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女装王子の留学記 ~美少年過ぎて女性恐怖症になったけど、女装していれば普通に生活できます~  作者: 笹色 ゑ
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68 アシュスナ、沼落ちとミトーの帰還


   六十八



 ユマと名乗った美少女は、何も持たずに拉致された俺のために仕立て屋を呼んだ。


「普段の生活は出来合いの衣装で構わないですが、アシュスナには新しい当主として色々な方と会っていただかなければならなくなったでしょう? きちんとした服はそういう場には欠かせませんから」


 ユマ・ハウスは言いながら作らせる服の書かれた紙を確認している。


「……俺には服を買うだけの資金がないんですよ」


 服屋に出向くのではなく呼びつけたユマに皮肉を言いたいが、国境の監視小屋から突然姿を消したのだ、戻っても訝しがられる。変なことを勘ぐった婆に本当の刺客を送ってきかねない。しばらくはこの屋敷の世話になるしかないのだ。


「出世払いで構いませんよ。出世できなければ私の見る目がなかったと諦めます」

 採寸を受けながら、冗談めかして返す相手を観察する。


 所作は品がある。化粧の上手さもあるが、それだけではない生まれ持った顔立ちの良さ。嫌味でもなんでもなく、純粋に、こんな娘が街にいれば誘拐されて娼館に売られる。高級娼館になれば顔や体だけでなく、知識や手管もいるが、余程中身が残念でなければ、見た目だけで上り詰めることも可能だと思わせるほどの逸品だ。


 サジルとか言う白子の敬い方を見ても、ユマはかなり位が高い家系だろう。それに無実での処刑を減らすために俺を連れてきたと言うが、それでこいつにどれだけの利があるのか。無論、それは建前だろう。ユマの目的は見極めなければならない。


 そう思う冷静な頭とは別に、どうすれば娶れるか、場合によってはこちらが婿に行けるかと浮足立って考えている自分がいた。


 連れてこられた時の悲壮な状況で、もしも迎えた相手がアゴンタか婆なら、薄汚い野良犬がと罵り、震えるまま寒空に放り出されただろう。彼女は来るなり話しをするよりも、こちらの状況を見て直ぐに湯を用意したり温まるように手配をした。


 この屋敷に放り込まれた時に、ついたばかりの暖炉に駆け寄ると、所長代理に招かれている身でしょうと椅子に縛り付けられ暖炉から離れた場所に放置されたのだ。あいつはいつか殺す。


 心証をよくするための策略だった可能性もあるが、そうならばまんまと策にはめられている。まだ片足がずっぽりハマった程度で、もう片足は冷静にこんなうまい話があるわけがないと踏みとどまっていた。


 高級娼館で絶世と呼ばれる美女たちとその裏の顔、裏の生活も見てきた。だからこいつも一歩楽屋に入ればだらけて鼻をほじるような姿を見せると。


「随分細いですが、体質ですか?」

 かなり薄着にさせられているが、しっかりと温められた部屋は寒さを感じない。別に裸ではないので見られても構わないが、心配そうな目で見られて体温が一度上がるようだった。


「山小屋で、碌な物資がないままに冬に入る予定だったんで、秋から切り詰めて食料を貯めてたんですよ」

「そうでしたか。では、服の大きさはそれを見越してあまりぴったりに作らない方がいいですね。後で仕立て直しができるように作っていただきましょう。食事は料理人に希望を言ってみてください」

「……こちらの料理長は料理を始めたばかりかと思っていました」


 出てくる料理はくったくたのスープや鶏の安い部位を蒸したものとかだ。


「すみません……私の食事を基準にしているので。料理長は料理することに飢えているので、あまり高級な食材は使えませんが、腕を振るわせてあげてください」

「あれが……あんたの食事?」


 踏みとどまれていたのは、やっぱり下民にはこの程度の飯でいいと言う使用人たちの嫌がらせだと考えていたからだ。


「ああ、私もあれが味気ない食事だとは理解していますよ。ただ、毎日油が多い食事だと胃が疲れてしまいますから。それに料理長のやる気を保つためにおやつは凝ったものを作ってもらったり、たまに豪華な食事を好きに作れる日を設けています」


 たまにだととても美味しいので偽りなくおいしいと感想が言えるのでと、ユマが困ったように笑う。


 あれか、その美貌を保つための秘伝の健康食と言うやつか。娼館でも無理に痩せようとしたり、生卵しか朝に食べないと公言する者もいた。


 つまり、そんな秘伝の食事を惜しげなく披露していたということか。

 何とか踏ん張る片足を、沼にはまったもう一方の足がずいっと引き込もうとするのを感じた。


 ふと、あのアゴンタがユマに求婚したと言うことを思い出す。あいつでは歯牙にもかからないだろうが、その時はまだ粛清前の統治区の次期区長だったはずだ。それを簡単に足蹴にするとは、気位まで一流の娼婦のようだ。


「………もし、俺があんたの望むように、必要な処罰だけでこの統治区を立て直したら……俺の妻にと所望したい。最悪一晩だけでもいい」

 沼にはまった方の足が喋ったに違いない。


 それまで所詮はこんな扱いだと踏ん張っていたのに、思い違いだったと分かったから悪いんだ。


 うっかり出た言葉は飲み込んでももう遅い。ユマの後ろの侍女が笑顔のままめっちゃっ睨むと言う器用なことをしてくるが、当のユマはきょとんとした顔だ。


「ごめんなさい。わたし、お嫁には行けないんです」

 儚げな表情で返される。近くにいる警護の同じ年位の男はそれを見ても微動だにしない。針子ですらその憂いのある表情にきゅんとした顔をしているのに。


「でも、アシュスナが頑張ってくれるのは嬉しいです。その……できるだけ多くの人が裁かれない事が理想ですが、ルールー一族の中には救えないものもいるのです……」


 辛そうに一度目を伏せた後、こちらに向いた緑の中に青を落としたような瞳がこちらを見る。とても綺麗な目だ。


「なんの罪もない子供を平気で殺すような方を許すことはできません。権力があればそれを赦すような土地であることも私は許容できないのです。アシュスナが気丈にふるまっても、辛い事でしょうが、子供たちの、この土地で生きる者たちの将来のためにも、頑張ってください」


 俺たちの子供と言う幻聴が聞こえた気がしたが。幻聴ではなく明喩だったのではないか?

 踏ん張る方が落ち着けと言うが、でもめっちゃ可愛いし、女神様かな? と踏ん張ってる方までが考え出している。


「………不幸な子供を作る気はありません。子供たちが何の不安もなく生活できる場所にしてみせます」

 家庭環境は大事だ。本当は子供なんて作るつもりはなかった。いい父親になれる気がしなかったからだ。


 だが、あの陰湿で穢れた当主の屋敷を破壊して、新しく屋敷を建てよう。ここよりも立派でユマにふさわしい屋敷を。子供は男と女、一人ずつがいい。娘は可愛すぎて困ってしまうだろう。息子にはそんな娘を守れるようにしっかりとした次期当主に育てなければならないが、厳しいだけでなく、愛情も注ごう。


「アシュスナが、そのように考えてくれていて嬉しいです」


 孫まで産まれた時点でユマの声で今に戻ってくる。





 ミトーが戻ってきた。


「ユマ様、戻りましたが……、こちらの屋敷は」

 一度メリバル邸に向かってしまったそうだが、向こうで僕らはこちらにいると聞かされたそうだ。


「……帝王が、僕の為に準備していた屋敷らしい。後、三人には僕の性別と本当の名前はもう知らせているから」

「ええっ、俺のいない間にっ。大丈夫なんですか?」

「ナゲルはともかく、ミトーはいてもいなくてもどちらでもいいだろう」


 トーヤが淡々とした口調で言う。歳が近いのでこの二人は比較的交流があるのだろう。トーヤがミトーには気安い感じがする。


「うぐぅ、そうだけど」

 警護内ではオオガミがニコルに口を滑らせ、茶会での際にトーヤにもばれたことは共有されていた。目は光らせてもあえて口には出していなかったようで、正式にジェゼロの血筋であることも伝えられたのは三人にとっても大きな意味がある。


 そんなミトーにカシスが報告を促す。


 ミトーが向こうで収集してきた情報はこの場で流していい物と、別途報告が来るものもある。性別と出自を知らせた結果、喋れる範囲も広くなる。


「あの後、捜索の結果狩りをしていた者は全員捕えることができました。ただ、孤児院長を射た者が捕まったのかははっきりしていません。今後も警戒した方がいいでしょう」

 僕に危害を加えた時点で、残念だが死刑はそう免れない。使用人たちを全員処罰する必要はないと思うし、主の命ならば従わざる得ない者もいただろう。そう考えると一律で処罰はできないだろう。実際に罪を犯した者や係わった者たちの処罰や裁判は僕が関わっていい物ではない。それは帝国の法によるものだ。


「その中にルールー統治区南地区長の息子が二人確認されています。こちらの関係もあるので当分執行はしないとの事ですが、今回が初めての狩りではないのは確かです」

「南地区ですか……」


 サジルの資料を思い出す。南地区・西地区・それに中央地区の地区長のところには養子や次期跡取りとして現当主の子供がいる。アゴンタにもしもがあれば、そちらから次期当主を建てるための予備として生かされているようだ。あまり出来が良すぎればアゴンタが当主に成った時に始末される可能性が高いが、ある程度の権力がなければそれはそれで命に危険がある立場だ。


「息子は養子ですか? 当主の子が南地区にはいたはずです」

「いえ、実子です。それから孤児達は無事に新しい施設に移りました。ココアがそのうち一つでしばらく働く予定です」


 それに頷く。親のいない子供が贅沢な暮らしやほかの子供のように生きられないのは仕方がない部分ではある。だが、その遊びとして殺されていい訳ではない。


「あと、助けてもらった子供からユマ様とニコルに宛てて手紙を渡されています。後でお渡しします」

 他の子供は犠牲になってしまった。手放しに喜べないが、一人だけでも助かったのならば川流れをした甲斐もある。


「それと……こちらの西地区にある塩田なんですが、一年ほど前にワイズ・ハリソンが権利を買い取っているようです」

「……どういうことでしょう」

 塩産業は今から手を出すほど利益が上がるものではない。そう言えば、誰かが買ったとは聞いたが、ワイズだったのか。


「塩の価格が暴落して、以前よりもかなり価格が下がっていたようで、ユマ様が参加した競売の後に向かって権利を購入したようです。今のところは元の従業員を再雇用して細々とした塩づくりをしているようです。一部化粧品や入浴剤などにも使っているようですが、正直に言って赤字だと」

「わかりました」


 それを聞いて、頭に浮かんだのはエルトナだ。ワイズはエルトナからの助言をかなり取り入れているようだし、エルトナから言われれば大金を動かすことも厭わないだろうという確信がある。ただ、何故今塩なのかはわからない。


 他の報告では、最近は帝国の拡大は落ち着いているとか、むしろ平和的独立がいくつかの地方では起きているとの事だ。


 まるで生前整理のようだと頭によぎる。




アシュスナの為に服屋を呼んだというよりも、

アシュスナの服の仕立てはついでですが、アシュスナは沼に落ちました。

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