10 村の教会と犬
十 村の教会と犬
こんな生活は間違っている。
競売に参加させるが買い戻すと言っていた。競りに参加した者の中に、きっと母を殺した人物もいると。
だがどうだ? どこの金持ちかは知らないが、慈善活動をしたいだけのお嬢様に妹ともども競り落とされた。その上に自由にする?
そう言いながら妹だけは屋敷に置いて、男は全員廃墟を整えろと命じたのだ。
今すぐこんな場所は逃げたいが、妹を放っていくわけにはいかない。
「どうして、自由になったのにお前たちは働くんだ?」
小さな教会の聖堂を整える哀れな時間契約者に問う。俺はこいつらとは違う。
「今日、ユマ様が来てくださるから、綺麗にしておかないと」
笑っているか無表情しかしないニコルが言う。本来、祭壇に向かって等間隔に並んでいる長椅子を端に避けて、作ったテーブルを置いている。教会をこんな風に使う事にも反吐が出る。
ニコルはユマ様のためにと自分に与えられた新しいシーツを使わずにテーブルクロスとして使っていた。返さなくていい借金に変えた相手だ、いつでも逃げられるのになんで働くんだ。
「ゾディラット、手伝わないならどいてくれ。邪魔だ」
基本無口なトーヤに座っている椅子ごと持ち上げられる。
「くそっ」
飛び降りて、教会を出た。
教会の奥にある個室を私室にして、寝具が整えられた。厨房には簡単な料理道具が元々あったが、それに加えていくつかが買い足された。薪と食材はそれぞれに渡された金とは別に購入金としてトーヤが預かり、村人から買っている。残った金は律儀に返金しているが、残すくらいならもっと肉を買ってくれればいいものを。
教会から追いやられて、近くの森に入る。小さな小川が通って、散歩に来るだけならばいい場所だ。別荘には悪くないが、それを自分が整備させられると考えると反吐が出る。
高い呻き声が聞こえて、眉根を寄せる。何日か前にニコルが連れて来た犬だろう。無駄吠えが多いのに今日は静かだと思ったら、お嬢様が来るからこっちに隠したんだろう。
ここの飯は犬にやる食事量もないのに。
噛みつかれても馬鹿らしいから踵を返して教会へ戻った。丁度馬に乗った一行が見えた。
今日は気晴らしという名目で、生活環境を確認するために森にある教会へきた。馬に乗るのでスカートに見えるズボンを履いている。メリバルが所有する馬は皆気立てがよく、機嫌よく走ってくれた。
今日はメリバル夫人に言いつけられた通り、帝国からつけられた警護が五人ついている。彼らはなんというか、しっかりと叩き込まれた軍人だ。下手に話しかけたり、こちらが気を使う方が困るようだ。
教会に到着すると、ニコルとトーヤがすでに教会の入り口で待っていた。教会から少し離れた場所にゾディラットが立っている。
ミトーの報告で、ニコルとトーヤは熱心に教会や周りを整えてくれているそうだ。トーヤが計画を立て、ニコルは従順に従っているらしい。ゾディラットは自分の洗濯物や食事の片付けなどはしても、教会の掃除などはせず、日がな適当に過ごしているとのことだ。それで同じ生活費と言うのは少々不公平だろうか。
「お待ちしておりました」
馬から降りるとトーヤが跪き、ニコルも見様見真似で膝をつく。
「頑張ってくれたと聞いています。中に案内してもらえますか?」
言うとトーヤが立ち上がったのでニコルも真似をする。
教会の中へは帝国の警護の一人が先に入り許可が出てから足を踏み入れる。
「こっちに来てください!」
元気よくニコルが席へ案内する。
中央に準備された席へ座ると、あらかじめ用意ていたのだろうお茶を入れてくれる。直前までお湯の支度をしておいたのがわかる。
味は思ったよりも美味しい。まあ、母が入れる薬茶は不味いので、それに比べれば大抵は美味しいのだが。
「ありがとう。とても綺麗にされていて、驚きました」
見上げると、薄汚れていた壁も本来女神像が飾られる正面は綺麗になっていた。まだ他の壁は清掃途中のようだ。
「半端な状態で申し訳ございません」
「いえ、あまり急がず、危険のないようにしてください。高いところも頑張ってくれたみたいですが、落ちたら大変ですから」
梯子がなければ届かない場所も掃除されている。そんな高さから落ちたら最悪死んでしまう。
「高いところは得意です」
「ニコルはかなり身軽です。高所の清掃はほぼニコルが行っています」
トーヤが静かな声で報告する。何やら物騒なことが特技だと言っていたが、あながち嘘ではないのだろう。
ココアがメイドとして特化していたように、彼らも何か特技があるからこそ、あの場で取引がされたのだ。
「トーヤが命令をくれます。ユマ様に喜んでもらえるって」
心から笑っているのがわかる笑顔で報告される。この二人は上下関係ができているが、良好な関係のようだ。
「とてもうれしいです。でも、本当に怪我には気を付けてください。医師もここまでは直ぐに来られないでしょうから」
「はいっ」
最初はちょっと不気味だと思っていたが、ニコルも慣れれば可愛いのかもしれない。
「問題はないですか?」
「ご報告するような問題は出ていません」
トーヤが報告する中、ゾディラットが教会に入ってくる。
「毎晩犬が鳴いて眠れません!」
強い口調で近づくのを帝国の警護がさりげなく留める。カシスは後ろで控えている。
「犬?」
ナゲルが興味を持った。
「そうです。そいつが隠れて飼ってる犬がうるさいんです」
野犬が出るならば気を付けなければと思ったが、違うらしい。指さされたニコルに目を向けると、あの表情の抜けた顔になっていた。
「しかも、ばれないように今は森に縛ってるんですよ」
言いつけられて、ニコルの手がわずかに震えているのが見えた。
「あ、あの……ご、ごめんなさい。赦してください。ごめんなさい。逃がします。だからっ」
何をそんなに恐れているかの、歯の根が合わないニコルの状況が理解できない。
「だから殺させないでくださいっ」
その言葉に驚く。ナゲルに視線を向けると、すっと教会から出て行った。
立ち上がって、ニコルの前へ行くと、一度ぎゅっと目を瞑った後、強張った笑顔を向けてきた。
腕を上げたら、びくりと体を震わせた。殴られると身構えたのだろう。そう思いながら身を固くするだけで頭を守ったりもしない。
「そんなことは命令しません。安心して」
頭にできるだけ優しく手を乗せると、笑顔のまま顔が真っ青になっていく。慰めに失敗したらしい。
「ご、ごめんなさい。なんでも、何でもします」
また謝りだす。これは、アリエッタよりもやばいのではないだろうか。いや、そんな気はしていたが。
謝罪を繰り返すニコルにどうしたものかと仰ぎ見ていると、犬のきゅーんという鳴き声がした。さらに口角を上げて、瞬きすらしなくなる。目はもう僕に向いているだけで見ていない。
ナゲルが連れてきたのはまだ成犬になっていない大型犬だ。大きさは子犬ではないが幼い顔をしている。雑種のようで犬種はわからない。口を縄で縛られているが、虐待と言うよりも純粋に鳴いてばれないためのようだ。首輪代わりに縄が付いているが、それを持っているナゲルにじゃれるような無邪気さがある。
「ほれ」
ナゲルが縄を放すと一直線にニコルの許へ駆け寄り、頭を手に押し付けてじゃれるように強請る。その懐き方からも、可愛がられていたのがわかる。
「その犬です」
勝誇ったようにゾディラットが言う。
「おいで」
屈んで手を伸ばすとすぐにこちらへ来た。口枷を取ってやると、一度高らかに鳴き、ごろりと腹を見せる。
「躾はしないとだめだな」
ナゲルが見下ろして呟く。まだ若いから、ちゃんとすれば問題はないだろう。
「あっ」
がくがくと震えているのを見上げて、ため息をついた。
「ニコル。ナゲルが教えてくれるので、教育方法を学んでください。野良ではなく飼い犬にするならば、他者に危険が及ばないように、粗相をしないようにしないとお互いに不利益が出ます。取り上げたり、まして殺せなんて言いませんよ。ちゃんと面倒をみられますか?」
子供だって叱ることなく育てることはできない。言葉が通じない動物を教育するのは専門知識がいるし、根気もいる。
「……殺さなくて、いいん、ですか」
言葉が理解できないように、問い返される。
前の主人が命じて、大事にしていた動物を処分させられたのかもしれない。基本、前の主の事は話せない契約があるが、行動や技能から推察はできる。それは、想像しただけで胸が痛い。
「むしろ、殺さないで可愛がってあげて」
「は……はぃ」
瞑った目から、涙があふれて零れ落ちる。撫でまわしていた犬を解放して、飼い主の方へ抱きかかえて渡すと、ニコルがぎゅっと抱きしめ、犬が顔を遠慮なく嘗め回す。犬は可愛いが、同じことをされたら化粧が取れると悲鳴を上げそうだと感動的な場面に思ってしまった。
教会の入り口で、やり取りに不満そうなゾディラットの方へ向かう。
「ゾディラット。無理にここにいる必要はありませんよ?」
できるだけ優しい声色を使う。
「故郷へ向かう資金はいくらか提供しましょう」
「妹を返してください! あいつ一人置いて行けるわけがないでしょう」
もし、暖かい家庭があるならば返してやる事は吝かではない。だが、兄がこの調子では養育権を渡すわけにはいかないとはっきりした。
「ご家族と迎えに来たらいい。一緒に過ごせる環境だとわかれば、よろこんで」
同じ年ではあるがこちらの方が背は高い。女性の姿なので、よりでかくみえるだろう。
「私が預かっているとわかりながら、日々の給金を受け取りながら、仕事をせずに食事だけは忘れないんですね」
「そっ、それは、養う義務があるから」
兄妹で環境に随分と差があったのだろう。
「アリエッタは、あなたの事を心配していました。自分と同じように、もう嫌な事をさせられないかと。ご飯はちゃんと食べられているかと」
夕食はまとめて全員で取っている。正確には警護の一人は扉で待機しているが。その時に、アリエッタが色々と話してくれるのだ。兄とは離れ離れになってから嫌な事をさせられたと。彼女は兄も同じ目に遭っていると思っていた。ゾディラットはアリエッタのような体の傷はない。それだけで判断はできないが、少なくとも同じ扱いは受けていない。
「ここに残る間、働かずとも食事は与えます。仕事をした時は給金も出しましょう。ですが、努力している人の足を引っ張ることしかできないなら、何もしないでください」
人も犬も同じだ。若いほど教育は容易だ。自分くらいになると本人が望まなければ変わらない。それに、世の中全てが善人であるはずもない。
怒りすら籠った目を冷たく見返し踵を返す。
ニコルはさっきよりも嗚咽をもらしてしゃくりあげている。犬は力強く抱きしめられるのが嫌になって暴れ始めていた。
「ほら、少し座りましょう。犬は降ろしてあげていいから」
座るように促すと、トーヤがニコルの前にも茶を置いた。
犬は解放されてナゲルの許へ逃げていく。
「昔、いやな事を命じられたんですね」
静かに語り掛けると、ひきつった笑みも漏らした。
「前の、人の事は、喋っちゃ、だめ、なんです」
ばれなきゃいいことだが、ばれたら罰則がある。
「契約は解除したから、私は主ではないのだけれど、私が言ったとしても悲しくなることはしなくていいんですよ」
もう命じる事はできないし、勝手な希望だが、命令を求め遂行する事を絶対としているニコルを見ていると、悲しいことをまた誰かが命じるのではと不安になる。
「悲しいことって、なんですか」
また感情が抜け落ちた顔になって怖い事を言う。
「さっき、犬を殺さないといけないって思ったときの感情です」
「悲しくなんて、ないです。だって、笑顔でいれば、殴られても、何をさせられても、平気だから」
言うと、またあのぞっとする笑顔になった。
この子は、笑うしか生きる道がなかったのだろう。吐き気にも似た遣る瀬無さが胃を引き絞る。笑うなという事はできるが、それはよくない気がした。
「ニコルは私に命令して欲しいのですよね?」
問うと、作られた笑顔から、本物の希望の顔に変わる。
「はい! 命令してください。ユマ様の為なら、どんなことでも笑顔でできると思います」
命じられて、従う事でしか生きられなかった人生を垣間見て、無意識に手が伸びる。次はびくりとすることなく、頭を撫でられるのを受け入れる。
「では、あの犬に素敵な名前を付けて、ナゲルから躾の仕方を教わってきなさい。ナゲルは犬の扱いは本職みたいなものだから、ちゃんと理由も聞いて、理解してから実行するように」
ぱぁぁっと輝く笑顔ではいと返して、立ち上がってナゲルの許へ駆け寄る。
「お茶、手つかずのままでしたね」
折角入れてくれたのにとトーヤの方へ視線を向けると、ゆるく首を横に振った。
「彼は、自分が見ていない場所で調理されたものは口にしません」
何を入れられたかわからないお茶は口にしないと言う事か。
「ユマ様の毒見であればするでしょうが」
「私には毒見は不要ですから」
「ユマ様が、本来どのような身分かは存じ上げませんが、一舐めで死ぬような毒もあります」
確かに、次の瞬間には死しかない毒の話は聞いている。死ぬほど苦しい上に、回復には流石に時間がかかるから注意するように母から言われている。そう、普通は一瞬で死ぬ毒に対しての注意がそれなのだ。
「ええ、よく知っています」
ニコルが準備したお茶には、普通ならば痙攣発作が起きるような葉が混ざっていた。致死性のものではない。カップ一杯飲んでも森を歩くのは疲れる程度だ。きっちりと管理した量の毒だ。メリバルの孫が仕込んだおおざっぱな睡眠剤よりも余程計画的だ。暗殺も仕事の内だったなら、毒薬も学んでいても不思議がない。少なくとも、殺すほどの害意がなかったとあのお茶の味で判断した。
本来、僕に毒を盛るという行為は大罪だ。あえて何も言わずに飲んだのは意図を知るためとあの程度ではどうにもならないと判断したからだ。
ゾディラットの申告から、ニコルは森の散策をさせて犬を発見されたくなかったのだと知れた。
虐待被害者は加害者にもなりうる。僕が買った人たちに対して残虐な行為の為ではと疑われたように、僕もニコルが犬を殺したり虐待するために捕まえているのではないかと疑いを持っている。
弱い立場の者は聖人でも優しい人でもない。ただ、他から虐げられ命じられる立場にあると言うだけだ。更に弱い立場を見つければ、弱い者は傷つけていいと学習している者もいる。だから、ニコルの本性を知るためにあの犬はニコルに教育させることにした。僕も善人ではない。場合によっては犬が死ぬ可能性があるのに確認の為に道具にしているのだ。
「ナゲル、ニコルはちゃんと面倒をみられそうだった?」
屋敷の離れにもどり、明日の授業の確認をしているナゲルに問う。
「ああ、猛獣使いかなんかだった可能性があるぞ。可愛いだけじゃなく危険性は理解していたからな」
「猛獣……」
「あんだけ感動的なやりとりかましといて信用してないのか?」
あれが感動的なら、ソラへの説教な毎度涙なくては語れないのではないだろうか。
「闇が深すぎて計りかねてる。それに、期待して裏切られるのはソラで経験済みだから」
「あー、あいつは学習能力のないサル以下だから」
互いに納得する。慣れない土地に来ると同郷あるあるに心安らぐ。
「ゾディラットが一番馬鹿で素直でいいよな」
「それな」
犬をちくったり、仕事さぼったり、妹の現状を全く理解せず助けるつもりのところが、飽きれを超えて微笑ましくすらある。そのうち一人で逃げるだろう。こちらの情報はできるだけ与えないようにした方がいいだろう。
アリエッタは精神面も誘拐面も注意が必要だが、ニコルは闇が深い上に特殊技能が高くて下手に放置したら取り返しがつかなくなりそうだ。駒と割り切れば使い勝手はいいのかもしれないが、暗殺予定がない身としては宝の持ち腐れだ。
「それに、トーヤも何考えているかわからないから」
トーヤはニコルが毒を混ぜたのを知っていて放置した可能性がある。症状が出てから助けるつもりだったのか、気づくか試したのか。何にしろ、盲目的に主とみなしているわけではない。
あの後ニコルはナゲルに任せて森を散歩した。
教会の修繕清掃だけでなく、周辺の小川への道を整備したり、二人でこの期間にしたにしては随分と努力しているのがわかった。主の命令と言えば成果がなければ罰せられるので理解もできるが、もう解放された身だ。他はともかく、トーヤはどこへなり流れて傭兵にでもなれるだろう。それに改修は計画的にされているようで、学や兵士以外の仕事もこなせる教養と経験もあるようだった。最終臓器にばらされてもいいような契約だからあの場に出る価値が付いたのかと思ったが、本人の技能にも付加価値があったのだろう。
「ココアも、よく働くしアリエッタにも親切だけど、たまになんか違和感あるしな」
ナゲルがぼやく。野生の勘があるので少し注意してみた方がいいかもしれない。
「そうくると、従順さもなく、とりえのないゾディラットが四番目に出品された理由がわからないんだよね」
若くて健康、拒否命令はなしだがそれだけだ。一番高値のニコルは、普通では入手困難な闇のお仕事ができるようなので高値は理解できる。
とりあえず、夏には一度ジェゼロに帰る予定だから、その時にベンジャミン先生と母に相談しよう。冬の間の話もあるし、ジェゼロへ連れて行くとなれば手続きもある。
「そういや、残りの金、帝国銀行に入金されたんだろ?」
買い付けた五人は競り落とされた価格で賄えたので直接金のやり取りなく引き渡された。最後に競られた自分の絵の代金は流石に高額だったので競り落とした人が後日代金を支払うことになったとは聞いていた。手数料を引いた額を離れに置いて置くわけにもいかないので、帝国が運営する金融機関に入れてもらったのだ。
帝国を帝国たらしめる理由のひとつがこの帝国銀行だ。帝国通貨はあまりに強い。
「なんであの絵だけがあんな高値になったんだろうな」
他も、無名画家には破格の値段だったが、女神像の絵だけは桁違いだった。
自分の扱いに納得がいかないゾディラット。
何を考えているかわからないトーヤに闇が深そうなニコルの共同生活に犬が加わりました。




