51 救援
五十一
夜空の下に赤黒い火が灯った。
「カシス隊長」
ミトーが不安そうに声をかける。
川に落ちたユマ様を探すため、すぐに捜索隊が組まれた。一部の帝国の警護が帝都へ戻り増援を頼み、半数は対岸へ向かうために川上にある別の橋へ向かっていた。必然的に、対岸は捜索の足が一歩遅くなる。
炎は対岸で燃え上がっていた。川が弧を描きその内側にある場所だ。ユマ様ならば、この機に上手く内側へ流れて行き、川から脱出できていると、あの場にいたはずだと妙な確信を持ってしまう。
だが、木に囲まれた先で狼煙を上げるのは非効率だ。そして、炎が大きすぎる。
ユマ様は川に落ちるだけでは飽き足らなかった可能性がある。
日が暮れてそっと狩猟小屋を出た。包まっていた布を使って、子供を体に括り付け、途中で落としてしまったり、凍えてしまわないようにした。
夜になると、日中よりも余程寒い。
「ユマ様」
ニコルが小さく声をかけてくる。振り返ると、森の奥が不自然に明るくなっていた。複数の犬の鳴き声がする。
あの場で直ぐに火を放ったり、口を封じてこなかったのは増援を呼ぶためか。ならば数は二人では済まない。僕とニコルが殺すつもりでいけば、普通の相手なら五人くらいは余裕がある。ただ、相手は弓を持っているので、遠くから攻撃されれば厄介だ。
背中から振動が伝わる。震えるなとまでは言わない。
ニコルには僕の仕込みの短刀を一本渡している。子供を背負っているので、いざとなればニコルに頼らざるを得ない。
川上へ足を向ける。帝国の警護も必死で探しに来ているだろう。僕にもしものことがあれば、帝王の怒りに触れ処刑されかねない。改めて彼らに謝罪と僕のうっかりだから誰も処罰しないでと懇願するまでは死ねない。
僕らを口封じしようとする連中を殺すことと、僕が死んだ場合に理不尽に責任を問われて命がなくなる人を天秤にかけたとき、エルトナを助けた時のように、躊躇いなく後者を選ぶ。
僕は決してやさしい人間ではない。必要と思えば人を殺めても後悔しない冷たい人間だ。ただ、無意味に人が死ぬのが怖いだけだ。
犬の遠吠えが近くからした。はっはっという、犬の荒い息がする。森に木霊する。
オオガミが飼いならしていた狼犬は、僕にもよく懐いていたが、オオガミの命令があれば食事の途中であろうと、すぐにそれに従った。帝国の警護が訓練された軍人であったように、犬も訓練されていれば軍人のように命令を第一にする。
可能性にかけて、掠れた犬笛を吹く。普通の口笛とは違う周波数なので人にはほぼ聞こえない。これで訓練されていなければ言語が違うようなもので命令をできるわけではないが、気を逸らすことはできる。
「こっちだ」
わずかに、声がした。松明の明かりが後ろにいくつも見えた。
「ユマ様……」
ニコルが不安そうに名前を呼ぶ。
どれだけ歩いたか、風が頬を撫でるたびに寒気がした。曇った空には月の輪郭がぼんやりと浮かぶだけだった。
夜目を頼りに歩く。松明を持つほどこちらは馬鹿ではない。ソラからもらったケータイで位置を知らせることも考えたが、水没して使えなかった。
葉を揺らす音がして、黒い塊が速い速度でこちらへ向かってくる。
ニコルがすぐさまそれを蹴り飛ばす。獣が悲鳴を上げて木にぶつかった。
その奥から、数匹の犬が低いうなり声をあげて近づいてくる。
背を向けて走れば終わりだ。ゆっくりと対峙する。大型の犬だが狼犬よりは小さい。ポケットに入れていた石を数個手に取った。
野犬にも好かれる性質だが、犬嫌いのソラのためにベンジャミン先生が教えていた方法だ。犬に当てる必要はない。ただ、こちらは獲物ではない危険な相手だと知らせるために犬の手前に物を投げるのだ。野良犬ならば毅然とした態度であっちへ行けというだけでも効果があると言っていた。犬を怖がるソラの心情が理解できなかったが、今ならば少しわかる。
神経を尖らせていると、耳に何か嫌な気配を感じた。反射的に斜めに身を屈める。体があった場所を何かが通り抜ける。少し離れた木に、弓が刺さっていた。
「………」
すっと頭が冷える。ああ、そうか、できれば殺さずにという自分が間違っていたのだ。相手は僕が知る人間という種族ではない。
ゆっくりと息を吐いて、もう一度冷たい空気で肺を満たしてから声を張る。もう、場所はばれているのだ。息を殺しても意味はない。
「今ならば、まだ手違いということにしてやろう! 次に仕掛ければ、殺意と認め、こちらは容赦しない」
木々の向こうからわずかに笑うような声が聞こえた。
「………ニコル。殺していい。こっちは何とかする。深追いはしないように」
結んでいた布の結び目を解いて、子供をおろす。
もしも追いつかれたら、身を縮めてじっとしているように先に伝えていた。混乱して逃げたら犬に追われて死ぬと言い含めていたので、怯えた顔をしながらも子供は直ぐにその場に蹲る。それを見届けるころには、ニコルは既に闇の中に消えていた。
もう一本の短刀を手にして、小さく首を回す。
覚悟を決めたとき、少し離れた場所から大きな遠吠えがした。狼犬そっくりの鳴き声に、犬が緊張したようにそちらを見た。足音が後ろからする。まだ他にいたのかと焦るとき、もともとの追手の位置から悲鳴が聞こえだす。
木々の間から、いくつかの明かりがのぞく。松明ではなく角灯のようだ。
「ユマ!」
「ユマ様!」
ナゲル達の声にほっと力が抜けた。
「こっちだ。違法の狩人に狙われてる!」
姿はまだ確認できないので、代わりに大きく声を上げる。
「ニコル! 戻れ。迎えが来た。こっちは攻撃するな!」
犬が森の中へ逃げていく。僅かに高い笛の音がしたから呼び戻されたのだろう。入れ替わりにニコルが戻ってくる。手元だけ血に濡れているが、他に汚れはない。僕はエルトナを助けたときに返り血をしっかり浴びた。ニコルはそれらすら考慮して攻撃ができるのだろう。
命じたのは僕だが、能力の高さにぞっとする。
「ナゲル! そっちに問題は?」
大きな声で問いかける。
万が一を思って確認の声をかける。
「安心しろ。帝国軍と合流してる」
声が近づいて、間もなくナゲルがやってきた。
安堵するとナゲルから頭を叩かれた。結構本気で。
「こんの馬鹿! 危機管理ってもんを知れ! あほう!!」
「あ、あの、ご、ごめんなさいナゲル」
ニコルが怒鳴るナゲルを見てわたわたと慌てふためいた。
「お前もだ! ユマだけならまだしも、お前まで別途探す手間ぁ増やして!」
物凄い怒りの形相のナゲルにニコルがおろおろしている。
「ナゲル、現状報告を先にする。子供を獲物にした狩りをしていた男たちがいた。子供を一人保護、子供は他に二人いたようだが生死不明。匿った所為で暖を取るのに使った狩猟小屋が放火された」
「助けた馬車の滞在先にいたが火が見えてこっちへ来た。ここから近い。帝国軍が夜間も捜索するためそこを拠点にすることになったから一緒に来てる。お前らはそっちで保護してもらう。カシス達の報告はこっちでする。怪我は?」
「ニコルが橋で腕を怪我してる。子供は足を弓で撃たれている。僕は寒い以外は元気」
怒りを収めたナゲルが後ろから来た帝国軍の下へ向かい、話をつけにいってくれる。
「ユマ様……ごめんなさい」
ニコルは叱られたのもあって、しゅんとしている。尻尾があれば縮こまっていただろう。
「……向こうはどうだった?」
「二人致命傷を与えました。三人目の時に逃げ出したので命令の通りに追いかけませんでした。他に四名いたのを確認してます」
頭を撫でる。ニコルはよく頑張ってくれた。
視線の先で何かが光った。反射的にニコルの頭をそのまま抱え込む。腕に何かに引っ掛かれるような痛みが走った。
すぐ近くの木に、矢が刺さった。
帝国軍がすぐにそれに気づいて大型犬とともにかけていく。捜索用に帝国も犬を連れていたようだ。
「ユマ様! ご無事ですか!?」
帝国がつけていた警護の一人で顔は知っている男が、弓の来た方向から庇う位置に立ちはだかり問う。
手の甲に縦に裂けたような切り傷ができて、血が滴る。それだけではない、焼けるような痛みを冷静に観察する。コートがなかったらもっと深手だったろう。
「毒矢です。耐性がなければ致死性かもしれない」
痛いが、脳内に興奮物質が回っている。痛みよりも怒りが強い。
見下ろすと、子供はまだ布をかぶって震えている。
「ユマ様、すぐに洗い流さないとっ」
腕の中のニコルが顔を上げて泣きそうになっている。帝国の警護がすぐに腰につけている水入れを取り出した。
カシス達が夜中にはこちらに着くそうだ。
対岸にいた帝国の警護へこちら側から無事に見つけたことを伝えたらしい。光の明滅を利用した暗号が帝国にも独自にあるようだ。ソラが作るオーパーツはとても便利だが、それらがなくても人は別の方法で連絡手段を確立している。
「説教を長々としてやりたいところだが、とりあえず寝ろ」
主治医見習いのナゲルから命じられる。
「手が痛いから、寝れるかな」
おどけて見せるが睨まれた。これはかなりお怒りだ。ナゲルとは滅多なことがなければ喧嘩をしない。これは喧嘩でもない。意見の対立ではなく、僕が一方的に怒られるだけだ。
ナゲルが助けた子供の親はなかなかの金持ちらしく、長期滞在していたのは紹介制の高級宿だ。旧人類の古い城を改築して作られたものらしい。これからは閑散期に入るところで空き部屋が多かったため、今夜はまとめて帝国軍が借り上げた。その一室が僕らの部屋だ。外はカシス達が来るまで帝国の警護が見張っている。中はナゲルとニコルと僕だけだ。子供は帝国側が保護している。
「ユマ様……ごめんなさい」
ニコルが泣きそうな顔をしているので左手で頭を撫でる。
「ニコルがこれ以上怪我をしなくてよかったよ」
「そうだぞ、ニコル。次は飛び込むなよ。死んでてもおかしくなかったんだからな!」
ナゲルがニコルにも怒りの矛先を向けた。
「次も、飛び込むけど、寒くても、泳げるように訓練します」
「……はぁ」
ニコルの怪我も見てもらったが、しばらく動かすのに痛みは出るだろうが運動に問題はないだろうということだ。それよりも熱が出だしているので、早く寝させたいが、頑なに僕のそばにいる。
「ユマ、寝かしつけるついでに一緒に寝てやれ。肺炎にでもなったら困る」
暖かいスープとパンでお腹が満たされたので、本当は寝ようと思えば眠れるが、他の子供たちがどうなったのか気になっていた。
「……ニコル。おいで」
準備されたベッドに入ると隣を叩く。僕がここで待っていたところで子供たちの安否に違いがでる訳ではない。それならば、ニコルの体調を考えてあげるべきだろう。
「…………」
ぽかんとしているニコルを、ナゲルが抱え上げてベッドに放り込んだ。
「いいから、お前ら二人とも寝ろ。冬の川に落ちて、凍えて過ごした挙句、殺人犯と鬼ごっこしてきたんだ。ついでに言えば二人とも怪我してる。いいか? 眠りたくないなら毛布で巻き寿司にして縛り上げるぞ」
ニコルと顔を見合わせて布団に頭をかぶる。
「いい子だ」




