痛々しいの。それに簡単に避けすぎな事を怒られても困るの…………実際に簡単すぎるのよ。
わたくしは命をかけた戦いは二度しか行っていないけれど、その二度の戦いでわたくしなりに戦いの本質というものを学んでいる…………それはつまるところ戦いというのはいかに相手に不意打ちをうまく決めるかで決定づけられるの。特に互いの手の内が分からない初見であれば、それは不意打ちの押し付け合いという様相になりうるのよ。
例えば今のジャックの爪の攻撃にしたってわたくし以外の相手であれば反応できずに貫かれていた可能性が高い…………それどころか最初の右手を巨大化させた攻撃であっても不意を突かれて潰されたっておかしくはなかったの。
つまるところ戦いというものは相手の不意打ちをいかに躱してこちらが不意を突けるかに掛かっているの…………そしてわたくしの力はその応酬に対して非常に有利なのよ。
伸ばす
それがわたくしの見えざる魔女としての力。あらゆるものを「伸ばす」ことのできるその力は物体だけに留まらない…………例えば自分の体感時間を伸ばすようなことだって出来てしまうの。
体感時間を伸ばせば周囲の動きはまるで時間が止まったように緩やかに感じられる。わたくしはその緩やかに動く時間の中で状況を正確に見極めて自分がどう動くかを考えることが出来るの…………つまるところどんな攻撃であってもわたくしは不意を突かれることなく完璧な対応をすることが出来るのよ。
「もー、ジャック! 暴れて!」
わたくしがなんなく舞に接近しようとしているのに苛立ったのか、遂にはわたくし目掛けて彼女はジャックを放り投げる。ゆっくりと流れる時間の中でわたくしはその熊のぬいぐるみが少しずつ大きさを増していることを確認する。最終的にどこまで巨大化するかはわからないけれど、今度は全体が大きくなったジャックが自律して大暴れすると思われるの。
手っ取り早いのはジャックが巨大化する前に寸断してしまう事なの…………ただ、それには意味がない。なぜならあの熊のぬいぐるみは舞がその存在を世界に刻み込んだことでもはやこの世界に当たり前に存在する現象と化している。物を落とせば重力によって地球に引っ張られるのと同じように、あの熊のぬいぐるみはこの世界に当たり前に存在するものとして世界に認識されてしまっているの…………どれだけ破壊したところで何事も無かったように戻ってしまうのよ。
ただ、破壊することに意味ないわけではないと思うの。最初に切断した右腕はすぐには戻らなかった。ジャックの状態が普通ではなくなっていることに世界が気付くのにいくらかの時間が必要な可能性はある…………バラバラにすれば時間が稼げる可能性はあるの。
とはいえすぐに結論を出す必要はない。わたくしにはいかなる状況下でもじっくりと検討する時間の余裕があるの。思いついたことを検討し、却下し、また別の案を検討する…………うん、ぶっ飛ばすの。
方針を定めてわたくしは行動に移る。体感時間を伸ばすことの最大の利点は常に相手の行動を見極めて最善手が打てることだとわたくしは思うのだけど、二番目の利点としてその伸ばされた思考の中で魔女の力を使えることがあるの。
なぜなら魔女の力は世界に刻み込んだ己の想念を楔として、その意思によって世界に介入することで発動するものなの…………つまるところ体感時間を伸ばしてゆっくりと進む周囲の時間の中で思考できるわたくしは、一瞬の間に何度も力を発動できるのよ。
全身の筋力を伸ばし、強度を伸ばし、一歩の距離を伸ばす。
「ぶっ飛べ、なの」
一歩踏み出すだけでわたくしはジャックの眼前に立ち、膨らんでいくその体を垂直に蹴り上げる…………それと同時にその飛距離を「伸ば」した。この世界に刻まれた存在を消すことが出来ないなら存在したまま遠くへやってしまえばいいの…………いずれ戻って来るにせよそれまでに終わらせればいいだけなのよ。
「ジャック!?」
宙の彼方へ消えていく人形に舞が今度こそ悲痛な声を挙げる。その表情をわたくしはじっくりと観察する…………嘘ではないように思えるの。この場で唯一頼れる相手がいなくなってしまって不安に怯える表情なの。
罠でないと判断してわたくしは舞へとナイフを振りかぶる。見えざる魔女は常人よりも遥かな強靭な存在ではあるけれど…………首を刎ねて生きていけるほど頑丈ではないの。そしてわたくしたちと違いあの熊のぬいぐるみを世界に刻み込んだ舞には他に身を守る力はない。このまま伸ばしたナイフで首を刎ねて御終いなの。
ただ、流石にわたくしもその首を刎ねるまでをゆっくりと観察したくはない。だから狙いを定めて腕を動かし、それと同時に体感時間を戻そうとして
「結!」
ギリギリでその前に陽の声を聞きとめる。
「上から糸!」
引き延ばされた体感時間の中で彼の声を堪能しつつ、その意味を把握する。けれど視線を上に向けても糸は見えないの…………しかし都市内での一件を思えば確かに彼には見えているのだと判断できるの。情報はとても端的。それはつまりそれだけ切迫しているという事なの…………だとすれば糸はわたくしに向かって伸びていると考えるべき。
全く、見えないというのは実に厄介なの。見えなければいくら体感時間を伸ばして思考時間を確保しても対処法など見つけられないの…………だからここは素直に回避を優先するか、その糸よりも早く舞の首を刎ねるかなの。
「その二択ならわたくしは攻めるに決まっているの、よ!」
横薙ぎに伸ばしたナイフで舞の首を狙う。東都の住民を操っていた糸をわたくしは一太刀で切断できているのだから、その強度は大したことないと判断できる。
陽の声は切迫していたけれど、魔女ではない彼からすればただ大量の糸が伸びてきているだけでもそれが致命的に見えてもおかしくはないの…………わたくしはそう推測する。
そしてわたくしは、その賭けに負けた。
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