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女装王子の留学記 ~美少年過ぎて女性恐怖症になったけど、女装していれば普通に生活できます~  作者: 笹色 ゑ
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77 ユマの脱走

   七十七




 報告を受けて、夕食の準備を待つ間に、用意された部屋に入る。化粧直しをしようと寝室に向かうとわずかに冷たい風がしてふくらはぎに隠した短剣を取り出した。


 陰鬱とした建物はまだ日が落ちていないのに薄暗い。ジェゼロはもちろん、メリバル邸や帝王が準備した屋敷にもオーパーツを使った光源が煌々と照らしていたのでそれに慣れてしまっていた。


 息を殺して気配を探る。

「ハリサです。ユマ様」

 静かな声が窓とは反対の壁際からする。


「……ハリサ……さん? エルトナの知り合いがどういったご用件ですか?」

 夜に寝室に直接尋ねられている。もし本人でも警戒するのは当たり前だ。寝室に入る前に、先にリリーが室内は確認していたはずだ。その目をかいくぐって今この場にいることが異常だ。


「エルトナが誘拐されました」

「……」

「あなたが屋敷に囲った所為です」

 静かに抑揚のない声が咎める。


「どうして私の許へ?」

「………要求はあなたです。来ていただけますね?」

 まるで断ることがないとわかっているような言葉に小さくため息をつく。


「私の警護達に協力を要請しても?」

「駄目です。彼らはあなたを守るのが仕事、行かせるわけがない」

「……」

 頭ではわかっている。これは、カシス達への裏切りだ。


「わかりました。少しだけ、時間を。探したときにどこへ向かうかくらいは教えても? これが私の誘拐でないなら、ですが」

「構いませんが、手早くお願いします。行先は女神教会とでも書いておいてください」

 簡単な置手紙と追加の装備を身に着ける。


 素直に玄関からでる訳ではない。


 二階の窓からハリサはするすると降りていく。この屋敷の警備はざるだとよくわかった。



 ハリサは修道女が本職でないのは明らかだ。帝国の軍や警備もいる中、的確に抜け穴を使って外へ出た。少し先に繋がれていた馬に乗り屋敷を離れたのはほんの少しの時間だった。


 彼女を最初に見たのは薬草園へ向かうとき、エルトナを送りに来た姿だ。それを見て、本能的に怖いと感じたのを思い出していた。どこかニコルと同じ匂いを感じる。


「随分手慣れているのね」

 同じ感想を言われて肩を竦めた。この人は闇に随分と慣れている。


「それで、どうしてエルトナが?」

「あなたが屋敷に住まわせたからよ。あなたを釣る餌になると思ったんでしょう。実際、こんなに簡単についてきてるから相手は正しい」

「誰が犯人かわかっているんですか?」


 街を抜けて、問いかける。


「セオドア司教よ」

 ヒスラのあの司教か……。


「今はどちらへ向かっているんですか?」

「言ったでしょ? 女神教会よ」




 一つ目と二つ目の記録は共に中々波乱万丈だった。それを思えば私の人生など平凡だ。


 一つ目は研究内容を聞き出すための誘拐だけでなく、ストーカーによる誘拐に遭ったり飛行機のハイジャックに遭遇したこともあった。他にもまあ色々と大変な目に遭ってよくあんな淡々としていると思ったものだ。


 二つ目は壊滅した世界を旅したのだからかなりの苦労だ。しかも布教活動込みというムリゲーだった。山賊はもちろん、色々な場で殺されかけたり、病で死にかけたり、餓死しかけたり、日常的に死にかけていた。


 そう思うと、今生は親が早死にして預かり先が碌でもなかったくらいで結構平凡だった。ジョセフコット研究所で働かされクズ上司の許で過労ぎみだったが、それはまあ、一つ目も二つ目も似た時期があったことだ。


 小さいころはもっと泣いたり笑ったりよくしていた気がする。母が死んだときに一緒に生死を彷徨って、高熱にうなされて脳に損傷が起きたのかとも思っていたが、あの時に一つ目の記録がわかるようになった。そう思うと、今の私は結構一つ目の影響かにあるのだろう。二つ目が出てきてからそれまで以上にユマが気にかかるのは彼の記録が影響した結果なのだろう。


 今、結構な危機的状況を考えると、また別の記録が出てくるのか、それともこのまま殺されるのか、微妙なところだ。


 とりあえず今言えるのは、Y型の木製火刑台に縛られて、肩が痛い。


 幸いにも足代があるので腕が挙げられた状態で縛られているが、これで死ぬことはない。この時代の人は経験で磔だけでも下手すれば死ぬことを知っているのだろう。腕だけで吊られると胸部の筋肉がうまく作動できず、息が吸えなくなる。最終的には心室細動で死ぬ。私のように軽い体系ならば、直ぐには最悪の事態にはならないだろうが、肩が外れるとしばらく仕事に支障がでる。書類仕事ができないのは困る。


 教会内なので、ここで火にくべられることはないだろう。磔刑にされたからと言って火あぶりが絶対というわけではないが、どうせ死ぬならできるだけ痛くしないで欲しいものだ。

 二つ目の記録で布教活動で火あぶりにされかけた事があるからか、二回目のような気がして妙に冷静だ。いや、この冷静さは一つ目由来か。彼は危機的状況を結構楽しんでいた気がするのだ。


 私は今、教会の前室上に設けられた中二階に置かれている。教会の中に入って振り返るとある場所だ。そこからまっすぐ見れば祭壇と女神像が見下ろせる。その近くに舞台が組まれていた。私はメインディッシュではなく前菜かデザートなのだろう。主役はあちらで演説予定だろう。


 一時間はかかっていないだろうか、次第に人が集まり始めて教会内は満員御礼になってきた。姿からして農夫が多いようだ。何人か所作が整っている者も目に付いたので、街の上流階級か仕込みの野次係りだろうか。


 近くには一応監視もいるので特に何ができるわけでもない。誰か助けに来てくれていないかと来客に目を凝らすが、蝋明かりと月明りだけで照らされているので碌に顔は見えない。本来であれば教会には長椅子が並んでいるが、全て取り払われ、立ち見の状態だ。


 このまま順調に事が進めば私は死ぬだろう。この体裁からして、何かの断罪対象であることは明らかだ。


「はぁ」

 幸い猿轡は噛まされていないのでため息くらいは付ける。この場で助けてと叫ぶのは無駄な気がしてまだしていない。


 一番期待しているのはネイルとハリサだ。あの二人は私の安全確保を養父から命じられている。その遂行のためならば命を賭して助けに来てくれるだろうが、二人とも教会勤務なので誘拐を知っているかもわからない。拉致されてから、二日か三日と言ったところだ。列車がなければもう少し時間がかかったのだろうが、運送が発達するとこういう時に困る。


 ざわつく中で後ろからパイプオルガンの独特な響きが教会に広がる。私が置かれた場所は丁度パイプオルガンの近くなのでとてもうるさい。女神教会での祈りの儀式、説法を前にした合図だ。ざわついていたが静かになった。教徒の習慣だ。


 集光板を使って舞台の上が照らされる。オーパーツのような強い光ではないが、幻想的と言う意味ではこれもありだろう。


 セオドア司教はここに連れてこられる前に一度顔を合わせた。奥の礼拝室から出てくるのは彼だと思っていたが違った。





 フィノはやってきた女神の化身にほうと息をついた。


「エルトナはどこだ」

 女性の姿に擬態したユマ様が本来のお声で問う。


 丘に立った女神教会を見上げる位置にある小さな村、その一つの家へ入ってきたユマ様はこちらを酷く鋭い眼で見下ろす。


「連れてきたわ。エルトナはどこ」

 女が威嚇したような声をだす。


 エルトナと呼ばれる子供は大司教が選んだ供物だった。万が一に大司教が立場を追われ、ツール司教がその地位に就いた場合、何の忖度もなくブランカ大司教の罪を公にする。他の司教であればある程度は話が分かるが、彼は違う。だが司教になったのは養子エルトナの知人であるワイズ・ハリソン等の寄付があったからだ。これは不正ではないため、それ自体を罪にはできないが、養子がいなくなればその寄付は途絶え、結果司教職以上は望めない。


 ついでに言えば、そのエルトナを悪魔に取りつかれたとすれば、ツール司教は失脚する。その動きをどこから悟ったのか、ツール司教がエルトナに手紙を出した。それを利用して、誘拐してきたのは自分だ。


 手紙を奪い、中身を確認した上でそれを利用して拘束した。あまりにもあっさりと捕まえることができた。

 エルトナは予定通りに大司教に引き渡した。ここまでがセオドア司教の指示だ。

 次にエルトナを餌にユマ様を連れてこさせた。これは誰でもなく私の意思だ。


 これほどまで簡単に事が進むとは。まるで神のお導きだ。

「場所をお教えする前に、こちらにお着替え願います。ユマ様」

 男物の服を差し出すと、ユマ様が蔑むように見下す目をした。


「何が目的だ」

「私はただ、女神教会を、世界を、正したいのです」

 そう、セオドア司教の浅い黙阿弥も、ブランカ大司教の欲に塗れた行動も、女神教会には相応しくない。


「あちらのお部屋をお使いください。話は着替えられてからにいたしましょう」

 引かぬと理解したユマ様が服を乱暴に掴むと、指定した部屋に入られた。


「……対価は払ったわ。これで言わぬと言うのならばこの場であんたを殺した方がまだマシね」


 ドアが閉まると、ツール司教の雌犬がすっと小刀を出した。ユマ様さえお連れすればもう用はない。ツール司教もユマ様のお気に入りのエルトナも、駒としては意味があったが、ユマ様が来られた今、もうどうなろうと興味がない。


「エルトナはあの教会で審判を受けます。早く行かなければ悪魔付きとして殺されますよ」

「どこに隠されているの」


 この場所を指定した時点で、もう一人の犬が向かった事も把握している。だが、人が多すぎて、教会内を全て探すことはできない。だからこそ、二手に分かれて捜索と見つからなかったときのためにこちらの要求であるユマ様を連れてくることにしたのだろう。


「……舞台にいるはずです。幕はもう上がる頃ですよ」

 三文芝居に興味はない。真の主役が登場していない前座は見なくてもいい。


 邪魔な女が出ていくと、間もなくユマ様が部屋から出てくる。準備した服は見立て通りに似合っている。質素なものだが、それでも十分だった。

 化粧を落とし、後ろに束ねた髪。服装を変えただけで、まぎれもなくユマ・ハウスではなくユマ・ジェゼロと変わった。


 耐えきれず、その場に跪く。

 これが、神が遣わした尊い血を継ぐ方の本当のお姿。拝見しただけで身が震えるようだ。


「何が望みだ。茶番に付き合うつもりはないぞ」

 淑やかで美しい少女ではない、支配者たる男の姿をしたユマ様が低い声で問う。それでも尚、美しさに陰りがない。


「ああ……本当に、美しい」

 ユマ様を観察していた時には一度も合うことのなかった視線に背筋が震える。日の光の下では青と緑が混ざる清々しい瞳だが、蝋明かりの中ではより深い泉のような色だ。


「今、教会の中には女神教会の信徒とは名ばかりの反逆者の集まりに占拠されております。そして、大儀を得るためにツール司教の養子を罪に問う審問会を行うのです」

「審問?」

「女神様の神託を受けたと証明するために」

 侮蔑的なその目には同感する。


 セオドア司教がルピナス・ルールーを聖女に仕立てようなどという愚策を立てた。彼らは何故女神教会にいながらそんなことができるのだろうか。

 女神様に敬意がないことまでは許容できる。他の神を信仰することも、女神教会を信じないことも、女神様はお許しになられていることだ。だが、信仰を偽ることは、冒涜ではかない。


 セオドア司教は最早信用するにも尊敬するにも値しないただの権力を求める愚者になってしまった。従う意味など、なくなってしまった。


「……エルトナを使って、僕をおびき出して何をさせるつもりだ」

「ジェゼロの血の正しさを、知らしめたいだけなのです」

 ぴくりとユマ様の眉が動く。


「完璧な体、姿。そしてユマという名前。ユマ・ジェゼロ様で間違いないでしょう」

「……エルトナは教会に?」

「ええ、行きましょう。ご案内します」


 小屋の戸を開ける。

 直ぐに数人の男たちが周りを囲んだ。弁明も逃げる隙もなく剣が突き付けられ、後ろから引き倒されて拘束される。そんな自分に対して、ユマ様は一度目線を向けただけで指揮をとる男の方を向いてしまわれた。


「ユマ様、勝手な行動はお止めください」

「カシス」


 付けられているとユマ様は気づいていなかったのか、驚いた顔を一瞬だけ見せたが直ぐに冷静な淡々とした表情に戻っていた。松明に照らされた顔も美しい。


「……教会へ向かいます」

「エルトナの救出はこちらで行います。人員は配置済みです。先に出てきたハリサ・ハザキから話は聞いております」


 教会に目を向けると、帳が下りた中、いくつかの明かりが見えた。どうやらハリサは素直にユマ様だけを連れてはこなかったようだ。



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