7 時間契約者の取り扱い
七
メリバルにも報告は上がっている。
ジェゼロの子息で。身分を隠すためとはいえ、女装での生活を強いられる可哀そうな方。育ちがいいだけに物覚えもよく従順に授業を受けておられた。空いた時間には絵を描かれ、とてもいい生徒だった。だから、リンドウ様が忠告してくださっていたジェゼロは常識が通じないという意味を理解していなかった。
そう、五人も合法奴隷を買い付けてくるまでは。
ヒスラで行われた高額競売だ。メリバルにも報告は来ていたし招待もされている。代役を立てて競売には参加していた。代理の者からはユマ様だけでなくシュレット様も忍びで参加されていたと報告があった。
街の有力者だけでなく、美術品愛好家が参加した競売は、腹の探り合いの場でもある。何を出品し、何を買い付けるか。いくら出し、出せないのか。状況の把握の為だけにでも、家にある名画を出すだけの価値がある場だ。今回は帝王勅命の者が混じっていると噂もあった。
「ユマさん、お呼び出しした理由はお分かりですね?」
茶の席を用意して、昼過ぎに来てもらった。
丁寧で優雅な仕草でカップを持つ。本当に覚えのいい良い生徒だ。
「はい。わたくしも、メリバル夫人のお知恵をお借りしたいと思っておりました」
とても綺麗に微笑まれる。少年だと聞かされていなければ、本当に疑いもしなかったろう。
常識が通じないという助言に従い、どの程度の意識で今回の落札か確認しなければならない。
「彼ら、時間契約者について、ユマさんはどの程度御存じかしら?」
「年単位で自身の自由を売り、代わりに代金を得ること。その際に、禁止事項などを事前に決めているのですよね」
合法奴隷とも揶揄される制度を本当の意味でどこまで知っているのかと頭が痛い。
「ええ、奴隷として人を買う行為や所有する行為は場所によっては死罪に問われることもある重罪。本来は専属契約として画家や音楽家を雇う制度なので、何枚絵を描くとか、演奏会をどの程度の頻度行う、といった形で契約し、最低年俸を支払い、それ以上の行為に追加の資金を払う制度。その間は契約者の許可なく他の仕事を受けられないものなのよ」
制度ができた当初は、才能ある芸術家を囲い込み、財力を示す行為だった。
「悲しいことに、生活にも困る方が占有時間と引き換えに代価を得る手法になってしまい、特別な才能を売るのではなく、その体を売る制度に改悪されていってしまったのです。競売に参加できるほどの値段が付くからには、何の技能もない訳ではないでしょう。ユマさんは、彼らに何をさせるおつもりかしら?」
四人しかジェゼロからは連れてきていない。補強のために、服従する彼らはいいかもしれないが、それはあくまでも建前で、反逆がないとは決して言えない。
「……昨日のうちに、全員と契約の変更を行いました」
「変更?」
困ったように微笑まれる。
時間契約の特徴として、その時間の間は最初に取り交わした契約を反故にできないことがある。売り手が禁止したことを強要すれば契約は無効として契約金を得たうえで解放されるのだ。禁止事項が少ないほど高額でやり取りされ、買い手に有利な条件になる。契約時に転売の可否も決められるが、損益は本人に関係なく、新しい買い手も当初の契約を遵守する必要がある。
契約の変更は全く不可能ではないが、基本困難なものだ。やはり、わかっていないのかとため息が出る。
「はい。買い付けたのと同額を貸し付けたと言う名目で時間契約を解除しました。これで帰郷できる方がいればいいと思ったのですが、一人意外は帰りたくないようで……とりあえず、臨時雇用する形で自立できるように支援しようかと」
実は嗜虐趣味で内に込めて黒い感情を発散させるのに使うと言われた方が、まだ心穏やかに成れたかもしれない。聞いた言葉が頭に入ったのに理解できなかった。
「ユマさん。時間契約を満了させたということ?」
「はい、そうですが……何か特殊な手続きが必要でしたでしょうか」
頭が痛い。時間契約の際の金額で自分を買い戻す事は許されている。転売の場合は当初の値段か新しい買い手の値段かはその際に買い手が決めることができる。それを悪用して買戻しを考えている時間契約者の値を吊り上げる事はよくある悪徳手法だ。
「……役所に届け出がいるので、それらは後日お手伝いします。いえ、それらは本人に確認してからにしましょう。契約が終わったと知られて不利益を得る方もいるかもしれません」
「不利益?」
「ええ、親が迎えに来て、養育権を回復した後また他所に売る可能性もあるのです」
「……それは、知りませんでした」
本当に、解放するつもりだったようだ。
「ユマさんは、契約を解除、満了する意味を理解していて?」
拒否命令なしで売られていたものが複数いたと報告されている。拒否命令なしでの契約者は多くない。契約時に家事や労働などに制限をかければ、生きて自由を得られるが、拒否権を持たないと言う事はどんな仕打ちも扱いも、命令も、受け入れると言う事だ。大抵が満了するまでまともな状態で生きている事はない。生き延びたとしても、精神に障害をきたして、路上で野垂れ死ぬのが関の山だ。最後の数年は悲惨だと聞く。実験用として売り払われることも少なくない。ある意味で、財産として所有される奴隷よりも過酷な契約だ。
まだ状態がいい時間契約者たちのようだが、自分たちの末路は理解していただろう。
「そうですね。急に住む場所も仕事もなく解放されても困ってしまいますよね。メリバル夫人にこれ以上のご迷惑はおかけできないので、ここに置いて置くわけにもいきませんし、どこかに部屋を借りてあげなければならないですね。色々と生活品もいりますし」
暢気な言葉に淑女らしくなく頭を抱えたくなった。
リンドウ様からは問題があればすぐに報告をと言われていたが、まさか、学校が始まる前にこんな買い物をしてくるとは思わなかった。
「彼らはどうしたいと?」
「警護として雇って欲しいと言う方。メイドとして働いていたと言う方は、僕の許で面倒を見てもいいかとは。下二人も残りたいと言うのでとりあえず年相応の学力と常識を学ばせなければならないですね。一番下の子の兄は唯一国に帰りたいとのことですが、妹を置いてはいけないと、とりあえず残るようです」
最初に常識を得たほうがいいのはあなたではないか? と言いたいのを飲み込む。確かにこのまま放り出されても途方に暮れるだろう。解放される人生設計などなかっただろう。
「最初に、ユマさんの警護には使えません。もちろんわたくしの屋敷の警護にも。街警備に伝手がありますから、そちらでしばらく働いていただくことは可能ですわ。メイドも同様ですが……まあ、洗濯婦としてならばわたくしの屋敷で使っても構いません。下二人は寮のある学校を斡旋いたしましょう」
金持ちの道楽にしたってもう少し計画的だ。命を救ったのは事実だが、それにしては本人は暢気すぎる。
カシスからも、離れを彼らに使うならばユマ様は本館に留まってもらう事となると言われてしまった。身元がはっきりしない者を近くに置くことはできないとのことだ。
あれだけの大きな額が動いた競売だ。売り手からの命令で買い手の屋敷へ商品として入り込み、情報を得たり盗みを働かせるための売買の可能性もあると言われた。
「ミトー。できればヒスラの街の中、難しければ駅との間の町で彼ら用の部屋を借りられないかな?」
メリバルとの話し合いの後、本館の部屋に戻って問いかける。
「……そうですね。ヒスラの街は家賃が高騰気味ですし、門前町は治安が少し心配ですね」
顎に手を当てて首を傾げてミトーが悩む。
街や周辺の情報を色々調べているので、何かいい策がないかと相談したが、まだこちらに来て長い訳ではない。いい解決策がないかと思ったのだが。
「あ! 教会!」
ミトーが声を上げるので何かいい策を思い浮かんだのかと思ったが、女神教会に預けるのは悩ましい。ナゲルの反応からして、いい環境ではなさそうだし。
「女神教会に預けるのは……」
「いえ、西の森近くに使われていない教会があるんです。丁度このメリバル邸から頑張れば歩ける距離です。ヒスラの女神教会ができる前の建物らしいので、かなり簡素ですけど。雨漏りなどもそれほど酷くないですし、とりあえず生活するには問題ないかと。村が近くにあるので小さいですが学校もありますよ」
廃屋に押し込むと言うのはあまりにひどくないだろうか。
「住めたとしても、誰に借りればいいのか……」
女神教会に頼みに行くのを許可してくれるだろうか……。
「村の避難場所兼寄り合い所として活用しているようで、定期的に村人が掃除をしているそうです。村長に修繕と引き換えに頼めばいいかと。メリバル夫人の後ろ盾は必要ですが、あちらの村はアーサー家と懇意ですから」
「なら、一度見に行って」
「駄目ですからね」
すぐさまにミトーに却下された。
今リリーは女の子の、カシスは男たちの身体検査と検診をしている。どちらも僕が見学すると問題が出るので参加していない。ナゲルは医師見習いとしてそちらへ行っている。ミトーだけならば出し抜けるかと思ったが、列車で一服盛ったのがよくなかったのかあからさまに警戒されている。
「女の子は安全のためにこっちで面倒を見てもいいとは思いますが、男三人は流石にユマ様のお側には置けません。帰りたがっている兄はわからないですが、後の二人はカシスさんが認める程に技量があります。万が一ユマ様に危害を加えられて場合、対処ができるかわかりません」
鍛えているから大丈夫だという問題ではないだろう。寝首をかかれて僕に何かあれば警護たちは非常に困る。
「ユマ様の気まぐれとはいえ、自由の身になれたんです。また誰かに買われたいなら時間を売ればいいし、まともな人生を過ごしたいなら地道に働けばいいだけです。ユマ様がこれ以上背負い込むのは違うと思います。本来購入者は命じて仕事をさせるものです。愛玩動物として世話をする必要はありません」
「犬猫の方が、多分放っておいても生きていけますよ」
拾った猫は、ある程度大きくなると城から出て、たまに愛想を振って餌をねだりに来るだけになった。
ガトの絵を久しぶりに描きたくなった。猫は懐かないから可愛い。他の動物は大体懐いてくれるが、何もしてやれないのにと申し訳なく。
「話した教会は景色がきれいな場所なので、ユマ様の別荘……気晴らしの場所として整えてもらっては如何ですか? 仕事としても名目ができますし、生活費も渡しやすいのではないでしょうか」
それならば、まあ聞こえはいいか。
戻ってきて報告をしに来たカシスに相談すると、男三人はひとまずそちらへやればいいと言う話になった。既に契約は解除しているので短期雇用扱いでしばらく様子を見るとのことだ。この後メリバル夫人に意向を伝え、ミトーと村へ調整に行ってくれることになった。メリバル夫人からの案は先に伝えていたが、四人とも微妙な反応だった。最悪従うしかないが、何か方法を考えてあげなければならない。
「こんな大ごとになるとは……」
「人一人の命が軽い訳がありません」
厳しい口調で言われてしまうが、彼らを競り落としてきたこと自体をカシスは咎めてこなかった。僕も、後悔はしても同じ状況ならまたやらかす自信がある。
男三人は健康状態も問題なく、多少貧乏生活でも問題ないとのことだ。
女の子たちは、離れの一階を使わせることになった。ココアは契約に性交不可となっていただけに処女だったそうだが、やはりと言うべきか、アリエッタは性的虐待を受けていた。健康状態には一応問題はないようだ。
アリエッタ以外は、放っておいても野垂れ死にはしないだろうし、そうなっても年齢的に自己責任だと割り切れるだろう。だが、アリエッタに関しては、ジェゼロへ送ることも考慮しなくてはならない。ジェゼロの孤児院ならば安全と生活は保証できる。
これは偽善だが、あの時アリエッタを競り落としたのは自分を助ける行為に近かった。金がなくて歯噛みするならばまだしも、使える金が転がり込んでいるのに渋って助けなければ、僕は僕に対して絶望していただろう。他の四人はヤケクソではあった。僕が描いた絵が売れて、誰かを助けられたならば、僕の手から離れた作品たちは価格以上の価値になった。
全員を離れに集めると、これからについての話しをする。
「トーヤ、ニコル、それにゾディラットには近くの森にある教会に滞在して、そこを整える仕事を与えることができます。私が滞在できる程度に改築清掃を目標にしてもらいます。生活費などは支給しますが、これ以上の保証は今のところはできません」
「アリエッタはどうする……つもりですか」
ゾディラットが直ぐに噛みつく。心配するのは仕方ないだろう。
「アリエッタにはこの離れでココアの手伝いと空き時間には勉強をしてもらう予定です。流石に、見ず知らずの男性と女の子たちを一緒に生活させることはできませんから」
言い返すのをアリエッタが先に止めた。
「兄さん……私、ここにいたい」
女子供とはいえ、二人を近くに住まわせるのは反対もあったが、押し切った。それに僕たちが使うのは二階だ。そちらには二人だけでなくメリバル邸の使用人も上がらせる予定はない。
最初に快諾したのはニコルだった。
「ユマ様のために掃除します。綺麗にします」
にこにこと笑顔で答えられる。
「自分も、それで構いません」
言葉少なくトーヤも了承する。初めから信用されるとは思っていないのだろう。
ココアの方へ目を向けると、小さく頷いた。
「一生懸命、務めさせて、い、いただきます」
最後にゾディラットへ目を向ける。
「家族の許へ戻って、生活環境を整えてから妹を迎えに来たっていいんですよ」
どんな家庭環境かは知らないが、子供が二人も時間契約をしているような家庭だ。兄が独り立ちして妹を受け入れると言うのならば引き渡してもいいが、そうでないならば簡単には渡せない。少なくとも買ってしまった責任が僕にはある。
「わかりました。教会に滞在します」
渋々ながらに受け入れたことで、五人の対応が正式に決まった。
次の日にはカシスとミトーが連れ添って教会へ向かい、村長とも話をつけてくれた。
僕も今回はとても迷惑をかけた自覚があるので、新学期が始まるまで大人しく淑女教育を受けながら過ごした。
離れへ居を移して間もなく、目的だった留学先の入学日が近づいていた。
メリバル夫人はカシス以上に貧乏くじを引かされました。
ミトーは昔から何かしら重要なものを発見します。目の付け所が変です。