45 帝都へ
四十五
帝都で案内されたのは帝都の女神教会近くの屋敷だった。街中にある屋敷としては一番の大きさだが、メリバル邸と比べればかなり小さい。
「リンドウ様がおいでになられております」
数日かけての長旅だが、列車での移動で暇以外に特に疲れはない。リンドウ・イーリスが出向いてきたと言われ、リリーに依頼されていた絵を持ってもらい、こちらの屋敷の執事に従い応接室へと向かった。
聞くとここはリンドウ様が個人的に使用している屋敷だそうだ。いくつもあるうちの一つで、義母弟などもよく利用されているそうだ。
建物の内装は白に水色がさし色として使われている。上品でありながらどこか可愛らしさと冷たさが同居した不思議な印象だ。調度品はどれも高級で細工が美しい。
部屋には既にリンドウが待っていた。
「ユマ様、長旅でお疲れのところご足労をおかけします」
席を促されて革張りの長椅子に座った。
今はユマ・ハウスではなくユマ・ジェゼロとして接してきているようだ。こちらの意識もそう変えなければならない。
「兄の急な希望でこちらへ来ていただくこととなったため、ご安心いただくためにも一度顔を見せて置いたほうがいいと判断しました。近く陛下との謁見の場を設ける予定です」
リンドウの列車に同乗した折に、帝都へ来てほしいとは伝えられていた。まったくの想定外ではない。
「今回の留学を含め、多くのご配慮をいただき感謝しております。お元気そうなお姿を拝見でき、とても嬉しいですわ。直接、お礼を申し上げる機会をいただけて幸いです」
リリーに目配せをして絵を受け取る。布を取り、リンドウとり間にある低い机へそっと置いた。
「こちらはささやかですがお礼の品です」
絵を並べると、わずかに目を綻ばせた。目尻にしわが寄る。
「本当に、腕がよろしいですね」
「飾る場所を見せていただければ、場にあった仕上げと額もお選びいたしますが」
申し出に少し驚いたような顔を返された。
「本職の画家でもそこまでは致しませんよ」
「城に飾る絵を描くことが多かったので、その場に合わせて絵を書いていた名残です」
母の寝室は流石に入れないが、それ以外の場所は実際に飾ってから少し調整をしている。
「……機会があれば、手を加えていただくかもしれませんが、今のユマ様では入れない場所に飾らせていただくので、このままで結構です」
「わかりました」
正式にリンドウに引き渡し、自分の手から旅立たせる。愛着もあるし、丁寧に仕上げたが、人に権利を渡してしまうと精神的に距離ができる。
「こちらの警護も付きますので、帝都に関しては出歩いていただくことも可能です。基本移動は車か馬車となりますが」
ジェゼロのようにふらふらと歩き回るという意味ではないが、出かけてもいいと許可をされた。ヒスラの街と違い、より帝王の権力が強く管理も行き届いているということだろう。
「では、教会に行くことも可能ですか?」
「……ユマ様は、女神教会の信徒ではないと思っていましたが?」
「はい。宗教としては、正直ちょっと理解できないですが、美術品や建築は大変すばらしいかと。旧人類の宗教を手本としているのも興味深く、後学のためにも拝見したいと考えております。無論、見学はユマ・ハウスとしてもしくはユウと名乗っても」
僕の名前は、正式名はユウマ・ジェゼロになる。真ん中の文字はオオガミとお揃いになったのは母の意向だ。本来はユウ・ハウスで留学するほうが身元を隠せるが、いっそユマでいったほうがジェゼロからとは思わないだろうし、ナゲルや警護が呼び間違えることもないだろうと、これも母の案でそのままユマ・ハウスでの留学となった。あの人は深くものを考えない節があるので、本当は大した意味がないのかもしれない。
「こちらの教会は見学を許可します。案内も頼んでおきましょう」
「ありがとうございます」
ヒスラの教会も素晴らしかったが、帝都となれば総本山のような場所だ。楽しみで仕方ない。
「他に行きたい場所があれば事前に申請をしていただければ、可否を確認の上、ご案内いたしましょう」
行きたいお店や場所はいくつかある。
「ご配慮感謝します。それと、一つ確認をしたいのですが」
ここへは元時間契約者の三人も連れてきているが、もう一人、彼らには内密に連れてこられた者もいる。
「ゾディラットはいかがされるつもりでしょうか」
メリバル邸でいつまでも預かってもらうわけにもいかないので、帝国側が引き取るということに依存はない。ただ、あれでもアリエッタの兄だ。
「……本来であれば処刑が妥当でしょうが、もう少し調べるべきこともございます。それに……ユマ様の意向に沿うようにと陛下からは命じられています」
「アリエッタの極力気に病まないような結果であればと考えています。それに、洗脳のような形で利用されていたのでしょうから」
ゾディラットは確かにアリエッタのようにひどい目には合っていないだろう。だが、妹が虐待されている事実を理解できないのは本人の気質か、それとも前の主がそう思わせない教育をしたかはわからない。
「ユマ様は、アリエッタを将来は娶るおつもりですか?」
茶化すわけではなく、まっすぐとリンドウ・イーリスが問いかけてくる。それに首を振る。
「そういったつもりで助けたわけではありません。彼女たちを買ったのは、見捨てることが怖かっただけです。馬鹿なこととお思いになられるかとは思いますが、後悔はありません」
もはや定型文だ。
「そうですか」
頷くと、リンドウは侍女に視線を移し、書類らしきものを受け取った。
「これはユマ様が購入された五人の身辺調査の結果です」
「……」
一瞬、勝手に見ていいものかと後ろめたさを感じたが、彼らが僕の下で働きたいと意志を示している以上、ジェゼロにとって不利益がないか確認することは重要だ。
「ありがとうございます」
「ユマ様、私も時間契約者を購入したことがございます」
受け取ると、リンドウが静かに口を開く。
「現在はあまり正しい認識を持っているものが少ないようですが、彼らは奴隷ではありません。自分の意志で自分の人生を売ったものです。例え騙されていたとしても、騙されることを選んだのです。売った責任は自身にありますが、それを買った責任も購入者には付きまといます」
これまで、そんなものを買って何に使うのかという疑惑の目を向けられることが多かったが、リンドウの目はそういった類ではなかった。
「少なくとも、三人が契約を解除されたとしても、あなたの下に留まりたいと言わしめた。そのことを誇りに思います」
ゾディラットは恩を仇で返すような行動をさせてしまったが、残った三人についてお褒めの言葉を頂いてしまった。
ユマと長くいるナゲルは知っている。ユマは確かに試験には強いが本質はエラ様に似ていてちょっとヤバ目の馬鹿だと。
ユマは女神教会の見学許可が出てそうそうに見学へ向かった。
「学習能力ないよなー」
「え、ちゃんと顔は隠してるけど?」
教会に行くので質素な装いに今日は薄い布で顔をはっきり見えないようにしている。女神たるユマの先祖の全員とは言わないが、代によっては女装のユマと似た者もいるだろう。なので顔を隠せばいいと思っている時点でダメだろう。
今日はちゃんと警護付きかつ許可が出ているからまだましか。
帝都の女神教会は少し小高い場所に建っていた。教会の建物のほかにも庭園なども併設され、かなり大きな施設だ。教会の聖堂自体は自由に立ち入りができるらしく、ユマ以外にも信徒が祈りを捧げに来ていたり、観光がてらの客もいるようだった。
ジェゼロでは女神教会の信徒はかなり少ない。いても移住を許可された一部で、そんな彼らも布教活動をした場合は国外退去となるし議会員にもなれない。そもそも女神教会の信徒がほぼいないのであまり知られていないが、帰郷の折に爺さんの爺さんまでは熱心な女神教会の信徒だったと聞かされた。
ユマがジェゼロ王の子、神子の子だと知られることはかなり危険だ。当の本人はいまだにそれを理解していないようだ。
中に入るとユマはすいーっと絵画や像に引き寄せられていく。どうしてそこまでじっと絵を見ていられるのか不思議だ。
ユマが描く絵はきれいだと思うが、女神教会の絵はそれほど好きではない。エラ様はじめ、本当の神子様やジェゼロの血を知っているからだろう。闇に堕ちた世界を救ったのは結果論で、当時の神子と呼ばれた人は自分の大事なものを守った結果世界を救ったんじゃないかと思う。そもそも、ジェゼロから出て行って女神教会を立ち上げた人間は何を考えてそんなことをしたのか。ジェゼロ王が要請したのか、それこそ神の意志か。今を生きる俺にはわからないが、何となく哀れに感じる。
ジェゼロは別に女神教会を求めていないのだ。
「すごい集中力ですね」
ユマの近くの長椅子で休憩していると、すいっと前の席に座った男がユマのほうを見ながら声をかけてきた。
恰好は教会の神父の姿だ。また厄介ごとだろうかと軽く眉根が寄る。
「長居をして申し訳ないです」
「いえ、話しかける機会をうかがっているのですが、まったく隙がありませんね」
眼鏡に薄茶の髪を後ろに束ねている四十ほどの男だ。とてものほほんとした顔をしている。
「何か御用ですか?」
「ああ、君はナゲル君かな? エルトナからの手紙に書いていましたよ」
エルトナの名前が出て首を傾げた。
「私はツール・ド・フリアルトと申します。エルトナは私の養子です。ユマさんが仕事を手伝ってくれていると書いていたので、お礼とご挨拶をと」
そういえば、エルトナの養父は帝都の女神教会の司教だと言っていた。
「司教様の恰好ではないようですが?」
「ああ……はは、お恥ずかしながら、あの服は一人で着るのは難しいので普段は着用を免除されているのです。私は片腕ですから」
横を向いていたので見えていなかった左腕を上げると、肘から先が結ばれていて明らかに長さが足りない。
「それに、この格好でいるほうが尊大という過ちを犯しにくい」
いかにも宗教家のような穏やかな口調だ。
「エルトナは元気にしていますか? あの子は手伝いでお勤めの掃除をする以外碌に体を動かさず、いかに動線を短く生活するか考えるような子ですから、心配で」
「ああ」
言われて、思い当たる節がある。
エルトナの手伝いはユマほど長くしていない。エルトナの手伝いをするユマの手伝いが正しい。表面上はともかく、あまり人と仲良くしないユマが珍しく懐いていた。手伝いに入っていた間は、基本的に食事は俺が運んでいた気がする。そしてあまりにも長時間座ったままのエルトナを見かねてユマが散歩に引き摺っていた。あれは犬の散歩っぽかった。
「たまに、ユマが散歩に連れ出していました」
「そうか……いい友人ができてよかった。あの子は少し気難しいから気の合う同世代が少なくて」
気難しいと言われてあまりピンとこない。
「それにしても……君の友人はエルトナと少し似ているね。楽しくなりだすとうっかり人目があることを忘れるところとか」
顔を隠していた薄布は早い段階で捲り上げてしまっている。理由は簡単だ。見えにくいからだ。こういうところがソラの兄らしくもある。
「……大司教様がお越しだ。顔は隠した方がいい」
後ろに目があるのか、こちらからは見えるがツール司教からは見えなかったはずだ。確かに仰々しい白の衣を纏った男がやってきていた。道を開けるように人がはけていく。
助言に従い後ろから薄布を摘まんで顔にかけた。すぐにユマがこちらを非難がましく見てきたが、指文字で人が来たとだけ伝える。振り向いた先が相手から背になるようにしておいた。
「如何されましたか、大司教様」
ツール司教が声をかける。ユマに聞こえるようにしたようだ。
ユマが小さく息をつくとそちらを向いて一歩下がり道を開ける形をとる。
大司教は白い姿の老人だった。
「少し、お時間を頂けますか?」
ユマの前で大司教はユマの前に立ち止まった。
列車は帝都へ向かい、帝国に拉致されました。




