最後の時間
最終日、金曜日の朝。
夫に念押しで夜ごはんは食べてきてね、とお願いした。
「送別会だよね。 どこでするの?」
「駅前の居酒屋さん」
「そうなんだ。 俺、何食べて帰ろうかなーー」
そんな事を言いながら夫は出勤した。
今日は夜のごはんや夫の事も気にする事なく送別会に参加できそうで、夫がいても夫の事を気にせずにいれる開放感からいつもより支度が早かったのか少し早く出社した。
早く出社してちょうどいい。
仕事をやり残して辞めたくなかったのだ……。
米田さんに残した仕事をお願いしたくなかった。
私のできる仕事は全部終わらせる。
それが米田さんへ私が最後にできる事。
私は早速最後の仕事に取り掛かった。
いつもと変わらない。
ほんとに今日が最後なんだ……。
そんな風にさえ思ってしまう程いつもと変わらない日常だった。
何も変わらないけれど確実に少しずつ終わりが近付いてきているのを気にしながらいつも通り仕事を進めた。
定時少し前にはいろんな人にお礼のクッキーを渡して回らなきゃいけない……。
そんな時間も逆算して考えながら自分の仕事を一つずつ片付けていく……。
小休憩にあの渡り廊下へ行ってみた。
いつも座っていたベンチに座りぼーーっと空を眺めた。
今日はすっきりした空で見ていて気持ちがよかった。
青い空にふんわりと優しい風。
ゆっくりとそんな事を感じれたのは久しぶりだった。
特別真っ青な空でも、雲ひとつない空でもなかった。
けれど、今日の空は格別に清々しく気持ちがよかった。
ほんといいお天気……。
最後にここで見た空を記念に一枚撮った。
15分はあっという間でもうそろそろ事務所に戻らなきゃいけない時間になっていた。
今日は来ないのか……。
私は向井さんが来るかな……と期待していた。
最後に少し話したかったな……。
向井さんがやってくる工場側のドアをじっと見ていたけれど、時間になってもそのドアは開く事がなかった。
私は両手をぐーーんと伸ばしめいいっぱい体を伸ばした。
私はゆっくりとベンチから立ち事務所へ帰る準備を始めた。
最後にここでいい時間を過ごせた。
向井さんと話せたら言う事なかったけど……。
私はあのドアに何度も何度も振り返り、開いて欲しいと願った。
でもこんな時には開かないもんなんだよね……。
そう簡単には思い通りにはいかないものだ……。
あの渡り廊下のあのベンチで向井さんと過ごした時間は短い時間だったけど、何も考えなくていい時間で私はいい時間を過ごさせてもらった。
最初一人にして欲しいのに何でいるんだろう……と思ってた事が懐かしい。
そんな気持ちもいつしかなくなってたな……。
わがままな自分にくすりと笑ってしまった。
最後に直接お礼を言えなかったけど仕方ない。
向井さんには感謝しかなかった。
緊張感をなくしかけていたあの事を思い出していた。
迷惑もかけているのに嫌な顔一つしない。
こうなっても私の事を気にかけてくれている。
そんな優しさの塊の様な向井さんには何もしないで欲しい……。
今日で、最後……。
あなたが望んだ最後が来たから何もしないで。
どうか、どうかお願いします……と、どこかで今日を望んでいたあの女の人にそう思った。
さぁ、あと少し……。
少しずつ寂しさが増してきた……。
私は渡り廊下をあとにした。




