53 隠し扉の鍵
五十三
ユマ様が孤児院に来ると、その日の内に孤児院はすべて変わった。
私を競売で買ったあの日と同じように、ただ、あの時とは違う。偶然ではなく、ユマ様はここに来る前に、もうすべてを救うと決めておられた。
ユマ様は売買にかかわった職員を確認すると帝国の軍人らしき人達が捕えていく。子供たちは、安全のために帝国が所有する孤児院に移される。一か所での受け入れは難しいので、いくつかに分かれることになると言われ、相性のいい子供同士でいかせてあげたいからと、私にどう分けるか決めるように命じられた。
「ココアはどうしても罰が欲しいようですから……」
「だ、だめだ! ココア姉ちゃんはもう売らせない!」
ハスレットが庇うように立ちはだかる。それを見てもユマ様は特に気を悪くすることもなくむしろ嬉しそうに笑んだ。
「罰として、子供たちの状況を定期的に見回るように。それと、子供たちを安心させて、荷造りも速やかに始めさせなさい」
ハスレットがその罰に困惑している。誰かに説明を求めて辺りを見回している。
「部屋に閉じ込めたり、売ったり……酷い事……しないのか?」
ユマ様がきょとんと首を傾げた。
「しませんよ?」
こっち振り返って、説明してくれと見てくる。
「大丈夫、大丈夫よ」
膝をついたまま抱き寄せた。
「もう、もう誰も売られないのよ」
戻ってきても、結局止められなかった。私は結局彼らに加担しただけだ。ワイズ様の後ろ盾がなければ、今頃口を封じられていたか不法な時間契約を強要されていただろう。
私が、孤児院長を殺せばよかった。それができなかったのは、私が弱いからだ。
「ユマ様、売買の書類はやはりありません」
「……そうですか。引き取った子供の数とか、帳簿とかはつけないものなんですか?」
「ここの経営は私的なものとなっていましたから、寄付をした相手が希望でもしない限りは開示する場は」
この部屋はいつも鍵がかけられていた。証拠が見つかれば、何とかできるかもしれないとワイズ様が言っていたから、ここでじっと耐えていた。そして何人もの子供が買われていったのに、止められなかった。もう、彼らが新しい家族に引き取られたわけではないとわかっていたのに。
結局、力になれなかった。
「それ!」
ハスレットが腕の中から弾けたように声を上げた。手の中から飛び出すと、院長が一番大事にしていた女神像の許へ駆けていった。
「女神像がなにか?」
捜索の手を止め、全員の注目が集まる中、ハスレットは不敬にも女神像の頭を引き抜いた。小さく悲鳴を上げてしまったが、その先には、鍵の形がついている。
「ナゲル、デブが鍵持ってるから、貸して!」
ハスレットが大きな声で叫んだ。
矢で撃たれた孤児院長は廊下に連れ出され、ナゲルが確認していた。そちらに大きく声をかけると少ししてナゲルが戻ってくる。
「どうした? 見つかったか?」
ナゲルから鍵を受け取ると、ハスレットがにっと笑った。
廊下へ続く扉を閉め、ナゲルから受け取った鍵束の一つを摘まんで鍵を閉める。そのあとで、女神像の首がついた鍵をまた鍵穴に刺した。元の鍵よりも細いからか、さっきの鍵よりもより深くに入り、かちりと金属音がした。
何の変哲もない扉だった。木を組んで飾られた重厚な扉だ。その一部をハスレットが押すと、押し返すように開いた。
「俺、ずっと見てたんだ! 養子に出たやつらは誰も手紙を書いて寄こしてくれなかった。だから、きっと助けを求めてるって。俺、あいつらを助けたいんだ。あんたたちは、あいつらを助けてくれるんだろ! なあ!?」
希望とどこか不安のある顔で見回す。私だけじゃなかったのだ。子供たちを救いたいと願っていたのは。
「ハスレット、ああっ……ありがとう! ありがとう」
ハスレットが慰めるように抱きしめてくれる。守らないといけない子供は、ただ守られるんじゃなく、必死に戦ってくれていたのだ。一緒に……
カシスは対岸からのユマ様を発見の知らせで安堵した。
普通、冬の川にあの高さから落ちて元気である方が異常だが、サウラ様の異常性を見たことがあるので、どこかで納得もある。
対岸へ回り道で到着し、ナゲルと帝国の警護達と合流するとユマ様を叱るはずの怒りが別のもので塗り替えられた。
豪奢な宿の近くに野営地を構え、そこへ運ばれてきたのは小さな亡骸だった。
獣の噛み痕だけではなく、逃げるときについただろう無数の傷、弓に射られた体。一人は喉を裂かれている。獲物を正しく絞める作法であり、苦しませずに止めを刺したことに慈悲を感じるべきか、他の動物と同等にしか扱わないことを憎むべきなのか。少なくとも、もう一人の子供を殺した男よりはましだとしか言えない。形容することすら憚れる、悪魔のような所業だ。
怯え切った子供から元居た施設やこうなった経緯を聞き取りし、ココアがいる施設だと発覚した。
ユマ様が危険を冒したことを叱るべきだが、子供を見殺しにせず救ったことになんとも言い難くなる。自分は、王からの命でユマ様の警護をしている。一時とはいえ主であり、命を賭してでも助けなければならない相手だ。危ない事をせず、危険にも巻き込まれないことが望ましい。だが、心のどこかで、人を助けることに躊躇わないユマ様を誇りに思っていた。
警護としてはこの上なく勘弁して欲しいが、猟奇殺人者集団から子供を救っただけでなく、孤児院まで救いの手を差し伸べている。
帝国にとっても、子供を獲物として狩りをするのは一般ではなかったらしい。ユマ様の捜索に参加し、その後ユマ様への殺人未遂犯の捜索に任務が変わった彼らも、怒りを見せていた。ヒスラでもユマ様の警護についていた帝国の男が、これが帝国の姿だと思わないで欲しい、これから我々の矜持を示すと犯人逮捕と子供の保護を確約してくれている。
帝国での凄惨な事件だ。ジェゼロ国民でしかない我々では手を貸すこと以上はできない。そんな中、孤児院長が殺され、背後関係を探ることが難しくなったが、賢明な子供のおかげで重要な資料が早期に発見された。政治的な利用もされるだろうことを考えれば、公正にすべてが裁かれるとは考えにくい。そこにまで口を出すつもりはない。直接ユマ様を殺そうとした者たちは、帝国が放置するとも考えられない。もし、高位の立場であっても、帝王は処刑してくれるだろう。
「ゆっユマ様」
ココアが戻ってくると神でも見たかのように名を呼ぶ。
帝国の者を案内し、職員や子供の数に問題がないかなどを内部のものとして手伝っていたのだ。ひと段落がついたのだろう。
「なぜ……な、なぜ……、助けてくださったのですかっ」
怯えていたからとアリエッタを買い、その他の時間契約者もうっかり買ってしまったようなユマ様だ。孤児が家畜のように売られていると知れば、放置はできない。
「ココアはなぜ、ここで子供たちの面倒を見ていたのですか?」
前に座るように指示を出しながら、質問に質問で返す。
ユマ様は、自分がいい人だと思いたくない節がある。時間契約者はあの時見捨てれば自分が後悔するから買ってしまっただけだと言っている。その後の世話は後悔のためには必要ない事だったろう。
ココアが、恥じるような表情を見せて視線を伏した。
「……こっ、子供たちは、私よりも、不幸だったから……婚姻相手からどれだけ、り、利益を得られるか、そのための道具でしかない私なんかより、よっぽど惨めで…かっ、可哀そうだから。だから、この子達の面倒を見ている間は、私は惨めでも、可哀そうでもなかったんです」
「その子達を助けるために、自分を売っては意味がない気がしますが」
リンドウ様からの報告には自分も目を通している。ココアは頭がおかしいのか、自己犠牲の精神しかない聖母かのどちらかだ。
彼女の時間契約の多額の代価はこの孤児院に全額が入っている。
ここの孤児は比較的安価だが、ある程度身分のある親がいて、教育を受けた女性であるココアを違法に売り買いするのは危険がともなう。正式で効力が強い時間契約で結ばせれば、ここに戻り商売を邪魔される心配もなくなり、金も入る。ユマ様が新たな主になり、開放するとは思わなかったろう。しかも、所有者の財産であるココアをこの孤児院で始末したり再度売れば問題が起こる可能性は高い。ワイズ・ハリソンが噛んでいるので、ココアがここに戻っても無事が保証されるようには根回しをしていただろう。
ココアが、視線を泳がせ、考えがまとまらないまま口を開く。
「わ……わかりません。でっでも、それで子供たちが売られないんならっ、ちゃんとした養子として請け入られるならっ、私の人生は売っていいと思ったんです。そうしたら、わ、私みたいなのにも、産まれた、生きてる価値ができると」
施設の中は一見まともだが、子供を人殺しに売り払うことが常習化している時点で異常だ。洗脳状態にあった可能性はある。誰でもその危険はあるが、かかりやすい体質はある。
ユマ様がため息をついて、こちらを見た。預かっていた書類を渡す。まだ名前が書かれていなかった場に、ユマ様は躊躇いなく名を書いた。ユマ・ハウスでもユマ・ジェゼロでもなく、正式な署名の時にだけ使う正式名のユウマとだけ記載した。
五十年の禁止事項なしの時間契約者の契約書だ。ワイズ経由でユマ様に送られたものだ。
「これでココアは私の時間契約者です。今後、自分の人生を売って何かを救うことはできません。どれだけ辛くても、その目で見て、その手を伸ばして助ける方法を考えることを止めないでください。逃げたくなったら、私の許へ来なさい。主である以上、助けることは義務ですから」
二重で時間契約はできない。時間契約を解除すれば、新しい契約ができてしまう。ココアはまた命を売りかねない。
「………はい。この身は、ユマ様に捧げます」
感極まった姿にユマ様が引いている。人助けをしながら感謝や崇拝されるととても居心地悪く嫌そうなユマ様にエラ様の面影が見える。
「しばらくは、帝国の人に協力して実態調査を手伝ったり、子供たちの世話をしてもらいます」
「はいっ」
ユマ様が居た堪れないようにこちらを見る。今は帝都へ戻る準備待ちでもある。
毒矢を使う刺客が近くに潜んでいるならばユマ様を安易に移動させられなかったため、周辺の安全確認もなされている所だ。
「ユマ、餓鬼どもがお礼言いたいって、どする?」
「えー、いらない」
ナゲルの言葉にユマ様が首を振る。
「私は帝国軍の手伝いをしただけですから。それに……まだ助かっていません」
ユマ様の表情が曇る。ここから養子という形で売られたものが、昨日の子供のように即日に殺されているわけではないだろう。むしろ、その方が運がよかったとされる事態も想像できる。
隠し扉というか、扉の隠し棚? 隠し戸のある扉?
ココアは偽善者ですが、善行するためなら死んでもいいというのは、偽善というよりも、怖い。




