9 バイト面接
九 バイト面接
酔っ払い共は所長代理に対応を任せて目的の一つだったユマを連れて管理棟へ向かった。
本来であれば研究所内での飲酒の処罰として旧人類美術科は閉科してもいい状態だが、どうも毛色の違うこの学科は帝国からの指示が出て創設されているようなので安易に潰す事はできない。他科に迷惑が出ない限り次にまた宴会を始めたら罰金でも取ろう。退学にさせるよりも建設的だ。
管理棟の警備員へ軽く手を上げてユマも連れて入る事を伝える。扉を抜けて四階まで上がり、生体認証扉を開けて所長代理の部屋へ入った。
自分用には二画面のコンピュータがあり、一応所長代理用にも同様の設備があるが、一昨日には暗証番号が変わりましたかと聞かれて殴りたくなった。
自分の机には書類や依頼が詰まれ、一人で裁くには時間的にも詰んでいる。
「どうぞ」
仕事机とは別に応接用のテーブルとソファが準備されている。お茶を入れてから向かい合う形で座った。
生徒をアルバイトにというのはありえない話ではないが、機密の中枢に推薦するのは如何なものか。
正直手伝いは欲しいが、彼女には先に確認しなければならないことがある。
「いくつか伺っておきたいことがあるのでお呼びしました」
「はい。なんでしょう」
柔らかな印象の美少女はカップを手に取り少し緊張した顔で頷いた。研究所外では何度か話しているが、今は教職員側で話している。その意気込みが通じたのだろう。
「ワイズから競売で人を買ったと聞いています。人の趣味にとやかく言うつもりはないですが、あまり褒められた行為ではありません。一歩間違えば大罪です。……研究校から犯罪者は出したくないのですが」
正確にはワイズではなく同行したネイルから聞いている。この後が見ものだと珍しくあざ笑っていたのが印象的だった。
「競り落としてしまったのは事実です。各方面からお叱りも受けましたが、後悔はしていません。ただ、ギリギリ合法とはいえ、ああいう事は私も許容できるわけではありませんから、全員、無利子無担保無期限の貸付をして、それで契約解除の形をとっています。なので、正確にはもう私は彼らを時間契約で縛る主ではなくなっています」
それまで、ユマ・ハウスに対しては比較的好感を持っていたが、それが崩れ去るには十分だった。
「金持ちの道楽ですか」
自分でも吐き捨てるような含みが入ったと自覚する。だが、時間契約者になるからには相応の覚悟か事情がある。解放してあげたいというのは優しさだろうが、道楽に近い。それに下種の部類に入る道楽だ。
「道楽や偽善と言われればそうです。同じ金額で孤児院を建てることもできます。時間契約者は自分を担保にする代わりに金を得ているのですから、もっと慈悲をかけるべき場があると私も思います」
一度茶を飲み下してから、丁寧な仕草でカップを置くとユマはこちらに視線を向ける。
「ただ、最初の少女は、助けられるべき立場にありました。他の誰かが助けられないのなら、ぼ……私が助けるほかなかったので、競り落とす形で手を差し伸べました」
見た目は今の私くらいの女の子だったとネイルが言っていた。十代前半の少女ならば尚の事、契約解除は早まったとしか言えない。
十歳から、時間契約者として契約は可能だが、実際に本人の意思でするような歳ではない。契約には親権の破棄も求められているだろう。助ける人もいない状態でそんな子供を自由にしたと言っても、結局は路上生活か売春宿に拾われるのが落ちだ。
「自由を与えて、満足しましたか?」
所詮は金を持ったお嬢様かと軽蔑を含んで問いかける。少なくとも彼女と一緒に仕事をするくらいならば一人の方が楽だ。
肩を落として、ユマがため息をつく。
「……契約を解除できるようにしていますが、メリバル夫人からの助言もあり、内々の手続きだけ済ませてまだ法的な手続きは控えています。自由を選べるようにはしましたが、年齢的にも庇護が必要な子もいましたから……新しく雇用の形で生活を保障して、ちゃんと生活ができるように面倒を見ているところです。自分の偽善を通してよかったと思えるのは、何年もかかりそうで、後悔はしていませんが……過去の自分に助言できるならば、苦労するけど頑張れと言うでしょうか……」
解放して自分勝手に気分よく完結しているわけではなく、面倒を見ていると言われ、一度目を瞑る。
どうも、先入観だけで、ユマを決めていたようだ。
「個人的な興味なのですが、五人も買って、今後どうするのですか?」
もう一人私と大して年の変わらない少年が二人いた。それ以外の二人は成人で技能的にも一人ででも生きていけそうだとネイルは言っていた。道楽者に競り落とされる幸運を得て、どうしたのかも気にかかった。
ユマが、それまでと違って目を泳がせる。それに何か疚しさを感じて、やはり酷い扱いをしているのではと目を眇める。
「えーっと……女神教会関係者の、意見として聞きたいだけなので、教会の人には言わないでいただけますか?」
「? 内容によります」
女神教会の関係者が養父であって生活はしているが教徒ではない。だが、何か犯罪まがいのことがあれば報告はする。
「うぅ……その。街の外、西の村にある、使われていない教会を少し使わせてもらっているのですが……その村の村長には許可をもらっています」
この一帯にはあまり詳しくないが、ネイルとハリサからは色々と聞いている。西の村は地形的にメリバル・アーサーと懇意にしているので教会に人を派遣していないと言っていた。ヒスラの教会はルールー一族と繋がりが深くアーサー家とはあまり仲が良くないのだ。
「……そちらに住ませているのですか?」
面倒を見ると言っても、使われていない教会に押し込んでいるとなれば生活を面倒見ていると言えるのだろうか。
「女の子二人はメリバル邸で面倒を見ています。彼らの元主は同じではないようでしたし、よく知らない男女を同じ場所に押し込めるほど常識知らずでは。流石に剣術などに心得があるものを屋敷内に置くことをメリバル夫人も良しとはできないとのことで……」
警護を帯同させるようなお嬢様だ。同じ屋敷に身元がはっきりしていない時間契約者に堕ちるような者を、特に成人男性を置くわけにいかないと拒否されるのも理解はできる。
「今は別に何か仕事をしてもらう必要もないので、教会の清掃や改築してもらう事を仕事として住み込みで働いてもらっているのです。本人たちが嫌ならすぐにでも自由に出ていけますが、生活のお金や改築費も出しているので感情面でも落ち着くまで時間を与えられますし、その間生活にも困りません」
言い訳めいた説明だが、ユマなりに最善を尽くしているのは理解できた。
どうやら常識知らずのお人好しで、自分のためと言いながら相手の境遇への配慮できる馬鹿なお嬢様らしい。
「特にヒスラの女神教会が管理していないと思います。私もこちらの教会ではあまり過ごしていないのではっきりとは言えませんが。村人が許可しているなら私は聞かなかったことにしておきます。下手に報告して面倒になっても嫌ですから。……ただ解放しただけでなく、全員ちゃんと面倒も見ているならばよかったです」
トラウマを抱えた子供の世話は大変だ。癇癪を起こしたり病んでしまうことも多い。それでも、望まぬ妊娠や契約解除前に殺される危険を考えれば、救われたのは事実だろう。
非公式ながらも女神教会の見解を聞いてユマがほっとした顔を見せる。
「いくつかとおっしゃっていましたが、競売の事を確認に呼ばれたのですか?」
「いえ、本題は別にあります。競売はその本題を触れるかの確認です」
もしも、その幼い少女はもう自由になったのでどこにいるかわからないと言っていたら、その本題には触れずに終わっていただろう。
偽善者であっても、それで誰かが助かったのならば善行だ。見て見ぬふりをして関係ないとやり過ごす人よりもよほど好ましい。
「リンドウ様から推薦で、オーパーツの技能もあることと、機密を取り扱わせても問題がないと伺いました」
現在は特殊技能扱いのオーパーツの取り扱いがどの程度できるかはわからないが、機密保持をリンドウ・イーリスが保証すると言うならば仕込んでみる価値はある。
「旧人類美術科は夕刻前には教室を締めるので、その後、数時間こちらで手伝いをできないかと。オーパーツを扱える人が予想以上に少なくて、正直手に余っています。旧人類美術科から資料提供の依頼がかなり多いので、そちらだけでも教授と連携を取ってもらえれば随分楽になるのですが」
ヴェヘスト教授は歴史学者であり美術界の重鎮でもある。よくこんな大物を引っ張ってきたと感心する。憶測ではなく史実の確認をして授業を進めるので従来開示されていなかった機密や、データとして保存されている絵画を印刷するようたくさん要請してくる。新規学科でどうも本来は来年開講予定だったようで、まだ資料作成ができていないところも多いらしい。夕刻からは完全に教室を締めるのも翌日の授業のためだ。印刷した絵の確認だけでも仕事としては時間を取られてしまう。後回しにすると授業ができなくなると言われれば手を付けない訳にもいかない。
「……それは、旧人類の美術品を閲覧できると言う事ですか?」
「そうなります。検索履歴は全て残りますから、あまり関係ないことを調べると間者として帝国に連行されるかもしれませんが」
連行されてもリンドウ・イーリスが対応するだろう。
「無論、手伝いと言っても時給をお支払いします。高額な部類です。それに……旧人類美術科のために印刷しても、使わないままのお蔵入りする事あるので、それらを見ることもできますし、授業に先んじて見る事となりますから予習もできることになります」
マイナスばかりでは折角のアルバイトを確保できないと付け加える。先ほどまでは手伝いにする事に問題ないか吟味していたのはこちらだが、可とした以上手伝うかはユマが決めることになる。
「どうせ、ナゲル待ちの時間がありますから、管理棟で待たせてもらえるなら助かります。その間だけになってしまいますが、それでよければ」
ナゲル・ハザキは二年に入学させた。一年で習う解剖や基礎知識は既に習得していた。一年よりも二年の方が拘束時間は長いので、最低でも二・三時間は手伝いをしてもらえる。
研究所からメリバル邸はそれほど遠くないが、こちらで待つならば、ユマは管理棟に置いて置いた方が安全な気もする。今年は例年よりも質の低い生徒がいるのだ。ここまで目立つ美少女は放置しない方がいい。
ワイズ・ハリソンとエルトナは親し気だったので、競売の結果も知られていて不思議はない。誤解を受けていたようだが、何とか誠意を見せて答えると納得してくれたようだ。
リンドウ様が僕の時間潰しに仕事を準備していたようで、エルトナは奴隷を嬉々として買うやばいやつではないと確認されたうえで仕事を斡旋された。
待ち時間を安全に潰せる場所と言う事で引き受けた。決して、美術作品の閲覧ができるからではない。決して私欲に負けたからではない。そう、人手が足りなくて困っていたみたいなので人助けだ。
「……流石はリンドウ様ご推薦ですね」
時間契約者の話の時はぴりぴりとした空気があったが、今のエルトナは列車の厠計画を立てていた時のように興味深そうに頷いた。
「旧人類美術科からの基本的な仕事は多分こなせると思います。他の学科の資料依頼も対応できそうですけど、機密かどうかは判断ではないのでそのあたりの采配はお任せしますね」
機械の取り扱いから説明をされたが、基本的な装丁はジェゼロのオーパーツ大学のものと同様だった。ジェーム帝国とは共同開発や技術供与を互いに行っているので、同じものがあっても不思議はない。
オーパーツの扱いくらいならば僕にでもできる。その程度をエルトナに酷く感動された。後何年かしたらこの程度の事は誰でもできるようになるだろう。
「以前にもこのような仕事をされていたのですか?」
「……私の敬愛する方に近づきたくて、お仕事の手伝いというか、今思うと邪魔をしていただけのような気もしますが……。色々教えていただいていたので。でも、内容は異なりますから、最初は逐一確認する事も多いと思いますので、お手煩わせは了承してくださいね」
ベンジャミン先生に構われたくて後ろをよくついていたし、義務教育が終わってからは王の補佐ができるように細々とお手伝いを申し出ていた。ソラは王位継承権を放棄していて、次期国王のララはまだ幼い。大叔父が有事には王の代理を務められることからも、王にはなれないが男でも手伝いはできるのだ。母も許可してくれたので極一部だが執務を手伝っていた。結果、この女装も相まって王を目指しているなどと噂されてしまったのだろうが。
「半端な理解で勝手をされるよりも確認をしてもらった方が助かります。声をかけても答えない時は無視ではなく考え事をしている時なのだ、少し時間を置いて声をかけてくださると助かります」
「私も絵を描いているときはよく音が聞こえなくなりますから」
そしてよくナゲルに頭を叩かれる。小さいころにナゲルが教師の前でそれをやって悲鳴を上げていた。その後それを真似て僕の頭を叩いた男子をナゲルが投げ飛ばしていたのを微笑ましく思い出す。小さいころから、お絵描きが得意だった。授業に絵を書き始める悪癖はちょっと避けるようになった。
「これなら正式にお願いしても問題はなさそうなので、ナゲルの授業が終わる前に正式に雇用契約をしましょう」
人手不足に本当に困っていたようで、エルトナからの逃がさないという圧を感じる。
長椅子に戻って、エルトナが正式な書面を渡してくれる。
労働時間に対しての賃金支払い契約で、秘密厳守などの規約と罰則が書かれている。署名するときは全部に目を通して、一度透かせて見ろ! と母から厳命されている。時間を貰って全ての項目を確認する。
賃金はかなり良い。代わりに罰則は帝国法に乗っ取る旨があり、帝国所有の研究施設であるため間者の疑惑がもたれれば投獄などもあり得るだろう。美術作品をつい余計に閲覧して咎められたときはリンドウ様に縋ろう。
問題ないことを確認して、署名をする。
エルトナが受け取ると破顔する。会ったときから笑う姿は初めて見た。
「そんなに仕事が大変なんですか?」
「私自身まだ慣れていないところも多いですから」
「……その、最初に列車で会ったときは、親御さんがここの関係者だと思ったんですよ。年齢で判断して申し訳ないですが、エルトナはとても若いですよね。どうしてここでこんな重要な仕事を任されているのですか?」
妹のソラもオーパーツ大学で人様に言えない開発をしている。だがエルトナの仕事はどちらかというと管理職だ。研究や開発よりも年齢や経歴を見られる職種だ。
「まあ、色々とありました。おそらく、所長が不在なので穴埋め要因として動員されたのでしょう。使えそうだと養父が推薦した可能性があります」
「帝都の女神教会で司教をされていたとか……」
かなりの地位の親ではないだろうか。ふと、養父と言うからには本当の両親はどうしているのかと頭に過るだが、それを質問するのは踏み込み過ぎだろう。
エルトナもあまり踏み込まれたくないのだろう、話を変えてくる。
「ユマさんも、旧人類美術科はかなり癖のある生徒と教員たちですが、問題があれば仰ってください」
まだ初日だが、懇親会を開いてくれたおかげで少しだが人となりは理解できた。
おそらく一番地位が高くてまとめ役になるのはセオドア辺境伯だろう。その手綱はアンネ・マリルゴか……。他にも男装美人や寡黙な画家、講釈好きの老紳士。商機に敏い画商。辺境伯以外は身分を明かしていないが爵位持ちも複数いるようだった。ただのユマ・ハウスとして在学するので、地位が一番低いのは僕だが、馬鹿正直に虐げる人はいないのではないかと感じた。本当にただの平民が入れられるには不釣り合いなのだ。ただの子供だと判断して不躾な態度を取るほど考えが浅い人はいないだろう。
「変わった方が多そうですが、節度は守られる方が多いようですから楽しく過ごせそうですよ」
「節度……」
訝しんだ顔をされるが、実際酒に溺れても節度があった。
「酔っぱらっても私に絡んでくる方は居ませんでしたしから」
僕の絵を描きたいと力説し出す人が出て、皆でそれはいいと盛り上がっていたらヴェヘスト教授はそれを制して、皆順番に描かれるべきだと力説していた。美醜を描きこなせてこその画家だと。ずれてはいるが、ずっと描かれる側では割に合わないのでありがたい。
「それならばいいのですが。研究校内の事は学内でも対応できますので」
「何かあれば相談します」
部下を失わないためか、心配してくれているのは事実なので素直に頷いて置く。
若いのに人を従えるのに妙に慣れている。それにワイズ・ハリソンのやり取りも完全にエルトナの方が立場は上だった。底が知れないところがある。
仕事を再開して少しすると所長代理が部屋にやってくる。ここは彼の部屋なのだが、どちらかというと、エルトナの方が所長代理のようにも見える。
「ユマさん、ナゲルが下で待っていますよ」
「ありがとうございます」
今日は初日なので普段よりも早いようだ。
「ではユマさん、手伝って頂くのは可能な日だけで構いません。私がいないときは隣の部屋で待てるように手配をしておきます」
エルトナに見送られて、所長代理と共に階段を下りる。
「少し問題が発生しましたので、今後ナゲルも一階で待機できるように手配しています」
こちらを見ずに階段を下る所長代理に首を傾げる。
「どんな問題が?」
「一年に入学した医術学科の生徒が二年に編入となった者がいる事に不満を評したようです」
「それは、こちらではなく研究校側で対処していただくべき案件ではないですか?」
別にナゲルから二年に飛び級させろと言ったわけではない。
「そうです。ですが、相手はこの一帯を統治するルールー一族の子息ですので、研究校以外で問題が起こった場合は対応しかねますので、所内では保護対象とさせていただきます」
丁寧な口調は正直生徒に対しての物には聞こえないが、こういう人なのかもしれないし、代理だから身元を知っての態度か判断しかねる。
一階に戻るとナゲルだけでなくシュレットとアルトイールの姿もあった。
「いじめられたんだって?」
茶化すとげんなりした顔を返される。
「まじで面倒くさい。女子より面倒な男がいたとか」
昔、ナゲルは僕と仲が良すぎるから離れろと女子に詰め寄られていたことがあった。そのことだろうと苦笑いを漏らす。それに勝つとは、相当だ。
「ナゲルは悪くありません。教師からの質問もきちんと答えられていました。無理に参加したと言うのに、あの知れ者は己の無知を棚に上げ、ナゲルを攻撃したのです」
息まいて説明したのは予想外なことにアルトイールだった。
「ちょーいいやつ」
ナゲルがアルトイールを指さす。なんとも被害者のノリが軽い。
「昼飯ぼっちのとこ一緒に食べてくれたし」
もう取り繕う気もないのか、そういう関係に持って行ったのか。こういう所がナゲルの凄いところだ。
「すみません、アルトイールは人見知りをするのですが、慣れると……」
シュレットの後ろで控えていたので従者として徹底しているのかと思ったが、そうでもないようだ。
「いえ、同じ学生ですから。むしろ、ナゲルがご迷惑をおかけしたようで」
一応イーリス相手にこの態度でいいのかと思うが、研究所内では身分差別はないと言っていたからいいのだろうと納得する。
「門に着くころにはメリバル邸から迎えが来ているかと」
所長代理は、ナゲルが来た時点で連絡してくれたようだ。
礼を言って四人で門の方へ向かう。庭園のように建物の間に作られた庭の左右に道が通っている。時間がある時にじっくり見ようと思いつつ、脇道を歩いていると、庭を突っ切って反対の道から何人かがやってくる。それに気づいたナゲルがげんなり顔だ。
「少し、失礼しますね」
シュレットが先にその一行へ向かい対峙する。後ろをアルトイールが付いて行く。やはり警護の役割も担っているのだろう。
「身分を笠にと言った割りに、イーリスの名を出すとわな!」
「ええ、あなたが一族がどうとおっしゃるのですから、対等に家名を使わせていただきます」
シュレットは穏やかな口調で、銀髪を後ろに流した細身で神経質そうな男へ対峙する。
「ナゲルは教師からも二年からで問題がないと本日認められたではないですか。文句は本人ではなく教員に訴えてください」
「教員を買収していなければ習う前の事を知っている方が可笑しいだろう!」
どうやらナゲルは優秀過ぎたようだ。
「まあ、実際ほぼ医師だしね」
ぼそりと呟く。執刀医はしていないが助手は経験があるし、死体解剖は指導の下に何回もしている。それらの参加条件を餌に課題をさせられていたので、医術に関してだけならば、ナゲルは僕よりも優秀だ。臓器見たさでなければ素晴らしいが……。
「あいつも結構いいやつなんだよ。上流階級なのに」
争いの元凶がとても暢気だ。
「そもそもなんで絡まれてるの?」
「さー、お前がらみ以外で絡まれる理由がわからん」
まあ、僕が絡んで面倒に巻き込まれる事はよくあるからなんとも言い返しにくい。
「あの……ナゲルが二年から始めるのは当たり前の事なのです」
淑女の顔で前へ出る。
不愉快そうに目を眇めたが、こちらを見て少し驚いていた表情へ変わる。
「こちらの医術科は、学はあれど医術の経験がない状態を想定しているようですから、ナゲルは既に地元で一年次の過程を習得しています。もし、ナゲルの学力が達していないならば、リンドウ様にご相談して一年から基礎をと伺ってみましょう。」
低姿勢にケチがあるなら帝国の中枢に言えと申し出る。それでしっぽを撒くかと思ったが、中々に馬鹿らしい。
一歩近づくと、男が苦々しく声を上げる。
「知っているぞ、お前たちは人を買っただろう」
何とか一族と言ったか。ここらでは名士の一族なら、あの競売に参加していても不思議はない。仮面は被っていたが、女にしては背が高く髪も隠していなかったので、ばれても不思議がない。だが、人前でそれを暴露するのはあまり品がよくない。
「……」
そういえば、アリエッタの競りで負けた男は、この男と特徴が似ている。先ほど驚いた顔をしたのを見ると、ナゲルが僕の連れだったから文句を付けている訳ではないのだろう。
否定してもいいのだが、事実だし別に責められるようなことはしていない。前の主については語れない制約があるらしいが、行為はアリエッタが口を開かずとも体が示している。そして、アリエッタはこの男とよく似た男に買われることを酷く恐れていた。
「ご安心してください、あの子はわたくしの庇護下に入りました。二度と前の主の許に戻るようなことはございませんわ」
笑みを深め、すっぱりと敵認定する。苦々しく歪めた顔を見下す。
適当に手を出させて退学にさせてもいいかと頭に過った時、頭を掴まれて強制的に先へ進まされる。
「迎えが付いたみたいだ。行くぞ」
「ナゲルっ」
強制連行されたが、男はついてこなかった。これではこちらが逃げたようではないか。
そのままカシスを伴った馬車に押し込められる。シュレットとアルトイールも行きと同じように同じ馬車に乗った。
売られた喧嘩をぺいっと投げ捨てるナゲルに口を尖らせて睨んでいるとシュレットがおずおずと声をかけてきた。
「あの、離れにいる女の子ですが……」
馬車が走り始めると、シュレットが窺うようにこちらを見る。同じ屋敷にいれば情報は隠しきれないだろう。そちらの警護もこちらの同行には気を配っているはずだ。
「訳あって庇護下に置いています。できるだけご迷惑にはならないようにいたしますので」
「そう、ですか。その……ユマさんを誤解していたようです。申し訳ない」
頭を下げられて首を傾げる。
「誤解ですか?」
「その……わざわざ離れに移ったのは、後ろ暗いことがあるのかと」
女の子相手に拷問でもする趣味があると疑われたのだろうか。実際、アリエッタは酷い扱いを受けていたのだから、買い手はそういう者と思われても仕方ないのか。
アルトイールも小さく頷いた。
「日に日に元気になっていたので、我々の杞憂であればいいと……」
「まだ環境に慣れていないので、離れの手伝いと文字と計算の練習をしてもらっています。本当は、学校に通わせたいのですが、こちらでは警護の関係上難しそうですね。先ほどの方のような頭の悪い方もおられますし」
心の傷は見た目ではわからない。今は環境の変化がいい方向に向かっているが、ふとしたことで思い出してしまうだろう。元の主が誘拐や情報漏洩を恐れ殺害する可能性もあるので、メリバル邸の敷地外に出すのは難しいかもしれない。ジェゼロの孤児院に頼むのが一番妥当だろう。国に帰る時に連れて行くまではメリバル邸で面倒を見るしかない。
「なぜ……そのような事を?」
青い目がまっすぐと見てくる。エルトナの質問といい、この話題は人の興味をとても刺激するらしい。
自分自身の為でしかない。そんな聖人を見るような目はやめて欲しい。
「ただの成り行きです」
そうこうしている間にメリバル邸へ到着する。本館の正面玄関で二人が下りると、そのまま離れまで馬車が進んでいく。
「アゴンタがアリエッタの主だったやつか?」
ナゲルに問われて、少し悩む。
「元の持ち主だったかはわからないけど、競り落とそうとした一人で、アリエッタが恐怖していた相手に思えるから、面識がある気がする」
ナゲルもそれに頷いた。
「競売に参加するために出品しただけか、参加した目的がアリエッタかはわからないけどな」
アリエッタとココアの確認はリリーと共にナゲルも同席していた。勿論、細心の注意で嫌がることはさせていないし脱がせての確認はナゲルは参加していない程度の配慮はしている。
「不安になるだろうからその話は聞かせないようにね」
「ああ。ただ、向こうもこっちに気づいてるならアリエッタの居場所もばれるだろう。警備には注意を呼び掛けた方がいいな」
「はぁ、僕の美貌は仮面程度じゃ隠せなかったみたいだからね」
「覆面にしときゃよかったな」
想像して、流石に恰好が悪いので却下だ。
離れに到着すると、玄関が開いて、アリエッタが飛び出すと慌ててお辞儀をする。その横にココアが落ち着いた動きで頭を下げ、迎え入れる。
「ユマ様、おかえりなさいませ」
「おかえりなさいませっ」
おどおどしていたココアだが、侍女の恰好をすると、掃除や洗濯などをてきぱきとこなし、こういった迎えなどもソツがない。完璧な仕事をする。
アリエッタは歳よりも少し幼い。一年半から二年程前に時間契約者となり、一年ほど前から虐待されていたようだ。その前からそれほど教育されていなかったようで、同年代の子供より学力が低い。そういった面でも学校へは直ぐには行かせられない。最初は夜も脅えていたようだが、リリーからココアが夜中でも嫌な顔をせずに面倒を見てくれていると報告があった。最近はよく眠れているようだ。
「ただいま」
声をかけると、ココアに促されて慌ててアリエッタが近づいてくる。
「お、お鞄をお持ち、します」
鞄くらいと言いたいが、折角頑張っているので渡す。満面の笑みで先に離れへ入っていった。
「指導役がいいんでしょうね。とても可愛らしく笑えるようになっています。ココアのお陰です」
「あっ、い、いえっ」
褒めると赤面してどもってしまう。
「着替えたら食事にしましょう」
「かしこまりました」
指示を出すと、どもりもせずに返される。定型文は機械的に喋れるが、考えて話したり感情を出すのが苦手なようだ。
カシスが馬車から降りるとこちらを見た。
「学校はいかがでしたか?」
問われて、ナゲルと顔を見合わせる。報告はそれぞれある。
ユマ様は多分馬鹿なのだとココアは思っていた。
お金があり余っているのかと思ったが、メリバル邸では離れを借りて暮らしている。食事はいたって質素で本人は特に贅沢をしない。なのに私達の新しい服や生活品は豪勢ではないにしてもなんの躊躇いもなく買い与えてくれる。
与えられた仕事はあまりにも少なく、持て余した時間はアリエッタの教育に使っている。
何かあれば、この子だけでも逃がして安全な場所にと心積もりをして彼女の馬車に乗ったと言うのに、怪我の治療を受けさせ、精神面も気にかけてくる。
見ず知らずの子供を、ただ純粋に助けて面倒を見ているユマ様を見ていて、本当は裏があって、何かの目的で時間契約者を競り落とし、信頼を得て利用しているのだ。そう警戒する自分もとても馬鹿に思えてきた。
ただ、ユマ様には秘密があるのは確かだ。
「凄く、懐かしい味に仕上がってきています」
ユマ様が夕食を食べながら納得したように頷く。その誉め言葉に心境は微妙だ。薄い味付けに淡白な食事。鶏肉に野菜、硬いパン。あまりにも質素なご飯をユマ様と彼女の従者たちは当たり前に食べている。定期的にメリバル様の料理人が作る料理はとても美味で相伴に預かる身としては勿体ないほどだが、ユマ様達は美味しいが毎日だと辛いと言う。
ユマ様は先の競売で大金を使ったので節約をしているのかとも考えたが、私たちを買って尚余るほど大きな儲けを先の競売では出しているそうだ。
時間契約者を買う人は疚しい考えをもっている。それが私の経験だった。
侍女など普通に雇った方が安上がりだ。病気になっても解雇するだけで損失も少ない。あえて時間契約者を買うのはより厳しい縛りを求めていたり、どの様に扱っても離職できないようにだ。
私の前の主は頭の可笑しな人だった。給料が高くてもすぐにみんな辞めるので私が買われたのだ。ただの物として感情を失くせばいいだけだった。食事や屋根のある部屋も与えられていた。ないのはただ人としての尊厳だけだ。
「こちらの警護とも話が付きましたので、次の休みには森の教会へ迎えます」
カシス隊長と呼ばれる男が食事を取りながら言う。彼の視線は常に厳しいが、卑猥な目ではない。
「……あの……」
アリエッタが、躊躇いがちに声をかける。伏した目を見てユマ様が優しく笑いかける。
「今回はまだアリエッタを外には連れていけないけど、ゾディラットが元気にしているかも確認してくるからね」
「あのっ、わたしはとてもよくしてもらってるって、兄さんに伝えてください。だから、心配しないでって」
顔を上げて必死に願い出る姿を見ながら、まだまだ教育が足りないと実感する。いつまた売られてしまうかもしれない。次の主がユマ様のように生易しいはずがない。アリエッタが生きるためには、礼儀作法はもちろん、先を読んで行動し、叱責を受けないようにならなければならない。
主に対して、そんなことを願い出てはいけないのだ。
「暮らす場所が分かれてしまって不安だろうけど、我慢してくれてありがとう」
必要のない気遣いにアリエッタは首を横に振る。
「小さいころは一緒に暮らしてました。けど、前も一緒じゃなかったので、慣れてます」
ユマ様は整い過ぎていっそ不気味な顔に慈愛とも同情とも取れる表情を浮かべている。
私には、ユマ様が馬鹿だとしか思えない。私が馬鹿であるように、いつかユマ様も堕ちてしまうのではないかと不安で仕方がない。
「今は、アリエッタは自分でできることをこれまで通り頑張ろう。自分のためにもお兄さんのためにもなるだろうから。あ、でも、頑張り過ぎはよくないから休憩も忘れてはいけませんよ」
夜になると脅えていたアリエッタが、花を綻ばせたように自然に笑う。本当にユマ様を信頼しているから気にかけてもらえるのがとても嬉しいようだ。
「ココアも、アリエッタと休憩を取るように心掛けてくださいね」
あまり気にかけられるのが好きではないのを悟って、アリエッタほど構われることはないが、こうやって機を見ては労いや気遣いの言葉をかけられる。それがとても怖くて仕方ない。
まるで人のように扱われて、人間に戻った気になる自分が怖い。
本人は軽く考えて、国家機密も取り扱う部署でアルバイトが決まりました。
ジャイアンが登場しました。シュレットは基本いいやつなのでアルトイールとも仲良しです。
最後はココア視点です。ココアは馬車の中で殺される可能性すら考えていました。ユマのゆるゆる対応に正直どんびきです。