130 青田買い
ユウマ・ジェゼロ、ユマ・ハウス……。
改めて考えてみる。
あれだけの美形だ。女神教会の女神像にも似た雰囲気があって、一目見ただけでも記憶に残りそうなものだ。
客室は質素だが、紙もペンも用意されていた。
ざっくりと書き出してみる。
ユマと会ったのは研究所に売り渡された。もとい、働きに行くための列車の中。それからの出来事を大まかに書き出していく。
まず、誰かが仕事の手伝いをしてくれた。なのに覚えていない。確実に所長代理ではない誰かがいた。夏季休暇の後半では、ナゲルが手伝いに来ていたのは覚えている。
植物園への視察。あれも何故イーリス家が同行することになったのかわからない。ナゲルはいたし、リリーはじめ他の警護の人も同行していた。そもそも、彼らは誰を守っていたのか。ナゲルを警護していたとしても不思議はないのかも知れないが、そうではなかった。
帰り道で襲撃に遭いリリーと共に捕まっていた。リリーはどこかへ連れていかれた状態で、私を助けた人がいる。それが誰かわからない。
研究所近くのお屋敷に部屋を借りることになって、ルールー統治区について話をした記憶はあった。だけど、誰に?
ツール神父から頼まれて、町はずれの教会へ出向いて捕えられた。そう言えば、養父が依頼してきたことは達成できていない。二つ目の記録がその時よりもしっかりあるためにわかるが、あそこはレッドル・ランテが建てた教会だ。ヒスラの大聖堂よりもあちらの方に何かあるはずだ。
その教会に付いて誰かに聞かれて、黙って使えばいいと答えたこともあった。
大司教が出てきて、殺されかけた時、どうやって助かったのか……ニコルと言う子供とナゲルがいたのは覚えている。
オーパーツ大学学長のオオガミに一筆書いてもらって、ジェゼロへ入国した。あの時……検問を見て倒れた時、誰といた?
ソラ・ジェゼロを紹介したのは?
「…………」
ペンを置く。
理路整然と、思い出せている。だが、少なくとも一人、もしくはそれ以上の誰かが私の中から消えている。
それが、ジェゼロ国王の子であるユマ・ジェゼロであると考えれば、ある程度の納得はできる。
だが……なんで好かれるのかがわからなかった。
私は彼の事をどう思っていたのだろうか。
顔を上げて、鏡のようになった窓ガラスに自分の顔が反射していた。
決して美人ではない。可愛らしい服を着ているが、正直あんまり似合っていない。
家柄も、一応は女神教会の司教の養子という肩書はあるが、私生児で父親すら正確にはわからない。
釣り合わない。
それこそ、ルーラならば彼に釣り合いが取れるだろう。
「もうちょっと、可愛かったら」
これまで、一つ目の記録を羨ましいとは特に思わなかった。得よりも不便を知っているから。
そう言えば、今日はユマの取り巻きにいちゃもんをつけられた。取り巻きと言うのもユマに失礼か。
あの時、積極的に助けてくれたのはナゲルだった。ユマは立場柄国民に手を出すことはできないのだろうと思ったが、よくよく思い出すと、怯えていなかっただろうか。
考えても上手く考えがまとまらない。
ユマが私に好意を抱いていたとしても、それは治療前の私だ。自分でも変化は感じている。万が一に本当に前の私を好いていたとしても、忘れてしまっている上に、価値が減った私は特別に好きではなくなるかもしれない。
それに、少なくとも私の記憶には誰かを恋愛的な意味で好きになったことがない。ピンクラルのように一緒になろうと考えたこともない。レッドルのように誰かに焦がれ、絶望し、別の相手で済ませるという手段を取ったこともない。
別に、誰かを好きにならなくても、困るわけではない。むしろ、一人でいる方が楽だし支障が少ないくらいだ。
この数日で知ったユマについて考えてみる。
家柄は良すぎてマイナスだ。養父は利用しないだろうが、司教職である以上面倒はあるだろう。
顔も良すぎる。女装したらただの絶世の美女だし、男装……普通の男の恰好だと普通に理想的な王子様だ。
頭も悪くはなさそうだった。
性格も私に対して細かく気遣ってくれる。時間契約者を買った人物がユマだと仮定すれば、不遇の人間を放って置けない正義感とも無謀ともとれる節はある。美徳とも欠点とも言えるだろう。
友達としては、とてもいいが、恋人、結婚を考えるとあまりいいとは言えない。
男子なので一代限りで子まで権限が引き継がれないとはいえ、それはあくまでもジェゼロ国内の話だ。女神教会からすれば尊き女神の子孫だ。私のような者には過分だし、釣り合いがあまりに取れない。
隣に並べばあまりにも見劣りがして恥を掻くことになる。
性格が優しいがゆえに、可哀そうな女性がいたらうっかり慰めてそちらにいってしまうかもしれない。少なくとも、他への目移りを防ぐほどの手腕は私にはない。
ペンを取り、友人関係がベストだと書き記す。
ユマも、友人以上の気持ちがあったとは言っていたが、明確に好きだとは言われていなかった。本人も、すっぽり忘れられているので戸惑っているのだろう。そう、友達になればいい。
「………」
見下ろす顔が頭に過ぎる。
一つ目の記憶のパートナーは、顔が良すぎる相手に対してどう思っていたのだろう。
頭では、友人でいるべきだと答えが出ているのに、心では、あの辛そうな顔はさせたくないなと思ってしまっている。
考えても無駄だ。
「よし、寝よう!」
書き記した紙を丁寧に破り捨てた。
朝っぱらから馬小屋の掃除にユマが来ていた。キングが鼻を摺り寄せ、足元にはいつもの黒猫がまとわりついていた。
「はいはい、今日は何の相談だ」
父親の手伝いをしながら問いかける。何かと忙しいが、時間があれば家の手伝いはする。
ロミアが、もう馬番を継がなくてもいいと公言したので、この仕事を継ぐつもりはないが、馬番が絶対に嫌だったわけではない。
人間現金なもので、命令ではなく選択肢となれば一定の魅力を感じるのだ。
「エルトナに好意を持ってるって、いっちゃった………」
ぎゅっとキングの首に顔を埋めてユマが言う。
キングはエラ様大好きな馬で、ベンジャミン先生とは平時は敵対関係にある。なので、ユマに対しては少し困惑した態度を取ることが多いが、今日のキングはエラ様に対するのと同じ優しい対応を取っている。さながら父親が子供に対して慈愛を見せているような感じだ。
「ああ、そーか。馬糞取りたいからそこ邪魔だ」
「母さんが余計な事を吹き込んだに違いないっ」
適当なあしらいを無視してユマが呻く。
「エラ様に、そういう繊細な事を期待するのが間違いだろ」
悪い人ではないが、豪胆なところがある。
「でもいいのか? 薬の副作用で忘れられてるぞ」
「……難しい話だけど、結局僕だって一年前と今と一年後で正しくは同じとは言えない。それを言い出したら、結局は言い訳にしかならないから」
まあ、良くも悪くも人間は変わる。
「お前が好きになれる相手ができたってんなら、俺は全力で手を貸してやる。狩りは一人でやるより二人の方が成功率高いからな」
「狩りって……」
「まあ、俺以上に色々と面倒臭いからなぁ、おまえの立場。まあ、とりあえずは稼ぎ口の安定化だな」
ジェゼロ国内での結婚は成人していることが最低条件。どちらかが定職についていることが一般的な条件だ。妊娠出産から男が仕事を持っていることが好ましいとはされている。
今のユマは王の子として生活の保障がされているが、ちゃんと将来を見越した仕事が必要だろう。
「それ以前にこれから迎えに行くんだけど……どんな顔をしていけばいいのかだよ」
「このあとオーパーツ大に行くなら女装した顔だろ」
じとっとした目で見返された。
真面目な話、女性恐怖症のユマが好意を抱ける異性ができたなら、よっっぽどでない限り応援する。司教の養子と言う点きちょっとあれだが、実子でないならばやりようもある。
エルトナはユマに守られるだけかと思っていたが、昨日は自分で女子たちに対抗で来ていた。あの場に俺達が行かなければある意味で危険行為だったが、あれで怯えないならば合格だ。
「ナゲルの方は、ルーラはどうなんだよ」
「……どうっていわれてもなー」
多分ルーラはイーリス家の関係か、帝国の中枢人物の娘だろう。
「お前を引き込むために、馬の俺を射てこいって親から命じられてるんだろ?」
帝王はユマを帝国に引き止める気満々に見える。ユマはジェゼロ国内にいる方が精神的に危険なので、帝国へ移住することに否はない。だが、俺がユマの足枷になるつもりはない。
「……ルーラはどう見たって親の命令で色目を使える子じゃないよ。単に見る目があるだけだろ」
「さてはお前、俺に惚れてるな」
冗談を返したら、キングが嘲笑うような鼻息を漏らした。
キングは恐ろしく賢い馬とは言われているが、性格が悪い。
「まあ、ナゲルは僕の世話ばかりじゃなくて、自分の事も考えなよ」
ユマの視線もやや冷たい。
「とりあえず、とっとと着替えて迎えに行った方がいいと思うぞ? ソラに先越されるだろ」
会いづらいのはわかるが、城に泊まっているならソラと言う敵に先を越されるだろう。
夕食の後、見送りで馬も車も使っていなかったので、エルトナが城の客間にいることは簡単に想像ができる。
「あ……」
城の方から音楽が流れ始めていた。まだかなり早い時間だ。
「ララか……」
「ここまで弾けるのはうちじゃララくらいだよ」
黒猫が早く来いと言わんばかりに出口で鳴き出した。
「あの黒猫、今回はめっちゃいるな」
「あいつ、僕が構おうとするとどこか行くんだけどね」
ユマはキングに挨拶をしてから外へ向かった。この黒猫は子猫の時にユマが世話をして、ある程度成長したらとっととどこかへ行くようになった。ただ、良くユマの近くをうろうろしている。一年間いなかったからか、戻ってからは結構近くにいるようになった。
俺も動物に好かれる体質だが、あの猫はユマだけだ。
気まぐれ猫の後に付いていく。
ララのための離れからは、独特な曲が流れている。歌う声も聞こえた。いつもは超絶技巧のような曲が多かったが、今日はなんだか楽しそうな曲だ。
「ララ? 朝っぱらから」
ドアをノックして離れに入る前に、窓から中が見えた。
ララが帝国から贈られた高価なピアノを弾いていた。そのそばにはソラもいた。歌っている声は一つではなかったからソラも歌っているのかと思ったが、もう一人いる。
「………」
妹二人が楽しそうなように、もうひとり、僕が見た事のないような笑顔のエルトナがいた。
可愛い妹達に並んでも見劣りしていない。もしかしたら、エルトナはうちの家系くらいの美少女なんじゃないだろうか。
「あ、ユマ君」
そんなことを考えていたら窓が開いてソラが顔を出した。
今はまだ朝食前の早朝だ。ララとソラが早起きは珍しい。
「珍しく早起きだね。朝だからあまりうるさくしちゃだめだよ」
「ユマ君とララを出し抜いてエルトナたんと遊ぼうとしたら、ララに先を越されてた」
ソラがそんな報告をしてくる。
「……朝っぱらから申し訳ない。妹たちが……」
「いえ、久しぶりに旧人類の音楽に触れられたのはよかったです」
「なんの歌だったんですか?」
統一言語と呼ばれる言葉とは違ったから歌詞の意味を全部は理解できなかった。
「とあるパンを偶像崇拝して、人生の意味を考える歌です」
「へー……」
よくわからない。
「エルトナたん。ユマくんはいいから一緒にうたうの」
ララがピアノから離れて、ぎゅーっとエルトナに抱き着いた。
「もうすぐ朝食だよ」
「ユマ君。わたしはおーぱーつだいがくにふらふらいけないの。ね?」
ララが上目遣いにお願いしてくる。
ソラや僕はある程度の規制だけで自由に行動できる。ララは次期国王として扱われているためと、幼い事から自由度は低くなる。代わりに城の敷地に音楽室があるのだ。
「……私は構いませんよ」
「わかりました。……ララ、エルトナとは友達として接するように。我が儘を言って困らせてはいけないよ」
「うん。おともだち」
嬉しそうに頷いた。我が妹ながら、可愛らしい。
「問題があれば言ってください。朝食が準備できたら呼びにきますから」
無理な我が儘を言う子ではないし、エルトナはソラもあしらえるので任せても問題ないだろう。
部屋に戻って、オーパーツ大学までエルトナを送れるように女装する。
エルトナの前では普通の恰好で恐怖は生まれない。いや、それ以前に、好意があると伝えた後で普通に接してしまった。もっとこう……意識してもらうべきだったろうか。
「エルトナたんは、ユマくんと結婚するの?」
ララがエルトナに対して無邪気に問いかけた。
我が妹は、まだ幼い。同じ年ごろの子供よりは賢く見えるが、子供だ。
エルトナが固まったのにも首を傾げている。
「あのね。ユマくんね、女の人がこわいの。でもね、エルトナたんはこわくないの。だからね、ユマくんのこと、だいじにしてほしいの」
さらに追い打ちをかけている。
まあ、実際、ユマ君はこの人にとても好意的だ。島休暇から抜け出すほどだからかなりのものだ。
「エルトナたんは、ユマ君みたいな女装男子はやっぱりだめ?」
ララに乗ってあたしも聞いてみる。
「………個人というよりも、ユマさんはララ様やソラ様の兄君で、ジェゼロの正式な血統。特別に爵位などもない私では釣り合いと言うものが取れないのですよ。それに、お互いに利益がない婚姻になります」
子供の茶化しとしてではなく、真面目に返された。
「しゃくい?」
ジェゼロは王様はいるけど貴族はいない。他国から移住してきた爵位持ちは尊敬されたりするが、別に国内では優遇措置などはない。ララが新しい概念に首を傾げている。
「うちの兄は、マイナス要素がない訳ではないけど、それはプラス益に付随するものだし。それに、親を見て不倫とかは多分しないと思うから、エルトナたんには利益がありそうなものだけど?」
ユマ君は、女装癖を除けば、理想的な王子様と言えるだろう。
「では、彼の利益は?」
「かわいいなーって思える女の子を近くに置いて、あたまを撫でられる」
「ユマくんのなでなでは上手よ」
結構真面目に答えたのに微妙な顔をされてしまった。
「あたしたちは、正式な結婚ができないの。だから、ユマ君には純粋に好きな人と結婚して、にやにやしながら過ごして欲しいの」
うちの家系だから、本気になったら結婚してないだけの関係に持っていくだろうが、あの母でさえ結婚していない。
「別に結婚しろとは言わないけど、一回、お付き合いしてみるくらいは考えてあげて欲しいな」
「あのね、あのね、そしたらね。いっぱい一緒あそべるの」
音楽狂いの妹がぎゅーっとエルトナに抱き着いた。
ソラは家族以外にはあまりひっついたりしない。相当エルトナが気に入ったらしい。
「今は音楽をしなくていいんですか?」
ごはんまで時間がないですよとエルトナが話題を変えた。
「はっ。次はね。次はね」
いつもは一人で指が二十本くらいありそうな演奏をしているのに、幼稚園みたいな演奏を始めた。
ふと、こいつ猫かぶってるなと気づいてしまった。
くっ、我が妹ながら恐ろしい子だ。
優秀な人材を義姉として確保しようとは。私も乗った。
そうと決まれば話は早い。ユマ君がお迎えに来たのを確認してから先にオーパーツ大学に戻った。