29 ジョセフコット研究所 医学科
二十九 ジョセフコット研究所 医学科
ジョセフコット研究所の医学科に在籍している教師はくせ者が多いが、帝国内でも科学的根拠を重要視する医師たちだ。任せるしかないが、どうしても心配で研究所へ残る。特例としてリリーとミトーを入れさせてもらったので、カシスがこちらの方が安全と言う判断をしたからでもある。詳しくは聞けていないがメリバル邸も中々騒がしいようだ。
「出血ありますねー。どうします。開腹しますか? それとも血管造影で止めますか?」
若い女性医師が眼鏡を押し上げて問う。
「血管造影装置は使えるか?」
「電源入れたんでもう使えます」
中年の医師が問うと、ナゲルが声を上げた。医療オーパーツの扱いはここの医師にも引けを取らない。早朝もあって人が揃っていないので手伝いに入っている。
「準備しろ。同時で術場もいつでも使えるように準備しとけ。失敗したらそっちですぐ腹ぁ開くぞ」
断層画像を見ると、腹腔内に出血が見られる。左の腎血管の損傷のようだ。最悪摘出手術になる。それにナゲルの見立て通りに肋骨も折れて僅かに気胸も起きていた。
専門的な事は邪魔になる。輸血が始まって意識が戻ったエルトナの近くに寄ると苦笑いを返された。
「楽しそうにしやがってあの野郎ども」
実験台扱いをされている自覚があるのだろう。寝不足のエルトナのような様相で罵る。
「エルトナの素は案外ガラが悪いですよね」
「……仕方ないでしょう。育ちが……悪いので。それより、私の容態は? ここじゃあ誰一人説明も、同意書も、取ってはくれそうにないので」
「左腎の血管、分岐先で損傷が見られるようです。放射線透視下で出血を止める方針です。無理そうなら手術で開腹するそうです」
「そうですか。ううー、自分の写真くらい自分で診たかった」
妙なところを悔しがるエルトナの汗をそっと拭う。蹴られた左の顔が酷く腫れている。
「頭の出血は今のところないそうです。また後日確認の写真を撮るそうです顔の骨は幸い折れてはいませんでした。肺は少し気胸になってます」
「頸椎の損傷もないのは幸いですね」
首は未だ固定具が巻かれている。写真でも身体機能でも問題はないが、念のためだ。
そっと赤毛をよける、赤い瞳に黒い瞳孔の目は予想以上に落ち着いている。まるで何度もこんな経験があるようだ。
「あの細目の男は知り合いですか?」
「……そうでね。もしこのまま手術が失敗したら、困るので、先に報告をしましょう」
腫れて少し話辛そうにしながらもエルトナが言う。耳を近づけるように言われ顔を寄せる。
「セオドア司教、こちらの女神教会の司教に、会いに来ているのを見たこと、が、あります。直接顔を合わせたわけではありませんが、教会にいる子供は、珍しいので……向こうも覚えていたのでしょう。顔を知っているので口封じが目的だったのかもしれません。名前は、わかりません」
「なら、すぐにでも司教を捕らえるか事情を聴かないと」
眉を顰めるとため息をつかれた。
「……話を聞いても無駄でしょう。教会はそれだけの権力があります。少なくとも、あなたは絶対に、行かないように」
強い調子で命じられる。
「でも……」
こんな事をする相手が野放しである状況に、苛立ちが募る。もっと早く覚悟を決めていたら、エルトナがこんな怪我を負うことはなかった。
「顔くらい洗ってきたらどうですか? 他人の血液で移る病も……私の為にも清潔な状態で、傍にいてください」
握っていた手を離される。強がるような顔をされて、とても悔しくなる。自分だけがエルトナを助けられる場所にいたのに、こんな怪我までさせて、情けなくて、悔しい。
「……」
「ユマ様、着替えはお持ちしました。血を落とす湯あみだけでも」
リリーにも勧められてこちらからも手を放す。それが、とても名残惜しいと、胸が締め付けられるように感じる。
「すぐにもどります」
首がまだ動かせないエルトナが目だけで頷いた。
「ユマ様、ご気分が優れないなどはないですか?」
医師用の更衣場へ案内しながらリリーに問われる。
「平気です。多少の痛みはありますが。訓練で打ちのめされた時の方が怪我は酷かったですよ」
「いえ……私が至らないばかりに、ユマ様の手を汚す事となってしまいました」
控えめにリリーが答える。ああ、そういえば初めて自分の手で人を殺したと思い出す。さっきまでエルトナの心配ばかりしていたから忘れていた。
「……後悔はしていません」
申し訳ないと思いつつ女性用の医師の更衣室を借り、そこにあるシャワー室を使う。カーテンを引いてその前はリリーが警護に着いた。服を脱いで、頭から湯を浴びる。
数年前にソラが作った温水蓮口ことシャワーは高位の施設では普及している。ここだけでなくメリバル邸にもあった。
捕らえられて運ばれた時にできた擦り傷や、服を切られた時の傷が少し染みたがそれほど多くの外傷はない。僕の体質ならば明日にでも治っていそうだ。エルトナの怪我をもし僕が負っていたら、今頃は出血が治まっていた自信がある。だが、怪我をしたのが自分だったら、エルトナを助ける事が出来なかったかもしれない。
血の温度に似た生暖かい水が頬を伝う。
普通の子供は言われないだろうが、ベンジャミン先生から身の危険を感じたのであれば、相手を殺してもいいと許可されていた。そこまで脅威と感じさせたのならば相手は確実に死罪だからと。
あの男たちがユマ・ジェゼロと知ってか知らずかはわからない。だが誘拐したことに変わりはない。ここはジェゼロではないが、ジェゼロよりも法が厳しい帝国だ。情報の為に脚を折った男も、拷問の末に死罪は免れない。むしろ、僕が身の安全のために頸動脈を切断して殺した男は運がいい方だ。それほど長く苦しむことはなかっただろう。
手の震えを見ながら、殺した事実よりも、一歩間違えば、自分だけでなくエルトナやリリーも死んでいた事、ナゲル達も危険だった可能性がある事に恐怖が沸いた。人を殺したのに、狩りで動物を殺生した時よりも罪悪感を持たない自分に冷めた気持ちになる。
汚れを落として、体を拭いてシャワー室を出た。リリーが準備していたのはメリバル邸の服ではなく、汚水をかけられた一件の後、管理棟に服一式を置かせてもらうようになったものだった。置いている偽乳は中身がただの綿なので詰め替えて着替える。髪を上げて、リリーに着替え終わったことを告げる。
「ユマ様、化粧道具は如何しましょう」
顔にも返り血を浴びていたので化粧も落としてしまった。
管理棟には簡易の化粧道具も置いてもらっているので、持ってきてくれている。準備がいい。
「リリーは侍女教育の成果でしょうか。言わずとも気が利きますね」
「この程度で今回の失点は取り返せません」
至極真面目にリリーが言う。さっきも至らなかったと謝罪をされたが、リリーが敵を分散した意味はあった。それに誘拐自体はリリーの努力でどうこうできたとは思えない。それを言ったとしても、警護としては失態である事実も変わらないだろう。
手早く顔を整える。流石に髪を整えずすっぴんで行くと男だとばれる可能性が高い。こんな時に化粧の有無を考えなければならない自分が情けない。
「あ……」
「いかがされました?」
「いえ……」
エルトナに男とばれている可能性がある。混乱した状態だったし、怪我で苦しんでいたのでそこまで気づいていないだろうか。そんなことを考えているとリリーが何を思い出したのか目で問うてくる。
「逃げた男ですが、ヒスラの女神教会に出入りしていた男に似ているとエルトナから伺いましたが、どうしましょう」
医師たちには聞こえなかっただろうが、近くに控えていたリリーは聞き耳を立てて聞こえていただろう。わかりつつもそれで誤魔化した。
「後ほどカシス隊長に報告しておきますが、実際、下手に教会には手を出せません。今はユマ様の安全確保と情報整理を優先にさせていただきます」
髪をざっくり乾かしてから戻ると、既に手技が始まっていた。
できる事はないが操作室で一連の手技を眺めながら、どこか現実感がないなと感じていた。もう日が変わってしまったが、昨日の朝には遠足気分で出発して、気持ちよく絵を描いて、帰りに誘拐されて、エルトナは大怪我をさせられ犯人たちは大半が死んだ。こちらの被害を少なく済んだと言う事はできるだろう。カシスたちの処遇を考えれば、僕がほぼ無傷で済んだのはよかったことだ。シュレットたちにも怪我はない。
あまりに色々あり過ぎて脳が情報処理だけで手一杯で、考える事を放棄しているような感じだった。
ジョセフコット研究所は発電機能があるので基本いつでも電気が使えます。
アンギオ装置はまだ数が少なく、かなり高度治療の位置づけです。ガン治療や冠動脈以外での使用が一般的で、研究所でも急性外傷で使うのは初めてくらいでしょうか。
変人ばかりなので、医師も技師も、怪我人をよそにわくわくドキドキで手技に義ににあたっています。




