十六話 まだ全裸じゃなかった頃の魔女の話
あの頃のことはわたくしにとっても今や別の誰かの記憶のように感じられる。だってあの頃の自分は今のわたくしとはまるで違いすぎる…………それこそ別の生き物になったようなものなの。
唯一と言っていい名残はこの一人称くらい。名家に生まれたわたくしはその生活の豊かさに見合った教育を施されて育った…………きっとあのまま何事も無ければわたくしは両親の言われるままの進路を進み、最終的には家の格に釣り合った良家の婿をあてがわれて結婚していたはずなの。別にそれが悪いとは言わないし、当時のわたくしはそれを疑問にも思っていなかったのよ。
そんなわたくしが暮らした当時の世界はそれなりに平和だった。世界情勢には不穏な流れもあったけれど、大きな戦争をしている国もなく人々は平穏な毎日を送っていたの。技術や文化なんかは今とそれほど変わらない…………ただ、崩壊前の世界では世界中に人が満ちていたからみんな技術も競争し合って発展していた。それが今みたいな世界になってからは停滞してしまっているの。
もちろん全ての国が平和ではなかったけれど、あの当時の世界では多くの国々でそこに住む人々は幸福な人生を送っていたの。それくらいの余裕が人類にはあったのよ。
ただ、その何もかもはある日突然に現れた災厄が台無しにされたの。
見えざる獣によって引き起こされた最初の被害は原因不明の集団失踪として世間を騒がした程度だった。その当時の誰も彼もがそれが自分どころか人類全体を脅かす脅威だと気づくこともなく、それを退屈な日常を紛らわす娯楽のようにニュースを聞いては騒いでいただけなのよ。
それにそれからしばらくは見えざる獣による新た被害は起きなかったの。そのせいで関係者を除く人々の関心は次第に事件から薄れていった…………恐らく最初に事件を起こした獣は斥候だったのだろうと思うの。その斥候に対して何の対処をすることも出来なかったことで、人類は見えざる獣を認識することすらできない存在なのだと確認されてしまったのよ。
そして見えざる獣は大量の獣を送り込んで大規模な侵略を開始したの。それはもはや集団失踪のレベルではなく村ひとつ、街一つと、人どころかその場にあったはずの何もかもが消失していったのよ。
確かわたくしの両親もその頃に消えてしまったの。見えざる獣のその被害はその裕福さや権力によって防ぐことなど出来ず、唯々平等に人々に起こったの…………単純に、見えざる獣が侵略先として選んだその先にいたことが不幸であり全てが平等に消えていったのよ。
正直に言えばそれからしばらく先のことは覚えていないの。ただ周囲の大人に言われるまま他の大勢の子供たちと一緒に避難先を点々としていただけ…………正直に言えば両親が死んだ実感すらなかったのよ。目の前のことに精一杯でそのことを悲しんでいる余裕すらなかったのだと思うの。
それからも戦況は唯々悪くなっていくだけ…………そもそも見えざる獣が認識できない人類は戦う事すら出来ていなかったのだから当然なの。
出来る事はただ被害の出た地域から遠ざかる事だけで、大勢の人々を犠牲にすることで少数の人間を逃がすことしか出来なかったの…………ただ恐らくその頃にはあの科学者、葉山はすでに見えざる獣の存在を示していたはずなのよ。だけど存在が知れても対策手段が無ければただ混乱を招くだけ、情報が統制されていたと考えるのが妥当なの。
それからしばらくして適性検査とやらが行われたの。血液検査とかよくわからない機械で測定されて…………適正者と告げられたの。詳しい説明はされてもあまりよくわからなかったけれど、その実験を受ければ世界を救える存在になれるのだと聞かされたのよ。
一応その実験を受けるかの選択肢は与えられたけど、実際は選択しなどないようなものだったの。終わりが迫っている人類社会を救える手段を放棄することなど許されるはずもなかったの…………それに関わった誰もがわらくしたちが承諾することを雰囲気で訴えていたのよ。
そうして連れられて行った先の研究所にはわたくしと同じ事情の少女が集められていた。
その数はちょうど百人いるのだと後で教えられたの。
◇
「…………本当に百人もいたんだ」
以前に支倉司令から見えざる魔女について聞いた際にもその人数は聞いていた。その時にもいきなり試すには多すぎる人数だと思ったが、当事者である結たちも同じ数字を口にしているのだから本当にその人数だったのだろうと納得するしかない。
「そう、わたくしと同じ年齢の少女ばかりがそれだけの人数集められていたの」
「わ、私と結ちゃんが会ったのも、その時が初めてだったよね、えへへ」
「その通りなの。誰にも話しかけられず泣きそうな顔をしていたからつい話しかけてしまったの…………考えてみればその程度の仲なのよ」
「で、でも…………あ、あの時はすごく、嬉しかったよ、えへへ」
僕には想像するしかないが、そんな状況で集められた少女たちは不安で他者を気遣っている余裕などなかっただろう…………恐らくは結自身も誰かと話して落ち着きたいという打算があったには違いない。
けれどそれでも僕には結の性根の心優しさが見て取れるし、そのほんの僅かな時間で懐いてしまうほど切歌が嬉しかったのも理解できる。
「思い出してみれば生き残った魔女はその時点でも自分を保っていたような気がするの…………晴香なんてずっと職員を質問攻めにして困らせていたの」
「あ、あれはすごい、目立ってた、ね…………他の子に止められても、聞く耳持たず、だったし」
「厚顔無恥なの。ある意味尊敬するの」
どんな状況下でも自己を曲げずに突き通せるというのは確かに尊敬できるかもしれない。
「他にはどんな子がいたの?」
ふと興味を覚えて尋ねてみる。
「目立ってたのだと他にはエリカなの。集められた皆が不安がってるのをいいことに布教活動に勤しんでたの…………まるで水を得た魚だったの」
「布教って…………宗教って奴?」
「そうなの、使い方次第で毒にも薬にもなる劇薬なのよ」
僕も知識として知ってはいるがこの東都に置いて宗教は禁止されている。しかし人間禁止されると余計に知りたくなるものだからか、学生に対する授業で宗教に関する知識はその禁止の理由と共に叩き込まれる。
禁止の理由として大きなものは都の規律がぶれるのを防ぐためだ。閉鎖された都市でその法律よりも宗教の戒律を優先されれば問題が生じる。また都民は法律上平等ではあるが選挙で選ばれた都議や議長はそれを統べる為の権力を持っている…………それに都民が従うから都政が回るのであって、そこに教主などの別の権力者が混ざるのは大きな問題だ。
とはいえ、実際のところそんな理屈を並べなくとも神を信じようとする人間は稀だ…………なぜならこの都市の外には世界の終わりの象徴たる荒野が広がっている。宗教家たちの言うような神が存在するなら世界がそうなる前に人類を助けてくれただろうし、そうでないのだから仮に実在しても人類は神から見捨てられたという事になる。
「あの女は出来れば死んでいて欲しいの。生きていたらきっとその周りがろくでもないことになってるの」
「そ、そうなんだ…………」
流石に人の生き死には同意しづらいけれど、もしも結の言う通りになっているのだとしたら確かに大変な状態だろうとは想像できる。もちろんこんな状況の世界で神の存在を信じさせるのは容易の事ではないけれど、見えざる魔女の力を使えばその存在を演出できる可能性はあるかもしれない。
「まあ、きっとくたばってるの…………というかあの時ついでに殺しておくべきだったの」
「あの時って」
「それは今から話すのよ」
それは以前に話すのを保留にしていた部分だと思うのだけど、今日は話してくれるらしい。
「これから他の魔女がやって来ることを考えると、話しておくべきだと思うのよ」
そう呟いて結は小さく息を吐き、続きを話はじめる。
「集められてから数日経って、実験の準備が整ったと説明を受けたの…………見えざる獣の存在やその特性、それからわたくしたちが実験でどういう存在になるかはその時に説明されたのよ」
恐らくは考える時間を与えないためだろう。未知の実験に対するものなのだ。考えれば考えるほど悪い方向へ行ってしまうだろうことは僕にも想像できる。
「正直指示されるままに動いていただけで、研究者たちが何をしようとしているのかわたくしにはなにもわからなかったの」
「そ、それは私も同じ…………だよ」
「晴香なら何かわかっていたかもしれないけど、あの女は自分が知りたいだけで人に教えるような人間ではなかったの」
あくまで自分の知識欲を満たしたいというだけだったらしい。
「それで最終的に百人がガラス張りの広い実験室のようなところに集められて…………わたくしたちを見えざる魔女にする実験が行われたの」
「ちょ、ちょっと待って!」
聞き捨てならない言葉が聞こえて僕は思わず話を遮る。
「それって百人を一斉に見えざる魔女にしようとしたってこと?」
「そうなるの」
「そんな無茶な!」
普通に考えて実証されていない実験をいきなり人間に対して行うのもおかしいが、しかもそれを集めた百人全員にまとめて行うというのは常軌を逸している。普通に考えれば一人ずつ試してその結果を元に修正を加えていくものだ。
もちろん最初の一人には申し訳のない話だが、百人をまとめて行っていきなり全員が失敗という最悪だけは避けられる。
「もちろん無茶苦茶なの…………ただ、結果だけ見ればそれが正解だったの」
「正解って…………」
「もちろんそれは実験がうまくいったからじゃないのよ…………百%の成功じゃなかったから正解だったの」
「ごめん、よくわからない」
僕の読解力では理解できなかった。
「あなたはわたくしたちの実験の結果についてはどう聞いているの?」
「それは…………実験の結果はわからないまま研究所が崩壊したって」
支倉司令官が知っていたのはそれだけだ。以後見えざる魔女と思わしき存在によって都市の原型となるシェルターが守られたから、恐らくは成功して見えざる魔女が生まれたのだと推測されているだけだと。
「研究所の崩壊は暴走した魔女によるものなの」
「暴走…………」
「自我が無いものもいたし、あからさまに狂気に走った子もいたのよ…………それを実験の失敗とするならおよそ半数が失敗だったの」
見えざる獣の大軍を軽く薙ぎ払う力を持って暴走するおよそ五十名の少女達。それは確かに研究所の一つや二つ崩壊してもおかしくはない。
「だから、まとめて実験を行ったのよ」
「それって…………あ」
尋ねかけたところで僕は気付く。およそ半数が暴走したと結は言ったが、逆に言えば彼女を含めた半数は成功しているのだ。
「正気を保ったわたくしたちは暴走した魔女たちを止め…………全て殺したの」
自身と同じ境遇の少女達を殺したことを悲痛そうに結が口にする…………けれどもしも一人ずつ実験を行っていたならそれすら叶わなかった可能性があるのだ。
一人ずつ実験し、それで最初の一人目が失敗して暴走していたらそれを止める者もおらぬままに研究所は壊滅しただろう。その結果だけは同じではあるがその場合は成功した見えざる魔女が存在しない…………人類は終わっていた。
だから実験はまとめて執り行われた。仮に失敗して暴走する少女が生まれても成功した少女がいればそれを止めることが出来る…………ただ、その争いに巻き込まれた研究所や職員たちは無事では済まなかった。
そして同胞殺しを行わされた少女達は、その上で孤独な世界へと放り出されたのだ。
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