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女装王子の留学記 ~美少年過ぎて女性恐怖症になったけど、女装していれば普通に生活できます~  作者: 笹色 ゑ
エルトナの治療(ジェゼロ)

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102 開花


 ナゲルから夕食だと呼ばれた。


 少し前にはシューセイ・ハザキ外務統括が医師として来訪してくれた。眠っているエルトナを確認して念のために病院へ移したらどうかと助言されたがナゲルが却下した。理由は立地が悪いと言うもので、詳しくは言えないとの事だ。


 ナゲルは帝都に残って学んだ中で、エルトナの持病についての対処もあったというのでナゲルの指示に従ってオーパーツ大学内の仮眠室を使っている。


 ナゲルが与えた薬はきつめの睡眠剤と言っていた。脳の作動を半ば強制停止させるらしい。結構物騒だが大丈夫だろうか。普通に考えて脳の機能が止まったら死ぬだろう。


「ユマ君!」

 エルトナのいる仮眠室から出て、オーパーツ大学の食堂へ向かうとソラが駆け寄ってきた。部屋まで来なかったのはナゲルが捕まえてくれていたからか、他の遊びに気を取られていたか。


「ああ、ただいま。相変わらず元気そうだね」

 よしよしと頭を撫でると、ソラがでへへと笑う。


「あっ、そうだ。ユマ君、女の子連れ込んだんでしょ。空気読んでこっちで待ってました!」

 ぐっと指を立てて言ってくれる。場所は食堂で、普通の学生とか教師もいる。普段は僕らをちらっと見るくらいだが、今回はほぼ全員の視線がこっちに集まった。ナゲルがソラの頭に極軽い乗せるような手刀を落とした。ソラの頭は国宝なので、気遣いをした結果だ。


「言い方よ。ユマの友達と部下とかを連れてきただけだ。お前と違ってユマは友達百人作ったからな」

 ナゲルが少し大きめの声で言う。妙な噂が出る前に打ち消しを図っているのだろう。無骨な感じだが、ナゲルは僕らに比べ格段に空気が読める男だ。


「うぐぅ。あたしだって、成人しているお友達はいるもん」

 それは研究仲間と言うのではないだろうか。最も、ソラの同年代でソラの話を理解できるものなどいないから仕方ないか。


 食堂でジェゼロらしい食事を注文して、席に着く。一番端っこの半個室みたいな席がソラの特等席なので、いつもそこは空いている。新入生もそういうことは教えられるらしい。他国からの留学生が王族に見えない子供にちょっかいをかけて問題にならないようにとの配慮から、ソラはここでは特別扱いだ。ソラは実力だけでも特別待遇されるべき存在なので、誰も王族だから贔屓されているとは言わないし、言うものは物の価値が理解できないと周りから蔑まれる。


 なんにしろ、共同研究者としては魅力的な相手ではあるだろう。


「別にソラくらいの女の子も連れてきてるけど、あんまり無理を言わないように。使用人として面倒を見ている子だから、我が儘も聞こうとしてしまうかもしれないから」

 ご飯を食べながら、思い出して注意しておく。アリエッタがソラの無茶振りで目を回しそうだ。歳の近い女の子のお友達ができるならばいいことだが、そう言う相手が今までいなかったので、勝手がわからない可能性がある。


「寝てる子?」

「それとは別だよ。他にもふたり、ソラより少し年上の男の子と、大人の警護も連れてきてる。また紹介してあげるよ」

 ララは城からは基本出ないが、ソラは気ままなので紹介する前に遭遇しかねない。何か問題があったら困る。ソラは王族を笠に着て傍若無人なわけではないが、行動が突飛で技術力が異常なので心配だ。

 ある意味で母の悪いところだけ受け継いでいるから、心配だ。


「ふーん」

 ソラがあまり興味なさそうに生返事を返して小動物のように食事を続けた。


「爺さんには今晩はこっちに泊まるってまるって伝えてる。警備にも伝えてるけどあんまり大学内でも夜はうろつくなってよ。俺は飯食ったらソラを城に送ってからこっちに戻ってくるから」

 ナゲルは頑なにエルトナを大学内に留めると言っていたので、許可を取ってくれたのだろう。


 ベンジャミン先生と母には顔を見せるくらいはしておきたかったが、エルトナを一人にもできない。ナゲルの見立てでは明日の朝までには遅くとも目覚めるらしい。薬の効き具合によるのでもっと早くに目が覚めても不思議がないそうだから、一晩はこっちで様子を見ることにした。


 母も先生も、島での休暇でゆっくり話せる。むしろ、今は休暇準備で忙しくてあまり時間を取れないだろう。


 食事を取って、仮眠室まで三人で行ってから、ナゲルにソラを任せた。

 エルトナを寝かせている仮眠室は、オオガミがよく使う場所を借りた。


 水場がついていて、寝台の他にも長椅子がある。今日は僕がそこで仮眠をとることにしている。ナゲルかリリーに頼む方がいいのかもしれないが、ナゲルと二人きりにさせるのは何となくいやだったし、リリーはアリエッタの方に付けた。目を離した間に目が覚めて大学内をうろつかれても困る。


 仮眠室に入ると、外の夕暮れと違ってかなり暗い。昼間でも寝やすいように遮光できる分厚いカーテンが閉められていた。

 少しして、闇に目が慣れると寝台の上のエルトナが芋虫のように縮こまっているのが見えた。目が覚めただけか、寝相の問題だろうか。


 近づくと、薄い毛布に包まれた体が僅かに震えていた。

 予想よりもかなり速いが、目が覚めていたようだ。


「っ……ぅ」

 小さく漏れるのは嗚咽のようだった。


 ベッドに浅く腰かけて、そっと背中をさする。最初びくっとしたが振り返ることはなかった。

 本当なら、そっと部屋を出て一人にしてあげた方がよかったのかもしれない。何かわからないが発作を起こしたのは確かで、その直後に一人にしておくわけにもいかない。実際、少し食事のために席を外した間に目を覚ましてしまっていた。


 知らない場所でひとり目を覚まして怖かったのか知れない。

 いつもは飄々としているが、エルトナだってまだ大人ではない。


「………さん」

 小さな掠れるような嗚咽の間から漏れる声は、おかあさんと呼んだ気がした。

 エルトナの本当の両親については聞いたことがない。


「大丈夫です。側にいますよ」

 そう言えば声をかけていなかった。ゆっくりと安心させるように背中を撫でると、芋虫が動き出して、頭をのぞかせた。

 赤い癖っ毛に寝癖がついている。


「………ユ…ぁさま?」

 赤い目をして、涙の跡が見える。名前を呼ばれた気がしたが、はっきりとした言葉にならない声だった。


 伸びた手を掴むと潤んだ目がぐしゃりと歪んではっきりとした嗚咽を漏らした。

「エルトナ……」

 空いている手でそっと頭を撫でる。大丈夫かと聞きかけたが、大丈夫ではないだろう。

 顔をぐしゃぐしゃにして、泣いているのが本当にエルトナなのか、妙に現実味がなかった。


「だ……いやだ。ごわい」

 鼻声で、聞きづらい声が弱音を漏らした。


 ナゲルはあの薬で落ち着くと話していたがとてもそうは見えない。あまり薬を使うと脳によくないとも言っていた。すぐにナゲルを呼びに行けば、近くにいたかもしれない。長い事背中をさすっていたので、既にこの棟は出てしまっただろう。失敗した。


「どこか、痛いんですか?」

 頭が痛いとか何か不調があるならば誰かに声をかけて、ナゲルを呼びに行ってもらおうと決めたが、エルトナは首を横に振った。

「……だずげで」

 酷い声だというのに、伸びてきたもう一つの手を捕まえて、望まれるままに抱きかかえていた。


 耳元でえぐえぐと嗚咽を漏らして泣くエルトナを、子供のように抱えてあやすしかできなかった。


 怖い夢を見たとソラが部屋に来た時を思い出してしまう。


 涙と鼻水で肩が湿るのを感じながら、耳元で大丈夫だと声をかける。何が大丈夫なのかと言われれば、何も大丈夫ではないだろう。それでも、怖いというエルトナは人肌を求めている。誰かに一緒にいて欲しいなら、いくらでも近くにいようと思えた。


 どれくらい抱き留めていただろうか。痙攣するような吐息が少しだけ落ち着き始めた。


 無意識にエルトナの首元に顔を埋めて、その香りに気づく。別に香水をつけているわけではないだろうが、落ち着くいい匂いがした。それで、今更抱きしめているのが、僕が恐怖の対象とする『女の子』だと思い出した。


 ごくりと唾を飲みこみ、身を強張らせたとき、後ろにまわされていた手にぎゅっと力がこもる。さらに身を固くしたが、鼻をすする音が部屋と耳に大きく響いた。

「ずみまぜん。お見苦しい姿を、おみぜしまじた」

 すっと手が離れて、何度も鼻をすすりながらエルトナが離れた。


「……その、落ち着いたなら、良かったです」

 心臓が早鐘のように打っていた。怖いと思ってしまったと思ったが、いつも発作の、少女に熱い目で見られる背筋の凍るようなそれとは違う。


「怖い夢でも、見ましたか?」

 言いながらも、ベッドから立ち上がって、簡易の丸椅子を引き寄せてそちらへ座り替えた。今も、心臓が痛いほど早く鼓動を刻んでいた。


「………」

 涙と鼻水を拭いながら、泣き腫らした目が見上げてくる。それにごくりと息を飲む。背骨の下あたりに、妙な感覚を覚えた。


 ハンカチを差し出すと、盛大に鼻をかまれた。いや、別に構わないが。


「以前……旧人類の、記録について話したでしょう」

 鼻が通って、幾分聞きやすくなった声で、エルトナが続ける。

「黙っていましたが、もう一つ、ジェゼロ神国産まれの者の記録もあるんです。他にもまだあるかは、わかりませんが」


 そう言うと、ゆっくりと深呼吸をして、息を整えだした。

「ジェゼロ国への入り口での景色が、引き金になって、その記録と感情に今の私が負けてしまいました」

 言ってから、またぐっと泣きそうになる。


「理解……して、もらえるとは……ですが、私が、乗っ取られるみたいで……死ぬみたいで」

 また泣き始めてしまいそうで、もう一度抱きしめた方がいいのだろうかと慌てる。


「あ、あの。僕に何かできますか?」

 水……は水差しにあるから汲みに行かなくていい。着替え、も、荷物をここに置かせてもらっているから取りにはいかなくてもいいか。何かあるだろうか。


「……」

 上目遣いの目が、こちらを見る。できれば、そんな目で見ないで欲しい。なんだか、心が苦しい。


「女装……。できれば、女装はやめてください」

「え?」

 それは、やはり、変態だと思われていたのだろうか。さっと血の気が引いた。なぜかはわからない。


「今の綺麗な女性の姿の、ユマは……さっき言った記録にある、ジェゼロ王に、似てます。……その、頭が、混乱するんです」

 目を逸らして鼻を啜りながら理由を言われて、どこかほっとする。

「えっと、あの……化粧を落とすだけなら」

 こくりと頷かれて、慌てて水場へ入る。


 石鹸で無理やり化粧を落として戻ると、ベッドに腰かけてエルトナが水を飲んでいた。あれだけ泣けば水も必要だろう。


「……」

 少しだけ椅子の位置を引いて腰掛けると、エルトナがこちらを見て、たまにする苦笑いを向けられる。

「すみません。驚かせましたね」

「エルトナが落ち着いてきたならよかったです」

 なんだろう。心臓がまだ落ち着かない。


「ここは、どちらですか?」

「オーパーツ大学の仮眠室です。ナゲルが戻ったら、診察と、食事を持ってきてもらいます」

「オーパーツ大学、ですか。誰の判断ですか?」

 すっかりいつもの調子で、違うのは時折鼻を啜るくらいだ。

「ナゲルです。病院に運ぶことも考えていたんですが、ここで過ごさせた方がいいと」


 なるほどとエルトナは何か納得したように頷いた。

「私はしばらくこちらに滞在させていただくことは可能ですか? ジェゼロも多少街並みが変わっているとはいえ、初期の建物や変わらない景観も多いでしょう。そういったものが、また引き金になるかもしれません」

「……わかりました。折角ジェゼロに入国できたのに、街の一つも案内できないのは残念ですが」


 国境の建物は建て替えられているが、左右を森と山に囲まれた街道で、その景色は昔から大きくは変わっていない。

 オーパーツ大学は新しい建物で、数年前にできたばかりの施設だ。ここが安全だというなら、無理に連れ出すつもりはない。ナゲルは多少なりとも知っているのだろう。


「…………」

 ふと沈黙が流れて、たまにエルトナが鼻を啜る音だけが残る。


 わかっていたが、エルトナはソラより少し大きいくらいで体がとても小さい。年齢は、僕と一つくらいしか変わらないらしいが、それでも、大人よりも仕事ができるとはいえ子供か見習いのような歳だ。

 目の前のエルトナを見ているだけなのに、妙な気分になる。

 女性恐怖症を患って、生身の女性を見ても興奮することはなかったが、別に一人でも問題ないことだ。ナゲルとはあの事件からしばらくしてからだが男子特有のしょうもない話もできるようになっていた。


 感覚としてはわかっているが、女の子を相手にして、こんな感覚になるのはありえない。エルトナが小さいから幼児趣味的な物だったらと思ったが、今まで子供相手にそんなことを考えたことはなかった。


「………」

 もしかしたら、今回の留学で女性恐怖症が寛解に向かっているのだろうか。


「私は、単に、二つ目の記録があったから、ユマに好意的だったのかもしれません」

 エルトナが静かに言った。もう泣きじゃくる子供のような姿はなかった。


「え?」

「男の姿のユマなら、間違えて好きにならずに済みそうです」


 ごくりと唾を飲んだ。

 そうか。エルトナは僕に対して、特に好意も何も持っていなかったのか。




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