30 エルトナの記録
三十
映画を見ているような感じでも自分の体験したことでもない、なんとも言えない不思議な感覚がある。そもそも、私は映画を見た事がない。見た記録は別の人物のものだ。
そう、大きなスクリーンのある映画館で見た映画の内容を知っているように、科学研究施設で働いていた男の記録がある。パソコンを見た時に、自然とどう扱うのかわかる。旧人類の論文には既視感を感じて読む前から知っているものもあった。
彼の記録は一度目の死の淵で頭に蘇った。
だが、今頭に過るのは彼のものではない。
彼が生きたのは旧人類が滅ぶ前だった。裕福で清潔で、知識に貪欲な世界。
だが、今あるのは現在よりも余程荒廃して衰退した世界だった。
誰かが思う。
人々が地下に収められた英知を破壊し盗んでしまうのではないかと。そうなれば、機械技術の復興の芽はなくなる。どうせ彼らが手にしても、扱えない。扱えるのは、ロミアが選んだ血族だけだ。
不思議な事に旧人類だった最初の男の記録にも度々ロミアは出てくる。彼の直属の上司がそう呼ばれていたのだ。
荒廃した時代の男はジェーム国へ向かっていた。その道中に何度となく嘘をついて回る。嘘も百回言えばまるで真実の様に思えてくる。嘘をつく男自身、まるでそれが真実ではないかと錯覚するほどだ。
ジェゼロには神がいて、唯一会話が許された神聖な神子がいる国だと。いつか神から許しを与えられたとき、人類は贖罪の日々を終える事ができると。
もしも、神子がいなくなれば、どうなるのかと村人が問いかける。
神は人の事を忘れ、神は人をただの動物としか認識できなくなると。神の許へ神子を向かわせる必要がある。それは神が認めた血を持つものでなければならない。
誰かが女神様のようだと呟いた。
女性が継ぐ遺伝病がある。病と言うよりも呪いだ。それを元に選別が行われるので女系になることは決まっていた。だから、男はそれに頷いた。
女神様は世界を救ったと嘯いた。そして再び人類を救うのも彼女だけだと。人々は彼女を失望させないために、よい行いを心掛けなければならない。
それは法律が意味を失くした時代に、秩序とモラルを取り戻す言葉になった。人を殺したり、犯したり、火を放つような者が人類にいると知られれば、女神様は失望する。だから罪を犯した者は人ではなく家畜として処罰される。
彼女が使う言葉を話せなければ人ではなく動物と間違えられるかもしれないからと言語が統一されていく。地方言語は残してもいいが、統一言語も習わなければならなくなった。言葉の壁は文化の壁になる。その壁は、後々の危険を産む。
ジェーム国にいるジェゼロの兄弟神の許へたどり着いたころには、すっかり女神宗教の礎が広がっていた。
ジェームの神はそれを受け入れた。そして国に大きな教会を建てる許可まで出した。
ああと、理解する。
私の先祖は元々ジェゼロで厄災の日を迎え、そしてジェームに向かい、女神教会を起こした教祖だと。
ジェゼロの神子を守る大義を作り、開祖として大司教という大それた名声を得た哀れな男はジェゼロへ帰還した。そこで失意する。神子である女性は神なんていないといい、ただの個人的な契約でしかないのにこんな大層な話を作られ、一体どうすればいいのかと。
心の底から、彼女を愛し、助けるためだけに嘘をつき続け、傷つかないようにしてきただけだったのに、拒絶されたのだ。
そして、ジェーム国の教会に戻り、遠くから、ジェゼロを不可侵の地とすべく、女神教会を広げていった。
記録はそこで終わる。
旧人類の知識は淡々としたものが多かった。だが今回の知識は淡々としているが、焦燥や不安、そして絶望が滲み出ていて気持ちが悪い。自分とは相いれない性格だ。
ジェゼロの神子の気持ちの方が私は理解ができた。
でっち上げの宗教の教祖の恋慕で、勝手に女神と祭り上げられていたのだ。
その女神の顔は、不思議と見覚えがある。それは、妙な記録ではなく自分の記憶にある。
ぼんやりした、霞かがった世界から浮上するような感覚とともに目を開けた。
女神の顔とよく似た顔が、目の前にある。
「………ぁ」
目が覚めた時に、色々なものがばっと繋がる。古ぼけた本を脳に叩きつけられたようなそんなものではない、現実の世界がそこにある。
ユマ・ハウスが安堵して表情を緩めるのが目に映る。とても、綺麗な顔をしているのだと、今更ながらに思い知る。
「おはようございます。ご気分は? お水飲みますか」
「……手術は無事に終わりましたか?」
「安心してください。出血は止まっています。しばらくは安静ですが、大きく健康を損ねる心配もないだろうとのことです」
この時代にはそぐわない変態医師ばかりなので、まあここで助からなければ仕方ないとどこか諦めもあったが、無事に助かったらしい。研究校の夏季休暇中、変態もとい研究員医師からの問い合わせを裁いた自分の成果でもある。血管造影機器の活用を開示したのは私だ。
体を少し起こして、水をもらう。
ゆっくりと飲むと、喉がとても痛い事に気づいた。さっきまでの記録は夢だったように思うが、夢と違って、目が覚めたと同時に霧散することはなかった。
「教会からハリサさんと言う方が来られましたが、目が覚めたらお教えすると伝えました。今も起きるまで待つと研究所の門で待たれていますが……」
あのクズ男はヒスラの司教の知り合いだと知らせたからだろう。教会のシスターであるハリサまで警戒してくれていたようだ。
「フルネーム……姓名両方言うように確認して、ハリサとしか名乗らないなら連れてきていただけますか? 朝に送ってくれていた女性です」
「名乗らなかったらですか?」
もしセオドア司教が送り込んだ別人ならば素直に名乗るだろう。ナゲルもハザキと言う名前で普通に名乗っているが、あまり声を大にして名乗るものは少ない。
「はい。名乗ったら捕らえてください」
頼んだ結果、本物のハリサ・ハザキが見舞いに来てくれた。もしもの為にとユマの警護のリリーが病室内に残る。言っては申し訳ないが、リリーではハリサには勝てないだろう。リリーも強いようだが、レベルが違う。今敵対する心配はないので問題は起きないだろう。
「あ、んたっ。大怪我したって!」
わなわなと震えているのは、養父であるツール司教からよく見ておいてあげてと言われたのに怪我をさせてしまった失態に対するもので、怪我を心配しているわけではない。昔からそういう人だ。
「はは、まあ、しばらく安静なのと、教会には帰らない方が良さそうなのでしばらくこちらにいます」
「……」
厳しい目つきで後ろにいるリリーへ一瞥をやる。直接振り返ったわけではないのでこちらに対してあれの前では話せないのかという問いだ。
「違います。セオドア司教の知り合いに怪我を負わされました。顔を見られているのでまた狙われる可能性が高いのでこちらにいる方が安全です」
脅されているわけではないと言う。
「……何なら始末しましょうか?」
目が本気だ。リリーが聞いていてもお構いなしなのが本気度の高さを感じる。ネイルとハリサが組めば、骨も残らず処理してしまうだろう。
「リリー。彼女は私にとって安全です。できれば、少し二人で話してもいいですか?」
出入口に立っているリリーに問いかける。
「……わかりました。安全の為で、監視ではありませんから」
こちらの表情をじっと見た後、脅されているようではないと判断してリリーが病室を出た。
「随分丁重な扱いをしてもらっているのね」
個室の病室は研究所内に作られたものだ。主に医師の仮眠室扱いだが、本来の目的は実験的手術で入院する患者を入院させるために作られている。研究が主なのでここで一般的な診療はしていない。入院患者はいわば実験体になる代わりに現代の最高峰を受けられる。お陰で自分も小さな傷の手術で済んだ。開腹していれば仕事復帰までひと月かふた月では済まなかっただろう。
「ハリサ」
顔を近づけろと指で合図する。
「ユマ・ハウスはジェゼロの出身である可能性が高いです。絶対に危害を加えないでください」
ユマのこの保護はありがたいが、ハリサは養父から私を守るようにも命じられている。この状況がよくないと判断したら、多少手荒な事をしてでも奪還しかねない。それを止めるために伝えた。
ツールの配下であるハリサはジェゼロと敵対する事はない。それをツール司教が命じない限り。そして帝王が望まない限り、命じることはないだろう。
「……」
「確証はまだ。それに先ほども言ったように教会には戻れません。荷物を持ってきていただけると有難いです」
「ずっと研究所で住むわけにもいかないでしょ」
「それは、怪我が治ってから考えます。教会に戻ったとして、ハリサも寝たきりの私の面倒をずっと見ているわけにもいかないでしょう?」
女子部屋にはネイルが入れない。こちらの方が安全なのも快適なのも事実だ。
「わかったわ。定期的に様子を見に来るから、今日みたいに止めないように交渉はしておきなさい」
頷く。顔を覚えてもらったら定期的な差し入れの名目で来てもらえばいい。
「あんたが死んだらツール様にどういえばいいのかって、生きた心地がしなかったわよ。危機に陥る時は私の目の前だけにして。邪魔な奴は全部始末してあげるから」
「善処します」
あの場にいたのがリリーではなくハリサだったら、目が覚めた時点で全員を戦闘不能か死亡させていただろう。手違いで悪人ではない可能性など考えもせず、拘束した時点で容赦を捨てる女だ。
邪魔だと判断すればただのユマならばハリサは傷つけかねない。だから、ジェゼロである可能性を伝えた。頭のどこかで、万が一があっては嫌だと思う自分がいた。
ようやく、エルトナがやたら出張っている理由が出ました。
異世界転生でも、異世界転移でもないけど、これはどういうジャンルになるんだろう……。




