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女装王子の留学記 ~美少年過ぎて女性恐怖症になったけど、女装していれば普通に生活できます~  作者: 笹色 ゑ
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48  川流れ


   四十八 


 ユマ様に買ってもらった洋服を着て、馬のいない馬車に乗っている。既に雪が積もりだしていて、寒いけど今日は暖かい。


「ご機嫌だな」

 ナゲルの言葉に笑みが深くなる。

 ユマ様に服を買ってもらったことは初めてではなかった。けれど、ユマ様に選んでもらったのは初めてだ。


「ユマ様に買ってもらったから、汚さないようにしないと」

「賜った」

 トーヤが小さな声で指摘する。


「……えーっと、ユマ様から賜った品です。後生大事にしたいと考えております」

 口調や言葉遣いは直そうと思うのだけど、つい楽なしゃべり方をしてしまう。


 ユマ様はやんごとなきお血筋かもしれないから、もしもお側で働きたいなら、それに恥じないようにしなければならないとトーヤが心配してくれている。

 笑っているだけでは、生き残れないと。


 以前は、笑っているのがつらかったのに、ユマ様がいるとずっと笑顔でいられる。なのに、笑っているだけではいけないと言われて、難しい。


「少し仰々しすぎるが、まあいい」

 トーヤから丸をもらった。


「ふふ、そんなに気に入ってもらえたならよかった。寒くはないですか?」

 ユマ様が無駄口に怒らず笑顔で聞いてくる。むずむずして困る。


「はい! あ……はい。とても暖かいです。ありがとうございます」

「ニコルは、言葉は覚えがいいのに、使い方が慣れないようですね。今度本を買ってあげますから、読んでみるのはどうかしら」

「本、ですか?」


 文字はちゃんと読める。読めないとできない仕事があって怒られるから覚えた。アリエッタと一緒に計算や国語なんかの勉強はしている。頭が悪いと言われてきたけどユマ様に買われてからはいつも褒めてくれるから勉強が楽しい。けど、本は読まない。読んでも仕事の役にならない。


「読書は大事ですから、簡単なものから読んでみましょうか。どういうときに使うか分かった方がいいでしょう」

「はい。ユマ様から賜ったものなら何回でも読みます」

「本当に、頑張り屋さんですね」


 努力もできないのかと言われていたのに、ユマ様はこんなことでも褒めてくれる。

 ユマ様は欲しいものを、欲しかったと知らなかったものが、こんなに欲しかったのだと簡単に教えてくれる。


 ユマ様にたくさん貰って、嬉しいのにたまに苦しくなる。ユマ様が褒めてくれるのはユマ様にとっていいことだからだ。だから少し役に立てた気がして嬉しい。けど、もっともっと、ユマ様に喜んでほしい。そうしたら苦しくなくなると思う。叩かれたり怒られる苦しさは笑っていればいい。だけど、あんなものとは違う。


 今日はココアのいる場所に向かっている。ココアはユマ様が買った一人だ。女の人でユマ様の役に立っていたが家に戻ったらしい。帰れる場所があるのはどんな気持ちなのか、聞けるだろうか。


 ガタゴトと進んでいた馬車が止まる。

 外で警護していたミトーがノックする。


「橋が落ちています」

「橋が?」

 ユマ様が顔を顰めた。





 車から降りると橋が落ちているのが見える。


 かなり立派な橋だが途中からばっさりと落ちている。川を挟んだ向こう側には馬車が数台立ち往生しているのが見えた。戻ってくる車や馬車はなかったが、すぐ手前で右折する道があったので別の橋に向かったのかもしれない。


「最近落ちたもののようですね」

 カシスが戻ってくると、頭を振る。これは戻らざるを得ないだろう。


 寒い空気が肌を撫でる。ジェゼロはもちろんヒスラとも違った木々を見上げ吐いた白い息が雲のように流れた。


「なんの臭いだろ。卵が腐ったみたいな臭いがする」

 川の方から不思議な臭いが流れる。


「ユマどうする?」

 ナゲルの問いに振り返った時、嘶きが聞こえた。橋の方へ振り返るとどうしてそうなったのか馬が一頭落ちかけて、その重さで馬車も川へ引き込まれている。


 悲鳴と叫び声がする。よくよく目を凝らすと、馬車から子供が泣きながら身を乗り出していた。


 馬が暴れて馬車が傾く。

 母親だろうか女性が駆け寄ろうとするのを従者のような男が必死に止めている。別の青年が助けようとしていた。


 車では渡れないが、人ならば飛び越えられる。

「ユマ!」

 ひっぱられて駆け寄る前に止められた。


「ナゲルっ」

 助けられると顔を向けると、善人のナゲルが顔を歪めた。


「ちっ、お前はそこにいろ!」

 ナゲルが代わりに駆けていく。躊躇いのない跳躍で落ちそうな馬車の近くへ着地した。

 僕が危険に飛び込むくらいなら、警護やナゲルに頼むべきだということはわかっている。


 カシスとミトーはもしもの為に周辺警護している。トーヤも同様だ。この場合頼んでも助けには向かわないだろう。


 ナゲルが泣き叫ぶ子供を抱え上げて保護者の元へ連れていく、

 ほっとしていると馬が引っ掛かっていた橋が崩れる。それに合わせて馬車が引き摺り落されるように川へ落ちていく。


 間一髪とはこのことだろう。あの馬車に他に誰も乗っていないといいのだけど、大人なら直ぐに飛び降りていただろう。


「………あ」

 心配して橋の上に乗って見降ろしていたら、態勢がぐらりと傾く感覚がした。

 複数が僕の名前を叫ぶのが聞こえる。


「やばい」


 戻ろうとしたとき、スカートがぐっと引かれる。割れた木か釘にでも引っ掛かっていた。


「ユマ様っ」

 手を引っ張られたと思ったら、ニコルが腕を捕まえている。そう言えば身軽だと言っていたと思ったら、足の下には何の踏み場もなく、ぶらんとぶら下がっていた。下には、流されていく馬と馬車が見えた。それだけ流れと深さのある川だ。流されたらとぞっとする。


「ニコル……ありが……」

 見上げると、ぽたりと何かが頬に垂れた。上がどうなっているかわからないが、掴んでいる手にも血が伝う。反射的に、掴んでいた手を緩めてしまっていた。このまま掴んでいたら、いけないと思ってしまった。


「ユマっ!」

 ナゲルの叫ぶ声の後、大きな水音だけがした。凍えるような冷たい水の感触が頬だけでなく全身に纏わりついた。


 思ったよりも水の流れが速い。ジェゼロ育ちは基本泳ぎを習っている。泳げない子供はソラくらいだ。川面に浮上すると、既に壊れた橋が遠くに見えていた。川が二色に分かれ、黄土色に汚れた水に流されると、ふっと冷気が薄れ、さっき感じた臭いが鼻腔をついた。


 着衣水泳、特にスカートでの泳ぎも習っている。スカートを顔より高く上げ、空気を含ませて浮き輪代わりにする。少し力を抜いて、頭のどこかでうっすらと言い訳を考えていた。とりあえず、岸に上がらないと死ぬことは確かだ。滝とかあったら流石に死ぬ。


 もう一度頭を上げて、緩やかな曲がりがあるのを認める。内側の方が流れは緩い。そちらへ仰向けで泳ぎ始めると人の声が波の合間に聞こえた気がした。


 気のせいにしたいと一瞬頭を掠めたが、何度か頭と手が見えた。幻聴ではないと、唖然として、身を翻してそちらへ泳ぐ。無駄に体力を使うべきではないが、仕方ない。さっきの馬車に誰か乗っていたのか。


「ま、さまっ」

 川を流されていたのは見知った子供だ。咄嗟に手を放したが、僕の所為で引きずられてしまったのだろう。


 こちらを見たニコルが溺れながら笑うのが見えた。水の色の境界を跨ぐと途端に心臓が冷えるような冷たさが襲う。


 馬鹿と叫ぶ代わりに首根っこを掴む。

「仰向けに! 力を抜いて手足を広げろ!」


 溺れる人間は縋り付いて助けた人間が危険だ。だが、ニコルは溺れているのに冷静だった。短い命令にただ必死に従う。何度か流れで顔が沈んでも一切暴れず命じた言葉に従っていた。


 そのまま上手く体を流し、冷水から温水の方へただ浮かんでいるニコルを掴んで泳ぐ。そのまま少しずつ流れが遅く浅い場所まで泳いでいく。


 温水と言ってもこの季節の温度よりも温かいだけで風呂のような温度ではない。ずっと浸かっていれば体温と体力が奪われる。足のつく浅瀬へたどり着いたときは既にかなり流されていた。


「はぁっ……はっ……ま、ユマさまっ、だい、だいじょうぶ……でしゅか」

 ぜーぜーと肩で息をして、がくがくと震えながらニコルが聞いてくる。それを見て馬鹿と叱りつける気が失せた。濡れた体は外気に触れた途端に急激に温度をなくしていく。


 温泉か何かが川に合流していたのか湧いていたのか。もしも普通の川の水ならば、ここまで流されるまでに低体温で助からなかった。水から上がれば、水死は免れるが凍死が現実味を帯びてくる。


「ニコル。今の危機は凍死だ。すぐに火を起こさないといけない」

「はいっ」

 元気よく返事をするとすぐに森へ入っていく。


 ゆっくりと、息をして、上着を脱ぐ。このままではカシスたちが見つける前に凍死する。

 水を絞って、落ち着けと息をつく。


 落ちたのは仕方ない。あのまま転落死しなかったのは運がいい。


 ニコルは僕が命じればそれこそ死んででも守ってくれそうだが、実際は僕が守らなければならない。


「ユマ様! 小さい家があります」

 震える声でニコルが駆けてくる。ゆっくりとそちらへ向かう。足が凍え、泳ぐことで体力も使ってしまった。普通の水泳ではない。

 一歩間違えば死んでいた。


 凍えているからか恐怖かわからない震えが止まらない。


 ニコルの言う家は狩り小屋のようだ。とても小さいが最低限の設備がある。

 オオガミが作った狩り小屋と似ている。錠前がされているが、髪に仕込んだ鍵開けを取り出して開ける。手が震えていつも以上に時間がかかった。その間、ニコルは周りで小枝を拾い集めている。


「やばいな……手の感覚がなくなってきた」

 体が丈夫とはいえ、凍傷にならないわけではない。開いた鍵を外して中へ入る。人が二人寝ころべば場所がなくなるような片流れ屋根の小屋で、狩りのための道具がいくつか置かれている。端には簡単な調理ができる薪ストーブがあった。僅かだが薪も残っている。


 森での訓練は何回か受けている。森で遭難することなんてそうそうないと思っていたが、冬の川で溺れかけて遭難しているのだから想定よりもよほど悪い状況だ。


 ニコルが拾ってきた小枝から火を起こし、小さな暖を少しずつ大きくする。中に入るとニコルはあたりを物色しだして、埃除けにかけていた布や小さな鍋を見つけくる。寒い中、外に出て鍋いっぱいに雪を持ってきた。

「こ、これ……溶かしたら……のめ、ますか」


 がくがくと震えているのを見て、ぼーっとしだした頭に活を入れるために両頬をばしっと叩いた。泳いだ僕よりも多少体力が残っているとはいえ、ニコルが無理をしているのは明らかだ。


「ニコル。服を脱いで乾かそう。このままだと凍死するほうが速い」

 簡単には服を脱いでいたが、スカートやブラウスも脱いでいく。ぽかんとしていたニコルがそれを見て慌てて後ろを向いた。


「………ニコル。オオガミが言っていたことは事実だ。僕は男だから、気にしなくていい。早く服を脱がないと、マジで死ぬ」

「は……はい」


 命令だと受け取ったニコルが慌てて服を脱ぎだす。部屋の端でぎゅっと服の水を絞り、棚に広げて置く。埃っぽかった布はニコルが外ではたいてくれたので幾分ましになっていたが独特な古い臭いがした。


「………ぬ、脱ぎました」

 ニコルが弱々しく告げる。振り返ると眉根が寄りそうになるのを我慢して招き寄せる。人が包まれる布は一つしかない。


「あ、だい、大丈夫です。寒く、ないです」

「ニコル。人肌がある方が僕が暖かい」


 そう命じれば笑顔でも感情の抜けた顔でもない情けない表情で隣に座った。布をかける前に、濡れたハンカチを細く畳んでニコルの左腕を縛るように巻いた。

 助けようとしたときに血が滴っていた。その怪我だ。それだけでなく、ニコルの体には傷がいくつもあった。


「ごめ……ごめんなさいユマ様。僕がっ……もっと力があったら」

 ぐしゃりと表情を歪めてるニコルの肩を抱き寄せて、布で覆い隠す。


 互いの冷え切った体が少しでも熱を起こすために震えているのがわかる。

「ニコル。大丈夫だよ。僕らはまだ生きてる」

 薪が爆ぜる。狭い事が幸いして、小屋の中が温まるのは早かった。




ニコル回ですね。

鈍感系主人公ですね。

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