123 マナーの悪い追っかけ
ピンクラル・D・ランテはユマに負けない整った顔をしていた。それと比べれば化粧で底上げをしたところで追いつきはしない。一応子孫ではあるのだが、代を重ねれば普通になる。むしろ、中の下なので普通以下になっている。顔がいいことは得だけではない。一種のハンデを背負う部分があるので全く不便を感じたことがなかったが、今日は不快だった。
馬に揺られているとどこからか黒猫が馬の周りをうろうろしだす。ユマは特に気にした様子もなく馬を進めていた。
「あ」
猫に気を取られていて下を見ていたが、ふと前を向くと、絵葉書のような景色が広がった。
風を受けて波打つ湖面、湖の真ん中あたりにはいくつかの木と建物らしきものが見える小島。右手には湖に隣接した崖の上に、お城だろうか可愛らしい建物がそびえている。
デジャブのような感覚とは別に、純粋にその景色に感動している自分がいる。
「すごい……」
キラキラと反射する水面で、魚が跳ねた。浮かぶことは一つだ。
「ユマさん! 泳ぎたいです!」
「えっ、泳ぐんですか?」
「はい!」
これは、きっと一つ目の記録で水泳が楽しいというものがあるからだろう。テレビで楽しそうに泳いでいる人を見た後のような感じだ。私もやってみたい。
「んー、今日は水泳着もないですから、また後日泳ぎに来ましょうか?」
「絶対ですよ」
これまで暮らした場所にも川はあったが、泳げるような場所でなかったので、今生で泳ぐ機会がなかったのだ。
「そう言えば、海に行きたいと言ってましたよね」
「?……まあ……湖でも似たようなものでしょう」
そんなことも話していたのか……。そもそも海に対して興味がないので、本当に話したのかわからない。
記憶の欠如くらいは覚悟して投薬治療を希望した。むしろ、今の程度なら僥倖と言える。
ユマの事や他にいくつかの記憶がなくなっているが、関係していることがわかることもある。
湖に沿って街道が続いている。馬に乗って、高い視界で余計に綺麗に見える。風が心地よい塩梅で吹き抜けている。何とも言えない安堵感と懐かしさがあった。綺麗な国だとジェゼロ神国にきて初めて実感した。確かに、神の国と崇めたいのもわかる。妖精が飛び交いそうな景色だ。
木漏れ日の中で、難しい事を考えず、規則的な揺れに体を委ねる。
楽しいとか嬉しいという感情とはまた違う、癒されるというのがこんな感じだろうか。
「はいはい、ちょっと休憩。色んな意味でちょっと休憩な」
斜め後ろを馬に乗って付いてきていたナゲルに声をかけられて現実に戻された。
小さな小川の上を通る素朴な木の橋を過ぎてから、ユマが馬を止めた。ジェゼロの国民もやはりこういう所でまったりしたいのか、木製のベンチが湖へ向けて置いてある。
ナゲルに手を借りて先に卸された。
ナゲルが小さい声でちょっとトイレと伝えられた。なるほど、それで休憩か。どれだけ美人でもトイレくらい行く。ユマが少し離れた位置で馬を止めたので、見るのも失礼かとベンチに腰かけた。
本を全て届けてもらうのではなく、一冊くらい持っておけばよかった。こういう場所で読書したら幸せだろう。
近くの川のせせらぎが、心地よい。
ぼうっと島の方を見ていた。最初に見た時よりも小島に近い場所らしく建物の構造も何となくわかる。オーパーツの画面を見る仕事を始めてからどうも視力が少し落ちていると今更ながら自覚した。以前ならもう少しはっきり見えていただろう。
教会のような建物と他にもいくつか建物が見える。丘のようになっていて、周辺をぐるりと囲うように遊歩道が設置されているようだ。あそこは選ばれた者しか行けない場所だが、ちょっと行ってみたい。好奇心で渡ろうとしたら、最悪死刑だからいけない。……これは二つ目の記録からの知識だろう。
「あなた、ちょっとどういうつもり」
ふっと影が差したと思ったら、五・六人の女子に囲まれた。馬でここに来るまでの間、散歩している人とすれ違うこともあったので、足音には気づいていたが、話しかけられるとは思わなかった。
「なんでしょうか」
このベンチは会員制だろうか。まさかそんな訳はあるまい。
「ユマ様と、馬の相乗りなんて!」
「そうよ。不敬にも程があるわ」
「私のユマ様に近づくなんて」
これは、あれだ。怖いやつだ。
「すみません、こちらの時勢には疎いもので。ユマさ……まの周囲ではどのような規約があるんですか」
「は? よそ者はユマ様の近くにいるなって言ってるの」
「そうよ。大体あなた本当に女?」
「男でもユマ様に近づくのは許せない」
「ナゲルだけでも邪魔なのに」
つまりあれか、ストーカー、もしくは追っ掛けか……。この世界には旅一座や舞台役者がいる。そういうのがアイドルとして扱われている。後、帝国だとシュレットの父であるセイワ・イーリスはアイドルだ。何せたくさんの奥さんと愛人を持っている。それなのにそんなに酷い噂がない。一般女性にも人気がある。
旧人類でも、アイドルへの迷惑行為はあった。最悪は殺人にも発展している。
ジェゼロの王様の子で、あの顔で、あの性格。まあ、アイドルだ。会いに行けるアイドルだ。そこに急に馴れ馴れしいよそ者が来たら、癪に障るものも多いだろう。
「もうじきユマ様がお戻りになられます。直接意見をされてはいかがですか?」
王子だというユマを私はよく知らないが、私に対して確かに気遣ってくれている。ただ、私から願い出た事ではない。
ナゲルの救援があって、何とか落ち着いた。
疲れたのか、凭れ掛かってきたエルトナは力を抜いて、身を委ねていた。
それまでは少し身を離していたが、密着して、程よく風も吹いたからエルトナの香りがした。
発汗や、手の震えはなかったが、恐怖に対するそれとは別に、心拍数が早くなり喉が鳴りそうになっていた。見かねてナゲルが助けてくれた。便所と言っといたと言うのはちょっと殴りたくなったが、殴るより早めに戻った方がいいだろう。変な勘違いをされたくない。
「エルトナ」
戻ってきたら、エルトナがいない。それほど長く離れていたわけではない。
「ユマ、あっちだ」
ナゲルの声の一瞬前に、声が聞こえた。湖の方だ。
駆けていくと、直ぐにエルトナが見えた。それに、ほかに何人も女の子がいる。
血の気が引いて、足が止まった。
ただ単に、話しかけられただけだと頭が一瞬で言い訳を作った。そんな馬鹿なことをしているとき、三人がかりでエルトナの腕を抑えて、湖へ突き落した。
笑い声がして、恐怖に身が竦む。それとは別に、半身が凍り付くような感覚があった。
「あっ、ユマ様」
一人が振り返って、こちらを見た。それに対して、ぞっとする。彼女たちも全く想像していない訳じゃないだろう。同じ学校の女の子二人とその家族が急にいなくなったのだ。
なのに、なんでそんな目を向けてくる。
「ユマ、エルトナが上がってこない!」
ナゲルが叫んで駆けだした。それを女の子の二人が手を広げて止める。
「ユマ様に失礼な態度なんだから、制裁されて当たり前でしょ!」
意味が分からない。何を言っている……。
エルトナを助けに行かなきゃと思ったのに直ぐに足が動かない。そんな自分の情けなさに絶望した。
ナゲルが女子たちを押しのける前に、湖からエルトナが這い上がってきた。よかった。溺れてなかった。そう思った時、一番手近な相手を掴んで、エルトナが湖に引き摺りこんだ。
「お前らに、制裁される、筋合いは、ないっ!」
反動で完全に陸に上がったエルトナは髪までびしょ濡れだ。その顔は恐怖がない。あるのは怒りだ。
「なっ、なによ。あんた」
一人がエルトナに手を上げた。それが振り下ろされるのを待たず、エルトナが容赦なく顎を拳で打ち抜いた。ナゲルもそれに呆然としている。
「数を集めるのは戦闘の常套句。それを悪とは言いません。ただ、胸糞が悪い。私とユマの関係をお前達にぎゃあぎゃあ言われる義理はない」
さらに別の一人を掴んで思い切り湖に投げ飛ばした。
そんなエルトナを見て、胸がぎゅっとなる。
「エルトナ、こっちにこい。お前ら、正式に許可を受けて来訪している相手への不敬。議会院からの招集があると思え」
ナゲルが普段とは違う口調できつく言う。こういう時はハザキ外務統括の孫に見える。
「ゆっ、ユマ様。そんな、罰なんてありませんよね」
「私たち、ユマ様の事を想って」
女子らしい高い声で、媚びるように言う言葉。その近くには、ずぶ濡れで、嫌悪の表情で女子たちを見るエルトナがいた。
僕が、巻き込んだんだ。
店で待ち伏せされていた時、こういうことは迷惑だから止めるように言えばいいだけだったのに。双葉の二人に助けてもらわなければきっと気を失っていた。
ただ言葉で伝えるだけだというのに。
「……っぁ」
今回の処罰は追って沙汰があると、この場から去れと言いたくて、舌がカッコの悪い音を漏らしただけだ。
「ほら! ユマ様は否定しないじゃない」
「ちょっと偉い祖父がいるからって」
後ろから落とされた二人がぐしゃぐしゃな状態で上がってくる。ジェゼロ出身ならば着衣水泳も教えられているから溺れはしない。
「あんた。ユマ様の前で、恥かかせて!」
上がってきた一人が、エルトナに殴り掛かる。それをナゲルが制して地面に引き倒した。
「エルトナ、ユマのとこいってろ」
短く命じた後、ごきっと音がした。悲鳴が上がり、ナゲルが相手の肩関節を抜いたのだとその角度の異様さからわかった。
「その偉い爺から、必要があれば、ユマを害する相手は殺していいって許可されてんだよ。訓練受けてる俺が、人数多いくらいで女に負けると思ってるのか?」
ナゲルだって、進んで女性を殴ったりしない。それなのに威嚇して、悪役を買って出ているのは僕のためだ。
「ユマ、大丈夫です。あなたの所為じゃありませんから」
誰かが手を握って、息を飲む。さっき待ち伏せされた時のように、エルトナは心配そうな顔でこっちを見ていた。
僕だって、訓練は受けている。ナゲルと同じく、訓練されていない女の子くらい数人いても問題なく無力化できる。
なのに……。
ただただ、情けない。
いまだに、怖くて何も言い返せない。今は女装もしているのに。
ナゲルが女子を追い払って、まだ震えている僕を木の長椅子に腰かけさせた。
手早くエルトナに怪我がないかを確認しているのを見ながら、泣きたい気分だ。
「ユマさん」
振り返ったエルトナの顔をまともに見られなくて視線が下がる。
女の恰好でなければ外を出歩けないだけでなく、こんな無様を晒し、実害まで与えてしまった。害した相手を制することも攻めることもできなかった。呆れられている。
「これだけ濡れたら、もうこのまま泳いできてもいいですか!」
どこか興奮した声と、思いもよらない提案に顔を上げた。
「……え」
「感覚が掴めていないので、ちょっと溺れるかもしれませんが、浅瀬から始めますから!」
唐突な要望に、ぽかんとしてしまう。
「あ……だめですか?」
「いえ、もう少し先に……泳ぎやすい場所が、あります……よ?」
しょんぼりと言われて、許可が口から出てしまう。
「なら、行きましょう」
手を差し出されて、つい握ってしまう。握り返した自分の手が、もう震えていなかった。




