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8 研究校へ行こう

   八 



 登校初日、正面玄関に用意された馬車の前にはシュレット・イーリスとアルトイールが待っていた。


 同じ屋敷にいるのだが、競売の数日後には離れに移ったし、色々と忙しくなってしまって会う機会などもなかった。メリバル夫人の孫に毒を盛られて以来だろう。今日は初日なので一緒に登校をする。


「おはようございます。ユマさん、ナゲルさん」


 微笑み挨拶をされる。見せ方をよくわかっている笑みだ。


 挨拶もそこそこに、シュレットが当たり前に手を出したので、手を借りて馬車に乗る。メリバル夫人の淑女教育には、男性からの介助を品よく受け入れたり拒否したりする方法もあったのだ。


 馬車に乗ると、すぐに動き始めた。従者の横にはカシスがいる。中はナゲルが一緒で、イーリスから警護が入っていないので入れていない。


「あ! そういえば、俺二年へ編入になったそうなので、よろしくお願いします」


 シュレットたちから話を始める前にナゲルが思い出したと話をする。エルトナが言っていた追試を受けた結果、学力十分との結果で二年からになったらしい。


「それは、凄いですね。余程優秀なんでしょう。困ったことがあれば、アルトイールに質問をしてくだされば、大体の事は把握してくれていますから」


 名を呼ばれたアルトイールが小さく会釈した。一歩控えた姿勢からは崩さない。


「それは助かります」


 ナゲルが言葉はある程度丁寧にしているが、学内でどこまでこれが持つだろうか。


「ユマさんは新しく出来る学科でしたね」

「ええ、高名な先生の許で学べるそうですから、楽しみにしています」


 無駄話を少しする程度で馬車が付く。正直、馬車の準備の手間を考えると歩いた方が早い距離だ。


 当たり前に下りる時にも手を差し出されたので借りて降りる。シュレットがちらりとナゲルを見た気がする。


「ユマ様、中には警護が付き添えません。帰宅時には連絡を。一人で研究所から出た場合、おわかりですね」


 いつもの厳しい顔つきに笑みが浮かぶ。怖い。


「はい。肝に銘じます」

「俺のが遅いかもしれないけど、教室とかで待つようにしろよ」

 ナゲルからも忠告を受ける。事前に帰りについては話されている。


 馬車を門の前に止めていても邪魔なので、説教は短く済んだ。入口は従来生徒と新入生とで受付が違う。二人と別れ、ナゲルと新入生の方へ向かい、簡単な学内案内冊子を渡される。学内地図が付いている。その場で教室の場所に丸を付けられた。


「結構遠いね」


 真ん中に管理棟、その周りに四つの建物が建っている。正面門に向けて大きな庭があって、丁度管理棟が前に見えた。医術科は左手の一番横に長く大きな建物で、美術科は管理棟を挟んで対角線上にある建物だ。


「ユマさんですか?」

 声をかけられて手元から視線を上げると、若い男性が立っていた。


「ヴェヘスト教授の助手のアドレと申します。美術科はもう他が揃っているのでご案内に参りました」

「ありがとうございます。では、ナゲル。帰りに」


 ナゲルと別れて旧人類美術科へ向かう。まだまだ建物を建てる余地を残して作られた研究所は研究校の五つの建物意外にもその奥の土地に研究施設が建っているのが見える。基本学生はこの五つの建物にしか入れないらしい。教員の付き添いや指示がない状態で入れば退学処分もあり得ると冊子に書かれていた。


「うちの学科は、ほかの学科のように研究や将来の第一人者養成とはちょっと趣旨が異なりまして。既に地位や権力のある方ばかりになります。ご本人たちも忙しい身ですから、講義は基本午前だけになっています。午後は参加自由になりますが。技法指導などを行う予定です」


 簡単に説明を受けながら教室へ向かう。二十代半ばほどの赤茶の髪に紺の瞳の少し地味な風貌の青年だ。


「学内では、学友という立場になりますが、態度が酷く対応に困ればご相談ください」


「……あまり、素行がよろしくないのですか?」


 身分を隠していくので、一番格下とみられる可能性は高い。これまでの人生でそういう経験がないので背筋を正して問う。


「……その……出来上がった変人が多いようで……。悪意ある嫌がらせなどはないと思いますが、悪意がなくとも嫌なものは嫌でしょうから……」

「変人……ですか」


 浮かんだのは妹のソラである。そんなのばかりが学友だと想像して、少し頭痛がする。


「一番若いユマさんには先に説明をと思い迎えに来たんです。それに、この界隈は狭い世界ですから、他の生徒は教室内に誰かしら知り合いがいるので」


 ジェゼロから出た事がなかったので、美術界の知り合いはいない。二年に放り込まれるナゲルよりはましだが。僕にナゲルのような対人技能はない。


 管理棟の横を通り、美術科のある建物へ入った。一階が美術科らしく中に入るとすぐに到着した。


 教室には十人ほどの生徒が既に集まっていたが、真面目に席についているものはなく歓談している。新しく入ってきた僕らに注目が集まる。





 新入生徒が登校するのを見下ろしながら、何人が早期脱落かエルトナは計算する。


「やはり、不正入学疑いのほとんどが教室に不満を漏らしているようです」

 報告に来たのは所長代理だ。その所長代理の部屋は現在自分の仕事部屋になっている。


 シルバーブロンドの髪を品よくまとめた四十前の男はサポート役は板についているので確かに本来の所長代理や補佐の役割があっている。現在所長代理の仕事はここにきて間もない私が実質取り仕切っている。


 見た目がさらに幼く見えると言っても、まだ十代半ばの子供にそんなもんを任せる所長の頭はおかしいと思う。直接会ったことのない男は、私の事情を全て知っているのではと邪推してしまう。多分、邪推では終わらないだろう。


「まあ、早々に潰してもよかったんですけど。学力だけが才能ではありませんからね」


 元々基礎知識を叩き込んでから入学できるような秀才ばかりだが、今回はアホが混ざっている。従来の授業では夏には学力が追い付かずに退学処分か自主退学になるだろう。ただ、そこまで暗記力や計算が得意でなくても、優れた発想をもつ者はいる。だからチャンスを与えたのだ。


「不満なら入学金は返金するので辞めるように促してください。根性くらいないと流石に面倒見られません」


「わかりました。それと、ヴェヘスト教授から新しい資料の提供を依頼がきています。他の教授教員からの依頼とともにこちらに」


「はぁ……せめて、コンピュータを扱える事務を送ってもらえるように所長に依頼してください。いくらオーパーツとはいえ、そこまで難しいものではないでしょう」


 所長代理の部屋を仕事部屋にせざるを得なかった理由はここに置かれたコンピュータの為だ。この時代ではこの機械だけでこの研究所全てが建つほど高価なものだ。それに帝都にあるマザーコンピュータと接続できるために機密が山ほど入っている。機械を扱えるだけでなく、機密を扱える人が必要だ。そこから、出しても問題ないデータを印刷して教員たちへ提供するのも仕事の一つだ。それだけならばいいが、研究所の管理までさせられている。


 所長代理は、データを各部に渡しに行ったりという雑務はするが、このコンピュータが碌に扱えないし、覚える気も全くないのが徐々に明らかになっている。


「所長より話がありました。新入生に手伝いに仕える人材がいるとのことです。時間雇用の許可が出ていますよ」


 誰か代わりか手伝いを寄こせというのは定型文的な嫌味だった。いつもは、現在探しているとか、もうしばらくお待ちをと濁されるのだが、今回は違う回答が来て手元の書類から顔を上げた。


「新入生?」

「はい。ユマ・ハウスという生徒とナゲル・ハザキです。彼らはオーパーツ知識があります。リンドウ様の信頼筋の方ですので、書類に署名いただければ、機密の扱いも許可できるとのことでした」


 リンドウ・イーリスは帝王の右腕とも称されることがあるお方だ。そこが信頼できると言うならば何かあってもこちらは責任を取らなくて済む。


 ふと、オーパーツはジェゼロが先駆けていると頭に過る。それにユマと会った列車へ乗り換えた時、貸し切り列車が停まっていた。帝国の要人なども使うもので、リンドウ様が乗っていても不思議はない。そしてあの線路はそれほど本数を出すわけでもない。合理性に欠けるジェゼロ周辺へ行きつく線路だったはずだ。


 ユマ・ハウスとナゲル・ハザキはジェゼロのオーパーツ大学で学んでいたと仮定すれば、ここの機械の扱いもできるだろう。流石に同盟国とはいえ、他国のものを入れるとは思えないのでそちらに留学していたと考えるのが妥当だが、もしもジェゼロ出身者だと考えると見方が変わる。


「男だったらぞっとする」

 小さく呟く。


 女神教会で過ごしていたので、鎖国的なジェゼロについても少しだが知っていることがある。


 ジェゼロ王族の名前は法則が決まっていて、女児はラ、男児はマが末尾につく。国民は基本それに従いそれぞれの名前にその文字を使わないと聞いている。女ならばマを使えたのだろう。もし、男でジェゼロ出身でユマというのが本名ならば、それはジェゼロの王族という事になってしまう。


「ナゲル・ハザキは手伝う余裕はないでしょう。医術科はどこよりも厳しいですから。ユマ・ハウスには、一度打診してもいいですが……」


 ネイルからの話を思い出す。


 ワイズの護衛としてついて行ったネイルから聞いただけだが、ユマは出品されていたヒトを全員買っていったらしい。後先考えていなかったようだと言う事から、目的があって買ったわけではないようだ。理由はどうあれ正直人身売買に手を染める相手だ。機密を扱わせていいものか。





 いい身なりの大人たち。若くとも二十後半。上は六十を超えていた。他の学科は十代後半から三十代前半が主だと言うので、年齢層がかなり違う。人数も他よりも少ない。


 初日ではあるが式典などはなく午前からは聞いた通り授業があった。教授のヴェヘストは高齢で途中助手のアドレが補佐をしている。


 初めに、旧人類美術科は試験的導入の初年度なので人数制限をしている事やまだ手探りなので意見や希望は受け付ける事。旧人類の英知と美しき創造物を共に堪能しようとヴェヘスト教授が熱っぽく語っていた。あまり勉強をする方向ではないのかと心配したが、授業はかなり面白かったので今後の授業も期待が大きい。


 昼食は基本食堂を使う事になるが、午前の授業が終わると一人の生徒が立ち上がり、手を叩いて注目を集めた。


「本日はこの出会いに感謝を示すため、僭越ながら昼食を隣室に準備させていただきました。大変ためになる授業でしたが、これから共に学ぶ戦友として、名も知らぬようでは戦えますまい。博識あるヴェヘスト教授にも許可は頂いています」


 灰色の白髪のヴェヘスト教授が頷いた。

「旧人類の時代にも、芸術について語り合うことで新たなる創作意欲を掻き立てられたと書かれておる。折角の御厚意じゃて、許可する」


 教授の許可に助手で曾孫でもあるらしいアドレが頭を抱えるようにため息をついていた。


 皆が向かうままに隣の実技の部屋へ移ると、立食形式で食べられる食事や飲み物が準備されている。部屋が教室なので違和感があるが、メリバル邸で出されても不思議がないほど高級そうなものばかりだ。


「ああー。お酒まで……皆さん。セオドア辺境伯の御相伴に預かる前に、自己紹介などをしましょう。いいですか? ここは学舎ですからね」


 アドレが何とか場を仕切ろうとするが、わらわらと生徒が入ると歓談が始まりだしている。


「はいはい、皆さん。お名前くらい名乗りましょうね」

 見かねたのかアンネ・マリルゴと言う女性が名前を名乗り、そこから時計回りに名前などを簡単に名乗るようになった。それほど多くはいないので何とか名前と顔を一致させる。画商だとか、得意とする画法などを言う人もいた。


 最低限の自己紹介を済ませると、思い思いの歓談が始まる。


「流石はオゼリア辺境伯。昼からこんないい葡萄酒を用意してくださるなんて!」

 いい仕事だと学友となる女性が言う。確かに、誰かしら知り合いがいるようだ。


「ユマさんもいかがですか?」


 最初に僕に声をかけてきたのはセオドア辺境伯と名乗った男だ。四十か五十くらいの栗色の髪に青い目をしたお金を持っていそうな紳士だ。辺境伯と言うからには国境の土地を任されているのだろう。正直、こんな場で遊んでいいのだろうかと心配になった。


 持っているのは高そうなボトルの酒だ。


「お気持ちだけで、お酒は成人してからと決めていますから」

 毒ならしの一環でアルコールも摂取したことがあるが、悲しいほどに酔わない。それでも一応は飲まないことにしている。


「あらあら、一番若くて綺麗な方からとは、相変わらずです事」

 アンネが既にしっかり酒を嗜みながらセオドア辺境伯に絡んでいく。


「ユマさん、これから学友として共に切磋琢磨していきましょうね」

 感じよく挨拶を受け、酒ではない飲み物を勧められる。


「ああ、こんなところにいたのですね姫!」

 男装の麗人に姫扱いの即興劇に巻き込まれた。朗々と何かの劇の台詞を言われる。かなり酔っているのか途中ふらついている。まだそれほど飲んでいるようではなかったが、大分酒に弱いようだ。


「はいはい、コーネリア、こっちに座っていましょうね」

 アンネに引っ張っていかれるとコーネリア・ライラックは大人しく座っている。何だったのだろう。


 他にも色々と変な人がいた。何人かには絵の主題になって欲しいと誘われ、好きな作品や画家について聞かれたり、うんちく好きの老人からは年代別の作風やらを聞いた。あまり長くなる前に別の学友に引っ張られて別人と話をする。


 一人全く誰とも喋らず隅で酒を飲んでいる青年がいた。話しかけると無言で会釈を返されただけだ。あまりお喋りが好きではないのだろうかと思いつつ、会釈を返しておいた。


 基本的には過不足ないようにセオドア辺境伯が場を仕切っている。給仕もいて、どこからか酒を追加して空いた瓶は下げられていく。


 昼食の時間だけでなく、結局午後の授業はなしにして懇親会を続けることとなった。段々と酔いが回り出し、酔っ払いが増え始める。


 男装の麗人は椅子を並べて眠り出し、ヴェヘスト教授は石膏像相手に昏々と話し込んでいて、その横ではうんちくを披露してくれていたご老人が上半身だけの裸婦像にそのような破廉恥な姿を曝すなといいながらちらちらと胸を見ていた。


 大人が酒に溺れる姿を間近に見た事がなかったので、どうしたものかと悩む。


 実技室がノックされ扉が開くと、きっちりとした恰好の男性が立っていた。

「……おや、これはどういった状況でしょうか?」

「あーああ。所長代理ではないですかぁ」


 助手のアドレもへべれけの一人で、ふらふらと近づいていく。途中でコケて絶命……もとい眠りについた。


 所長代理と呼ばれた男の隣にもう一人人影が見えて、頭が痛そうな顔をしている。見た事のある特徴的な明るい赤毛でエルトナだった。研究所の関係だと聞いたが、親が働いているだけでは普通中には入れない。


「ユマさん」

 すいっと近づいてくる。


「無事にご入学おめでとうございます。資料を届けに来ただけなのですが、これはどういう状況ですか?」

「生徒の一人のオゼリア辺境伯が、用意をしてくださいました。入学式典がないので懇親会だと。見ての通り、あまりよくない大人の酒の飲み方を教授頂いています」


 節度ある飲み方をしている人もいれば、床で寝ている人もいる。一名だけ自分と同じく素面だ。その一人は素面だが周りにどんどん飲ませて行って潰している悪魔のような人だった。


「はぁ。関係者以外を入れるのは禁止されているのに、どうやって警備を買収したのか……」

 どうやら飲食物を持ち込んでの宴は禁止されていたようだ。


「そちらが、資料ですか?」

 エルトナが持っていた書類に目を向ける。美術科だから絵があるが、実物や模写ではない。


「印刷機があるのですか」


 活版印刷などは見かけるものだが、それは違った技術で印刷されている。ジェゼロのオーパーツ大学と母の部屋にあるものだ。


「……ご存じですか?」


 インクが特殊な事とつなげる機械がそもそも必要になる為あまり見ることはないが、秘匿されている技術ではない。


「はい。とても便利ですよね」

 たまに使っていた。機械で絵を描くのはあまり得意ではなかったが、建物の設計には便利だったので何度か使い、印刷もしている。


「所長代理、警備を呼んで引き取らせてください。校内は飲酒禁止です。今回は教員が許可してしまっているので目を瞑りますが、次は退学だとお伝えをお忘れなく。ユマさん、少しお話よろしいですか?」


 エルトナがなぜか所長代理に指示をするのを不思議に思う。

「はい、時間はありますので」


 特に断る必要もないので受け入れる。挨拶をしてからと思ったが、無駄な労力になりそうなので会釈だけして教室を出た。


育ちのいい上流階級のシュレットとその付き人アルトイール。ぱっと見は王子様系です。

旧人類美術科は、研究校の中でも選ばれし変人揃いです。


エルトナからはお呼び出しを受けました。

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