34 オオガミの圧迫面接
三十四
離れの前に、三人と一匹が並んで待っていた。オオガミが軽く口笛を吹くと、ペロがすっとオオガミの元へ駆けてくるそれを見たニコルが慌てて止めようとしてそれをトーヤが首根っこを掴んで止めた。
「ちゃんと教育された犬だな」
足の周りをくるりと回り横を付いてくる犬を見て、オオガミが呟く。
森で狼犬を侍らして暮らしていた人だ。人よりも犬の扱いが上手い。ニコルに扱いを教えたナゲルはオオガミから習っているので、結果的にペロもオオガミの指示に従う。
ニコルを放したトーヤが跪く。それに習ってニコルが続き、アリエッタが戸惑いながら真似をした。
トーヤとニコルはこっちに移ってから、離れの周りを整えたり、警護の訓練に参加したり、ミトーと共に街や周辺の確認に出たり、警護補佐見習いのような役割をしている。
「軍式だな。元帝国軍人か?」
「ユマ様にお仕えさせていただいております、トーヤと申します」
「ニコルです」
「あっ、アリエッタと申します」
横にいても、冷やりとするような空気でオオガミが三人を見下ろしている。名を名乗った後は顔も上げず、ただじっと三人は耐えるように姿勢を崩さない。
「……ユマ、俺の部屋は?」
少しして、まるで玄関先の柵でも避けるように横を抜けて家へ入っていく。
「二階ですけど……気に入らなかったんですか」
続いて中へ入り、心配して声をかける。
「難しいとこだな」
二階に上がり、事前に片付けていた部屋へ案内する。
「はぁー、服なんて着なくていい人生が懐かしい」
「いや、服は着てくださいよ」
さっそく整えた頭をぐしゃぐしゃにして、服の前も緩めてしまう。まあ、髭面でないのでそれはそれで美麗だ。
「昔、若いころのオオガミに似ていると言われてとても悲しかったんですが、こういう姿だと納得します」
「なんだ。いけてる爺になるのは遺伝だけじゃなく生き方が大事だぞ」
粗野な物言いに肩の力を抜く。
「オオガミ、彼らがユマ様の害だと思うのならば他へ移す。どう考える」
カシスが問う。メリバル夫人の前では礼節のある態度をとっていたが、オオガミは基本敬う態度をとられるのを嫌う変わり者だ。この態度がむしろ彼へ敬意を示した態度といえる。
「それを決めるのはユマの仕事だ」
オオガミは僕よりも余程王の子らしい。人の上に立つことを知っている。それなのに、その地位を求めていない。本来、唯一身近にいる同じ境遇のオオガミを手本とすればいいのだろうが、あまりにも器が違い過ぎて無理がある。
カシスの視線も感じてため息が出た。誘拐の時に助けに来てくれた。場所の特定や対処含めて最善の行動ではあった。もしも、あれが一般人相手だったらただの殺人鬼たちになっていたが、あんな時間に森をうろつくのはあまりにも怪しすぎる。
「できれば、助言が欲しいです。僕は人を従える教育は受けてきていないんで」
王になる予定がない。王の兄として恥ずかしくない教育は受けているが、結構自由をさせてもらっている。
「……元々は別のとこに置いといたんだろ? なんでここに住むのを許可した? 猫被ってんのも疲れんだろ」
確かに寝る時以外、ほぼずっと女装でいなければならない。いや、それはあんまり苦痛ではないか。
「ある程度、人となりやできる事を見て、僕が言動を間違わない限りは近くに置いても大丈夫だと。アリエッタは、純粋に僕の心を守るために庇護しないといけないと判断したんです」
オオガミは女性恐怖症の顛末を知っている。ある意味で僕なんかよりも余程酷い目に遭った女の子がこれからも続く地獄に向かおうとしているのを止められなかったら、違う闇を抱えていただろう。
「後の二人は?」
「ニコルは、はじめ不気味だったけど、犬をちゃんと面倒みているので信用できるようになっています」
ただ可愛がるのではなく忍耐強く躾けもしている。ここに連れてきても無駄吠えもしないし家の中にも入ってはこない。まだ幼さの残る犬なので、好奇心が強いが、ニコルの命令には基本従えている。暴力ではなく信頼関係で築かれている関係だということは、見ればわかる。
「トーヤは、想像ですけど、元はちゃんとした主がいたと思うんですよ。それと重ねて僕に仕えたいだけのように感じます。仕えるに値すると思ってもらえる間は問題ないでしょう」
時間契約者としてではなく、自らが望んで仕える相手がいたんじゃないかといつからか感じるようになっていた。案外僕のような美少女だったのか。ただ、恋愛的な視線は感じた事がない。
「二人ともあまりにあっさり人を殺すから、正直本当に面倒見切れるかは不安です。まあ、僕も今回一人を手にかけているので似たようなものですけど」
スカートの中に隠した短剣もあったが、手の中の小さな刃物だけで事足りた。悪人だろうが善人だろうが人を殺した罪は同じで、それに今のところ後悔がない。ただ、あの時の感触はたまに思い出してしまう。
ベッドに座り込んでいたオオガミが頬杖を付いて見上げてくる。
「お前が弱いせいで死んだやつらには死ぬほど後悔したのにか?」
「オオガミっ……」
ナゲルがその物言いを咎めようとしたのを、オオガミが手を上げて止める。
「今回ほどじゃないにしろ、殴り飛ばして逃げる事も捕まえる事も出来ただろ。相手が女だからって日和った結果余計に人が死んだ。今回は自分で殺したのに後悔してないのか?」
僕の周りは厳しいように見せて生ぬるい環境が整えられている。誰も本当の事で責めることがなかったのだ。
どうして、今回は後悔がないのか。あるとすればエルトナに大怪我を負わせてしまった事だけだ。そんな自分の心に納得がいった。
「今回は、僕の手で、僕の意思で、僕が必要だと思ったから殺しました。相手は複数いたから、動ける状態の半端では危険があると……。もう一歩判断が遅ければ、僕は後悔していたと思うけど、今回の殺人は僕の心に恐怖も罪悪感も与えることはないです。あの時……僕は、自分が情けなくてかっこ悪いと、それに女の子は怖いと思いました」
自分よりも力が弱い存在相手に、僕は確かに怯えたのだ。思い出しただけで、わずかに吐き気がしたが、ぐっと飲み下す。
「でも、女装しないといけないくらいに酷くなったのは、僕の産まれや立場があるせいで、僕では想定もしなかった断罪を国民があの子たちの親が勝手に判断して行ったからです。それまで比較的普通の学生生活をさせてもらっていたのに、害したと言う理由で親が子を殺し、子を助けるために死んだ親もいます。あれらは、本当に想定外の事で………」
今回の自分の手で殺したことも、周りが誘拐に加担した者を殺した。それに火を点けられた家にの中は、まだ息のある者もいたかもしれない。それを見殺しにしたことも、仕方ないと割り切っていた。犯人たちは捕まれば死罪の可能性が高い。それをわかった上で加担していた。これは相手も想定内の結果だった。ただ、捕まるはずがないと思っていただけで、罪の意識はあったはずだ。
もちろん、あの女の子二人は罰を受ける事は理解できる。だが、それは命で償う事ではなかった。もし裁判や議会院が重罪と判断したとしても、それは正式な国の判断だ。だが、それらが決まる前に、事実を知った親たちが狂気を起こした。それだけジェゼロの血を害する事の重大さを知った。それと同時に、他の女の子たちはまるで関係ないことの様にまた僕に話しかけ、あわよくば恋仲にと考えているのが透けて見えて、また、僕に幻想を抱いたばっかりに人が死ぬのだと、恐ろしくなるのだ。
あの事件は女の子同士の諍いの結果、親同士の問題に発展したと公表されている。僕の事は伏せられているから、他の子が無神経でも仕方ない。そう思うと、僕の変化に気づいて、遠くから見守ってくれている男友達だった数人には感謝しないといけない。
オオガミが大きなため息をついた。
「ベンジャミンがなー。すっげー引くほど心配してたんだよ。代わりに見に行ってやるって言ったのにクッソみたいに嫌な顔してきたから来たんだけどな」
威厳もへったくれもない頭の悪い喋り方でオオガミが続ける。
「お前はそういう変な合理主義なところは父親似だな」
ベッドから立ち上がると両手で髪型が崩れるのも構わず容赦なく撫でくり返された。
「とりま、一匹だけお前が信用するに値するか手伝ってやろう」
いや、もういいですと言いたいところだが、オオガミが鼻歌交じりに階段を下りていく。
他人の人生を想像したところで自分の都合のいいようにしか思いつかない。案外長く生きてきたが、人は変わるし自分の心次第で見方も変わる。
目の前にある事実だけ、とりあえず見ておけばいい。
カシスにニコルだけ連れてこさせる。隣にはユマを座らせている。ナゲルは後学のために見学させていた。
笑顔だがとてつもなく強張っている。歪に力が入った表情筋は中々気味が悪い。
茶化した化粧の道化師のようだ。
「ニコルだったか?」
「はいっ」
緊張しているがはっきりとした声で返事が返ってくる。
「ユマを助けるのに尽力したらしいな。よくやった。だけどな、もう自由の身だろう? 今回の褒美も加えてやるから好きに生きるといい」
金をやるから出ていけと言ったが、ニコルは頷いて続けた。
「はい。ユマ様の役に立てるように生きます」
好きに生きる事がそれなのか。こちらの意図をわかったうえでの答えか。
「……元奴隷をユマのまわりに置いて置くのは教育に悪い。金を渡すから出てってくれ」
ひくっと口元が引き攣り、不安そうにユマに視線を向けた。ユマは困ったような顔をするだけだ。
「いっ、嫌です」
「ユマが命じたら聞くか?」
拒絶を呆れたように聞き、横のユマに視線を向ける。
「あっ……ゆっ、ユマ様のために、何でもします。何をされても構いませんっ。だから、どうかユマ様……」
捨てないでと口の動きだけで言葉にならない。
ユマに何らかの執着をしているのは確かだろう。
「……なんでもするのか? 死んで来いと命じられても?」
「それでユマ様の役に立つならいつでもっ」
希望を見出したように笑顔が返される。その結果に意味がありユマの役に立つならば、こいつは本当に死にかねない気がした。
「わかった……じゃああの犬を代わりに殺してこい。それができればお前の忠誠心を認めてやる」
引き攣った笑顔でもなく、顔から表情が抜け落ちる。僅かに開いたままの唇が震えていた。
ユマがわずかに目を伏している。それをニコルは絶望した顔で眺めていた。
「高が犬の命で認めてやるんだ。どうした? ユマの為に何人も殺しただろ?」
カシスの報告では剣術などではなく曲芸的な瞬発力と予想外の動き、関節の可動域が異常に広いと報告があった。見世物小屋の出身か。あの手のものは裏家業と関わりがある場合も少なくはない。殺生に抵抗なく育てられている可能性は高い。
行ってこいと顎でドアを示す。
「できないなら、そのまま出て行ってもいいぞ?」
笑うか無表情だった顔が、ぐしゃりと歪む。ユマを見て頭を左右に振った。
「ユマ様の命令でないなら従いません! ユマ様はっ、そんな命令しないっ」
縋るように見ても、それでもその場から近づいてはこない。ううっと嗚咽を漏らして涙を零す姿を見て、ユマがとても嫌そうな顔でこっちを見上げた。
「先生がオオガミを嫌う理由がわかりました。悪趣味もここまで来るとは思いませんでした」
「喋るなって言ったろ?」
折角の圧迫面接が無駄になる。
「はぁ……ニコル。もし、私がペロを殺して連れて来いって言ったらどうしますか?」
ユマの仮定の話にニコルは首を横に振る。
「なっ、何でっ。ペロが、何か悪いことしましたかっ!?」
「例えば、私に噛みついたとか……」
「それなら、僕を罰してください。僕がちゃんと躾けられなかったからですっ。鞭でもなんでもっ、僕が代わりになります」
必死なその答えにユマの方が辛そうだ。
「……なら、もし私がオオガミを殺せと言ったら?」
「やります! 返り討ちにあったとしても、腕くらいはとります!」
犬にはあれだけ食い下がったのに、あっさり俺は殺しにくるらしい。いや、仕方ないか。
「じゃあ、ナゲルやアリエッタ……トーヤに対して同じ命令をしても?」
「………」
少し考えてからニコルが答える。
「ナゲルとアリエッタを殺したらユマ様が怒るから殺しません。ユマ様はそんな命令しません。トーヤは直ぐには無理です。隙を見て殺します」
ユマは犬を殺せとは言わないと言うし、ナゲルとアリエッタを害する命令はしないと言い切った。少なくとも、ユマの本質はわかっているらしい。
「ニコル。ペロを殺せなんて言わないから、オオガミの意地悪は許してあげて。オオガミやトーヤを殺せとも命令してないから、真に受けて攻撃しないようにね」
泣きそうな顔のまま、ニコルがほっとしたように笑う。
「オオガミ、合格でいいですね?」
「ああ、だけどこれだと近くで使いづらいな。ニコル、お前ユマの何になりたい」
歳は十五となっているが、情操教育だけでなく、他にも足らないところが多そうだ。産まれ付きか、育ちの所為かはわからない。
「僕はユマ様の犬になりたいです。ペロリアンシュタイナーみたいに、ユマ様を見つけたり、役に立ちたいです」
「ユマは、ただお前を自由にしただけだろ?」
なんでそんなに執着するんだ? と問う。美少女に見えたとしたって中身は男だ。それがばれて忠誠心が代わるなら問題だ。一応これでもニコルは男だ。
「それだけ、の事なのに、誰もしてくれなかったから。それに、ユマ様が喜ぶ『だけ』で、うれしいんです」
「……これが男でもか?」
ついうっかり口が滑ると、ユマにグーで溝内を殴られる。誰に似たのか容赦ない。
「僕、男の人でも女の人でもお相手ができます。でも、ユマ様はそれで喜ばないから、ユマ様がどっちでも一緒です」
げほげほと咽ているのに構わず、ニコルは笑顔で返した。
「あっ。安心してください。殺されても秘密は守れます」
俺の妹のサラも、姪っ子のエラも大概なのに執着されたが、その血を引くユマも立派にやばいやつに執着されている。他にも二人いるからさらに強者か……。
ベンジャミンが大変心配していたので、じゃあ予定繰り上げていってきてやるよ! と言い出したオオガミ。
出発前は手合わせもとい喧嘩でもしていたのでしょう。




