47 ハリソン・グラン・ストア
四十七
女神教会はとても綺麗だが、血の所為で深入りはできない。今回の接待はリンドウ・イーリスの屋敷から来たからだということだが、大司教といえば女神教会で最も権威を持つ人だ。敵にはできないが味方になりたくもない相手だ。
その偉い人の眠い話を聞いた結果、女神教会は遠目で見るに限るということを再認した。
「もう女神教会には出向かない方がよいかと」
昨日の女神教会見学時の対応を確認したカシスに言われて頷く。
女神教会の美術品は素晴らしいが、僕の先祖が主題になっていることが多い。そう思うと何とも微妙な心持になる。祖母までは噂を聞くがそれ以上のお祖母ちゃんを美化して作られた作品だ。たまに僕に似ているものもあるだけにちょっとしょっぱい気持ちになる。彼女たちのやらかし事案もジェゼロの授業に出ていることがあるから余計に微妙だ。
「わかりました。他に行きたい場所はいくつかありますし、しっかり堪能しましたから」
帝都の冬まっさかりになると帰れなくなる。リンドウには十日を目途に最低でもヒスラに戻ると申告している。冬を帝都で過ごす計画はない。
次の日から服屋や画材店などいろいろと出向いた。事前に申請した店で特に店舗自体は指定していない。そもそも店名も知らなかったからだが、一つ、帝都で商家をしている人を思い出して、その人の店にも行ってみたいとお願いして置いた。
「ああ、本当に来てくれるとは! ようこそ。今日は何をお探しですか?」
出迎えてくれたのはワイズ・ハリソンだ。ヒスラの街であった時と違ってあまり飾り気のない服を着ていた。
大きく近代的な建物はハリソン・グラン・ストアと看板が出ていた。五階建ての大きな建物すべてがお店のようで正直驚いている。
数日かけて色々とお店を回ったが、基本は専門店だ。画材や服に特化した店になるが、ここは建物すべてを使って色々なものを陳列していた。
ジェゼロにも雑貨屋やなんでも屋はあるが、それらとは明らかに違う。
いくつもの区画に分かれた一階に足を踏み入れると、不思議なことに客は一人もいない。そういえば朝食後の時間で店が開くには早い時間に打診があったそうだ。
「朝早くから開けていただいてありがとうございます。とても立派なお店ですね」
「ええ、エルトナから小売りや訪問販売が多いので、中流階級向けに大きな複合店を開くといいと助言をもらって建てたのがこちらですわ。ハリソン商会が扱う商品以外も扱っていますので、ここに来ればお買い物はとても簡単な上に、流行の最先端。流行に疎い殿方が婦人へ贈り物を揃えるためにもよし、ご婦人たちで連れ立って買い物をするにも楽しい場に仕上げております」
聞くと、これまでにない販売方法なのだそうだ。エルトナが色々と出歩くのが面倒くさいので、一店舗で買い物が終わるようにと案を出したそうだ。なんというか、結構ずぼらなところがあるエルトナらしい。本物のお金持ちはわざわざ出向いて買うのではなく使いの者を出したり、店の者を家に呼ぶそうなので、あえて中流階級向けに少し格を落としているそうだ。
今日の僕のように、ある程度地位や警護が必要な客がここに来たい場合は事前に申請すれば開店前や閉店後に貸し切りで見てもらうことも可能なのだそうだ。一日貸切る場合は別途費用が発生するが、それを余裕で払うものしかそもそも貸し切りはできないし、その程度で文句を言っては品位が下がる。
「ちなみに、ハリソン商会を立て直すきっかけとなったのはこちら……ワイズの紅と、ハリソン・ブルーと呼ばれる布が使われたドレスがきっかけで、エルトナに仕事を手伝ってもらった思い出の品ですのよ」
案内された先には、普段使いで着れそうなそれほど華美ではないが美しい服が人型の木型に着せられている。
鮮やかな赤に、少しだけ赤が混じった青い布が使われている。
「……これは」
赤い布地を触り見聞する。研究校で譲ってもらう赤い虫、あれと同じに見える。正規価格で顔料を買えば、布の代金にすらならないだろう。
「教会に届けられた供物の中から、エルトナが見つけて、発生地を特定して安定生産が可能になったんですよ。この色合いは、素晴らしいと思いませんか? 血よりも赤い恋の色です」
笑顔からなんというか圧を感じて、虫だとは言わないでおく。
「売り出し当初は上流階級向けの高級品でしたが、最近では大分と価格が落ち着いてまいりました。この赤は少女の憧れの色になっているのですよ」
双葉の店の情報から、ナサナではまだかなりの高級品だ。しばらくは価格を維持してもいいのだろうが、ワイズは金儲けは夢がなければ始まらないと笑う。
「そちらのお嬢さん方にもいかがですか? 冬用の外套にも使っておりますし、こちらは羊毛を使っていますから、とても暖かいのに蒸れないので臭いが出にくくなっています」
ワイズがリリーとアリエッタに視線を向けて勧める。
今日はミトーとナゲル以外は全員連れてきている。ミトーは街散策という情報収集で、ナゲルは帝都病院の見学に行っている。僕も病院見学に興味があったが、警護付きだと大所帯になるから邪魔になるので参加しないで置いた。
「リリーとアリエッタに似合う服をいくつか見繕っていただきましょうか。こちらは思ったよりも寒いですから。それと男性用の服はありますか?」
「殿方の服は二階になりますわ。こちらは女性向けの施設ですが、殿方を連れてくる女性も多いですし、殿方への贈り物を選ぶこともできるようにしていますわ」
「では、順番にはなりますが、彼らにも服を頂きましょうか」
ミトーは自分で買ってきてもらえばいいし、ナゲルには別に労いで服を買う必要もない。
「あ、あの……ユマ様」
アリエッタがとても困ったような顔をしている。
「こちらのお洋服は、私には高級すぎて……」
中流階級の服となれば高級品の部類だが、ここの服は吊り物なので注文して作るものよりは随分手頃だ。メリバル夫人がアリエッタたちの服を準備してくれているが、使用人用の服なので比べるとかなり高価に見えるだろう。
「服を選ぶのは楽しいでしょう? アリエッタがかわいいと思う服を選んで見せてください」
「アリエッタ、ユマ様のご厚意よ。可愛らしい姿をお見せして喜んでいただきましょう」
リリーがそっと手を取って促す。それにはにかんだ笑みを浮かべて一度頭を下げてから離れる。
「……とても元気になって、安心しましたわ」
ワイズは時間契約者だった三人を見て、表情を緩めた。
「その節はお世話になりました」
「ふふ、とても楽しい競売でしたわ。あそこまで豪快且つ素敵なお金の使い方を見られましたもの。あれで女神像を競り落とせたら最高でしたのに」
「あの女神像も素敵でしたが、どういった点が気に入られたのですか?」
そもそも女神像が競りに出していいものなのか、今更ながら不思議に思う。
「わたくし自身が、敬謙な女神教会の信徒であるから、でもあるのですが……あの女神像には噂があったのです」
「噂……ですか?」
「ええ、飾っていた女神教会が何度も火災に遭ってしまい、手放すと厄災が収まったり、ごみ場で見つけた農夫が大財閥になったり、何かと曰くがあるのです。是非とも手にして、その真価を見てみたいと思っていたのです」
「……これほど儲かっているのですから、厄災が降りかかるのでは?」
案じて見るが、ワイズは不思議そうに首を傾げた。
「わたくしなど小金持ちでしかございません。現に、自由にできる私財が少なかったからこそ、あの局面で負けてしまったのです。あっさりと買えるだけの金もないわたくしですもの、今後成功する以外はなかったでしょう」
接した回数は少ないが、それでもワイズ・ハリソンはかなりの変人だということはわかる。
「折角当店に来ていただいたんですもの、どうぞゆっくりお過ごしください。質問があれば気兼ねなく仰ってください」
ワイズがにこりと笑むと、一歩下がる。
気を使ってもらったので、うろうろと見学する。途中でリリーやアリエッタに交じって服を見たり、家族への土産になりそうな髪飾りやハンカチを探す。
装飾品以外にも、きれいなガラスの食器や可愛らしいぬいぐるみもある。
見ているだけで楽しい。ジェゼロの店はこんな感じでふらりと立ち寄れたが、もっと素朴だ。帝都ではいくつかの店に向かったが、基本ずっと店員がついてきて、いろいろと要望を伝える形になる。僕の服は基本特注なので実際に服を買うことはないが、流行りの服を見られるのは楽しい。確かにこういう店はあまりない。
トーヤとニコルにも冬服を見繕う。カシスは遠慮された。
「ユマ様、ココアの件ですが……」
そろそろ開店時間になるので暇の時間だ。ワイズが再び声をかけてくる。
「……孤児院の院長が統治区区長の命があると、ココアがいる孤児院の管理権の正当性を示してきました」
「統治区……ですか?」
「よくあることです。自身の統治区以外に孤児院を置き、都合よく使うのです」
「自分の土地に置いたほうがいいのでは?」
いまいち話が理解できない。
「統治区はあくまでも帝王陛下からの命でその土地を管理しているだけです。不正や反意があると見なされれば解任もされます。出資だけして管理は他所と言い切れば、そこで多少違法行為があっても言い逃れはできますし、資金を横領することも可能です。わたくしの方から寄付の形で介入を進めていたのですが、これ以上はお力にはなれないかもしれません」
簡単に言えば、ワイズの財力ではどうしようもない相手から因縁をつけられているからどうにかできないかということだろう。ココアの身の安全だけでなく、そんなことまで気にかけてくれていたとは。
「ワイズ殿」
カシスがすっと前へ出る。
「それは、帝国の問題です。我々はただの客でしかないのですから」
かどわかすなと釘を刺す。
「そうですね……。世の中には、知らない方が幸せなことは多々ありますから」
そういいながら、手紙を渡された。
ユマ様からの依頼でココアについて調べた。まだ慣れていない帝都なのでミトーもあまり情報を確保できなかった。
リンドウ様から渡された身辺調査については、俺も聞いた。
ココアの生家をまず確認に行った。どんな貧乏な家だろうと思ったが、帝都の街中に店を構える中規模商店で、そこそこ儲かっているようだった。周辺で話を聞くと、ココアは四人兄弟の末子で上は皆男らしい。最近は娘さんを見ないけど、兄と違っておとなしくて礼儀正しい子だったとの事だ。嫁ぐ予定の家でも見ないが病気だろうかと近所の噂好きの婦人が教えてくれた。
次男が家を継いで長男は飲んだくれているとかなんとか。
ココアは見た目通り、大人しく兄にいじめられて、将来結婚相手は父親が決めると言いつけられていたようだ。ジェゼロでは結婚は本人の意思が必要だ。親に強要させての結婚は周りから白い眼で見られることもある。小さい国だが、ジェゼロは人道に対してはかなり厳しい。
次に、孤児院について調査した。
災害孤児を集めたという孤児院で郊外に作られていた。孤児院自体は帝国には比較的多くあって、里親の斡旋や教育も行われているようだ。ユマ様がワイズ・ハリソンから聞いたように、孤児院の支援者は帝都近くのものではなかった。
「ルールー一族?」
報告すると、ユマ様が眉根を寄せた。
「正式には、ルールー一族の人が所有している店が支援してます。何かあれば関係は否定できて、節税ができます」
「はぁ……ルールー一族についてミトーの知っていることを教えてくれ」
女装で男言葉を使うユマ様に肩を竦めた。今はジェゼロから来たものしか部屋にいない。
「ルールー一族はユマ様が留学されているヒスラを含めた統治区の統治者です。ルールー統治区は六つに分けて各区は親戚関係が区長として監督しています。以前は西区の高地に塩田があり、塩産業で儲けていましたが、線路が引かれて海の塩が広く普及しましたから塩の価格は暴落しています。それで、新しく始めた産業の一つがどうも人身売買のようです」
十歳までの子供は養子の形を取って、それ以上は時間契約者として、高額取引をする。何もひどい趣味のためだけに買う訳ではなく、純粋に家事の手伝いが欲しい者も多いので女の子は家政を学ばせ、男の子には馬の扱いや武術を学ばせることもあるようだ。ユマ様が買った時間契約者の中で、三人は価格に見合う価値がある。若くて将来美人になりそうなアリエッタが一番安値から始まったように、傷物や特に付加価値がなければ高値が付かない。ただ飯を与えて飼育するだけではなく芸を覚えさせた方がいいというのは理解はできるが反吐が出る。
「ココアは結婚相手が決まり、それまでの間だけでもと懇願して孤児院で手伝いを始めたようです。なんでも、歳の近い使用人の子供が両親の死後そちらに預けられたのでその伝手を使ったようです。その後時間契約をした理由などは本人に聞かないとただの憶測でしかありませんが、親の決めた相手は祖父のような年齢で後妻として結婚予定だったので、結婚を回避するためでもあったのかもしれません」
年齢差のある結婚を否定はしないが、親に決められて老人の世話なんて、自分がそんな立場なら逃げだしたくもなる。
「世の中、理不尽ばかりか」
ユマ様は王の長子だが王にはなれないし、こんなに美少女なのに男だ。俺に比べて凄い美少年でもあるのに女性恐怖症。ただの国境警備の兵に比べれば余程勝ち組の生まれだが、平凡な家で育って、当たり前の義務だけであとは自由である俺の方が恵まれているのではないかとすら思う時がある。
「ユマ様」
カシス隊長が厳しい目を向ける。
ユマ様はジェゼロの王族であってジェーム帝国内では何の権限もない。ただ、帝王陛下はエラ様に執心しているという噂すらあって、ユマ様の留学もとても協力的だ。何もできないわけではない。
「……ココアには、時間契約はしないことを伝えないとならないし……」
座っているユマ様が子犬のような目で見上げる。中身が男とわかっていても、うっとなるような、破壊力のある攻撃だ。
「世の中は理不尽で不平等だからこそ平等なのです。目の前に置かれたものだけを助けるならば目を瞑りのますが、他者のいいように利用されるのは看過しかねます」
ワイズ・ハリソンにこれまでも嵌められている可能性はある。警戒するのはもっともだ。
競売に誘ったのもそうだし、今回の件も何かあるかもしれない。これ以上ユマ様に仕えたいものが増えても困る。
「ダメですか?」
カシス隊長がユマ様に嫌そうな仏頂面を見せる。
「………はぁ。帝国の警護も帯同させます。孤児は買わない、経営に口出しをしない、危険なことはしない。いいですね」
「そんなこと、する予定はないです」
ユマ様が真面目な顔で頷いた。




