26 誘拐
二十六
今回目的コーヒーだけでなく、澄んだ小川でしか栽培できない生薬を譲ってもらうことができた。いや、もちろん本来の目的の研究成果の確認も行っている。ここを管理するミイサとやらは色々な毒草と薬草の栽培を積極的に行っている。その他にも研究資料を色々預かった。定期連絡では渡せないような特殊なものだ。因みにコーヒー豆は研究用で、ここで栽培しているわけではないそうなので本当に少量だけだ。
希望があったので、ユマが描いた素描を一つお礼代わりに渡した。勿論ユマから許可を確認したが、世話になったからと簡単に色をつけた物を渡された。色付けの際になぜかハンカチをマスクの様にして口を覆っていた。
「エルトナ。帰りの準備ができました」
ユマが小屋のような家まで迎えに来るとミイサ・ホームが静かにそちらを見ている。ユマが目を引く見た目であるのは今更だ。同じ女性でも彼女は美人だと思う。
「わざわざ色まで付けていただいてありがとうございました」
私も大概感情が乏しいと言われるが、それ以上に淡々とした声でミイサ・ホームが礼を言う。
「いえ、このように美しい薬草園を見学させていただいたお礼です。喜んでいただければ幸いです」
花が綻ぶような笑顔を見せてユマが言う。それにミイサは小さく頷いた。
「では我々はこれで失礼させていただきます。本日は大変有意義な時間を過ごさせていただきました」
「久しぶりの来客で対応もままならず不足もあったかと思います。こちらから出向くことができませんので、資料などが必要でしたらお手間ですがまた研究所から人を出して直接取りに来ていただく形となります」
ここの研究成果はあまり他所に出せるものではない。別れの挨拶を済ませて行きと同じく車に乗った。
ミイサに見送られ、車が発信する。道が悪いので揺れるが馬車よりは余程快適だ。
行きと同じく前にはナゲル、ユマ、ユマの侍女か警護か判断が難しい女性が並び、細いテーブルを挟んで横にはシュレットとアルトイールが並んでいる。丁度身分が高いだろう者が真ん中だ。ちゃんとシートベルトがあるのが馬車との違いだろう。乗り物にある安全装置に何となくほっとするが、シュレットたちはなんとも慣れないようで時折引っ張って締め付けを緩めるような仕草を見せていた。対してユマ達は当たり前の顔をしている。職場の機械といいオーパーツ慣れが見られる。ユマだけでなくナゲル達も妙に慣れている。
「そういえば、わたくしは絵を描いてばかりでしたけど、視察は恙なく?」
綺麗な風景を見て筆が乗ったらしく、ユマはほとんどずっと絵を描いていた。最近は昼の自由参加の授業をサボって手伝ってくれていたが、来週からは手伝い時間が減りそうだ。学生の本分としては仕方ない。それに夏ほど仕事量が多くないので問題ないだろう。
「もともとそちらでお願いしていましたから。仕事は無事に済んでいます。想像していたよりも穏やかな方でした。もっと変人を想像していたので」
頭はいいが、本当に言葉が通じない相手はいる。正直、格下と馬鹿にする程度は可愛いものだ。ミイサは自分から多く語ることはないが、聞けば答えてくれるので必要な事は基本確認できた。
「思ったより変わった生薬が多くて、より効能を強める研究や品種改良もされているのでとてもよい勉強になりました」
その後しばらく走って、シュレットが頻りにユマの興味を引こうとしているのを横で聞きながらうとうとしていると睡魔に囚われていたらしく、少しして目が覚めた。今はどの辺だろうか。まだ日はあるが陰り始めている。
運転席の方へ目を向けると、助手席にいるユマの警護が横の窓に向かって何か手話のような動きを見せた。以前ユマがナゲルとしていたものと同じだろうか。
「あの、何かありましたか?」
シュレットも気づいたのか何気なく問いかける。
「ああ、ちょっと気になる事があったみたいだ」
ナゲルが何という事はなさそうに答えるが、いつもと違いユマの目が周囲を警戒するように鋭い。横の女性は警護だったらしく何かあれば守れるような姿勢を取る。
外の様子を見ると、警護の戦隊が乱れている気がした。
「座席ベルトは締めていますか?」
ユマがふっといつもの調子でこちらを見て問う。器具を確認して留めている事を確認したとき、前から叫ぶような声がした。
「捕まれっ!」
反射的に座席を掴む。その次の瞬間には車が急ハンドルを切られ、横転した。全員シートベルトをしていたので、横転したからユマ達のところへ落ちることはなかった。ほっとしたのも束の間で、横倒しになった途端、割れた窓から何かが投げ入れられ白いガスが充満しだす。火災かと身を固くしたが、何かが燃える匂いではない。独特な渋みのある匂いに咄嗟に口を服で塞ぎ。宙づり状態なので、動くこともままならない。
「ユマさまっ」
力ない声がユマを呼ぶのを聞いた後、意識が途絶えた。
目を覚ました場所は薄暗い場所だった。妙に臭い。糞尿の始末がされていない場所だと理解する。
まだ少し頭がぼーっとする。頭を掻こうとした手を上げようとして、後ろ手で縛られていると気づいた。気づくと腕が痛く感じる。
ユマはどうしたと口を開けると不味い布の味がした。それとは別にくそ不味い薬の味。舌の裏にでも残っていたのか、その味でしっかりと目が覚めた。
身を起こさずにあたりを見回す。ユマの姿がない。代わりにシュレッドとアルトイールそれにカシスがいる。男と判断されたものがここに集められたのか。ユマが男とばれていないといいが……。そもそもユマは自分たちのように完全に眠りに落ちることはなかっただろう。逃げたか、いや……あいつのことだから寝たふりで捕まったか。こういう場合の訓練もさせられている。馬を盗れる状況ならばユマは一人で逃げるべきだがそうでなければ下手に逃走はできない。
トンと、足を蹴られ下に目を向ける。目を開けたカシスが忌々しく眉を顰めていた。彼からしたら相手を全員殺しても気が済まない失態だろう。同じく後ろ手で縛られていて、手を見せられないので指文字も使えない。そう思っていると、足音が聞こえた。
「男はこちらに集めています」
野太い声が響く。松明をもって降りてきたようだ。どうやらここは地下か。出入口があっても多くて二つ、現実的に考えるならば一つか。下手に見つかると脱出も困難だし、そもそもユマ達を見つけないと逃げ出すことも許されない。
「後数刻は起きません」
丁度鉄格子が背中側で見えないが、薬の作用は本来もっと続くはずだったのだろう。ユマが突っ込んだだろう解毒作用の効力か。口に残っていたのはジェゼロ秘伝の大体なんにでも効く解毒剤だ。
「本当に、男だけでいいんですか? その、女はこちらの自由にしても」
男の声ばかりが聞こえる。最後の言葉は心配しているわけではなく、おこぼれが予想以上に大きそうで喜びを隠しているようだ。
「あ、はい……そちらも一度確認ですか」
明らかに意気消沈した声だ。
確認を終えると男たちが上がっていく。
カシスの位置からならば男たちが見えていただろう。足元を見ると、もう目を開けていた。振り返っていいかと目とわずかな動きで問うと、通じたらしく頷く。
ごろりと反対を向くと、青い顔をしたアルトイールと目が合った。流石にシュレッドといるだけに、こういう時に騒ぎ立てたりはしないよう教育されているようだ。
視線の位置が上がるのを見て、振り返るとカシスが立ちあがっていた。既に腕と足の縄を切っている。後ろから無遠慮に手足の縄が切られる。声は出さないようにアルトイールに指示を出してからカシスと指文字で会話を始める。
睡眠作用のあるガスで眠らされ、運ばれたようだと言う事と、この地下には見張りがいないと確認する。
それほど広くはない。鉄格子はあるものの、安い作りだ。壁には埋め込まれた鉄の輪が二つある。ここに罪人を縛るためのものだろうが、人数が多いのでとりあえず押し込んだだけのようだ。奥の端に拳より小さい穴がある。汚物や拷問で汚れた場合の清掃用の排水溝だろう。
ユマの救出の必要がある事。それほど遠くに捕まっていないだろう事。それに、相手がまだしばらく寝ていると思っているならば早くに行動する必要があると指文字で話し合う。
鍵は自力で開けるか。中に入ってきた相手を絞めるかだ。後者は運による。とっとと出ていく方がいいだろう。
カシスが髪から二本のピンを取り出す。ソラ考案の鍵開け道具だ。ジェゼロの男も一定数は後ろで束ねられる程度に髪を伸ばしていることが多い。頭の中にこういうものを隠せるから警護につくものは長髪率が案外高いのだ。リリーやユマも髪に仕込んでいる。渡されたそれをうまく扱えるものは少ない。ユマが一番得意だが、次いで自分だ。カシスは時間をかければ開けられるだろう。
受け取り、鍵の方へ赴く。簡単な造りの錠前だ。正面からは見られないが、手の感覚は鋭い方だ。人の体の中をいじくるのに比べれば、可愛いものだ。
鍵を開ける間にアルトイールとシュレッドの縄をカシスが解いていた。
カシスに目で指示して、落ちないように錠前を持ってもらい、最後の開錠を行う。重い鉄の音がわずかに響くが、カシスの手に包まれて音は本来よりも小さい。錠を外してドアの蝶番を押さえ、軋まぬように細心の注意を払ってドアを開けた。その仕事にカシスが褒めるように頷いた。
「アル。これから上へいく。安全確保されるまでここにいてもいい。判断は任せる。ついてきても自分たちの身は自分で守ってもらう」
耳元で囁くように言うと、青い顔だが一度目を瞑り頷いた。
シュレッドもよろめきながら体を起こしていた。すぐに喋るなと指示を出すと、寝起きだろうがすぐに顔を強張らせて頷いた。イーリスを名乗るからにはいつ暗殺や誘拐があってもおかしくない。全くの素人を連れて行かなくて済むのだけはありがたい。
「これから、ユマを救出して逃走する。お前たちまでは守れない。邪魔になるなら置いて行く」
小さく簡潔に伝えると、ユマがいないことを理解したのだろう。驚きと焦燥が見えた。そして静かに頷く。
カシスがここで待てと指示して一人上へあがっていく。靴を奪われているにしても足音一つどころか、服布の音すらしない。
すぐに戻ってくると、手で上がれと指示がある。後ろ二人は流石に音も気配もするが、うるさいようなほどではない。外へ出ると、男が一人倒れていた。死んでいるかまではわからないが、無事ではなさそうだ。
奥まった場所。どこかの屋敷の牢座敷だろう。まだ起きるはずのない相手にはそれほど見張りを付けていなかったようだ。
「……」
廊下の先からわずかに声がした。女の声としか判別できない。どちらにしろ、そちらにいく必要がある。
珈琲は飲み物よりも薬品として一部栽培されています。




