16 確認
十六
昼食が消化されて落ち着いた頃、城警護用の鍛錬場へ来ていた。
ソラはひたすら受け身の稽古をさせられている。ジェゼロの家系には珍しく、運動神経が死滅したかのような運動音痴なので、いざという時戦うよりも適切に守ってもらい、何かあった時に大怪我を追わないようにすることが求められているのだ。
ララは反射神経と体幹の良さが既に見えている。まだ幼いので過度な稽古は成長に悪いため遊びの延長だ。
「はぁあぁああ」
横のナゲルが重いため息を漏らした。今日はベンジャミン先生だけではなくナゲルの母方の祖父であるシューセイ・ハザキも稽古に参加している。どちらも師範代と遜色ない剣技と体術の使い手だ。
「ナゲル、死ぬかもしれないと思うから辛いんだよ。潔く死にに行けばいいだけだ」
軽く準備運動を済ませてから、二人に呼ばれる。
普段の稽古と違い、僕の相手はハザキでナゲルはベンジャミン先生との手合わせだ。
剣を振っても問題のない高い天井の元で、剣を構える。ジェゼロ特有のわずかに沿った片刃の刀と呼ばれる剣を模した木刀だ。
既に六十ほどで、見た目は細い。背もそれほど高い訳ではないのに、相対すると威圧感がある。外相統括という外国の相手を一手に担う老獪な人物。そして、趣味が解剖のやばい人だ。なので人体の急所にも大変詳しい。
ナゲルが打ち込むのが目端に入る。すっと孫へ目を向けた隙を付き、一直線に剣を伸ばす。あえて作られた隙なのは承知の上だ。最小限の動きで弾かれる切っ先をその力の流れの方向を変えて薙ぐように胴へ振り下ろす。だが、立てた木刀の曲面を使って流される。
メリバル邸では外の稽古場での稽古は避けていた。離れの鍛錬部屋で筋肉が落ちないように運動は心掛けていたが、思ったよりも腕が数段鈍っている。
打ち込む数は明らかにこちらが多いのに、ひらひらと交わされ時折ナゲルの動きまで確認している。老体だからと手加減をしているわけでもないのに。
「さて」
「っっ」
振り下ろした剣がそれまでと同じようにいなされたはずだった。ハザキの剣が蛇のように向きを変える。それに気づいたときには肋骨と骨盤の間の骨のない場所に容赦のない一撃が入って、打撃を逃がすために反対に逃げた為に強かに床へ転がった。
「ぐっ……は」
下手をしたら腎臓が死んでいる一撃に身悶え、なんとか立ち上がろうと腕を付く。首筋にピタリと冷たい感触が当たった。
「よく避けましたな。しかし、今ユマ様の首を落とすことはなんと容易いことでしょう」
痛みで脂汗が浮かぶ。見上げれば白髪交じりの男が獲物を見下している。
潔く死ぬにはまだ早いらしい。浅い息をしながら立ち上がる。
「次はこちらを。近年は長剣も持ち歩きにくくなりましたからな」
投げられたのは小刀程度の木刀だ。休憩も許されないらしい。これだから鬼畜は。
意識的に息を整える。枯れ木に痣の一つくらい付けなければ腹が立つ。
弄ばれるとはこういう事なのだろうか。
もう一寸も動きたくない状態にまで追い込まれ、鍛錬場の道場隅に捨て置かれている。手を伸ばしたら届くくらいの位置にナゲルの頭もある。ぜいぜいと肩で息をする声が聞こえていた。
ソラとララがせっせと介抱してくれている中、まだ動き足りないとでもいうように、ベンジャミン先生とハザキが手合わせをしている。小気味のいい木刀同士が打ち合う音が聞こえていた。
「ユマくん、なまってたねー」
夏にかなりの間動き回らされ過呼吸気味の状態だ。足がたまに痙攣する。扇ぎながらソラに指摘されても言い返す気力も出ない。
「ユマくん。お水」
ララが小走りで水分を持ってくる。ギシギシいう体を少し起こして飲み干す。塩と砂糖それに柑橘の果汁が少し混ざった味がする。なんという気配りだろう。
ララが屍になりつつある被害者二号のナゲルにも水を与えている。
「経験の差かなぁ。ユマくんも運動神経はいいのにね」
「がんばって、えらいえらい」
子供の小さい手に撫でられる。兄として恰好が悪いが、息を整えることしかできない。妹二人に見せたのは、別に恥をかかせるためではないだろう。二人とも僕よりも余程価値がある血だ。強い相手がどういうものか、見せておく必要がある。そして公開処刑は初めてではないので、妹の前で負けても恥ずかしいとすら思えない。
「つれー」
上からうめき声が聞こえる。持久力や回復はナゲルが上だ。
打ち合いの音が終わったころにようやく体を起こせるようになった。ナゲルは姿勢を変えてだらだらしている。
「つらたんだねー」
ソラからタオルを受け取って冷たくなった汗を拭く。
ララはベンジャミン先生とハザキに水とタオルを届けに行っていた。次期国王がするべき行動ではないのかもしれないが、道場内などでは我々はものを教えてもらう立場であって決して地位が上ではないのだ。
「ユマ様、お怪我などは?」
寄ってきたハザキが息を整えながら問う。僕ではハザキの息を乱す事すらできなかった。まだまだベンジャミン先生には及ばないと実感する。
「怪我だらけなのは御存じでしょう。上手いことやられたので骨はいってもヒビくらいだと思います。内臓は少し傷になってても不思議がないので今日は大人しくします」
現状を報告すると医師であるハザキは頷いた。
「エラ様の子であれば死にはしないでしょう。真剣であれば既に死んでいます。こちらにいる間は毎日訓練を付けましょう。普段から短刀をお持ちですかな」
「スカートの利点です。最低二本は隠し持っています」
体系を隠すためにゆったり広がるスカートを履いている。足の線が出ないから、ふくらはぎや太ももに短剣を括って隠し持てる。
「では短刀での戦闘訓練にしましょう。女性として生活されているならば正々堂々と戦う必要はございません。隙をついて急所を狙えばいいのです。明日からは取り出しなども考えて、破れていいスカートと、普段使われる装備できてくだされ」
「ううー。わかりました」
今日ほど打ちのめされることはないだろうが、辛いという記憶は刷り込まれている。そしてソラのように逃亡しようと言う気概もない。
横ではナゲルがベンジャミン先生から駄目だしを喰らっている。それが終わるとダメ出しの師匠が入れ替わる。こちらにベンジャミン先生が来て、ナゲルの方へハザキが向かう。あちらでは孫と祖父という間柄もあり速攻で鉄拳が落ちていた。
「思ったよりも衰えはなさそうで安心しました」
「性別を偽っているので、中々広い場での訓練が出来ず。不甲斐ない結果です」
いっそ軟弱者と罵られた方が気は楽だったかもしれない。基本、ベンジャミン先生は僕らを怒る事がない。
「明日は左右の二人に城へ上がるように頼んでいます。ハザキが手加減を仕切れなかったようですから、今日は城で体を休めてお過ごしください」
既に夕刻に差し掛かっている。
「はい……」
先生にいい訳しかしていない自分にがっかりだ。
大事を取って、ユマ様は車で城まで連れて帰った。
「よくもまあ、あれだけいじめられるものですね」
ユマ様の相手をしたシューセイ・ハザキに呆れる。今日はユマ様とナゲルの訓練状況を確認後、警護につけた三人と国王付きベンジャミン・ハウスとして個別の面談予定が入っていた。その場には外務統括のハザキも同席する。
「其方ではユマ様に手心を加えるだろう」
「手を抜くつもりはありませんが……」
全く手加減をしないかと言われれば難しい。
「こちらの孫も転がしていただろう」
「ハザキ外相の孫というよりはホルーの息子ですね。あなたのように緻密な技は持っていないですが、どこまでやっても大丈夫なしぶとさがあります」
「手術は緻密にできるのだが、あの馬鹿孫は」
ジェゼロでは権力を持つ位置にいるハザキだが、娘との関係は微妙、妻は物静かで良妻だが完全に夫を掌握している。医師の資格もある娘が馬番と結婚することを反対するも虚しく既成事実を作り結婚に持ち込まれた。ホルーのおおらかとも鈍いとも言える性格のお陰で今は一粒宝の孫の教育にも関われている。
ナゲルをユマ様につけたのは、ナゲルの将来や投資でもあるが、最大の理由はユマ様の安全装置だ。だからこそ、不服に思いつつもハザキが許可を出した。シューセイ・ハザキにとって、孫は個人的には大事だが、ユマは国家として重要とみている。
少しして一人目のミトーが到着したと知らせが来る。場所はハザキの執務室兼城の診療所だ。医師でもあるため緊急時の対応を任されているため外務統括だが診察室を併設していた。
「みっ。ミトー・キスラ! 呼び出しに従い参上しましたっ」
声を裏返らせてミトーが入ってくる。
まだ成人して数年の若いミトーを選んだ理由は彼の特技からだ。色々目敏く目の付け所がいい。それだけでと言われればそれまでだが、森林警備で密入国者の発見率が異常で、街警備でも事前に異変を察知していた。良くも悪くも最悪の事態が起こる前なので活躍は知られていない。
「そう気張らなくてよい。今回は急な依頼をよく引き受けてくれた」
ハザキが席を勧める。診察用の丸椅子だ。患者のように観察されるので似合いではある。
「こんなに……」
渡された金子の入った袋に目を丸くしている。数か月とはいえ、たった三人でユマ様の警護をしてきたのだ。普通の給与では釣り合わない。
ユマ様や周囲について話をさせる。その後リリーやカシスにも見合った額を渡して話を聞く。それぞれに留学先へ戻る時につくことはできるか確認をした。拒否しても構わないと伝えたが、三人とも快く任務継続の了承を得た。
カシスからは、ユマ様が脱走しないように。もしするならば最低でも警護一人を連れて行くように指導して欲しいと頼まれる。ソラ様ほどではないが、兄弟だ。
研究校内については警護も入れないとのことで詳しくはないが、一度泥水か何かをかけられた事案があったそうだ。それ以外の問題は聞いていないとのことだった。
「奴隷が問題だな」
ハザキが呆れとも疲れとも取れるため息をついた。
「ご自身の経験から、助けてしまったのでしょう。ご自身が稼いだ金で賄っている以上、文句も言えません。ユマ様からも、アリエッタという娘はジェゼロの孤児院に連れてくるかもしれないと希望を伺っています。教会が困らない寄付はさせていただきます」
「その者たちはユマ様が男と知っても問題がないのか……」
ユマ様の女装は完璧だ。余程の観察眼がなければ疑問にも思わないだろう。エラ様が男ではないかと疑うものの方が多いかもしれない。
「必要であれば私が対応を引き継いでも構いません」
国外の情報源として活用するならば問題ないだろう。
「其方は相変わらず甘い。始末は自分でつけられる歳だ。何のために国外で経験を積ませていると思っている?」
「利用価値があるからです。ない者は捨て置かせるように言い含めておきます」
人材確保は資材の確保と違った難しさがある。使えるならば捨てるのはもったいない。特にジェゼロは資材だけでなく人材も不足しているのだ。
「このような時も、お前は休暇を取ると言うのだな?」
恨めしそうな声が問いかけるが、笑顔を返す。
「秋の儀式にはまだ時間もあるのですから、何も問題はないでしょう。このためにどれだけの仕事をこなしているかよく存じているハザキならば、休暇にとやかくは言うことはしませんでしょう」
「はぁ……今回は日数が少ないだけ自重しているのはわかっている」
とっとと出て行けと手で指示をされる。幼いころからの付き合いなので時折子ども扱いをされるが仕方ない。こちらも時折老人扱いしているのだ。
後三日で国王であるエラ様が夏の休暇に入られる。いつもは十日ほどだが、ユマ様の事も考えてそれよりも短い。その間、エラ様が職務から離れられるよう、ジェゼロ湖にある唯一の島へお連れする。無論エラ様のご子たちも一緒だ。その間は基本前国王の兄であるオオガミが代行し、緊急時の采配を振るう。ユマ様が産まれた年の頃からの習慣だが、唯一エラ様たちを世話する係として国王付きである自分も島に滞在することが許されている。
「ふっ」
王の執務室へ向かう道中笑いが漏れる。
国王付きの仕事に基本休みはない。一応休日はあるが、何かしらエラ様の世話を焼いてしまうのだ。最早それは趣味であり生き甲斐でもある。年に一度の休暇の為に執務仕事を手伝っていると言っても過言ではない。秋の儀式などよりも、自分にとっては最も大事な行事だ。
母と妹たちの秋以降の服について双葉の双子の店主と決めて、僕の服も新しく注文した。赤い顔料になる虫を更に買うことができたので、それで染めた赤のワンピース型のドレスを頼む。メリバル夫人から、秋以降は社交の場にも同伴してもらう可能性があると言われていたので、それに合う服が欲しかったのだ。
「はぁ、本当にユマ様はお美しくて作る服が楽しくて仕方ありませんわ」
「ええ、男性用もいくつか作らせていただいてもよろしいかしら。どちらも捨てがたいのです」
小柄で可愛らしい婦人二人は母ほどの歳だ。母は異常に若く見えるが彼女たちも実年齢よりも幼く見える。この二人からの視線は、創作意欲しか感じないので、じっと見つめられても汗も出てこない。
「背がまだ伸びているので、男物は結局作り直すことになりそうですから、もう少し後にしましょう」
「そうですね。お血筋的に、背が高くなっても不思議がありませんものね」
「女性としては今くらいがよいのでしょうけれど、将来を考えるともう少し伸びていただいた方がより服の作り甲斐があります」
「オオガミ様の衣装は本当に楽しいですものね」
「ええ、常に正装でいただければどれだけいいか」
はぁと二人してため息を漏らした。母の伯父に当たるオオガミ・トウマはかなりの高身長で、それなのに体の均整も取れている。少し気を抜くと無精ひげにぼさぼさ頭の山男のようになってしまうが、髭を剃ってきっちりとした恰好をさせればとても見栄えがいい。大叔父を考えると、まだまだ成長期が続いても不思議がない。あそこまで行くと流石に女装は無理だ。
「ユマくん。これどう?」
個室から出てきたララが新しい洋服を見せてくれる。ララは白い姿なので、何色でも似合う。目と同じ青を入れれば大体まとまる。
可愛らしいスカートにレースをあしらって、くるりと回るとひらりと揺れる。
双子二人が完成度に身悶えて喜んでいる。可愛いから仕方ない。
ソラは早々にこの会から逃げてオーパーツ大学に引っ込んだ。
「とても可愛いよ」
「ふふ。ユマくんこれ、島にもっていってもいい?」
「汚れないか気にしながら遊ぶのは嫌だろう?」
「……でも、可愛いのに」
スカートをぎゅっと掴んで抗議する。
「ララ様は本当にユマ様がお好きなのですね」
「私達だと我が儘を言ってくださらないのに」
微笑ましそうに双子の左右が暴露すると、ララが白い肌を桃色に染めた。
「だって……ユマくん大好きだもん」
三人でララの可愛い言葉に悶える。可愛いのでぎゅっと抱きしめて置く。腕の中で満足そうな声が漏れる。
多分、ララは将来魔性の美女になる事だろう。
昼食後は女装に着替えてナゲルと一緒にオーパーツ大学へ向かう。夕食前に道場に寄って訓練もある。留学先よりも国に帰った方が忙しい。
「オーパーツ大学は、僕よりナゲルがいないのに困ったろうね」
警護もなく街外れに建ったオーパーツ大学へ向かいながら、昨日の訓練と言う名の地獄で、筋肉痛になり動きがぎこちないナゲルを見る。
「お前、ほんと回復力だけは異常だよな」
「昨日の夜は体ギシギシだったけど、若いからかな」
いくつかある道の中からいつもなんとなくで選んで歩いている。僕がジェゼロ王の子である事を知らない国民はまずいない。国民にとって本物の血統の王は国を維持するために必要なものだと言う事は以前母が国を離れたことで知れ渡った。一度も干ばつを知らないジェゼロ湖の水が干上がりかけたのだ。そして王である母は、ソラの母だけあって行動が突飛だ。もしも子供に危害を加えるような国民がいたりすれば、見切りをつけて国を出ていきかねない。実際にするかはわからないが、可能性があるだけで十分に怖い。
だから、特に警護なく街歩きを許されている。一応ナゲルがいなければ城警護に頼んでついてきてもらうようにはしていた。
「ユマ様! お戻りになられていたんですね」
同級生前後の女の子たちが数人いるのが見えた。華やかな声にすうっと血の気が引く。ナゲルが一歩前に出て視界に入る事で息をするのを思い出す。
何か口々に話しかけられるが耳から入るのを拒絶したように言葉に膜でも張っているかのように鼓膜を上手く通過してこない。
ごくりと唾を飲む音だけがいやに頭に響いた。
「悪いけど、急ぎで呼ばれてるんだ」
ナゲルの声ははっきりと聞こえ、半ば隠す立ち位置を取りながら、背を押されて歩くことができた。メリバル邸で習った優雅な歩き方をあえて意識して、そちらだけを考える。それでも淑女にあるまじき早歩きになっていただろう。
少し離れて振り返ると、誰もついては来ていない。
「大丈夫か?」
「……こっちでは、ただの女装だからね」
ヒスラでは女装ではなく女と偽っていた。だから、好意を向けてくるのは基本同性の男だ。女性からは嫉妬や羨望はあっても、恋愛対象とみられることはまずない。
久しぶりに直撃したあの視線に未だ心臓が痛い。
「戻るか?」
「いや、女装してるし、大丈夫だよ。行こう」
女性恐怖症を克服したのかもしれないと、淡い期待をしていた。知らない女性とも普通に話せたし、アリエッタやココアがいても動悸はでなかった。だが、自分に対して好意を抱く女の子を前にしたら、気持ち悪さが沸いて出ていた。全く治っていない。
だからソラと違って僕は、誰か一人は一緒に連れて、その上で女装していなければ出歩くこともできない。
シューセイ・ハザキ外務統括は年寄りですがサディストでお強いです。
ベンジャミンは休暇を前にうっきうきです。




