13 血のような赤
十三 血のような赤
臭い水かけられ事件はオゼリア辺境伯から漏れたのだろう、学友たちが一層警戒するようになったがしばらくして落ち着いた。
楽しく抗議を受け、それについての談義を交わしつつ昼食を取り、午後は新しい手法を試して絵を描いたり、陶芸をしたり、作品を評価し合ったりして過ごす。
ジェゼロでは芸術に造詣深い人がいなかったので、ここでの会話はとても刺激的でためになる。
最近は、話しかけてくる男子生徒には近くにいる学友が威圧し、何か贈り物をと近づいてきたらそれはどこの骨董市で購入したのかなどと返していた。元々名家の人が多いので、僕よりもそちらに近づきになりたい人も多いらしく、そういう人たちは個別で普通に対応しているので、その差に苦笑いが漏れる。
他には、オゼリア辺境伯へハンカチのお礼に新しいハンカチに刺繍を施してお返ししたのだが、好評で刺繍をみんなでする授業なども発生してしまった。
基本綺麗なものや技法には貪欲なので、男性陣も何度か針刺し事故を起こしながらも格闘していた。
ひと月ほど経って、相変わらずこそこそと嫌味を言っている女子はいるが、物を押し付けてくる男子生徒は落ち着いてきた。どうやら物を渡せば簡単についてくる軽い女だという噂も流されていたようで、露骨に現金を渡そうとする生徒もいたのだ。
午後の授業を終えて、管理棟へ向かおうとすると、待ち構えていたのか、ざっと一人の男子生徒が前に立ちふさがった。またかと思ったが、初めて見る人だ。
「ゆゆゆゆゆゆゆゆ、ユマさん。ゆま、ユマさんは、こういうものがお好きだって、うか、がいましたっ」
引き攣ったような笑いを漏らして薄汚れた瓶を目の前に突き出す。
「どうか、うけ、受け取ってください!」
酷く緊張しているのか、顔が真っ赤になっている。目端に女子が笑っているのが見えた。どうも僕に対してだけの嫌がらせではないらしい。可哀そうに。
小太りで小柄な青年は、あまりカッコのいい種類ではない。それはわかっているのか、手が僅かに震えている。
何を持っているのか目を細め、首を傾げた。小さい赤黒い粒がびっしりと拳大の瓶の中に入っている。
「これは………」
普段はその手から受け取ることはないが、確認したくて瓶を手に取った。
「ゆ、ユマさんも、虫がお好きなんですよね」
へらっと笑った顔は、すこし気味が悪い。それとは別に後ろから小さな悲鳴がする。
「ひっ! ユマさん! それは、なんですの? 虫!?」
アンネ・マリルゴが絡まれているのを見てきてくれたようで、瓶の中身を悟って鳥肌を立てている。
これまで宝石やお金、それに装飾品などを持ってくる人が多かったが、今回は初めて欲しいと思えたものだ。
「あなた! ユマさんにこんなものを押し付けて! どういうおつもり」
気の強いアンネが凄むと男は一歩たじろいでおろおろしている。
「あ、あの。自分は虫の研究をしていて、ユマさんは虫に興味がおありだって、せせ、生徒が話してたんで、す。じっ、実家で栽培、してる……珍しい虫で」
どうやら教員か研究員のようだ。生徒とはいえ年上のアンネに凄まれで泣きそうになっている。
「アンネさん。落ち着いてください。この方はある意味で私達美術科にとってはとてもいい方かも知れません」
アンネを止めて鞄から財布を出す。使いどころはないが、有事に備えてある程度の額は財布に入れていた。
「物を頂くことはできませんから、正式にこちらを買い取らせてください。こちらは赤石と呼ばれる顔料になる虫で間違いありませんか?」
「顔料?」
アンネがぴくりと反応する。
「あっ、はは、はい! サボテンに寄生する虫で、栽培地に制限があるのにっ……よく、よくごぞんじで、すね」
にたりと笑みを浮かべられて頷き返す。
「アンネさん、旧人類の赤にも使われていた顔料の一種で、布の染料としても使われています。値段も高価ですが、そもそも流通がとても少ないものです」
「………その、虫が、ですの?」
「は、はい。食品、の、色付けにも、使います」
食べ物に入ると聞いて嫌そうな顔をしているが、この顔料はとても発色がいい。
「今後も個人的に取引をしていただけませんか? あ、でも直接生徒と金銭のやり取りはよくないですね」
名前を聞き出して後で所長代理に確認すると伝える。ちゃんと虫はそこまで愛好していないが、この虫は好きですと言い切り、戻ってもらった。
「はぁ、ユマさんはどちらでそれが顔料だなんて知りましたの?」
旧人類には珍しくないが、現代だとかなり珍しいものだ。絵具ではなく布染めに使う方が多いのでアンネが知らなくても不思議はない。それに普通は粉末状で売られている。
「知人から少し分けてもらったことがあるんです」
母は深紅も似合うので双葉の店が特別に輸入していたのを特別に分けてもらったのだ。店主の二人は混ざりものをされるのが嫌だからとあえて虫の姿で買い付けをしていたから知っている。
「ユマさん、あんまり絵の材料になるからと物を受け取ってはいけませんよ」
ちょっとだけ叱られつつ、管理棟まで見送られる。
本当に過保護に扱われている。
エルトナの部屋に入り、いつものようにお茶を入れていると、机に置いていた瓶を見てエルトナがとても嫌そうな顔をした。
「変なものを持ち込まないでください」
エルトナにも同様に顔料になる事、相手は研究員の一人なので、直接金銭のやり取りをしていいのか確認したい旨を伝える。
「……学科は違うので大きな問題はないですが、基本的には推奨された行為ではないので、一度所長代理を通してやり取りをするように手配します。今回の分の代金は一度こちらで用立てて後でいただく形で構いませんか?」
「かなり高額になると思いますが大丈夫でしょうか」
少量でもかなり高かったはずだ。
「仲介を通さずに生産者と直接であればそれほど高くはならないはずです」
「なるほど」
納得するとエルトナに呆れられている。エルトナからはなぜかよく呆れた顔をされてしまう。
「贈った本人は好意からかもしれませんが、嗾けた相手は悪意ですよ」
「そうですか? この赤はとても価値のあるものなのですよ? その生産に係わっている方がいたと教えてくださったのに感謝できないとは残念ですね」
「ユマさんは、仕事もできるのに阿呆なところがありますね」
お茶と茶菓子を置くと首を傾げた。
「ナゲルには似たようなことを言われた事があります」
ユマ様が買ってきた五人もの時間契約者に、リリーは愕然としたが、三月もすれば慣れてしまう。
ユマ様の母君であり国王陛下であらせられるエラ様も大概に変わっておられるが、ユマ様も血は争えない。本当に哀れに思って買ってしまっただけで、後先を考えていなかった。
今はココアが離れ一階と周辺の庭の管理を任せている。二階はジェゼロから来た者だけしか上がる事を許可していない。ユマ様の機密を守るためだ。部屋は各自掃除するので廊下と共用部屋くらいしか管理をしていないが、侍女としての才能は明らかにココアに負けている。
家仕えとして、ココアはとても優秀だ。それにアリエッタへの慈悲もある。仕事を丁寧に教え、勉強も見てくれている。口数は少なく世間話もしないので素性などは探れていないが、勤勉で、いい買い物をしたと言える。彼女が来たおかげで警護としての訓練も増やせるようになった。
学校が始まってユマ様が離れにいない時間が増え、ミトーは情報収集に出かけ、カシス隊長は各種調整を行っている。侍女として擬態し、警護として刃を研ぎ澄ますのが仕事となるため、最近は少し余裕ができて来た。
時間の有効活用としてジェゼロ飯を振舞ったら、ユマ様はじめカシス隊長にも懐かしい味だと大変褒められたが、ココアとアリエッタはとても微妙な顔をしていた。
ジェゼロで城警護をしていた時よりものんびりしていたが、今日はちゃんと警護の仕事だ。
ただ、警護対象はユマ様ではなくアリエッタだ。
アリエッタと二人乗りで馬に乗り、ユマ様達一行と共に村の教会へ向かっていた。
ゾディラットはふてぶてしく生活しているとミトーから聞いているが、アリエッタは兄が元気にしているかとても心配しているので会わせることになったのだ。
アリエッタをメリバル邸に置いているのはこれまでの扱いから、競りの出品者が不当に奪い返す可能性を考慮してでもある。他の四人にもその危険はあるが、年齢や能力を考えて一番警戒すべきなのは理解できる。こういう守りたい感じがユマ様の女の子の趣味なのかとも考えたが、ユマ様がアリエッタと話す時はとても注意深く接していた。好意的ではあるが、それ以上に気を使っているのがよくわかる。
虐待を受けた子供は問題行動を起こす事もよくあるが、アリエッタはそれすら許されないのか、とてもいい子だ。体の傷を唯一全て見た身としても、守ってあげなければと思うユマ様のお心遣いも理解ができる。
「兄さん、驚くとおもいますか?」
馬に乗るのも初めてのアリエッタが少し緊張した顔で問う。
「そうね。いつもあなたの事を心配してるそうだから、喜んでくれると思うわ」
緊張しながらもどこか嬉しそうにアリエッタが笑う。
ゾディラットが他の男二人の様にユマ様の命に従順であれば、過ごす時間を増やしたり、メリバル邸の使用人として過ごさせることはできたかも知れない。だが、ゾディラットの態度はあまりいいものとは言えない。
勝手に競り落として勝手に解放したのだから感謝する必要はないのだろうが、少なくとも生活の面倒を見られているのに態度が悪すぎるのだ。
とてもではないが、アリエッタを任せられるとは思えないし、二人で故郷に帰るというのも信用ができない。契約を解除する以上、元の主の許へ戻る事もできるのだ。
アリエッタがいるのでいつもよりも時間をかけて教会へ着いた。基本的にはミトーとカシス隊長が出るので留守番が多いが、村の教会は初めに見た時よりも随分と綺麗になっていた。
壁は綺麗に洗われているし、周辺の草は刈られ、馬を休ませる場所も整えられていた。
先に到着していた帝国の警護二人が教会内や周辺を検めて待っていた。トーヤとニコルも教会の前で待っている。ゾディラットはいつものように少し離れた場所にいたが、アリエッタを見てとても驚いていた。先ぶれで知らせて下手な計画を立てられても困るので伝えていなかったのだ。
「アリエッタ」
「兄さんっ」
駆け寄ってきたゾディラットへアリエッタが笑顔を零す。馬から降ろすと、兄が妹を抱擁した。その姿を見れば、少し心打たれる。
「ちゃんと食べてるか? 嫌な事はされてないか?」
「皆とっても優しいの。お勉強もしてるし、学校にも通えるかもしれないのっ」
「そうか……」
「兄さんは、他の人に嫌な事、されてない?」
「ああ」
少し顔を強張らせたが頷いた。一人ユマ様に反抗的な態度なのだ、他の二人とはそれほど上手くいっていないだろう。
来る度に、綺麗になっていくし、どこかしらが整備されていく。軽い気持ちで綺麗にしてと頼んだら、本気を出されてどう収集するか悩んでしまうほどだ。
今日もニコルが入れてくれたお茶を飲む。最初こそ、毒を混ぜられたが、あれ以降はそのような事もない。
「ペロも大分しっかり言う事を聞くようになりましたね」
教会の前でしっぽを振りつつも、伏せて待っている。信頼関係も築けているようだ。決して、恐怖から従っているようには見えない。
「はいっ。とてもいい子です」
嬉しそうに答えるニコルに手を差し出すと、すっと跪いて座っていても撫でやすいように頭を差し出してくる。
「ニコルが誠意をもって面倒を見ているからですね」
口を引き結んで笑うのを堪えるような、堪え切れないような破顔を見せる。たまにちょっと笑顔が怖いが、ニコルは褒められたくて仕方ないのがよくわかる。実年齢かはわからないが、十五よりも幼く見えた。ふと、エルトナはこの一つ上であそこまで堂々とした態度と仕事ができるのだから規格外だと頭を過ぎる。
ニコルに関して正直に言えば、言う事を聞かないからとか思い通りにならないと犬を惨殺するんじゃないかと不安だった。毎回どんでん返しでもういないんですと言われないか、ドキドキしながら馬に乗ってきている。それは毎回裏切られてほっとしていた。
ニコルは前の主人の許で一人二人ではなく人や動物を殺していると予想している。だからこそ、何かを手にかける事を知っている相手が、なにをするか、僕では予測ができないのだ。
「次は、ペロもユマ様を守れるように教えていくつもりです!」
意気込みを伝えられる。番犬にするとか猟犬にすると言う意味だろうか。
「警備犬かぁ。匂いの追跡訓練でも始めるか」
ナゲルが提案する。なんてすばらしい安全な訓練だろう。
「臭い?」
「ああ、迷子の追跡や救助者の発見なんかができる」
ナゲルの言葉にぴんと来ないのか、表面的な笑顔のまま首を傾げている。
「例えば、ユマが攫われた時にユマの匂いを追って居場所が見つけられる。かもしれない」
その案は採用されたらしく、力強く頷いた。
「やり方、教えてください!」
犬好きのナゲルはちゃんと尊厳をもって犬を扱うニコルを気に入っているらしく、連れだってペロリアンシュタイナーことペロの許へ向かった。
侵入者を見つけたら喰い殺せとか、敵を襲うような方向性にならなくてよかった。
「ふー」
ニコルを可愛がる儀式は終わったので、一服してから外へ向かう。人物画も得意だが、植物や動物なんかの自然も好きだ。メリバル邸の庭も描き応えがある整い方だが、教会に隣接する森は自然の造形でまた違った美しさがある。二回目以降は絵を描く道具を持ってきている。初夏が近づき、緑が深くなり始めていた。
トーヤはニコルのように褒めて欲しいと自己主張はしない。ただ、画板や外で使える椅子を準備してくれたていたり、より快適に過ごせるように進化させてくる。何かしら一つは、快適度が上がっていくのだ。向上心には慄く。
絵を描いたり、本を読んで過ごし、今日は進化がなかったとおもったら、川魚の一夜干しを献上された。前回川を覗き込んで美味しそうと呟いたのを聞かれていたのだろう。無論、一匹二匹ではない。
「おかえりをお待ちしています」
「お待ちしています!」
ほぼ喋らないが、出迎えと帰る時だけはトーヤは挨拶をいう。なんというか、ニコルとは違った切実さをひしひしと感じざるを得ない。ニコルがじゃれる子犬ならば、トーヤは命じられればひたすら「待て」ができる訓練された成犬だ。
「兄さん。またくるね」
リリーと二人乗りをするアリエッタが少し寂しそうな顔をすると、ゾディラットは静かに頷いた。
決して、兄としてはクズではないのだ。アリエッタだけが酷い目に遭ったのはゾディラットが身代わりにしたわけではなさそうだし、妹を心配しているのは本心だろう。
アリエッタは直接僕には言わないが、ココアには兄が心配だと呟いていた。自分だけが平穏な生活をして、兄が虐げられているのではないかと案じるのは、僕への不審よりも経験からだろうとココアは言葉を選んで教えてくれた。
屋敷へ戻ると、アリエッタはココアに兄さんは元気だったと嬉しそうに報告しているのが目端に映る。純粋に心配して、無事であると安心できたのならば連れて行ったかいがあった。
夕食を終えて、いつものように二階に上がり、リリーとカシス隊長が続く。
二階の一室は簡単な運動器具が置かれている。僕が屋外で稽古を大っぴらにできないので、室内で筋力意地をするためと警護たちが使うためだ。その部屋へ入り、訓練用の椅子に腰かける。
「ゾディラットは頻りにアリエッタに故郷へ帰ろうと言っていましたが、アリエッタはそれに強い忌避感を見せていました。その上……」
リリーが不快気に眉根を寄せる。
「上着を脱いだ際に肩下の古傷を見て、ゾディラットはユマ様が害したと怒りを露にして向かおうとしたので止めさせていただきました。アリエッタは泣きながら否定して、今は嫌な事をされていないと仕切りに説得して何とか場を収めることになりました」
「………アリエッタの虐待をゾディラットは知らないんですか」
アリエッタは兄の心配はしても、ここを出たいとは言わない。そもそも。虐待と呼んではいけない扱いを受けて来た。それを知らないで故郷に戻ろうと思っているならば、危険だ。
あの年の子供が時間契約者に自分からなろうと考えるはずもない。得た金は自分で使い道を決めたわけではないだろう。一番考えられるのは実の親か親類に売られたことだ。故郷に帰りたがらないことを考えればなおさらだし、帰すつもりにもなれない。
「誘拐は他人よりも親族間で多く発生します。夏の間はメリバル夫人に頼んで本館で預かってもらえるように手配しましょう」
カシスが静かに言う。
「やはり、国に連れて帰るとしても冬になりますか?」
安全管理をしているカシスが頷く。
「あの歳の子供に何ができるとは思えませんが、ニコルのような特殊技能を隠していないとは言い切れません。何よりも確認して許可を得ないことには国外の者を入国させることはできません」
母に許可を得て、孤児院に入る事をアリエッタにも説明しなければならない。母が許可しても議会院が止めてくるかもしれないし、アリエッタが嫌がるならば他の方法を考えてあげる必要がある。
「犬猫でも拾えば世話が大変なのです。人となればなおの事でしょうが、買ってしまったからには仕方がないことです」
「はい……」
次からは後の事も考えて買います……。
兄が心配なアリエッタ。
ゾディラットも妹が心配しています。




