23 情報収集
二十三
ユマは結構きている。こっちに来てから一度も筆とっていない。
午前か午後にエルトナの手伝いをしたり、メリバル夫人の淑女教育を受けている。これはアリエッタも時々一緒にしていた。村の教会は週に一度行くかどうかなので休みの間にもう一回どうするかといったところだ。
絵筆を取ろうと思えば、時間は作れる。それをしないのはちょっと不自然だ。
最近ましになっていたが、出発前のぶっ倒れ事案はあの事件を思い出すのには十分だったのかもしれない。
ユマが女子二人に性的な意味で襲われているのを見つけて、助けたのは俺だった。初めて女子を殴ったし、あの時俺が、もっとうまく立ち回っていたら、ユマはきっと今のような瑕疵を背負わなかっただろう。
まだ大人ほどの判断力や先を考えることもできず、そのくせませてくる年頃だ。女子の間で結婚したい相手がいたら子供が出来たら親が反対しても大丈夫らしいと言うぞっとする話が流行っていた頃だった。
義務教育期間で学校内に本物の王子様、それも絵本よりも見栄えのいいユマだ。誰か特定の相手はいないが基本愛想がいいので女子はきゃあきゃあと騒いでいた。誰がユマと結婚するのかで本人そっちのけの女子大戦争も勃発したことがある。
その場を目撃しながら、最後までされたわけじゃないし、ユマは男なんだからこのくらい平気だろうと思っていた。女子相手に暴力を振るえないのは優しいからで、力では絶対にユマの方が強いんだからと。
実際、脅えていたが、恐怖よりも恥の方が強い感情の様に見えていた。俺も、餓鬼だったのだ。
ユマがあの二人を殴り飛ばしていれば、一番被害が少なかった。俺があの時女子二人を拘束して、先に城の牢へ運ばせたらあいつらの親が凶行に出ることはなかった。親だって所詮は人間だ。当たりはずれはあるし、全員が立派なわけじゃない。娘一人よりも一族を守ることを選んだり、罰を逃れさせるために逃亡させるのはどう考えても正しいとは思えない。全員が正しい行動をできる訳もなく正しさも人によって変わるものだ。
普通に罪を償っていれば、家族での国外追放止まりだ。ユマの視界には入れないが、命までは取らない対処になっていただろう。
ユマの手の届かない範囲で、ユマが原因で人が死んだ。女子に好かれると、また同じ悲劇が繰り返されるかもしれない。そのユマの恐怖を払拭するほどの技量は俺にはない。
ユマとその後も友人でいるのは罪悪感からだけではない。他の男友達の様に、離れた場所から助けられるほど俺は器用ではないのだ。
「今日も午後は全部エルトナんとこか?」
登校の馬車の中で確認をする。学校が再開されて、授業があるはずなのに午後は自由参加だからとエルトナの手伝いに回るようになった。絵筆をとらないためだと、本人は理解しての行動だろうか。
あの時も、しばらく絵を描かなくなったのを思い出す。
「もう落ち着いてきたけど、空き時間に漫画を見ちゃって」
旧人類終末期の絵画と小説を合わせたものらしい。ユマがあれは芸術の中でも特殊だと嬉々として語る。いつもと変わらないように見えるのが余計に心配だ。
もう一度絵を描くようになったきっかけは、エラ様が愛馬の絵を描いて欲しいと依頼したからだった。まだ存命だが、馬の寿命は三十年が精々だ。キングと呼ばれ聖馬とすら呼ばれる賢い馬が元気な間に絵に残したいと言い出したのだ。
一度筆を取れば簡単で、その後は女装でだが普通の生活に戻れるようになった。
一緒にいてやることはできても、俺にはその切っ掛けを作ることができない。
「どうかした? 顔が変だけど」
「うるせー。元々こんな顔なんだよ」
さて、普通ぶっているユマをどうするか。
エルトナへ回る報告書の中に、研究所の支部からのものがあった。
「薬草園ですか」
「ああ、研究書類が届きましたか。元々帝国の管理する物でしたが、ここから馬車で半日ほどの場所にあるので去年から所属がこちらに変わったんです」
夏季休暇が終わって研究員が教員仕事を再開したので仕事がひと段落ついた。エルトナが依然と同じ淡々とした調子に戻っている。睡眠はやはり大事だ。
「……行ってみますか?」
エルトナが少し考えた後に提案する。
「仕事としてなので休日手当も付けましょう。薬草園の資料として風景を描いてもらいたいんです」
「……風景画ですか?」
「はい。写真機もありますが、ピント……焦点がまだ微妙だったりするので、ユマさんの絵の価値に見合った金額は無理なので給金に少し色をつける程度で勘弁していただきたいですが」
「………」
ナゲルか美術科の教師、どちらからの依頼だろうかと少し考える。
後期に入ってから、美術科なのに絵を描いていない。今の僕と同じように二人ほど同じ教室の人で全く創作活動に参加しない人がいる。彼らは美術の見聞を広めに来ただけだそうで、画商のような仕事をしているらしい。それと違って僕はずっと絵を描いていたのだ、絵筆を避けているのは隠しようがない。
学校が始まるまでは気にしていなかったが、授業を避けてエルトナの仕事の手伝いを優先するようになれば流石に僕自身も気づいた。
「……ちょっと、最近筆を取る気が起きなくて……」
創作活動は精神が反映される。一種の羞恥行為だ。あの程度で倒れて迷惑をかけた自分と、男として情けないと考えてそれらが筆を通して吐き出されそうで、紙を広げる気にならなかった。
「別に、芸術作品を欲しい訳ではないです。むしろ芸術作品にはしないで欲しいです価格的に。まあ……とても綺麗な場所だと聞いていますが、休日出勤を無理強いはしません」
珍しくエルトナが寂しげだ。
「エルトナが行きたいんですか?」
「……いくつか、欲しいものがあちらで栽培しているようなので。カフェイン……眠気覚ましの成分が強いものなんですが、行けば権力にかまけて分けてもらえるかと」
「お一人では?」
「かなり気難しい方らしく、所長代理がユマさんを連れて行けば頼みを聞いてくれるのではないかと。ユマさんには帝国の警護も付くでしょうから、元帝国管理の薬草園なのである程度融通を聞かせてくれるようです」
「所長代理さんは、今日も休みですか?」
「……午前で帰りやがりましたがなにか」
夏の間に二人のかなり関係がギスギスしている。夏の間に産休を取り、今も半休を取ることが多いらしい。夫としてはいいが、上司としては避けたい。
「エルトナは、ここを退職できませんか? 労働環境を保証できる職場がありますが」
僕の場合はリンドウ様が僕の経歴を知っていた結果だろう。オーパーツの取り扱いはまだまだ特殊技能扱いだ。そもそも高価なので技術を習得する場がまだ多くないのだ。
「……帝王命が下ってきたので、それでなければ夏の時点で退職届を提出できていたでしょう」
まだ頭が回復していないのだろう。多分、言わない方がいい単語が出た。
「それは……時間契約者なんて比じゃない悪徳契約をさせられたんですね」
ジェゼロでも王命はある。どちらかというと名誉職への任命で使われ、内々に人事が決まってから出されるものだからそもそも拒否するものがいない。
帝国はどのような運用かは知らないが、エルトナの言動から察するに、ジェゼロ程配慮して出されるものではないのだろう。
「正直、リンドウ様から破格の扱いを受けているユマさんの誘う職場について興味はありますが、好奇心は猫をも殺すといいますから」
乾いた笑いしか返せない。実は男で女神教会が建て祀る国の出身でしかも神子の子ですとは言えない。
「それに、あなたがどこのだれかよりも、手伝える技量がある事の方が重要です。何よりも重要です」
とても切実に、言われて笑ってしまう。
顔がいい自覚はある。それ以前にジェゼロ王の長子と言う立場だ。それらを抜きにしてただ仕事の成果を褒められる。何となくエルトナ相手には身構えていない。ナゲルに近いものがあるのだろうか。
「こちらにいる間はある程度お手伝いしますよ」
「ただ、学業は優先してください」
職員側らしいことを言われる。
「今度、先ほど言っていた薬草園に行きますか。久しぶりに、絵筆を持ってもいい気持ちになりましたから」
ユマ様からの希望で薬草園の視察が決まった。
ミトーはカシス隊長に命じられて道の確認を数日かけて行い、ついでに研究所からの依頼で薬草園の管理者に視察に向かう旨を伝えた。
メリバル邸から車を出し、帝国からも警護を出す。そこに、なぜかシュレット・イーリスの警護も加わることになった。
「イーリス家が?」
カシス隊長に報告すると、とても嫌そうな顔をした。俺の上司の基本は無表情、仏頂面、しかめっ面だが、嫌そうな顔は珍しい。
「ユマ様に気があるみたいですから、遠足で何か進展を求めているのかもしれません」
真顔で報告する。カシス隊長の怖い顔が渋面に変わる。
「……あちらの兵士は質が低いと言うのに」
「ああー。まあ、帝国が付けてくれている人たちと比べちゃだめですよ」
カシス隊長は調整などで各種警護隊とも話をする。公的なものでもそう言わしめさせる実力のなさ。対してリンドウ様が付けてくださっているユマ様の追加の警護は警護の本職だ。メリバル邸の屋敷警護もある程度の実力があり、統率がとれている。
シュレット・イーリスはイーリスの名を名乗っているもののそこまで権力が強い家ではないようだ。父親のセイワ・イーリスは確かに帝王の異母弟だが、恋多き男と呼ばれ、たくさんの妻と愛人と子供をもうけている。シュレットも一応は正式な妻の息子だが、あまり覚えがめでたい訳ではないらしい。結果的に体裁を整える程度でしか警護に金をかけられないのだろう。
いっぱい奥さんとか、糞羨ましいが、そんな男の子供として生まれたらと思うと、微妙な気持ちになる。そう思うと、シュレット・イーリスは嫌味な所もなく、いいやつそうなので同情してしまう。
「あ、それとトーヤから、またゾディラットが誰かと会っていたと報告が来てます」
前回ユマ様が村の教会に言った時に来週は来ない旨を伝えていた。それとは別に数日に一回、周辺の村や環境の確認と一緒に俺は確認に向かっていたのだ。
トーヤは歳が近い。ユマ様がいる時は基本必要事項しか喋らない。それは帝国の警護と似ている。最近は一人で確認に向かうと少し話をするようになっている。カシス隊長からは無駄話をして情報を漏らさぬように言われているが、こちらが得た情報もある。
トーヤはどこのとは言わないまでも正式な軍に所属していたことがあり、剣技も我流ではない。
ニコルは軽業や猛獣を使った一座で育っている。犬を飼っていたこともあるらしく、ペロルシュタイナーの躾は根気よくしていた。体が柔らかく、小柄である事から、それこそ屋根裏や床下に潜むような諜報活動もできる。内容を覚える訓練もさせられていたようで、内容を理解できないことでも、暗記することができる。
教会の改築清掃はトーヤが計画を立てたが、木材の切断などは、図面を一度見ただけでニコルは正確にこなしたらしい。ニコルは一番高値だとは聞いていたが、確かに、能力値は高い。
ゾディラットはあれで口が軽い。ユマ様に対する暴言も多いがそれを咎めるのは俺の仕事ではない。情報収集をするコツは意見や批判せず、ただただ頷いて言葉を復唱し、理解を示してやる事だ。人は話す事が好きな生き物だ。できるだけ自分の事を人に話したい。普通の会話はそれが拮抗する。だから興味を持って話を聞いてくれるとついつい話をしてしまうのだ。
ゾディラットは本人曰く名家の出身で何不自由なく育ち、教育のために引き取られ妹と離れることになったらしい。アリエッタとはあの競売で久しぶりに会ったと言っていた。
時間契約者としての意識がないらしく、あの競売も目的のための偽りだったと言っていた。なのに予定外にユマ様に競り落とされていい迷惑だと喚いていた。こういう時に、不快よりもわくわくする。うまく誘導ができている証拠で、相手は俺に気を許している。こういう時こそ慎重にならないといけない。価値だと思ったら、虚偽である可能性もある。人は自分に都合の良いようにしか話さないものだ。間違いを指摘するのではなく、受け入れて更なる情報を引き出すのだ。
ゾディラットはアリエッタの傷跡を例に出して、やはり加虐趣味の非道な女だとユマ様の事を罵っていた。以前の生活は家庭教師が来るような生活で、教育上アリエッタとは面会ができなかったが、以前の生活の方がアリエッタも幸せだったはずだと宣った時は、流石に驚いた。本当に、何をされていたか知らなかったようだ。ならば、今の生活に不服を抱き、妹を心配しても不思議がない。人間は情報で操作される。自分に都合の悪い情報は嘘だと耳に入れたくないのだ。自分がのうのうと暮らしていた間、妹が虐待されていて、何の気にも留めなかったと思いたくないのだ。
よく話すわりに、ゾディラットからは不思議と両親の話がほとんど聞けない。父親は偉大な人だと聞いたが、顕示欲を考えれば爵位くらいは話に出ても不思議がない。それに出身地についてもあまり話題が出ない。幼少期に何不自由なくといいながら、引き取られて教育を受けている間、どれだけ贅沢をしてきたかが話の中心だ。おそらく、私生児で、父親は大物だが母親は愛人か不義の子ではないかと予測している。
何度か、ユマ様に虐げられているならば手を貸してやると話を持ち掛けられていた。故郷には家族もいるから裏切ることはできないと話し、流している。信頼関係は重要で、どれだけ駄目人間相手でも嘘をつくのはよくない。不誠実は相手の口を閉ざさせる。
ゾディラットが会っているのは誰か、一度追跡を試みたが、相手は俺よりも上手だった。相手は顔が見えないように注意していたので人相はわからない。ゾディラットと別れた後、門前町までは追えたがそこで見失った。
ナゲルに頼んで、臭いの追跡はゾディラットで練習させているのも何かあった時に接触相手を追うのに使える可能性があるからだ。
「ユマ様は、血筋以前にあの見た目だ。街を歩いているだけで誘拐されても不思議がない。今後は教会へ行くのは控えた方がいいかもしれないな」
当初に比べて定期的に向かうようになっている教会に罠を張るのは容易い。道は毎回変えているが、屋敷内よりも守りが薄いため危険だ。ただ、そうなるとユマ様がどこかへうっかり逃亡しかねないのが悩みの種だ。
ユマ様はソラ様に比べれば警護しやすい対象だが。大人しい訳ではない。好奇心が強いのは家系だろう。時間契約者買い付け事件を起こしてからは大人しくしているが、いつどこかへふらりと出ても不思議がないのだ
ミトーはこれで情報収集能力は高いです。
ユマは普通の顔でそこそこ病んでます。




