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4 街散策と女神教会


   四



 カシスに迷惑をかけないように努めようと思ったのは十日前だったろうか。


 昼過ぎの街中を歩きながら、ふっと天を仰いだ。


「あの部屋じゃ、逃げ放題だよな」

 共犯者ナゲルが斜め後ろを振り返り言う。


 ジェゼロでは警護なしでふらふらと出かけていた。女装するようになって、卒倒時に周りが困らないようにナゲルか誰かを連れて歩くように注意はしていたが、国民は王子であることはわかっているので、危害を加えられる危険は限りなく低かった。


 勉強も教育も案外好きな方だ。目標がベンジャミン先生なので、得られる知識は得ておきたい。だが、そう……これでもジェゼロの血が半分入っているのだ。新しい街を前にして、散策に行かないなど無理な話だった。


「ナゲルの、面白そうだからってついてくるところ、とても好ましく思っていますよ」

 逃亡もとい、市街散策についてきてくれたナゲルに美少女らしく言う。


 ジェゼロから持ってきた服なのでかなり質素なものだがこちらの流行ではないからだろう。目を引いてしまうらしく歩いているだけで視線を感じる。


「お褒めいただいたところで飯でも食うか」

「賛成。最初こそ美味しかったけど、連日あの食事は無理だ」


 ため息をついて頷く。昼食後に出てきたが、もったいないことに全部は食べられなかった。バターをたくさん使っていたり、揚げたものが多く。胃が持たない。


「口調戻ってるぞ。女子らしくはとしけー。とりあえず、露店か食事処ねーかな。適当に焼いただけの飯がいい」


 赤茶の三角屋根に白い壁の建物で統一されている。来た時には雪がわずかに残っていたので雪深い場所なのだろう。


 メリバル邸があるのは街の西側で、楕円の塀にコブができた様に出っ張った作りをしている。元あった街の中に作るには屋敷が大きすぎて、住人の事を考えれば外に隣接して作る方が理にかなっているのだろう。街中の道は従来通りに馬車用で広くはない。わざわざ街に入らなかったのは街中に出れば理解できる。あの長い自動車ではそこかしらで擦り、事故が起きそうだ。


「服屋さんと画材店にはいかないとねー」


 道行く人の恰好を見ながらこの街の今年の流行を探る。メリバル夫人が嬉々として服を注文してくれているが、着心地はジェゼロから持ってきた双葉の店のものが一段上だ。


 ふらふらふと服屋や本屋に入るのにナゲルが付いてくる。流石に一人で放置するのは危険だと思われているのだろう。この顔だと声をかけられても不思議がないので男避けとしては体格のいいナゲルはちょうどいい。


 画材店を見つけて入るとナゲルが外で待ってるという。長くなると察したのだろう。帝国通貨はいくらか持ってきたが、欲しいもの全てを買うわけにはいかないので時間をかけて吟味して購入した。


 画材店から出ると、ナゲルが露店で焼き栗を買って食べていた。まだ少し肌寒いがそろそろ焼き栗は終わりの季節だ。


「栗はどこでも同じだな」

 中身を一つ摘まんで食べる。栗自体の甘味だけでほっとする。砂糖はジェゼロにもあるが、甘味は蜂蜜の方が一般的だ。砂糖を使った菓子は美味だが、もう少し甘さを控えて欲しい。


「はぁ、故郷の味がこんなにすぐに恋しくなるとは思わなかった」

「それな。料理下手の母の味がいっそ恋しいとか」


 互いにため息をつく。荷物をナゲルに持たせて大通りへ出ると、大きな広場へ出た。その奥には大きな建築物が鎮座している。自動車から見えた巨大な教会だ。薄い灰色の石造りの建物が教会であることは理解できるが、ジェゼロでは見たことのない規模だ。繊細な細工窓や色々な像が建物を彩るように設置されている。中心には大きな円の絵ガラスがはめられていて、キラキラと輝いている。


 以前にオーパーツ大学の棟の設計に携わったことがあるので、この大きさの建物がどれだけ困難かは理解している。見た目はもちろん、計算に計算を重ねた結果達成できるものだ。


「女神教会か……」

 ナゲルが少し苦く言う。


「女神教会って、こんなに大きいのが普通なのかな?」


 ジェゼロに女神教会はない。教会はあるがジェゼロは自然信仰の国でジェゼロの神は信仰対象というよりもあって当たり前のものだ。


 ジェゼロから移住した教祖がジェゼロの神からの教えを伝える宗教らしい。そういう宗教が帝国だけでなく他国でも主流宗教の一つだと知識にはあるが、こんな大層な教会を立てるほどのものとは思わなかった。


「爺から、気を付けるように言われてるんだよ。つっても、入るなって言っても無駄だろうから、ついてくけど」


 よくわかっているではないか。流石は僕の幼馴染。これだけの偉功を感じさせられる建築物はそうそう目にかかれるものではない。今回のふらり観光がカシスにばれたら教会見学などさせてもらえないのは目に見えている。


「ちらっと、中を見てすぐに出ますよ」

 教会へ足を向ける。


 大きな扉があるが、それは閉じられ、左右に人が通る用の扉がある。扉の前に物乞いの老人がいる。ジェゼロで浮浪者になるのは難しい。保護されるか精神に問題があれば病院に収容される。他所の国からの不法滞在であれば問答無用に送還、正規手続きをせず次に不法侵入した場合最悪死刑に処される。


 くたびれた帽子に小銭が入っている。こういう場合、お金を入れてあげるべきかどうなのかわからず、そのまま横を過ぎた。ジェゼロでは恵みとして小銭を与えるのもあまり良しとされていない。結局その者は雨曝しで過ごすことに変わりないのだ。だがよその国で徹底することは難しいだろう。ジェゼロでそれができるのは、小さい国だからこそだ。


 入口を入ると受付のような場所がある。

「御見学ですか?」

 シスター服の女性に問われる。


 ナゲルが受け答えをして、御心づけをと言われ、いくらかを箱に入れて中へ入った。ナゲルが対応してくれたのは、もう僕は中が気になって碌に使い物にならないからだ。


 中も同じように灰色だが絵ガラスの光で所々七色に輝いている。美麗な彫刻が並んで、それだけでなく大きな絵画が輝いている。歓声を無音で上げながら足早に見学を始めた。


 金がかかっている芸術は、圧巻だ。これだけでも留学に来てよかったと思える。




 珍しく昼直ぐに教会へ帰ってきた。研究所で働き始めて、連日遅くまで籠っていたら所長代理が休日は帰って欲しいと言ってきた。まだ一人で仕事を任すことはできないらしく所長代理は基本同じ部屋にいるのだ。まあ機密を扱うので監視がいるのは仕方ないが、なぜか所長代理はあまり仕事をしない。なので休日も働きに行ったのだ。


「エルトナは本当に、社畜体質よね」

 部屋の掃除をしているとハリサが呆れを交えて言う。


 一応寝るために女神教会に戻っていたが、いつも帰りが遅いのでハリサかネイルが迎えにきてくれていた。迎えというか、強制帰宅させられていた。


「いつも迎えに来ていただいてありがとうございます」


 旧人類の時代でも夜間は日中よりも危険性が増していた。子供が一人歩いていれば誘拐されてもおかしくない時代なので、必要がないとは言わないでおく。貧相なので大の大人相手ならばひょいと攫われるだろう。


 ハリサとは共同部屋だ。片付けと掃除を済ませると、水を換えて礼拝室へ向かった。


 教徒ではないが、生活しているので礼として仕事のない日は掃除を手伝うことにしている。基本は長椅子の拭き掃除で、単純作業に没頭すると案外と頭がすっきりするので趣味と実益を兼ねている。


 膝をついて礼拝用の木製の長椅子を拭いていると、声をかけられて見上げる。


「掃除くらいはできるようで安心しました」

 細い初老の男が数人のお供を連れて立っていた。


 掃除の弊害は集中するので周りが見えなくなるところだろう。


「住まいを提供いただいていますので、少しでもお役に立てるように努めさせていただきます」


 立ち上がり、視線を合わせずに答える。野犬と同じだ。視線を合わせない方がいい人種はいる。


「慈悲深い女神様も、決して罰を与えぬわけではありません。いつでも女神様の許でお勤めをしたいと思えば声をかけてください」


 帝国の女神教会で司教職にあるツールから、養子の自分を受け入れてほしい旨と、帝国より指示された仕事を行う事は伝えているはずだが、ヒスラの司教は女神教会に準じていないものが教会内で生活をするなと咎めてくる。養父の意向なのだから仕方あるまいに。


 宗教というものはいつの時代も真っ黒だ。人の御心を救うためではなく懐を温めることと権力しか考えていない。


「わぁ」

 小さな歓声が上がって、張り詰めた空気がそがれる。目を向けると、礼拝室へ人が入ってきていた。


 見間違えようのない美少女がキラキラした目で正面にある女神像に目を向けていた。列車で会話を交わした美少女で間違いない。そういえば名前を聞いていなかった。


 この礼拝室へは本来は立ち入り制限があるが、司教が入る時にドアを閉めていなかったのだろう。側廊から入ってきてしまったようだ。規律にうるさい司教が出ていくように言い出す前に、外へ誘導しようかとちらりと見ると、司教が目を見開いて驚いた顔をしている。付き人達もその反応を見て、追い出すべきかと躊躇いを見せていた。


 当の美少女はこちらへは視線すら向けず、一直線に正面の女神像へ向かう。等身大の大理石の彫刻像だ。女神降臨をテーマにしたもので、どこの教会でもよく目にするものだが、ヒスラは特に金をかけている教会なので、繊細な造りの像である。


 列車で見た時よりも煌めきが増している顔で、じっと観察していた。研究校へと言っていたのを思い出す。春から、新しい科として旧人類美術科が新設されるのを思い出す。教授はもちろん、学生の面子が異常だったので覚えている。その中に一人、追加入学者がいた。確かユマ・ハウスと言ったか。歳も書類に書かれていたのと相違ないようだ。


「……女神様」

 小さな声で、司教が呟いた。言われて、女神像と美少女の面差しが似ていることに気づく。そもそも整った顔と言うのは多少似てくるものだ。


 司教が、裾を引きずる服で歩きだす。

「ヒスラの女神像は特に素晴らしいでしょう」


 随分と柔らかい声色で司教が話しかけ、少し待ったが全く反応しない少女を、横についていた青年が肩を叩いて意識を向けさせようとしたが、無駄に終わり肩を竦めた見せた。


「……申し訳ありません。あまりのすばらしさに五感が奪われてしまっているようです。赦されるならば、もうしばらく見学を続けさせていただいてもよろしいでしょうか」


 丁寧な口調で、呼んでも反応しない少女の代わりに青年が答える。一瞬不快気に目を細めたが、わざと無視しているようにも見えないので少女を見ながら司教が問う。


「見ない顔ですが、女神教会にご興味が?」

「とても興味深い教会だと存じます。このような立派な建物に感銘を受け、失礼ながら見学をさせていただいておりました」


「ヒスラは信仰心の厚い街ですから。その献身の賜物です。こちらへは観光ですか?」

「いえ、しばらく滞在を」

 言葉短く答える相手に小さく頷く。


「信徒でなくとも、平等に慈悲を与えるのが女神教会です。ゆっくり見学をされるとよろしい。芸術に関心があるのでしたら、一般公開していない絵画などを見られるように計らいましょう」


 微笑みかける司教が何を考えているのかと目を細める。ハリサ曰く、色惚け爺と言っていた。もしや美少女の貞操の危機では? といざとなれば研究所の職員として割って入らねばならないと考えていたが、ついている青年は賢明だった。


「申し訳ありません。本日はあまり時間がありませんので」

 にこやかに断りを入れる。少女は本当に話が耳に入っていないのだろう。聞こえていたら無策にも飛び込みそうだと邪推してします。


「司教様」

 付き人に声をかけられ、一瞬鋭い視線をそちらへ向けたが、すぐに優しい顔でそちらを向いた。青い顔をする付き人が、お時間がと弱々しく声をかける。


「他の者が咎めぬように見て差し上げるように」

 本来は勝手な入室だと見咎められて退室を促される場所だ。私の方を一瞥して命じると、奥の扉から出ていく。ドアが閉まってから、足音を確認するように覗いていた青年が少女の頭に容赦のない手刀を落とした。痛かったのだろう。その場に少女が蹲る。


「ぃった!」

「アホ」


 美少女に容赦なく暴言を吐くと、手話のような複雑な動きで右手をさっと動かす。

「それは、見ておきたかった」

「馬鹿か」


 何の意味かは理解できないが、手短に先ほどの事を説明したようだ。教会の人間である私がまだここに留まっているので言葉にするのは避けたのだろう。


「あれ、エルトナ?」

 正気に戻ったようでキラキラと色気を振りまいていた顔から普通の美少女に戻るとこちらに気づいたらしい。ここに入った時は本当に女神像しか目に入っていなかったのだろう。


「知ってるのか?」

「ああ、列車で少し話をしたん……ですわ。聡明な子なのでよく覚えています」

 取り繕うようにほほと笑う。


「教会で暮らしていたんですか?」

「養父が関係者ですから、ヒスラでも住ませてもらえるように図らってくださったので」

「では、女神教会についてもお詳しいのですか?」

 興味を持たれ、少し困る。


「知識としては存じていますが、信徒ではありませんので、説法の類はできません」

 年齢的にも信徒でも見習いでしかないのでどちらにしてもできないが。


 なんとなく、この場で長く話し込んで、司教が戻ってきても面倒だとちらりと側廊へ続く出入口に目を向ける。青年と目が合って小さく頷かれた。初対面だが、とりあえずこれを外へ連れていけと言われていると理解できた。


「信徒でない自分がここで話すことは気が引けますので、外で、でしたら」

 バケツを持って問いかけると可愛らしい微笑みで頷かれる。



 改めてユマ・ハウスが名前を名乗る。やはり旧人類美術科に特別枠で入る者で間違いがなかった。それに横の青年も特別枠で入学することが急遽決定したナゲル・ハザキだった。彼の名前も覚えている。ハリサと同じ姓だったからだ。ハザキの名前は医術科に入るにふさわしい名前だが、ただの偶然かもしれない。ハポネではそれほど珍しい名でもない。


 ネイルが丁度いたので掃除道具を任せて少し教会の外に行くと伝えて置く。勝手にいなくなると迷惑をかけるのだ。新入学制の二人を教会から少し離れた食事処へ案内する。ネイルがよく使う店で二度ほどだが行ったことがある。


 適当に注文をしてから、改めて二人を観察する。


 服装はヒスラの流行とは違うが浮いているほどではない。美醜に対してそれほど価値を見出さない性質の自分でも、ユマが整っていることは理解できる。列車でも思ったが、この見た目は苦労も多かろうと言う事だった。美麗すぎる外見は利益もあるがプラスだけではないことをよく知っている。改めて、今の自分がそれほど美人でも不細工でもない埋没できる見た目であることを感謝する。精々髪色が珍しいくらいだ。


 横の青年、書類ではユマと一つしか違わないのでぎりぎり少年と言ってもいい年だが、発育がよく、背丈だけでなく体ががっしりしているので青年と言った方がしっくりくる。肌の色が日焼けで濃く、黒髪に黒目。単体で見ればまあ悪くない顔立ちだが、ユマが横に並ぶと見劣りする。司教への対応を見れば、ある程度の教養は持っているのだろう。


「失礼ですが、お二人はどこかの名家の出身ですか?」


 書類には出身地などが書かれていなかった。リンドウ・イーリスの推薦入学であるため、試験免除の問答無用の入学だ。コネ入学だがコネの力が強すぎて誰も文句も言えないし公表しても問題にならない。


 ナゲルが少し警戒した表情を見せる。あえて書いていないと言うことは、リンドウ様は知らせたくないと言う事だ。


「ユマさんが入る旧人類美術科の教授はもちろん生徒も名のある方ばかりです。名家出身や高名な画家、芸術品の収集家などです。もしも、ただの平民であるならば、付き合い方は気を付けた方がよろしいので伺いました。研究所内は身分制よりも学業と研究成果で見ますが、研究校外や卒業すれば口を出すことはできなくなりますから」


 身を守れるだけの出身かと解いたかったと付け加える。


「エルトナは学生までご存じなんですか?」

「研究所では事務仕事を手伝っていますから。新入学生については、少し調べておきましたから」


 今回の入試で不正を見つけ、帰宅が遅くなるほど働いているとは言わないでおく。


 リンレット学園からの合格者が今回は異様に多かったのだ。これまでは二・三人だったのに十人を軽く超えていた。それだけジョセフコット研究所の知名度が上がってきたとも言えなくはないが、調べれば不正が発覚した。事務の一人が問題を横流ししたのだ。愛人に随分と貢いでいたのでわかりやすかった。一人だけではないだろうが、賢く不正を行う相手は二度同じことはしないだろう。


 この二人のように、帝国の上層部が入学を必要と押し込んでくれる方がまだましだ。問題行動をした場合や成績不振でも責任の所在がはっきりしているぶん対応が楽だ。


「ナゲルさんは医師助手の経験ありとのことですが、一年次ではどちらかというと基礎が多いですが」


 医術科は基本三年制だ。一年は広く浅く。専門知識を入れるための土台作りだ。家業でもない限り初めは素人なので基本的な事から教えなければならないのだ。


「じゃあ一年目は大分暇になるね」

「まあ、暇があればどこかのうっかりの世話に時間使えるけどな」


 学歴も書かれていないので、正直学力レベルを計りかねる。ユマの方は、そもそも学科が新設で二年に編入させようもないし、少人数クラスなので大物が多すぎる以外それほど心配はしていない。不安は学業よりも学生同士の交友くらいだろう。


「……研究校の方で合格者向けの追加試験を行うので、受けていただいてもよろしいですか? 基礎知識があるならば二年次への編入も可能ですから」


 不正合格でも既に入学金も学費も払われている。遠方から留学する生徒も多く今更不合格や試験やり直しは難しい。ほとんどの生徒は大体一週間前には街についているのでクラス分けの為の追加試験と言う名目で本当の学力を調べる予定だ。


「そんな頭がいい訳じゃないからなぁ。別に一年からでもいいんだけど……受けるのは俺だけでいいのか?」


 司教に対し手とは違い、田舎町出身のような口調でナゲルが返す。


「ユマさんは、教室が一つだけですから、学力確認は不要です。他の入学者も入学試験がなかったので」


 一年目の学科なのでプレオープンのような形だ。学生というよりも、今後の学科方針決定のための試験的運用だ。そもそも、あの面子に入試を受けろと言う方が無理だ。推薦する側の立場ばかりだ。正直、ヒスラに滞在して地元を長期間留守にしていいのかと頭を抱える有力者も何人もいる。


「ナゲルさんの試験の日取りはどちらに連絡しましょう」


 そういえば、下宿先が書かれていなかった。地方からの特待生は研究所内の寮で生活することも多いが、金銭に余裕があれば部屋を借りたり下宿したりしている。


「……あー」

 ナゲルが目を逸らす。答える前に注文していた軽食と飲み物が届いた。


 店員が立ち去ったのを確認してから、ナゲルが答えた。

「メリバル・アーサーの屋敷に伝えてくれれば」

 思わぬ名前に瞬く。


 実質街を仕切っている富豪だ。そして現司教とは大変仲が悪い。


「わかりました。それで、女神教会に興味があったのでしたか?」


 リンドウ様が推薦した時点でかなりの待遇だが、メリバル邸には既に医術科二年のイーリス家の者が滞在している。冬休みで帰郷しているころだが、それだけの立場か保護対象と言うことだろう。


「ええ。まさかエルトナがいるとは思わなかったので驚きました。女神教会の教徒ではないと仰っていましたけど。どうしてあちらに?」

 ユマが上品な仕草で茶を飲んでから問う。


「養父が女神教会の関係者なのです。ヒスラの街で働くことになったのですが、心配されて状況がわかるようにと教会で寝泊まりを」


「さっきの司教が養父じゃないよな?」


 ユマに対して異様な目つきをしていたのを見ているナゲルが訝しむ。養父は変人だが変態ではない。


「……養父は帝都にいます。どちらかと言うと、こちらのセオドア司教には嫌われています。まあ、うちの養父は金で成り上がった司教と蔑まれているので」

「こんな近くで話しても大丈夫か?」


 ナゲルがさっと視線を周りに向ける。客がほとんどいなくとも、店員はいる。盗み聞きは可能だ。立場を案じてくれたのだろうがそこまで馬鹿ではない。


「ここは大丈夫な店です。安心してください」

 ネイルがよく使うのには理由がある。


「女神教会については一般的な事しか知らないので、あまりご希望に添えるとは思えませんが。何かご質問がありますか?」


 生活している以上、一般人よりも知識はあるが信仰はしていない。そもそも宗教は金を集める優秀なシステムであって、救済などない。上手くすれば幸福度を上げる手助けにはなるが、私は宗教にそれを求めていない。


 あまりユマは女神教会に関わらせない方がいい気がして、疑問を他に持って行かれるよりも私が対処した方がいいだろうと対応を決める。


「女神教会よりも、建築家とあの大理石の女神像の作者と制作経緯。勿論、他の絵画などについてとても興味があります。とても精巧で肌質を感じる素晴らしい偉功です」


 予想外の質問と熱量だが、ごすっと横に座るナゲルがユマの脇腹を小突くことで止めるのが目に入る。


「……それに、あれだけの教会ができるほどの女神教会の歴史にももちろん興味が」

 取り繕うが、残念な美人だ。これだけ美人なら、別に他者が作った美に興味を持たずともいいだろうに。


「どの程度、女神教会にご存じないのですか?」

「お恥ずかしい限りですが、ジェゼロを信仰しているとしか」


 おそらく根本的な事を理解していないのだろうと頷く。女神教会はいくつかの宗派があるので田舎に行くとその程度の認識になっていることもある。


「正しくはジェゼロ神国にいる神の使いである神子様を女神と崇めています。世界の終焉から現人類を救いあげた方として。神子様は設定では一人ですが、血筋で受け継いでいるようです。まあ、それを教会で言うと色々面倒になりますが、ヒスラの女神像のモデ……主題は三代目の神子様だと言われています。女神像や絵画の人物に違いがあるのは、誰を描いているかで違いがあるようです。神子様は見る者によって姿を変えると言ったり不死鳥のように生まれ変わると言うていで女神教会は誤魔化していますね。瞳だけは緑が主流です。稀に青もありますが違いは光の具合と言うことになっています」


 ヒスラの女神像は大理石で乳白色だが、瞳だけはエメラルドがはめ込まれている。地方では青や極稀に赤である時もある。


「基本入国に厳しいジェゼロ神国ですが、毎年数人だけ信徒が訪れる事を許可してくださっています。まあ女神教会の暴走防止の為ですが」

「暴走防止ですか?」


 世界の滅亡は実際にあった。だが、ゴキブリ並みのしぶとさで生き残った人類は新な宗教を作り上げた。言ってもまだ三百年に満たない歴史しかない。それでも、例の如く宗教を都合よく使う横暴が起きた。勝手に祀られるジェゼロの神子としては堪ったものではないだろう。既に他界した神の子への解釈ならいざ知らず、生きているのに勝手に祀られ妙な迷信を広められるのだ。


「一例を挙げるならば、百年ほど前に旧人類滅亡の切っ掛けの一つである科学技術を研究する事を異端とする流れがありました。既得権益を守りたいがためだったのですが、結果優秀なものが処刑される事態が発生し、一人の科学者が亡命と嘆願でジェゼロへ向かったのです。今でこそ聖人扱いですが、当時は死刑間近の罪人でした。運が強い方だったようで、神子様からの手紙を持って戻ると命を懸けて女神教会を訴えたそうです。偽の書簡だと当時の司教たちは取り合わなかったようですが、帝王が真偽を確認するように命じ、ジェゼロ王へ謁見を願い出たそうです。普段他国と関わらないジェゼロ神国ですが、師団を受け入れ書簡は本物だと明言されました」


 当時の神子様がいなければ、多くの科学者が処刑されていただろう。今のジョセフコット研究所も設立できなかった恐れすらある。


「聡明な判断をされる方が多くてよかったですね」

 なんとも微妙な表情で相槌を返される。正直、宗教を勝手な解釈で歪めて行くのはそれを利用する人だ。


「ジェゼロは随分と、神聖視されているんですね」

 そんな暢気な言葉に首を傾げる。


 今の世界を牛耳っているのは帝国で間違いはないが、女神教会でなくともジェゼロを信仰する国は多い。


「普段、他国に干渉しないですが、ジェゼロの神子様が命じれば多くの国が動きます。帝国が同盟を組んだことは大きな衝撃でした。それほどジェゼロ神国を脅威と認識し、尊重している姿勢を示さなければならないと言う事ですから。同時にジェゼロ神国が帝国を認めた事で恐怖する国も多くあったようです」


 ジェゼロが帝国を悪であるとでもいえば、帝国は多くの国だけでなく、内部の女神教会信者などを敵に回すことになる。帝国を滅ぼせるとしたらジェゼロだけだった。女神教会を通じて内からそして他国を使い外から攻める事ができる唯一の国だったのだ。


 ナゲルとユマが同じ角度で首を傾いだ。


「ジェゼロについて知らないとは女神教会に詳しくない以上に珍しいですね。僻地の田舎者と思われても不思議がないので、侮られないように口には出さないことをお勧めします」

 二人して同じように頷いた。


「現在の神子様は大変聡明な方なのでしょう。オーパーツの解禁がなされなければジョセフコット研究所も帝国が創設できなかったでしょう。それに、帝国が軍力を拡大することと同義になる中、ジェゼロ神国が同盟国として正式に牽制できる立場を取らなければ、周辺国は敗北覚悟で先に責めていたかもしれません」


 ジェゼロの神子様と連動して王も変わる。ジェゼロ国内の事は機密が多く深くはわからないが、豊かな国だと聞く。噂に聞くオーパーツ大学には是非一度足を運んでみたいものだ。


 感心していると二人してなんとも微妙な顔をしていた。


「帝国とジェゼロ神国は友好な関係である事と、女神教会の関係から、あまりジェゼロの事を大っぴらに口にしない方がいいです。本当に面倒くさい人がいますから。宗教とは時に戦争になるほどの面倒さですから」


「わかりました。エルトナには、また疑問があれば伺ってもいいですか? その、無知を理解したうえで教授願いたいです」


 年齢的には一つか二つしか変わらないが、もっと年下に見られているだろう。それでも丁寧に接してくるので了承する。学ぶ姿勢のあるものには相応に返すべきだ。


 頷いていると、ナゲルが咄嗟にユマを庇うような立ち位置を取った。視線が私の後ろに向かうので安全圏と思った場所に司教の手のものでも来たのかと振り返る。一瞬金色の髪が見えた気がした直後、足元に誰かが縋っている。


「エルエル、エルトナさまーっ」

 無様な姿を曝す相手に頭痛がする。


「ワイズ……」

 帝都にいるはずの商売相手の登場に動揺する。


「エぇルトぉナぁさまぁー。たすけてー」

 普段は大商家の女主人として堂々としているが、素のワイズ・ハリソンはクズでどうしようもない守銭奴で阿呆だ。


「というか。なんであなたがここにいるんですか!」


 足蹴にしても離れない変人を見ながらユマが困ったように声をかけてくる。

「ワイズさん、お久しぶりです。何かお困りなのですか?」


 ワイズを知っているような言葉に首を傾げる。声をかけられたワイズがはっとユマを見た。姿を認めると、すっと立ち上がり、商売の顔になる。先ほどまでの醜態はきれいさっぱり忘れたような振る舞いだ。切り替えの早さに感嘆する。


「まあ、ユマさん? 本当に街で会えるなんて! 丁度よかったわ。ユマさんの絵をよければ購入させていただけないかしら」


 空いている席に当たり前のように腰かける。ナゲルが次はどういう知り合いだとユマに目線で問いかけている。


「彼女には列車でお茶を驕っていただきました。お仕事でこちらに来られているそうですよ」

 ナゲルへの説明を聞いてワイズを睨む。つまりは同じ列車に乗っていたと言う事だ。


「着いてきたんですか? 私、そういう事されるの、本当に嫌いだって、言いましたよね」

 ストーカーに近い行為だ。その手の事は本当に嫌悪しかないと言っていた筈だ。


「ごっ、ごめんなさい。でも、折角エルトナの立場を作ったのに、他所の街ではまた苦労してしまうと思って。あ! それに、仕事があったのは本当ですよ! 買い付けです。女神像が出品されるって噂があったからわざわざ来たんです!」

 懸命に言い訳を始めるワイズに眉を上げる。


 芸術のコレクターであるのは事実だ。だが投機目的だ。


「それで、何に困っていたんですか?」

「絵の査定が、基準に達しないから競売参加できないって! 寄付ならするので、教会の余ってる絵を売ってください!」

 はぁーっとため息が漏れる。そんなことができる訳があるまい。


「諦めたらいいでしょう。どうせ私についてくる言い訳の競売だったんでしょう。さっさと寄付だけして国に帰れ。店の人が発狂する前に」


 彼女の部下たちを思い浮かべ同情しかない。そもそも、付き人も付けずにうろうろするなと言いたい。誘拐されても不思議はない大店の店主の癖に。


「ワイズさん。私の絵でも競売にかけられると言う事ですか?」

 ユマが興味を持ったのか、問いかける。


「……ユマさんの絵を見ていないので、実物を見て、競売の事前審査に受からなければならないですけど、受かれば年代物でなくても新人作家でも大丈夫ですわ」


「研究校の生徒を妙な事に巻き込まないでください。どうせ碌な競売じゃないでしょう」

「身元が確かでないと参加できない由緒ある競売ですぅ。そう、わたくしのように立派な商人か貴族のような!」

 胸を張ってみせるが。無駄に大きな胸を叩いてやりたい。


「それにしても、よくここがわかりましたね」

 女神教会に訪ねてくるならまだしも。


「こちらにはツール様がいないので、代わりにネイル経由で寄付をと申し出たら、辞めてくれと言われてしまって。引く代わりにこちらの場所を伺いましたの」


 彼女の多額の寄付もあって、養父のツール神父は司教になってしまった。宗教の世界も大口のパトロンが付くと強いのだ。ネイルはここでその二の舞になるとツール司教の部下に戻れなくなる可能性がある。それは避けたいのだろう。


「寄付をするなら元々ここにいた神父経由にしてください。二人を巻き込まないで上げてください」

 立場の補強はありがたいが、帝都から着いてきた二人は元々養父の為に働いているのだ。戻れなければ困る。


「……ワイズさん。三枚でしたらすぐに用意ができる絵があります。お渡しするだけでなく、私もその競売に参加はできるでしょうか?」

 ユマが微笑みながら声をかける。


「確認しましたら紹介を受けた者でも同伴が一人許可されています。ユマさんの絵で私が参加できた場合、そちらで参加いただけますわ。勿論、代金はユマさんに。残念ながら価値がなくても、ご自身の絵の価値を専門家に無料査定していただけると考えればいい経験になるかと」


 ワイズが淑女の微笑みを返す。ユマがいるのを見てこの時を狙ったのかと眉根を寄せる。たまたまを演出するために醜態を晒すくらい屁とも思わないことはよく知っている。


「エルトナも参加しますか!」

 こちらを見る目はいつものアホだが、これでも狡猾な女だ。


「競売に興味はありません」

 本が出るなら興味も沸くが、競売に出るような高級な本は保管場所に困る。


「残念。警護にどちらかをお借りできるように交渉していただけますかしら? 流石に購入したものを一人で宿まで持ち帰るのは危険ですから」

「……聞いてみます」


 ワイズは養父に寄付をしているので、ネイルかハリサは嫌々ついて行ってはくれるだろう。自分の護衛を連れてくればいいものを。


「早い方がいいので、絵画はどちらに受け取りに行きましょう?」


「ワイズさんの滞在先に使いの者を出しましょう」

 ユマがすっかりやる気になってしまったようだ。旧人類美術科に入学するほどだが入試がなかったので技量が知れない。彼女自身が描いた絵や所有物の価値を私ではまだ計れないが。ワイズの所蔵で許可されないような競売だ。並の作品では参加できないだろう。


「いいのか?」

「色眼鏡ない評価は気になりますから」

 ナゲルにユマが微笑む。ナゲルは呆れ気味だが止めまではしなかった。


 その後はワイズが滞在先を教え、競売の日取りを伝えた。場所はまだワイズも知らないらしい。参加が決定しなければ教えられないそうだ。確かにワイズならば乗り込みそうなので賢明な方法だ。


 会計は私がとワイズが引き受けたので、ユマ達は礼を言って去っていく。ユマにはくれぐれも一人で女神教会には近づかないように忠告するのも忘れない。ナゲルがそれに頷いていたが本人はキョトンとしたままだ。彼女の両親はもう少し警戒心を教えるべきだったろう。


 残ったワイズを睨む。

「それで、どうして彼女に目を付けたんですか?」


 私目当ては実際そうだろうが、それだけならばワイズは二人と別れてから接触してくるはずだ。


「……列車で会ったのは本当に偶然よ。むしろ、私が釣られているのではと考えたくらい」


 赤い口紅を塗った唇を歪ませて笑う。

「あれだけ上手な化粧をするのだもの。絵の腕も十分でしょう。美術科に入る新進気鋭の美人画家。それだけでも十分に値を付けそうでしょ?」


 これ以上問い詰めても吐きそうにないか。そんな理由で引っ掛けたとは思えない。


「私の事よりも、帝王命での仕事なんて……大丈夫なの? エルトナ様」

 茶化しているが目は心配げだ。少なくともワイズは私の為ならば大枚を平気で叩く。それだけの利益があるからだ。


「ハリソン商会で手伝いをしてあげていた時と似たような感じです」

 問題はあるが、優秀な人間を帝国中から集めている。統率がまだ取れていないことと、方向性が定まっていない点が問題だ。


 一番の問題は、呼びつけた所長が不在だと言う点だろう。帝国からの呼び出しでいつ戻るかも不明と来ている。そんな中の入試不正疑惑の対応。所長代理はサポート向きなのか主体にならずあまり使えない。


「立場を強化するための寄付はいくらでも。金で解決できることはいつでも言ってください」

「まあ、そう言わせるだけ稼がせましたからね」

 私がいなくて今一番困るのはワイズだろう。


「ユマさんたちはうちの生徒ですから、あまり無茶な事に巻き込まないでくださいよ」

「はぁい。それで、他に何かお金になりそうなことはない? そろそろ新しい商売を始めたいの」


 ふふと、新しい商売を貪欲に広げようとするワイズにため息が出る。


 初めて会ったのは教会の懺悔室で、歯ぎしりしながら浮気した挙句借金して逃げた婚約者を殺しても女神様は罪に問うかと聞きに来ていた。そんな女を大商家の主に成り上がらせたのは、子供の戯言を即決即行するのはやばい気質と金に対する貪欲さだろう。



エルトナがいっぱいでした。

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