124 ジェゼロ城
水泳場には夏だけあって遊びに来ているガキや家族連れがいた。
ユマとエルトナを置いて服を取りに行くのもできれば避けたいと思っていたので、ちょうどいた非番の城警護に頼んだ。
頼む時にちょっと嫌そうな顔をされたが、ユマが声を掛けたら一緒に連れていた息子がユマ様とお話しできるなんてすごいと尊敬しだしたので、最終的には快く行ってくれた。
馬を貸したのでそれほどかからないだろう。
そんなやり取りをしている間に、エルトナは濡れた服のまま泳ぎに行ってしまった。
真面目な印象が強かったが、中々どうしてソラみたいなところがある。まあ、ソラは泳げないんだが。
水泳場は人工的に平らに均した場所で、四方を網で囲っている。ジェゼロ湖は結構直ぐに深くなる。それに川が流れ込んでいる場所などは遠くに流されることもあるため子供を泳がせるのは危ない。
ある程度大きくなったらどこ構わずに泳ぐようになるが、たまに事故も起きる。子供のころから授業で水泳は必須だし、泳げるようになったら着衣水泳を完璧にできるまでさせられる。厚着のまま落ちた時にどうやって服を脱ぐとか、格好によっては浮き代わりにする方法とか。
冬の川で泳ぐ授業もある。焚火を焚いて、大人の数を揃えて、少人数で泳がされるが、全然体が動かなくなって一定数が溺れる。ユマが川に落ちたとき、普通の川なら多分低体温で危険だったろう。湧き出ている温泉が川に流入する場所だったため、事なきを得た。どれだけ訓練しても冬の川ではまともに泳げないものだ。
「はぁ」
横でユマがため息をついている。何度目かのため息だ。ただ、落ち込んでるのか、悩んでるのかわからん。
「まあ、あれだな。あいつ、人体の急所と混沌させる思い切りの良さがあったな」
エルトナに対する攻撃は平手だったが、エルトナは普通に拳で女の顎を殴っていた。俺が肩を抜いたのは、自力で歩けるが喧嘩する気力はなくすため。それに女の顔を殴るのは流石に色々と面倒だからと考えた。一応医師見習いなので本当にやばいとでも思わない限り女の腹は攻撃しない。実は妊娠していたと後で聞いたら素で落ち込む自信がある。
因みにもしものことがあっても、ユマの証言さえあれば、俺が罪に問われることはない。王の子であるユマが危険だと判断した場合、それを阻止するためならば殺人を犯しても不問にさせると爺とベンジャミン先生から言われていた。
「あんな風に吹かれただけでも折れそうな手で人なんて殴ったら、エルトナの方が骨折するかもしれない」
確かに、細いが、会ったころに比べて多少肉づきがよくなってきている。どんな強風を想定しているのか……。
「まあ、今度鍛錬に参加してもらってもいいかもな。アリエッタみたいな簡単な護身術でも」
いいながら、戦うことに最も必要なものは既に持っていると確信する。あの動きからして、既に護身術は習っているのかもしれない。普通の女子は、正しい拳の握り方も、人を殴るときの手首の固定の仕方も知らない。だが、エルトナは正しく親指が痛まないように握りこまず、且つ基節骨よりも前に飛び出ないようにしていた。手首も曲げることなく力が逃げず関節を傷めないまっすぐだった。
爺に幼少期より鍛えられている俺の眼には、中々の逸材に映った。
格闘は、身体能力も必要だが、喧嘩や殺し合いは何よりも思い切りが必要だ。
「……そんなことが必要ないように、僕がもっとしっかりしておくべきだったんだけど……」
ユマは、手も足も出なかった。ただ、恐怖していただけだ。あれが男に絡まれているならば、問答無用で何人か意識を刈り取っていただろう。
エルトナがただやられているだけで、目の前で殴られでもしたら、以前の誘拐事件のように覚悟を決めて女性恐怖症を克服できたかもしれない。だが、エルトナは自分で殴り返していた。
ユマの視線の先には、服のままひとり楽しそうに泳いだり潜ったりしているエルトナがいる。
結構長く潜った時は、もう一歩でユマが飛び込みそうになったが。飛び込む前に息継ぎで浮上して、こちらを見て嬉しそうに手を振っていた。最初は少し下手な危なっかしい泳ぎだったが、今は安定している。
予想より遅くに城警護が戻ってくると、一緒にリリーがいた。ユマがこちらにいる間三人は全員休暇扱いだ。留学中、交代で多少休んでいるとは言え、気を抜ける時間はなかったのだ、むしろ少ないくらいだろう。
「ユマ様、陛下がついでに連れてくるようにと」
ユマの近くに来ると、リリーが周りに聞こえない声で耳打ちする。
「流石に、あの恰好で連れて行くのは……」
「私の部屋で着替えをしていただきます。夕食に招待する形ですから、時間はあります」
トーヤ達三人は公式未満の謁見だ。晩餐の招待は私的な公式の場とも言えるだろう。
「……わかりました」
諦めたようにユマがエルトナを呼びに行った。
「偉く急な話になってますね」
「今回の襲撃の話を聞きたいのもあるでしょう。既に今回の襲撃犯は全員牢に入れています」
「……早いっすね」
「準街警備が連行してきました」
ちょっと困り顔でリリーが言う。あいつらはユマが成人した状態で国を出ると知ったらどうなるのかちょっと不安になった。
「私刑をしないだけよく教育されていると思います」
もし、あの女たちがまた死んだら、ユマの硝子製の心がヒビだけでなく砕け散りかねない。そういうのをよく理解した上で捕まえてくれたのだろう。
「今回の事で、ユマ様がヒスラへ早めに戻るかもしれないと、エラ様がその前に彼女と会っておきたいのでしょう」
去年は気を失ったのが要因で早期に留学先へ戻ることになった。
「そっか。で、あのずぶ濡れ、どう運ぶんで?」
上がってきたエルトナは当たり前だが濡れ鼠だ。
夏なので比較的薄着で、普段はまったく存在が知れなかった胸の存在が多少だがわかる。ユマの視線がいつもより明らかに高い位置に向いているがエルトナがこっちを向いたりしている時にちょいちょい視線が下がっている。
ユマは女恐怖症であるが、性癖は比較的普通だ。男の子だもの、つい目が行くのを指摘すまい。
「私が乗せていきます。多少濡れても着替えがありますから」
今は業務中の態度でリリーが言う。俺が相乗りだとユマがいい顔をしないので一番妥当か。
俺はユマを城まで連れて行って、エルトナはリリーの宿舎で身なりを整えてから城へ送ってもらう事になった。
エラ様からしたら、息子が連れてきた気になる女の子を交えた食事会、くらいの軽い気持ちだろうが、女神教会の司教を養父に持つエルトナからしたら、ジェゼロ王からの招きだ。あまり変な恰好でも可哀そうだろう。仕方ないので、ユマを送ってから、双葉の店で着せられていた服を借りに行くことにした。
楽しく泳いでいた間に、何故かユマの親兄弟たちと夕食を取ることになった。
留学から帰国の際に息子が友達を連れてきていたら、まあ、家に呼ぶくらいはあってもそれほど不思議はないのかもしれない。それが、普通の家ならば、例えばナゲルの家庭に招待されるくらいならばまだいい。
だが相手はユマ・ジェゼロだ。
彼の記憶がまだあるならばいいが、忘れてしまっているのだ。もしかしたら、実は忘れているのは別の人物で、都合よくユマを忘れているとしようとしている可能性もあるが、陰謀論のようなもので可能性はかなり低いだろう。
知らないのに、今日一緒にいる間、王の子だとわかりながらそれほど気負うことなく一緒にいられた。
途中ハプニングはあったがユマの責任と言うよりも、同情してしまった。忘れているのに、当たり前にそう感じるのを想うと、やはり、忘れているのは彼なのだろう。
「災難でしたね」
リリーに同情された。
湯桶を用意してくれたので簡単に髪を流して体を拭いた。ジェゼロ湖の水は綺麗なので、別に必要はなかったが、ここに来るまでに馬の毛が結構ついてしまっていた。
ユマの警護であるリリーの宿舎で、今はアリエッタと相室をしているそうだ。
二段ベッドと個々にクローゼットと机があるだけの簡単な部屋だ。
リリーの事は覚えている。きりっとした女性で、メイド服を着ていることもあるが、所作が鋭すぎてただものではないと思える時があった。どことなくハリサに似ている。
「ユマさんにはいつもああいった取り巻きがいるんですか?」
「……取り巻きと言うよりは害虫でしょう。エルトナ様にはあれがジェゼロの意だとは思っていただきたくありません」
「そうですね。あと、私は別に高貴な身分でもないので、ただのエルトナと。歳も下ですから、言葉遣いも丁寧にしていただく必要はありませんよ」
ユマのストーカーまがいのファンはともかく、身近なリリーに謙った態度を取られるのはなんだか怖い。ほとんど会話をしたことがないが、こういう人なのだろか。
「……正直、どういう態度が正しいのか……。ユマ様の御友人と言うには偉く優遇していますし、聞けば帝都の司教の御息女ですから」
帝都の教会で住んでいた時は、司教になっても他の司教派閥から疎まれてあまりいい事はなかったし、ジョセフコット研究所では、そもそもほとんど知られていないので養父関連で敬いの態度を取られるという事が不思議になってしまう。まあ、肩書的にはかなり地位ある立場ではある。
「そうですね。では、ナゲルくらいでしょうか」
ナゲルの祖父もかなりの役職だし、ユマの友達だ。
「そうね……。では髪を乾かしながらいくつか質問をしても構わない?」
タオル用の布を貰って頭を乾かしながら頷く。
「今回、ユマ様の友人であり、女神教会とも関係深い客人であるあなたに、ジェゼロ国民が明確な危害を加えてきました。あの女性たちは既に拘束しています。死罪まではできませんが、国外退去や結果的に国にいられないような処置も可能です。基本的には被害者から希望を聞くこととなっています。無論、その通りになるという保証はありませんが」
結局敬語のような形だが、業務的内容では仕方ないだろう。気さくに話す内容ではない。
「子供の喧嘩程度の内容ですし、私も二人湖に落として一人一発殴ってやりました。私が罰せられるなら仕掛けた相手に倍の罰を求めますが、そうでないなら罰金くらいで構いません」
答えるとふっとリリーが笑う。
「そう言ってもらえると、こちらとしてもありがたいわ。あなたがジェゼロに滞在する間は牢に留置しておくので、会う機会はないでしょうが……ユマ様はご本人がお考え以上に人を引き寄せますから」
あれだけの美人ならば理解できる。
少しして、ナゲルが服を届けてくれた。
先ほどの服屋で着せられたものだ。ただし、下はスカートではなくズボンだ。まあ、王様に会う事を思えば、私の持ってきた服は全て不適格だ。これも可愛い服と言うだけで品位が高い訳ではない。それでも、マシとは言える。
「ナゲル。これをハザキ様に。それとそちらへの到着時間はいつにしたらいい?」
「あー、早かったらソラが構うだろうから何時でも。馬で来るか?」
「いいえ、この距離なら歩いていくわ」
短い会話を戸口でしているのを聞きながら、奥で服を着替えた。後ろのリボンは一人では到底綺麗には整えられない。人に着せてもらう事を前提にしたお金持ちの服だ。
その後、リリーから化粧道具を借りた。ユマのように特殊メイクができる訳ではない。眉を整えて紅を引くくらいだ。
髪もほぼ乾いて、身なりも整えた。因みに靴もナゲルが持ってきてくれた。あの店はユマ御用達らしいが、準備の良さが怖い。
準備万端になってしまったので、リリーと共に出発した。
アリエッタはまだお仕事中らしいので会うことはなかった。
ユマのメイドとして本気で働く気らしい。アリエッタはわかる。可愛らしい女の子だ。ユマの横にちょこんと並べても似合うだろう。アリエッタが、主をすごく褒めていたのは覚えている。
そんなことを考えながら、木漏れ日の中、ちょっとした登山をさせられている。スカートではなくズボンが用意されたのは、この山登りで汚れるからという配慮だろうか。
城は崖の上に建っていたのだからそこまで登らなければならない。ロッククライミングしなければならない湖側でなく、その裏はつづら折りの坂が続く。馬車が通れるような幅はあるが、人用の道はそれを串刺しにするような階段がある。いまはその階段を登っている。
鍛えているリリーと違い、私はデスクワーク担当で体力はない。泳いだ後だから体力はもはやわずかだ。
もう無理ですと言いかけた時、足元をするりと猫が通った。
馬の近くをひらひらと歩いていた黒猫だ。
それを目で追ったら、馬小屋と、その奥に城壁と門が見えた。
倒れる前に、無事にジェゼロ城に到着したが、夏に地獄階段を登ったのだ、汗だくになってしまった。
城の門で待合のような場所に通された。少しして、ユマが迎えに来た。
「お待たせしました」
「………いえ」
ユマも着替えたのかスカートを穿いていないし、ズボンだ。ラフというまでの恰好ではないが、どう見たって女性には見えない。少年終わりかけの青年だ。
女顔寄りではあるが、普通に男性と判断できる顔だ。化粧の上手さもあるだろう。いや、この間は中性的な顔を見たので、それが素かと思っていた。
一つ目の記録は、男なのにすっぴんでも美少女に見えていたが、ユマは、普通にカンストイケメンだ。目の毒だ。
「急な招待に応じてくださって、ありがとうございます」
汗は多少引いたが、大丈夫だろうか。汗臭くなってないか……。
ユマに案内されて、城壁の中へ入る。デジャブ感が酷いが、特に倒れたり気持ち悪くはならない。つまり、ロミアが施した治療は成功している。
治療前に、ここへ来ていたら、二つ目の記録に自我を持っていかれたかもしれない。この城の記録は、事前に持っている。ここまで続く階段も知ってはいたが、あんなに大変だとは思っていなかった。体育会系にはそれほどきつい工程ではなかったのだろうが、インドアの人間には苦行だった。宗教家とはいえ、徒歩と馬だけで旅をして布教するような男だ、基礎体力の桁が二桁くらい私とは違うんだろう。
階段を登るときの景色を見ても、城門を通り、城へ続く道を歩いても、噂の通り、小さいが綺麗なところだとしか思わない。テレビで見た、世界の景色のような、行ったことはないが知っていて、初めて来たのに見覚えがある不思議な感覚があるだけだ。テレビという感覚に関しては一つ目のものだが、そんな感じだ。
ピアノと笛の音が離れのような建物から漏れ聞こえてきていた。旧人類の音楽でぎょっとしたが、ロミアがいるのだから、楽譜くらいは残っているだろう。
「随分と腕のいい楽師を雇っているのですね」
笛は子供のように拙いが、ピアノの音色はプロとまではいかないが、かなり上手い。現代ならばプロでも通る。
「ああ……はは、多分ピアノは末っ子のララが弾いてると。うちは、何かしら趣味を持ちやすい家系らしくて、ララは音楽がとても好きなんです」
「……末っ子と言うことは、ソラ様よりも年下で、ここまでですか。将来が末恐ろしいですね」
妙に既視感のある音楽を心地いいと思いながら城に案内された。誰かから一室を借りていた屋敷、実際にはユマが住むヒスラの屋敷の玄関ホールよりもかなり慎ましいサイズのホールがある。二階に続く階段はあるが、とてもパーティーは開けないだろう。
そこにソラが仁王立ちで待っていた。
ソラ・ジェゼロ。誰かにオーパーツ大学で紹介された。更にソラから色々な人を紹介され、色々な事業について聞かれて。あの時ほど、有益な助言ができなくなっているだろうから、がっかりされるかもしれない。
そんなことを考えてていると、むすっとした顔で口を開いた。
「ユマ君ばっかりずるい! あたしだってエルトナたんと遊びたかったのに!」
「ずるいって……僕が連れてきた友人だろう?」
「だって、あたしは今しか遊べないのに! ユマ君の友達と友達になっちゃダメなんて法律は施行されてませんー」
言うと、するりと後ろに回って背中を押された。
「まだ準備まで時間がかかるから、それまではあたしと遊ぶの」
困ってユマの方を見るとため息をついていた。
「わかったから、案内するのは客室だよ」




