11 エルトナの散歩
十一
旧人類美術科の授業は思っていたよりも余程面白い。
エルトナの仕事の手伝いで事前に目にした資料や作品もあるが、ヴェヘスト教授とアドレの説明や解釈もとても興味深い。何よりも旧人類の英知と才覚には感嘆する。
学生同士の討論も活発だし、午後の実技では絵画の技法を実際に使ったり素描を描いたりしている。本職の画家や芸術家がいるので、個々で作品に取り掛かっていたり思い思いの時間を過ごしている人もいる。
皆いい大人なので、過干渉でもなく、基本的には個人主義だ。僕を含めて十一人の生徒と他の教室の半分もいないが、全員が授業に出席していたのは初日だけで、何人かは仕事の関係で不定期に休んでいる。今のところ皆勤は僕と無口な画家だけだ。
エルトナは心配してくれていたが、基本仲のいい教室だ。時折、美術談義が過熱して物凄くしょうもないことで喧嘩をしているが、僕は眺めているだけだ。
「おや、ユマさんは今日も管理棟ですか」
一番年上の学友が画架を片付けていると声をかけてくる。ソン師は経済学の権威らしい。美術経済に興味があり、わざわざ入学したそうだ。お昼になるとふらりと寄ってきて色々と教えてくれる。同じ話題がたまに繰り返されるが、興味深く拝聴し、他の生徒からも昼の座学と呼ばれている。
「たまには、老いぼれとお茶でもいかがですかな」
「折角お誘いいただいたのに残念です。家の者から勝手に出歩くなと厳命されていて」
カシスから、五人も時間契約者を買ってきた事で仕事が増えた事、その上で僕の脱走阻止まで考えるとなれば手が回らないとはっきり言われた。次に勝手をするならば、強制帰国を検討すると勧告されている。
流石に、僕も迷惑をかけた自覚があるので我慢していた。定期的に森の教会へ行くことができるようになったので、そこで気晴らしはできている。
「爺が若人を口説くとは身の程をしれいこの恥知らずが」
教壇からヴェヘスト教授が悪態をつく。それにソン師が気色ばんだ声を上げた。
「なんじゃと? 若い意見を取り入れんから貴公は古臭い頭の固い老人になったのだろう」
教室内ではいくつかの仲良しさんがいて、教授であるヴェヘストとソン師はいつも仲良く議論をしている。歳が近く、古い知り合いのようで、思い出話と言う名の過去の失態を掘り返してはじゃれ合っているのだ。
「ユマさん、ああなったら長いので、教室ももう閉めますから」
助手のアドレに促されて、画架や画材を片付ける。
「それと、これが次の依頼になります」
渡された紙を見て、眉を上げる。
「漫画の技法は大変すばらしいですが、一日一話までですよ?」
旧人類終末期に発展した絵の小説についての講義はアドレが行った。特にハポネ地方の漫画は異常な進化を遂げていて、種類や作品が数多あり、麻薬の様に中毒性が高い。芸術とエロスと言う題材では、至極真面目に性的な題材は人類の進化を加速させ、時に機密性を持たせることでさらに価値を上げてきたと語られていた。オーパーツは電子網が発達し、今エルトナの部屋でしている仕事が一般家庭でも使えた時代があったという。仕事としての普及はともかく一般化したのはエロスがあってこそだったとのことだ。そしてアドレが希望している作品は少し如何わしい表現の漫画だ。
女装しているので美少女にそれを印刷して持ってこいと言うのは中々の困難だったろうが、続きが気になったのか耐えきれずに頼むようになっている。
これがエロスの力というものだろう。昔ぬるい春画で小遣い稼ぎをしたことがあるので下手な芸術性よりも価値があるのは知っているが、美術科の教員がこれでいいのだろうか。
「うっ、後生です、せめて……せめて二作品をっ……」
拝まれてため息が出る。
「駄目です。危険物に手を出してから仕事の効率が落ちられていますよね。今日の授業は少しぬるかったと思います。新しい学科で大変でしょうし、素晴らしい作品に心奪われるのもわかりますが、あんまりひどいと最終話を先に渡しますよ」
「そんなっ」
がっくりと肩を落としたアドレから一話だけ選んでもらった。最初は言われるままに作品を渡していた。渡す前に僕も目を通すので、正直に言って仕事にならない。漫画に関してだけはエルトナに頼むようになったので、アドレの趣味はエルトナにも筒抜けになっている。
いつものように中央の管理棟へ向かった。もう慣れたもので警備の人も挨拶一つで通してくれる。
朝にナゲルと馬車で登校して、午前中は座学、昼食は食堂や学友が持ち込んだ食事をみんなで相伴に預かったりして過ごす。無論酒は厳禁とされている。午後は実技として絵を描いたりして教室が閉められるとエルトナの手伝い。その後ナゲルの迎えで屋敷へ戻る。そんな日々が日常になっていた。ある意味でジェゼロにいた時と似たような状況だ。
ジェゼロでもナゲルと一緒にオーパーツ大学に行って別々で活動して一緒に帰って、ベンジャミン先生の手伝いや妹の相手をしていた。非日常の留学も、ひと月しないうちに日常になるものだ。そしてここでも絵を描くことは当たり前なので、結局どこにいても僕は僕にしかなれないのだろう。
「ああ、お待ちしてました」
いつものようにエルトナに迎え入れられて中に入る。
扉は僕には開けられない。ジェゼロの極一部でも使っている生態認証の扉だ。流石は帝国の研究施設だと感心する。
「今日は花のお茶でいいですか?」
エルトナはずっと座り込んで仕事をし続ける機械のようなところがあるので、所長代理の提案で来たらまず茶を入れて欲しいと言われている。
「今日は薄荷系でお願いします」
少し書類の溜まりが多い。僕が帰った後も仕事が続きそうだ。
一か月ほどエルトナを見ていて驚いたのは明らかに子供の仕事量ではないことと、いくらでも仕事ができる驚異の集中力だ。一日見ていたわけではないが、午後が休講になった時にお昼から仕事を手伝ったが、黙々と働いていた。僕が雇われた事で多少休憩が取れるようになったと言っていたので、居ないと更に酷い状況なのだろう。
「ほら、休憩ですよ」
お茶を出す間も席に戻って仕事を再開していたエルトナをせかして長椅子へ誘導する。少し間をおいてエルトナが手を上げて、丁度いい塩梅のお茶の濃さになったころ、のろのろと仕事机を離れた。
お茶を注いで、用意されていた茶菓子の類も並べる。
「はぁー」
ため息をついて、エルトナが肩を回す。書類仕事に追われている時の母と同じだ。母はベンジャミン先生が適度に運動させて食事もとらせているが、エルトナの管理をすべき所長代理はあまりあてにならないこともここ一か月で理解している。
「エルトナ、たまには運動しないといけませんよ?」
「……そうですね。所長代理を探す以外、ここから出る事も稀ですからねぇ」
画面の見過ぎだろう、目頭を揉んでいる。
「休憩がてらに少し散歩でもしますか?」
エルトナが振り返って自分の机を見ると、唸るような仕草を見せた。
「運動した方が仕事の効率が上がると私の先生が言っていましたよ」
ベンジャミン先生は、母の管理方法として、よく眠らせ、適度に食べさせ、運動をさせると言っていた。当たり前の三つを管理したうえで、余暇を与えて精神状態をよくするそうだ。たまに母は飼育されているのではないかと思うが、世話をするベンジャミン先生はそれを自分の余暇としてみなしているので成り立っている。そして、実際先生によって母はすくすくと育てられている。
何となく、先生と同じことをしている自分に苦笑いが漏れた。
「前庭を一周だけしましょうか。お茶の残りは後でいただきましょう」
エルトナが立ち上がる。基本的にエルトナが居ない時は部屋に残れないので一緒に部屋を出て階段を下りる。最初に会った時よりもエルトナが小さくなっている気がする。
警備に少し離れると伝えて表へ出た。
医学棟ともう一つの長い建物の間に長い庭園がある。途中休憩できる東屋が建ち、そこに薔薇の蔦が絡まっていた。植えられた草花には薬草もちらほら混ざっている。メリバル邸の庭ほど豪勢ではないが綺麗に整えられている。
建物に目を移して不思議だと首を傾げる。庭の左右の建物は左右対称だが、美術科とその横の建物は全く別だ。
「この研究校を設計した人は左右対称をあえて外したのでしょうか」
後ろ歩きで見ているとエルトナが真実を教えてくれる。
「元は左右対称予定だったらしいですが、施工時に問題が起きたそうですよ。最近研究施設の増設案が出ていて、施工監督について所長代理が何かぼやいていました」
「所長代理は外の仕事はされるんですね」
書類仕事はほぼエルトナに押し付けている。
「……そうですね。仕事……してるんでしょうか」
どこか遠い目で言われてなんとも答えられない。
「ここを建てる時も色々とあったようです。技術的にもかなり無理を言ったのでしょう」
「確かに、技術としてかなり精巧です」
二階建てまでならば設計を引けるが、三階以上は難しい。高いものだと五階まであるので、かなり計算が必要になる。それ以外も最新のオーパーツが入っていたりと、かなり気を遣うことが多い。その通りに建てる職人も大変だったろう。
「ヒスラの教会……あちらはオーパーツの助力なく設計していますよね。設計図など残ってないでしょうか」
「ヒスラの女神教会ですか?」
エルトナが眉を顰めるが真剣な顔で頷いて返す。
「あれだけ石を多用しながら崩壊せず、残っているのです。設計後百年はかかったでしょう。それに、旧人類には重機などのオーパーツがありましたが、今作るとなればとても大変な作業のはずです。なのにあの芸術性。とても素晴らしいと言わざるを得ませんから」
どこがどう凄いのか細部まで語り出すとエルトナが軽く手を上げて制止した。
「あの建物は女神教会の比較的初期に着工された教会です。女神教会の教祖と呼ばれた人物が女神様から授かった知恵として設計図を示し、それこそ百年以上かけて建設されたそうです。どうしてこの土地だったのかは知りませんが、大きな計画ですから建築に係わる職人の家族が近くに家を建て始めたのがこの街の始まりです。昔は女神教会へ弾圧があり、それに対抗するために塀が作られ今の形になったそうですよ。設計図はいわば聖遺物扱いですから、残っていたとしても見ることはできませんし、残っているかはこちらの司教でなければわかりません」
「……そうですか。中の女神像も素敵でしたが、絵画は全部見られていませんし……ぼ、私一人では見学に行けならば、いっそ美術科の課外授業で行かせてもらった方がいいでしょうか」
司教とやらになにやらいやらしい目で見られていたから立ち入り厳禁を言い渡されている。
男としてもかなり希少だが、女の恰好をしている僕は女性であると認識されるとかなり価値が高い。それこそ買い物に出かけたはずが誘拐されても不思議がないしその危険を負っても価値がある。わかっているので本気で忠告された事を意味なく破るつもりはないが、途中の部屋に入って女神像を見つけ、その後教会から出たので絵は全部鑑賞できていない。残念である。
「ユマさんは本当に芸術がお好きなんですね」
「芸術というか、美しいものや心惹かれるものに魅了されるだけです。現に、女神像は気に入りましたが、入り口付近に掲げられていた絵は、禍々し過ぎて苦手でした」
隅っこの陰になった場所に隠すように掲げられていたのは旧人類終焉の日だ。赤と黒だけで描いたような荒廃した世界が描かれていた。よく見れば、端に女が描かれていた。
「あの隅っこに居たのは女神様ですか?」
「終焉に描かれているのは正確にはジェゼロの初代神子の母親だと歴史学では考えられています。その後、地下に避難した旧人類の絵、そして再び地上で生活をするために日の許へ向かう絵と続いています。三枚目のその絵に描かれているのが初代神子であるとのことです」
ジェゼロではジェゼロの歴史をあまり習わない。どんな王様がいたとか、どんなことがあったという事は習うし、普通に引きこもった王様の代わりに議会院ができたとかは隠されていない。王を廃すれば神の恩恵を得られないので尊重するが、ジェゼロ王は絶対的権力者ではないと授業を受ければよくわかる。だが、初代からの成り立ちはぼかされていることが多い。
「……最初の絵は、やはり神の怒りの結果ですか?」
あえてそう聞いてみる。ジェゼロにおける神と他国から見た神は随分と違う事は少しだが理解してきている。
問いにエルトナは首を振った。
「ある意味ではそうですが、あのタイミングで太陽フレアが発生したのは神の意思のようでもありましたから。ただ、人類存続の危機にまで陥ったのは、核兵器の使用とそれで発生した強力な電磁波が精密機械を破壊したことによるものです。結果、オーパーツは近年まで封印され禁忌と言われていましたから」
エルトナがため息をつく。歴史書で知っているだけなのだろうが、まるで見てきたような雰囲気すらあった。
「現在も死地と言われる場所は多く存在しますからね。結果住める地域も限られています」
「確かに、限られていますね」
丁度庭が終わって引き返す。
「女神教会がジェゼロを信仰しているのは伺いましたが、よく帝国が許容していますよね。宗教は国を統一するのに必要要素なのに」
エルトナから以前女神教会についての講釈を聞いた。他国からするとジェゼロは神様の国で守るべき不可侵の国だ。ナサナ国は昔ちょっかいをかけかけて自爆したそうだがそれはある意味運がよかったそうだ。帝国ほど大きくなれば、他国を自国よりも尊重する宗教なんて邪魔だろう。
「ジェーム帝国とジェゼロ国の神は兄弟神と呼ばれていたそうで、現在の帝王陛下はもちろん、歴代の帝王もジェゼロに対してだけは侵略計画を行っていませんでしたから。それに、女神教会も場所によっては兄弟神を同一視していることもあります。帝国にある女神教会は女神と共にジェーム帝国の神官様の影響も大きく神官様の世話を任される神聖な巫女も祀られています。ヒスラの女神教会は完全にジェゼロの神子信仰のようですが」
「そんな違いがあるんですね」
僕が産まれる前に帝国からその巫女を嫁にと言う話が出てとても大変だったと聞いたことがある。ジェゼロの神子と国王は同一人物である事が一般的だが、女王と呼ぶ事がないため男王だと誤解されることがしばしばある。鎖国的だったことと母があんな恰好だったのも要因ではないかと考えていた。
「帝国の巫女様は白いお姿で大層お美しいと伺っています」
「美しさではユマさんには勝てませんが、比較的見目がいいものが多いですね。私が暮らしていた教会にも白い姿の方が居ました。地方によっては万病薬として扱われるので昔の帝国が保護に熱心だったそうで、その名残だそうです」
「……同族食いは疫病や遺伝病に繋がるので禁忌なのでは?」
ジェゼロでは近親間での結婚や禁止されているし、人食いはもちろん、家畜の餌に家畜の死骸を使う事も法律で禁じられている。神が禁じたと一般的には説かれているが、重大な病気の素となってしまうそうだ。
「白い姿で産まれると人ではないと見なす地方があったそうです」
「それは……怖い」
末姫のララ・ジェゼロを思い出してぞっとする。ジェゼロではたまに生まれる程度の扱いだが、人ではないとみなされたらと考えると胸が悪くなる。
「ユマさんは本当にジェーム帝国に対して知識が乏しいようですね」
あれだけ仕事はできるのにと呆れられている。それはジェゼロでの教育の偏りに言って欲しい。
「それは否定できません。多分、聞くと警戒されることも意味を知らず疑問に思ってしまいそうなので、できるだけエルトナに聞くようにします」
「……そうですね。ただの無知も間者と間違われる可能性がありますから。あまり無暗に人には聞かない方がいいでしょう」
帝国に間者として捕らえられても解放されるだろうが、末端相手では僕の身分を示せないので気を付けた方がいい。
エルトナの休憩と言うよりも、僕への講義のようになってしまったが、多少体を動かす手伝いにはなったようだ。エルトナが大きく体を伸ばした。
「たまには太陽の下で過ごすのもいいですね」
「働き過ぎなんですよ、エルトナは」
今後は休憩がてらに散歩に連れ出した方がいいかもしれない。ソラはオーパーツ大学に引きこもっていても体を動かして暴走しているのでいいが、机に齧り付いているエルトナは見ているだけで病気になりそうだ。
そんなことを考えていると、後ろから誰かが近づくのを察した。
庭の側道からこちらへ近づいてきたようだが足音は三つ。視線だけを向けると女性のようだ。男よりも女であることに体を強張らせる。
ユマは美人であるという自覚があります。




