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5 競売にいこう

   5  


 夕刻までには屋敷に戻り、持ってきていた絵を数枚出す。仕上げ前が多いが、完成しているものも数点あった。一応は美術科なので作品の提示があるかもしれないと持ってきたものだ。


 絵を描く用の板に絵画用の紙を固定する。ジェゼロ王の絵を描くつもりはない。が、今日見た女神像は絵に描きたい。映像暗記にはそこそこ自信があるが、見た彩のままに、感じるままに描き出しておきたいのだ。記憶は常に劣化する。


 うっかり食事を忘れたと気づいたのは夜半過ぎだった。部屋の片隅には舟をこいでいるリリーがいた。



 翌朝に集中されるのは仕方ないが、食事くらいは取るようにとカシスから説教を受けた。稽古事の合間に、戻ってきていたミトーを確保して列車で会った方にお茶をごちそうになったお礼を渡してきて欲しいと嘯いて絵を託す。今回の脱走は列車の時と違いばれていない。脱走は家に帰るまでが勝負だ。戻ってきてもばれていないことが次回の為には大事なのだ。


 数日間は大人しく過ごし、合間に女神像の絵を仕上げた。軽く筆先を舐めて整え、最後に緑の宝石が輝いていた瞳を仕上げる。目だけは女神像ではなく母の瞳に似てしまった。僕の目は青みがかった緑だが、母の瞳は見事な緑色で、女神像の宝玉に劣らない輝きがあるのだ。


 満足すると、後ろから華やいだ声がした。

「これをユマさんが書かれたの?」


 振り返るとメリバル夫人とカシスが立っていた。部屋と言っても寝室が別にあり、応接場のような場所で絵は描くようにしていた。寝室で描くと出てこなくて困るからだ。個人的な部屋とはいえ、カシスが着いてきていると言う事は手順を踏んでの来訪だろう。後、呼んでも出て行かなかっただろう自分の無意識の行動が予想できる。


「おはようございます。メリバル夫人」

「もう昼ですユマ様」

「……あー、申し訳ありません。すぐに支度を」


 昼食を一緒にと誘われていたのを思い出す。冬の休みで帰郷していた留学生が戻ってきたから紹介をしたいと言っていた気がする。


 慌てて一度寝室へ引っ込んで化粧を直し、服を着替えた。部屋に戻ると、夫人はまだ絵を眺めていた。


「本当に、素晴らしいわ。留学を薦められる理由を理解いたしました。むしろ、学ぶことがあるのか心配になってしまいますわね」


 ほうっと目を細めて眺められて、なんともむず痒い。


「お褒めいただきありがとございます。ほぼ独学ですから、きっちりとした技法には興味がございますし、旧人類の遺産はそう見られるものではありませんから」


 現在よりも余程発達した文明の絵画や芸術作品だ。とても興味深い。


「お待たせしました。行きましょうか」

 やってきたナゲルと共に、二階へ降りる。昼食用の席が設けられた部屋で待っていたのは二人だ。


 二人とも金髪で、青い目と灰色がかった青い目をしている。兄弟だと言われても違和感がない見た目だ。背恰好も近い。先に一歩前に出た青年が目を細め挨拶をする。


「シュレット・イーリスと申します。それと彼はアルトイール。共に医術科の二年になります」

「お初にお目にかかります。ユマ・ハウスです。遅れてしまい申し訳ありませんでした」

「いえ、お気になさらずに」


 丁寧に挨拶を交わし、ナゲルへ視線を向ける。


「ナゲル・ハザキです。医術科へ入る事となっております。若輩ですがご指導のほど、よろしくお願いいたします」


 やればできる子のナゲルが挨拶をした。これでもシューセイ・ハザキの孫だ。躾はされているし、舐めた態度を取れば彼は祖父に剣術の稽古で嬲り殺される。


「医術科ですか。ご専攻は何を考えているのですか?」

「外科手術に携われればと」

 当たり障りない会話を少しして、席に着く。


「イーリス家ですが、母はそれほど身分が高い訳ではありません。それに、研究校の中では身分差ではなく知識と技術がものを言いますから、学内でももちろんメリバル夫人の屋敷内でも、気軽に接してください」


 現帝王に妻子はいないが、その父であった前帝王は多くの妻を持ち子沢山だったと聞いている。なので現帝王には腹違いの弟妹が多くいるそうだ。その中でも彼の父は外交の看板で父と同じく妻や愛人が多いようだ。


 本人は権力を笠に着たようには見えない優しそうな風貌をしている。横に控えているアルトイールはシュレットと似てはいるが地味というか、常に一歩後ろにいる雰囲気がある。外面のナゲルに近い。ナゲルのように、シュレットのついでに留学ができたのだろうか。見た目からして影武者の役割もありそうだ。


 料理が運ばれ和やかに食事をとりながら、副菜に首を傾げる。


 複雑な味で提供されるメリバル邸の食事は舌が慣れていないことだけでなく、毒が入れられても判断がしにくい難点があった。ナゲルに視線を向けて、さりげない指文字で食べるなと指示した。他の人は特に気にせず口にしていた。本来毒見はナゲルがするべきなのだが、僕の方が毒に対する体制が強い。


 食事を終えて、茶の準備がされる頃、シュレットとアルトイールの様子がおかしくなる。急激な睡魔に襲われている。もし何か混ざっていても致死毒ではない。メリバル夫人も異変に気付いてどういうことかと給仕へ目を向けた。


 その時に見計らったように、ドアが開かれる。入ってきたのは薄い茶色の長い二つ括りの髪に灰色の瞳の少女だ。


「おばあ様! この程度の混ぜ物も……も?」

 勢いよく入ってきた少女に指をさされる。叫ぶような声がこちらを見て唖然としている。


「どういう事! 眠り薬が入った食事を食べていたでしょう!」


「ペニンナ! これはどういうことですか!? 食事に毒を混ぜたですって!?」

 淑女の中の淑女のようなメリバル夫人が立ち上がり、声を上げる。


「あ……だっ、だって! あのお部屋は私の為の特別な部屋ではありませんか! なのにっ。他の人に勝手に使うなんて酷いっ」

 今にも泣きだしそうに眼に涙を溜めて訴える。


「すぐにお医者様を! それにペニンナ! あなたは反省室に入ってなさい!」

 叫ぶような声にペニンナと呼ばれた少女がびくりとする。


「ユマさん……ご体調に問題はございませんか?」

 青い顔で問いかけられる。確証は持てなかったが、やはり薬が混じっていたらしい。少し味に違和感があったのだ。こういう事は直感を大事にした方がいいと育てられてきた成果だろう。


「ご心配には及びません。わたくしよりも、他の方を」

 ナゲルには食べさせていない。そもそもメリバル夫人の皿には少ししか副菜が乗っていなかった。あまり好きではないのだろう。侍女も心得ているので量の少ない者をメリバル夫人に給仕するのでペニンナはその皿の副菜には毒を入れなかったのだろう。


「……お、おばあ様っ。だって! あの部屋は私が使っていいと仰ったではありませんか! なのに。戻ったら別の方が使っているなんて! こんなのあんまりです」


 もう一人の留学生であり、メリバルの孫娘が必死に訴える。あの豪奢な部屋は元々彼女の為に用意されていたから、あの短期間で準備できたのだろうかと推察する。


「黙りなさい! あなたの部屋は一階にします。こんな馬鹿な真似をしてっ」


 怒髪天のメリバル夫人の指示で、連行されていく。慌てて医師が入ってくると、朦朧としているシュレットとアルトイールを床へ寝かせた。手伝っていたナゲルがアルトイールの方を診察している。


「意識混濁と睡眠作用のある薬でしょう。効果が早いですが、半減期も短いので数刻で目は覚めると。力が入らず舌下沈下しやすいので、横向きに寝かせた方がいいですね」


 ナゲルが横向きになるように姿勢を換えさせて判断の結果を口にする。


「ああ、君は医術科か?」

「はい」

 医師の男にナゲルが頷く。


「薬の種類は予測なので使った相手に確認すれば、排出を待たずに解毒できると」

「メリバル様。少し離れさせていただいても」

「ええ。口を割らなければ家に戻すと伝えなさい」


 ナゲルがシュレットの姿勢も整えている間に医師がかけていく。


「ユマさん。本当に大丈夫ですか?」


 孫娘がユマ・ジェゼロに毒を盛ったとなれば問題になるだろう。疑問に思った時点で夫人に失礼でも問うべきだった。


「毒にはならしています。申し訳ないです。味に違和感を覚えた時点で、お知らせすべきでした」


「いいえ、大事なければよかったです。本当に、本当に申し訳ありませんでした」


「先ほどの方は?」

 問題ないと伝え、問いかける。


「……薬学を学んでいるペニンナ・デリーと言います。孫であることは間違いございませんが、息子の後妻の連れ子で、教育を兼ねていたのですが……」

 あまり顔が似ていないと思ったが、血は繋がっていないらしい。


「その……わたくしが部屋を取ってしまったのでしょう?」


「それを采配したのはわたくしです。それに、食客はそれに従うのが道理。ユマさんに非はありません。あの子は、一階か離れに閉じ込めます」


 一階は使用人部屋や厨房などがある。三階は夫人の部屋や賓客の部屋があるようだった。


「離れって、あの一軒家ですか?」

 ナゲルが処置を済ましてこちらの話に入ってくる。


「ええ。今は春の準備も終わって空いていますから」


 ナゲルの視線が向く。部屋の外で待機していたカシスが騒動で部屋の状況をみている。被害が僕らにないことで、傍観していた。混乱している時に襲われることほど怖いものはない。それがあってもいいように、警戒していたのだろう。


「メリバル様。改めて離れの使用を許可いただけないでしょうか?」

 カシスが部屋に入ると申し入れる。


「罰に使うような場所ですわ」


 その答えにカシスは首を横に振る。

「今回は大事がなかったのでよいのですが、できればユマ様の食事は個別管理ができる場で準備したいと考えています。あちらは厨房も個別にあると伺いました。季節の使用人を入れる場所を取って申し訳がないのですが、あちらの方がユマ様の安全を確保しやすいのです」


 元々毒にも強い家系だ。その上ならしているが、家族の中でも僕は異常に毒耐性が高い。どちらかというと、毒よりも日々の食事管理をしたいのだろう。それに、与えられたあの部屋では、男性のカシスたちが入りにくい。それなのに女性の侍女たちは掃除などで簡単に入ることができてしまう。


「もし、謝罪をとお考えでしたら、ご一考をお願いいたします。家具など新調の必要はありません。無論、入れ替えなどの拒否は致しませんが」


 半ば脅しだ。カシスは外聞が悪いという話よりも離れを使える方が利点が多いと考えるならば後押しするべきだ。僕もそれに否はない。




 カシス隊長から、ユマ様の食事に毒が混ぜられていたと聞き、青ざめる。


 ユマ様の淑女教育と並行してリリーは侍女教育をさせられていたが、そんなことをしている暇はない。


「ゆ、ユマ様に大事は!?」

「ない。安心しろ。どちらかと言えば、ユマ様は毒見向きのお方だ。管理ができていなかった代償として、メリバル様には離れの使用を許可いただいた」


「離れですか? その、愛人が惨殺され、幽霊が出ると噂が……」


 使用人扱いを受けているので、屋敷の侍女たちと話す機会が多い。カシスからは情報収集をついでにするように命じられているので色々と話を聞いていた。その中で、離れの幽霊の話を聞いたのだ。


「霊よりも日々の生活だ。今の部屋では警護に困る。ユマ様が脱走しても発見が遅れ、知らぬものの警戒も困難だ」


 使用人の数が多すぎて、一人二人入れ替わってもわからない。留学生が昨日から戻ってきて、彼らの従者も増えてしまった。離れであれば、決まった数人に固定できるし、侵入者の判断も付きやすい。食事も香辛料を控えて毒の混入も防げると言う。確かに、幽霊が出たとしてもその方が便利だろう。幽霊よりも生きた人間の方が余程危険だ。


「ミトーと共に部屋の確認などを行う。数日は一人で警護を頼むことになる」

「わかりました」


 部屋を移れば外聞を気にせずユマ様の警護は楽になる。上官のカシスが決めた事に粛々と従うだけだ。そう思ったのは昨日の事だった。


 夕食は自室で取ると言い、早くからユマ様が部屋に籠られた。絵に没頭すると周りが見えなくなるので、その時間を邪魔しないようにしていたが、ミトーから家具の確認をしたいと言われたので呼びに向かった。返事がないのはいつもの事だ。ノックの後扉を開けて確認する。静かな空気だけがその場にある。


 ユマ様の姿が忽然と消えていた。幽霊が出た方がまだましだ。青ざめてカシス部屋を確認し、ナゲルの部屋にも乗り込む。ナゲルがいないことは幸いと考えるべきか。


 二人して、夜にどこかへ行ってしまった。





 以前の食事処で待ち合わせをしていた。正装で来るように指示があったが外套で隠せば目立つことなく到着できた。


「なんか、今日は脱走が見つかってる気がする」

 ナゲルが不穏な事を言う。


「やめてくれよ。不吉な野生の勘を働かせるの」


 言っても行くだろうとあきらめ気味だ。一人で来てもよかったが、流石に一人で行くのは駄目だとナゲルもついてきた。同伴は一人しか認められていないが、その付き人がさらに各一人許されるそうだ。お金持ちは常に誰か連れているものらしい。


「ユマさん、お待ちしていました」


 店の前でワイズが待っていた。今日はエルトナがいない。代わりに男が一緒だ。ワイズの付き人だろう。


「馬車で向かいますのでどうぞ」


 食事処は少し細い路地にあるので、一本先の道に待たせていた馬車へ案内される。乗り込むと、ワイズに仮面を手渡された。


「落札後に狙われたりしないよう、顔を隠すことが許されています。御入用かと思いまして、準備させていただきました」


「ありがとう存じます。規定額に達したようでよかったです。それと、最近描いたもので間に合わなかったのですけれど、もう出品は難しいでしょうか?」


「どうでしょう。基本事前に鑑定がされますが、一度会場で確認いたしましょう」


 目元だけがくりぬかれた仮面を受け取る。顔がわからないのはありがたい。僕の顔は一度見ると大抵覚えられてしまうのだ。


 馬車はそれほど走らなかった。歩いてもいいような距離だが、そうもいかないのだろう。一軒の大きな屋敷へ到着し、門の中へ入る。道から完全に見えなくなってから馬車のドアが開く。先に仮面をつけるように促され、装着してから屋敷の中へ入った。


 屋敷だと思ったが、一階は高級食事処のようだ。入口で外套を預け、ワイズと共に受付を済ませる。


「もう一点、とても希少な絵が手に入ったそうで、急な事ではありますが、主催者様にご確認を頂いてもよろしいでしょうか?」


 ワイズに促され、受付へ持ってきた絵を渡す。色移りしないよう紙をはさんで丸めて持ってきているだけだ。その粗雑な扱いに一瞬表情を固めたが、すぐに受け付けの人は笑顔で受け取り、後ほどご報告に向かいますので、先に中へどうぞと促された。


 案内された先は、複数のテーブル席が準備されている。名前の代わりに番号を渡され、席の位置もそれで決まっている。


「作品は競売が始まる前に目の前で確認ができるのですよ」

 ワイズに促されるまでもなく、壁際にはズラリと絵や彫刻などが並んでいた。それらも番号が振られている。査定額が低いものから順に並んでいて、僕の出した絵は番号が若い。一番高値の出品作と名代わりの番号が連動しているようで、数字が大きければ大きいほど、価値ある出品者だとわかる仕組みらしい。


「うへー」

 ナゲルが小さく唸る。


 一番安い作品にワイズが出品した絵画があった。それでも十分に高い。順番に見学していく。一枚一枚、じっくりと見たいが、時間が限られているので、一通り流れるように目を通す。後で気に入ったものをじっくり見よう。


 別室にも作品があるようで、ドアの前には警備まで立っている。

 開いているドアをくぐり、表情が引きつった。


 壁際には絵や彫刻ではなく、人が立っている。


 後ろの壁には査定額や特徴などが掲げられて、売り物であることが示されている。


「あー、初めてですか?」

 後ろからワイズが声を潜めて困ったように言う。


「これは……」


 人身売買は禁じられている。言葉に出さずとも理解したのだろう。小さく頷き返される。


「彼らは奴隷ではございませんよ。年単位での専従雇用契約権を自ら販売しているのです。販売額と同額で契約権の買戻しも可能です。ここにいる者たちは契約者がその権利で出品をしている者たちですが」


 奴隷とは違うと言うが、子供も混じっている。どう繕っても、人身売買でしかない。


「慣れない方には気分が悪いでしょう。こちらへ」

 促され、部屋を出される。


 鎖で繋がれているわけではない。質問されれば、本人が答えているのも見えた。貼り付いた愛想笑いに背筋に冷たいものが流れた。


 準備された席へ促され、腰かける。


「親に売られていないとは保証できませんが、金に困った者が最後に手を出す手段ですわ。理由は様々ですが」


「……初めて、ああいう場を見たので」

「たまに出品されますが、今回もあるとは思わず、申し訳ありません」

「いえ……」


「私はもう少し、他の作品を見てまいりますわ」

 ワイズが席を立つ。


「大丈夫か」


 声を潜めて、ナゲルが問う。あまり大丈夫ではない。


「奉公はうちでもあるだろう。あれだと割り切ればいい」


 ジェゼロでも、身寄りがない子供は教会の孤児院が預かる。ある程度の年になれば、専門職を身につけられるように店へ住み込みで働くこともあった。成人までは衣食住は提供されるが、給料は小遣い程度しかもらえない。小間使いのように働かなければならないが、技術を身につけられれば孤児でも仕事に困ることはなくなる。


 あっちのがまだだろうと言われて、気持ちを落ち着かせ、次は高い方から見て回る。出品された中で一番の高額商品は女神像だった。女神教会で見たものよりは小さい。右手を胸に当て、伏し目がちの姿だ。精巧な造りの見事な像だ。


 他にも何人かの人が足を止めて見ている。ヒスラの女神像と違い三代目神子が主題ではないのだろう。髪にうねりがあって、大理石とは思えない柔らかさがあった。目を見張る素晴らしい作りだが、女神像とはやはり教会にあるべきなのだろう。この場ではその価値が金額だけになってしまってもったいなく見える。


 実際自分が出した作品の査定額を全て足しても桁が違う。見られただけでも来た価値があったと思うべきだろう。そもそも、落札できたとしても、置く場がないし管理できないので端から競りに行く気は出ない。


 しばらく見学した後、席に戻る。客が少しずつ増えていた。


「お客様」

 近くに片膝をついて、受付にいた男性が声をかけてくる。


「お持ちいただいた絵についてお話がございます」

 促されて、受付のあった場所を抜け、奥へ招かれる。ナゲルは一歩後ろ付いている。


 部屋には、渡した絵が掲げられ、それを何人かの人が見ていた。一様に仮面や薄布で顔が見えない。


「私が主催者ですが、名乗らぬことをお許しください。こちらの絵はどちらで手に入れられたのですか?」


 年配の男が問う。人なんてものを競売に扱うからには、色々とやましいところがあるのだろう。


「ご評価いただけたと言う事でしょうか?」

 声をできるだけ高めにして返す。顔があると多少低くても問題ないが、顔を隠すとどうしても男よりの声に聞こえてしまうのだ。


「個人的に購入したいほどに」

「あら、駄目ですわよ」

「平等な機会を与える場だろう」


 その場で鑑定をしていた人たちが口々に言う。思わぬ評価に首を傾げた。やはり女神の主題は人気があるのだろうか。


「最低額は査定額で、売れた額から一割引いた値段で競売も参加できると伺いましたので出品しましたが、最低額はいくらになるのでしょうか?」


 芸術には金がかかる。画材も結構する。それ以外は、買い手が決める事だ。


「おや、こちらを手放してまで欲しいものがございましたか?」

「素晴らしい作品ばかりで困っています」

 適当に濁しておく。


 ひとまずの査定として、先に出した三枚を足した額よりも一桁ほど高く設定された。それに対してけち臭いと他の者が批判するが、売れなかった場合の最低金額保障のようなものだそうだ。


「臨時の出品ですから、最後に出させていただきましょう。それまでの競りには先に提示した額で。無論、それ以上に関しても資金が許す限り入札額を上げることはできます」


 本当に出品してよろしいですかともう一度聞かれたが、悲しいことに一番短時間で描き上げた作品だ。確かに良い出来だが、色はほぼ白で緑の顔料は質のいいものを使ったがそれだけだ。そこまで評価してくれる人がいるなら喜んで譲ろう。自分の部屋にあっても特に飾る予定がない絵だ。


 競売展示の部屋へ戻る時にナゲルが指文字で世界が違うなと言う。確かに恐ろしく高額な取引だ。母に売った全てを足しても自分が出した一番安値の絵の最低額にも満たない。


 女神像が出ると言うので、見てみたいと言う興味本位で参加してしまったが、明らかに住む世界が違った。とても場違いに思う。


 折角なので、競りの時間まで鑑賞しようと女神像をはじめ高額な絵をもう一度見ていく。価格で価値を付けられてしまうと、つい高いものを重要視してしまうのが悲しいところだ。


 古い絵から最近のものまで、色々な趣向が見える。


 客はこれが出るとはとか、誰が所持していたのかと探り合うような会話をしている。


「ビー珠が五つも出るとは、同じ出品者か?」

「違うらしい。今回は最低額が高かったから渋々出したものがいたようだ」


 聞きなれない言葉が耳に入る。そちらに意識が向いた。

「一番若いのは買ってもいいんじゃないか? まあ、新品ではないがお前の妻と違って従順だろう」

 下世話な会話に顔を顰めてしまう。


 他にも、あの部屋から出てきた幾人かが、ビー珠と言い話すのが聞こえた。


 一番幼い子供は妹のソラくらいだったろうか。どれだけ綺麗ごとを言ったとしても長い年月を誰かの命に服従しなければならないのだ。


 絵や作品をこれまでに売ったことはある。売れば生殺与奪の権利譲渡するのと同じだ。どこに飾ろうと、捨てようと、文句を言うつもりはない。扱いによっては二度と直接売ろうとは思わないかもしれないが、口を出す気はないし、出せない。自分の権利を売るのはそれと同等の意味だ。


 彼らが自分から権利を売ったのか、それとも親に売られたかはわからない。何にしたって、どんな扱いをするのも買い手の自由だと言う事は、ここに並ぶ作品たちと同じだ。


「大丈夫か?」

 ナゲルに再び問われる。


 目の前の絵画よりも他人の会話に気がそれている時点で、とても大丈夫とは言えない。



 入札は奥の部屋で行われた。席が並び、正面には木製の槌を持つ男がいる。


 待っている間にワイズから入札額の指示の仕方を教えてもらう。


 競りは粛々と行われた。特に煽る言葉もなく、作品が運び込まれ、値段が付いて行く。ワイズが出していた作品は最低額の値段の三倍値で出品した本人が落札していた。一割が参加費だと言い切っていたのを思い出す。かなり高額な参加料だ。


 自分が出した絵の一枚はワイズ名義での出品だ。四倍値がついて唖然とした。比較的近い順で残りの二作も競売にかけられた。二つとも、十倍以上の値が付く。ジェゼロでは母に二束三文で売っていたものだ。いや、絵具と交換と言った方が正しい。


 ナゲルがすげーなと指文字で示す。それに騙されてないか? と問い返してしまう。よくできた詐欺にかかっていないだろうか?


 その額を元に、何度か競り落としてみようかと考えたが、手を上げるほどの欲が出ない。比較的きっちりとした査定のようで、基本は高くても四倍までしか根は上がっていない。自分が出した絵二つが異常なのだ。無名の画家の作品だ。ふと、ユマ・ジェゼロが作者だと気づいているのではないかと勘繰る。無論作品への署名にジェゼロとは描いていない。それでも、ジェゼロ王の長子が描いた絵となれば、変わり者には欲しいものかも知れない。ワイズ名義で出した一つ目はさほど値が伸びなかったのを考えると別作者だと思われている可能性もある。


「次は所有権残十八年。現在十三。三十一までは拒否命令なしでの出品です」

 淡々とした声で次の商品が並べられる。


 ソラと大して変わらない少女は、感情を失くしたような作り物のような微笑みを浮かべて置かれた椅子に腰かけた。


 一人が手を上げ、二人、三人と手が上がる。四人目の動きで、びくりと少女の表情が引き攣るのが見えた。さっとそちらへ視線を向ける。最初の男が手を上げた直後に四人目だった相手がまた手を上げた。先ほどと同じように恐怖で顔を引き攣らせるのが見えた。


「他におられませんか?」


 木槌が振り下ろされる前に手を上げていた。


「それでは、七番が落札です」


 木槌が下されると、競りそびれた相手が振り返った。顔半分が隠れる仮面を付けた銀髪の若い男だった。


 ナゲルに太腿を叩かれ、どーするつもりだ阿呆と、指文字で指摘され、上げたままだった手を翻して見る。その手を広げ、仮面越しに顔を覆った。


「やってしまった」

 ごく小さく呟く。だって、あまりにも脅えていたから。


「所有期限十年。現在十九。性行為不可での出品です」

 うつ向きがちのまだ少女の面差しが残る女性が椅子に座る。


「所有権限三十四年。現在二十七。バラシ可です」

 背の高い鍛えられた男が椅子に座る。


「所有期限十八年。現在十七。拒否命令なしでの出品です」

 先ほどの少女と似た風貌の少年が強いまなざしでこちらを見て椅子に座る。


「所有期限二十年。現在十五。元芸一座所属。拒否命令なしでの出品です」

 最後に、にこにことした場違いな笑顔の少年が椅子に座る。


 計五名の計百年丁度の時間を先に競り落された三枚分と四枚目の最低査定額で購入してしまった。


「大丈夫ですか?」

 横のワイズにそっと問われる。仮面越しに両手で顔を覆っているが、はっきり言いたい。全然大丈夫ではない! と。


 親とはぐれたのか見捨てられたのか、鳥に襲われている猫を拾ったときを思い出す。隠れて部屋で世話をしてシーツを汚しまくって叱られた。あの時のようにそっとメリバル邸へ連れて行くわけにもいかない。それに、五人分の餌代もとい、生活費がいる。


 なんで、買っちまうかなと、ナゲルに指文字で罵られるが、一人目の時点でナゲルはもう諦めていたようだ。


 競売は恙なく進み、女神像の競りが始まる。もう、お金がないので手も上げられない。


 ワイズも参戦しているが、桁が変わった時点で下りた。二人の一騎打ちとなり、最終老人が落札した。ジェゼロ城を新築できそうな額になっている。お金を持っているところは持っていると聞くが、頭が可笑しいのではないだろうか。


「本日、もう一点出品参加がございます」


 最高査定額の女神像が終わった時点で、お開きの雰囲気となったが、進行役の男がいい、ヒスラの女神像を描いた絵がきっちりとした額に収められ、運び込まれた。額縁は絵の服のようなもの。やはりきっちりと整えると何割か増しで美しく見える。


 横でワイズがひゅっと音を立てて息を吸った。


「説明は省略いたします。それでは」


 さっき言われた査定額の倍から始まった。すぐに桁が変わる。ワイズがその時点で更に桁を一つ上げた額を提示し、ざわつかせるが、学のつり上げはそこでは止まらない。


 仮面をつけていてよかったと思う。ナゲルと共に、ぽかんと口を開けていた。


 絵の価値を決めるものは二つある。描いた人間の評価と買う人間の評価だ。市場評価が二束三文でも描いた人間が満足すればそれは傑作だ。誰が何と言ったとしても、歴史的価値ある名画と変わらない。逆にただの手慰みであっても、購入者が心惹かれればそこにも価値が出る。その方が万人に評価される。そこには乖離があることも間々あることは知っていた。あれは、僕にとっては中々綺麗に描けたので皆に見せたいな程度の価値の絵でしかない。


 もう、もうそれ以上の額は止めてくれ。その絵にそんな価値はないと叫びたい。ただ、ちょっと、綺麗な女神像に興奮して描いただけなんだ。似た絵ならぱぱっと描けるから馬鹿みたいな額を付けないでくれ。


「ぐっふ。こんな隠し玉が……が?」


 競り負けたワイズが悔しそうに地団駄を踏み、ふとこちらへ顔を向けた。ワイズは出品者不明の絵を僕が受付に出した絵だと判断しているようだ。


「……」

 仮面に開けられた目の形よりも見開いた目が傾いだ頭から見上げてくる。怖い。


「商品の引き取りは清算と引き換えとなります。順番にご案内をいたします」


 案内と共に、先ほどの席へ促される。軽食や飲み物が自由に取れるようになっているが、そんなのに気を向ける余裕もない。


「で、どうするつもりだ。アホ」

 ナゲルに問われる。


「生活費は、何とかなりそうだよ」


 桁違いの収入があった。お金の心配はなくなったが、拾ってきたもとい、買ってしまった五人を連れて行ったら、カシスが本気で怒るのだけは確かだ。


「どうしよう……」

 母の事を考えなしとも、ソラの事をとやかくも、阿呆の僕にはもう言えない。




ついうっかりだったと犯人は供述しています。

時間契約者は奴隷ではないけれど、ある意味奴隷よりも酷い契約の時があります。

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