61 主の本当の姿
六十一
ユマ様から話があるから聞いて欲しいと改まって言われ、席についていた。アリエッタは全員分の茶を準備してから着席し、ニコルはユマ様が来られるまでの間にオオガミの許へ向かい何か話してから戻ってきた。
ニコルが座って間もなく、上の廊下から少年が下りてくる。
ユマ様は準備があると部屋に戻っていて、ナゲルはまだこちらに帝都から戻って来ていない。だから、上にはユマ様しかいないことをトーヤは頭では理解していた。そして、ユマ様は女性ではなかったと、自分はこの目で見ていた。
だが、アリエッタと同じく、ぽかんと間抜けな顔をしている自分がいた。
黒に近い茶色い髪はいつもと違い後ろで束ねられ、喉元まで隠れる服ではなく鎖骨が見える服を着ていた。いつもの服がどれだけ緻密に体系を誤魔化していたのかと驚愕する。整った顔と均整の取れた体は普段の女性らしい形とは全く違う。
顔立ちは当たり前だが同じで、化粧をしていない顔は明らかに女性ではなく男性だ。わかっていても、あの時の胸板は見間違いではないかと自分を疑いすらしていたが、あの完璧な美少女の仮面の下には、それを超えた美少年が隠れていた。いつも長いスカートを穿いていたし、喉仏もうまく隠され体系も誤魔化されていたのだと寒気がするほど実感する。
階段から降りる姿は男の恰好でも優美で、芝居の一場面のようだった。
「他の二人は、不可抗力で知られてしまったけど、アリエッタには黙っていてすまなかったね」
何をと言わずとも、その姿を見れば彼が彼女ではないことは一目でわかる。
アリエッタが主人に対して慌てて立ち上がるのを見て、自分も座ったままだったことに気づき立ち上がろうとするが、それをユマ様が制する。
「座ったままで」
言うと、向かいの席にユマ様が腰かける。今はカシス隊長とリリーが警護として立っていた。オオガミは暖炉の前の一人用の椅子にゆったりと腰かけてこちらを見ていた。
「三人を正式に雇いたいと思っている。これから話すことは、口外は禁忌だから、もしも、そこまでの覚悟がないならば席を外して欲しい。後出しになるけれど、耳にした後にやはり無理だとなっても、僕の安全の為にも少なくとも僕が留学中は監視下に置かなくてはならなくなるから」
ユマ様の申し出に立ち上がるものはいない。この中で、一番覚悟が足りていないのは俺だと自覚している。アリエッタもニコルも、ユマ様のためならば死ぬだろう。何よりも二人にはここ以外生きる場がない。少なくとも望む形で生きられるのはここだけだ。
「……」
ゆっくりとこちらを確認するように見て、ユマ様が再び口を開く。
「僕はユマ・ハウスではなく、本当の名前はユマ・ジェゼロ。ジェゼロ王の長子だ」
姿と同じく男言葉を話すユマ様がゆっくりと告げる。それにごくりと唾を飲んだ。
どこかの有力者の子息であることは確実だった。それも帝国の中枢に関係している。それこそ帝王の血筋であるイーリス家の子である可能性までは考慮していた。だが、他国の、それも神の国として帝国が唯一尊ぶ国の王太子だと、誰が考えるだろう。
「帝王陛下はジェゼロに対して随分と優遇してくれているから、僕には国からの警護だけでなくジェーム帝国の警護もついているし、こんな屋敷まで贈られてるけど、実際は王の子と言うだけで国では権力を持っているわけではないんだ。僕は王位継承権がないから、今回の留学も許された。ああ……僕自身王位につきたいと言う考えは全くない事は先に言っておくよ」
長子で、優秀で、これだけの美貌を持ちながら、王位がないとはっきりと言い、それに不満がないと続ける。
「だから、将来的に王の家臣としての立場どころか、一般的な所得を君たちに保証できるかもまだわからない。できるだけ配慮はしたいけれど、面倒を見られないとなればそれぞれで生きてもらうことになる」
「ユマ様……」
最初に手を挙げたのはアリエッタだった。
「私はユマ・ハウス様に助けていただきました。例え何の地位がなくとも、私はユマ様のお役に立ちたいのです。お金に困られたら、私がユマ様の生活を支えます。それだけのことを、してくださったんです。それが重いとお考えであれば、手放していただいても構いません。気兼ねなくそうできるように、たくさん勉強もします」
自分の半分ほどしか生きていない少女は、ただまっすぐに目の前の相手を主と定めていた。役に立てるだろうかと悩んでいた少女に、心に傷がある子供に俺は酷い事を言った。心の傷を見せず、明るく振舞うことは簡単なことではない。最初に競売に並んでいた時の、怯えるしかできなかった子供はもういなかった。
続くニコルは、聞く必要もない。
「僕は難しい事はわかりませんが、ユマ様の役に立ちたいです。側にいたいです。それだけです」
ニコルからは、相談を受けた。ユマ様を見ていると体の一部がそわそわすると。川に飛び込んだ結果、ニコルはユマ様が男であると知っている可能性は高かったが、先ほどのユマ様の口ぶりからやはり知っていたのだろう。互いに男であると知っていることは口外していなかったが、ニコルは男であるユマ様に対して、性的に興奮するようになっていた。いや、もっと包み隠して言えば完全に恋に落ちていた。
絶対にユマ様には言わないようにと言い含めたが、ユマ様に声をかけられるたびに赤面するようになっていたが、不思議と今は普通に対応している。女装姿にしか反応をしないのか、それとも、オオガミに何か言われたのか……。
ユマ様の視線に促され、俺も口を開く。
「以前にお話しした通りです。川に落ちてしまわれた時には、絶望しかけましたが、あれでもまだユマ様は無事に戻ってくださいました」
以前、ユマ様に語ったことは事実だ。
最初の主君は少し間が抜けていたが、悪い人ではなかった。ただ、結婚した相手が悪かった。親が決めた婚姻とは言え、あろうことか家臣である俺まで閨へ誘うような女だった。そして、俺は主が暗殺されるのを止められなかった。
時間契約を交わした相手は新しい統治者の親類だった。その金を主だった者の家族に全て渡したのも事実だ。だが、すぐに諍いが起きた。暗殺に加担した主の妻も新しい統治者も死罪として処罰され、俺は契約で許可されたバラシが行われる前に転売されることになった。純粋に買い主が金に困ったからだ。新しい買い手は競売の参加資格の為に俺を買ったらしく一度も会ったことはなく顔も知らないままだ。
幼いころから主君を守り、仕えるようにと育てられてきた。
成人すれば当たり前に、この身を捧げるに値する主を得るものだと思う程度に自分は馬鹿だった。
「私の産まれはアッサル国です。信用いただくためであれば以前の契約者についてもお話をいたします。どのような訓練も耐えて見せます。正式に警護としての雇用を願います」
俺は馬鹿だった。誰かに命じられ、誰かの希望で主を決めるなど。その土地の有力者から指名されたからと最初の主を決めてしまった。真に仕えるべき相手は、他者に決められるようなものではない。
自分が仕えたいと思った方に、価値を示し、許しを得ることから始めなければならない。
俺も覚悟をすべきだ。本来であれば主が殺されるという失態を犯した時点で腹を切るべきだった。それができず、時間契約という逃避に及んだ。心では真に主と敬っていなかったのだ。だが、もしもユマ様を守れなければ、その時こそ、死をもって償うことができる。
三人の意志を確認したユマ様が息をつく。
「わかりました。僕の性別はもちろん、ジェゼロ出身であることも、誰にも話さないでください」
人差し指を唇に当てる姿は男の姿でもどこか愛らしさがある。高貴な血筋だから美形になる保証はない。血筋がいい上にこの見た目だ。男と知ったアリエッタがどう反応するのか……。ユマ様はアリエッタを庇護している。他の時間契約者よりも最初から特別扱いだった。ふと身を弁えない事態にならないかと心配になった。
「生まれと性別を話したのは、今後は三人にも情報共有をするためです」
ユマ様がカシス隊長に視線を向ける。カシス隊長が一歩前へ出た。
「耳にはしていただろうが、帝王からの提案で今回ルールー統治区の粛清に係わることになった。否応なくユマ様の身の回りに危険が増す。我々が最優先するのはユマ様の安全になる。何かあれば他は捨て置くことになる」
その言葉に横に座るアリエッタがびくりと肩を震わせた。
僕の性別を隠していることと、ジェゼロの血であることを隠したままではカシス達との会話でも困ることが増える。それに、三人は覚悟をもって僕の許で働きたいと言ってくれていたから知らせた。それで怖気づいてくれた方がむしろ在り難かったが変わらないようだ。
アリエッタは国に連れて行けば知らせることとなったし、二人もジェゼロ関係で仕事を任せられそうだと判断したからでもある。
僕が襲われたことでルールーの処断の決定打になったこと。できるだけ死人は出したくないので手を出すことになってしまったこと。それと、今後僕が狙われる可能性が高いことを話す。これからは会う人が増えるだろうから、人手もいる。
三人に話す上で一番心配だったのはアリエッタに男の姿を晒すことだった。僕ほどではないものの異性に対して恐怖はまだあるだろう。それに僕の女性恐怖症は治っていない。アリエッタ相手でも発症しない保証はなかった。
最悪の予想をして部屋を出た。アリエッタはぽかんとした顔をしていたが、今までと視線を変えることはなかった。助けたのが他国の王子様という設定は少女達らしたらときめいたり運命を感じるような展開だろう。自意識過剰だが、そういう目で見られたと感じただけで失神する可能性がある。
無論、僕がアリエッタに慣れたので今のままならば問題ないと判断したからこそ、男であると知らせたのだが、今はナゲルがいないのであっさりと失神する前に部屋に逃げ込むくらいはできるだろう。あいつがいると、あとは任せたとばかりに意識が飛んでしまうのだ。
「ユマ様、二つよろしいでしょうか」
一通りカシスからの話を聞いたトーヤが手を上げる。
「……ユマ様がジェゼロ王家のお血筋であることはわかりました。オオガミ……様もそれに近いお血筋なのでしょうか。また、何故……帝王陛下はジェゼロ王の王子に今回このような指示をお出しになられたのでしょうか」
後ろでふんぞり返っているオオガミに視線を向けると、オオガミがひらひらと手を振った。
「俺はユマの大叔父にあたる。前国王の兄だ。後様付けはいらん、正式には俺はもう王族の枠にはないからな」
正式にはオオガミは成人と共に王族ではなくなってトウマ・ジェゼロからオオガミ・トウマに名を変えたそうだ。僕が生まれるころから実質的な母の執務の手伝いをしたり代理をしているので大変扱いが微妙だが、本人はあくまでも元王族の平民という設定だ。
「一つ目の疑問はまあ、そういうことです」
もう一つは聞かれるだろうとは思っていた。問うとしたらトーヤだろうとも。他の二人はあまり細かい事は引っ掛からないだろう。
「帝王のお考えは僕にもわからないけど、これは最悪の推測として、王に成れないならば帝国の統治区を与えて僕をジェーム帝国の人間にしたいのかもしれないとは憂慮している」
直接的に言われたわけではないが、帝王の母への姿勢は異常だ。その子供である僕らにも到底帝王としての態度ではない親密さを見せる。
「僕が人死にを良しとしない性格だから、それを使って丸め込まれた感は否めない。今回は僕の手腕を見たいのか、そのままここを押し付けたいのか、それとも失敗してもいいただの教育材料として与えたのかはわからない」
ここに留めることと、僕に経験を積ませることが目的だろう。その結果人死にが減るならばいい。
「……リンドウ・イーリス様といい、帝国の軍といい、ユマ様がこれほど帝国内で優遇されている理由は理解しました。ユマ様が望む方向へ向かえるよう、少しでもお力になれるように尽力いたします」
帝国民ではなかったというトーヤが胸の前で右の拳を左手で包み頭を下げる。アッサルというルールー統治区にも隣接する国の出身だと教えてくれたが、これまでは帝国式にあえてしていたのだろう。
「話終わりか?」
後ろからオオガミが問いかける。三人を見ると特に質問もなさそうだ。終わりましたと返せば、オオガミが立ち上がる。
「で? さっきお前が川に落ちたって聞こえたんだが、気のせいか?」
にこやかに問われ、しまったと視線を逸らす。
「ユマ様が川に落ちてしまわれて、僕も助けに飛び込みましたが、反対にユマ様に助けていただきました!」
ニコルがぱっと手を挙げて説明してしまう。
「それで、孤児を助けて怪我ぁしたそうだよな」
「うぇ、なんでそれを」
ジェゼロへの報告でも省いたのに。
「あっ、すみません……」
しょぼくれたニコルの声がする。くっ、先に飼いならして情報を得られていた。
「んで? 怪我は」
手の甲を見せる、毒矢の傷はもうどこかわからない程度まで治っている。
「大丈夫です。川に落ちたのは、うっかりで、壊れた橋が崩れるのに巻き込まれただけですから」
「それに関しては私の監督不届きでした」
カシスがとてもまじめな顔をしている。
「しゃーない。変わったもんがあればふらふら近寄ってくのは血だ。俺でも壊れた橋とかあったら見に行く」
「それを止めるのも我々の仕事の内でした」
誘拐事件の時よりもカシスは責任を感じているようだ。ただでさえ大変な仕事を押し付けられているのだから心労に配慮しなければならない。いや、原因は僕自身だが。
「カシスの仕事を減らすために気を付けます」
「ご安心ください。期待はしていません」
期待されないのは、それはそれで辛い。
改めてカシスが三人を見た。
「トーヤは今後ユマ様の正式な警護として配置を決める。我々と違って失態は己の命がかかると肝に銘じるように。ニコルは警護の補佐と共にミトーが戻ってからはそちらの仕事の手伝いもしてもらう。アリエッタは引き続きユマ様が寛げるように侍女として勤めるように。ユマ様の意向でニコルとアリエッタには義務教育までの学力はつけてもらう。それも仕事のうちだ」
これまでも働いてもらっていたが、僕の身元を明かした事で試用期間から正式雇用に変わったようなものだろう。三人が残るならばどう扱うかはカシスとの間で先に決めていた。
「トーヤとニコルの程度は俺も見ときたいからな、朝にでも稽古をつけるか。それにユマも鈍ってるだろ」
オオガミが不穏なことを言う。
「僕は、あまり人目に付くところで稽古ができないから……」
「正面玄関に、道場に使えるくらいの場所があっただろ。あそこなら雪が降っても関係ない上に、外からは見えないだろ」
これは、逃げられないか。せめてナゲルがいれば……人身御供が増やせたのに。
「あっ、あのっ……オオガミさんっ。私も、私も稽古をつけてくださいっ。いざとなった時に、ユマ様をお守りしたいんです。それに、せめて自分の身くらいは守れるようにならないと、足手まといになってしまいます」
どうすれば回避できるかと考えていた中、アリエッタが参加を希望した。
「いい意気込みだな。俺だと手加減が難しいから、リリー、無理ない範囲で稽古してやれ」
「私は、女性の中ではかなり異質の部類ですから、ミトーかカシス隊長の方が向いているかもしれません」
侍女としての役割も今では板についてきたが、リリーの本質は武闘家だ。リリーが自身の資質を案じていると、トーヤが名乗りを上げた。
「子供の訓練を見てきた経験があります。体力づくりから予定を組む方がいいでしょう」
「なら、トーヤに任せるか」
アリエッタがやる気に満ちた顔でトーヤに礼を言っているのを見ながら、明日に備えて早く眠りたくなる。
オオガミは、ベンジャミン先生が本気で殺しにかかっても死なない人で、ハザキ外務統括のように、絶妙な手加減をしてくれない。稽古相手としては、最悪の部類に入る。




